(番外編)出生の秘密
今日は二人だけの部室。
コーヒーのカップを手に、大机に向かって美術本を眺めていた七海の背後を通り抜けようとしてその手元を覗き込んだ賢人は、おや、と小さく呟いた。
「それはサンドロ・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』(https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=1280x10000:format=jpg/path/s093251349da78e77/image/i1925bdb6510c3ff4/version/1675666066/image.jpg)ですね。さっきからずっと見ているようですが、何か気になることでもありますか?」
背後を振り返った七海は、しばらく不思議そうに賢人を顔を見上げた後瞬きすると、そこで初めて自分が何をしているのかに気付いたかのように小さく首を振った。
「あ、いえ、別に気になることってわけではないんですが」
言いながら一度で手元の本を見下ろした後、七海は再び賢人を振り返った。
「この絵を見ていたらふと思いまして」
「何をです?」
いや、と言いながら七海は本の一点を指差した。
「このヴィーナスさん、せっかく生まれてきたのに目がうつろっていうか、あんまり嬉しそうじゃないな、みたいな」
ああ、と納得気に頷いた後、まるで唇を湿らすかのように軽くコーヒーを飲んだ賢人は、七海に向かって頷きかけた。
「それは、彼女が自分の出自を知っていたからじゃないですかねぇ」
出自?と体を捻って賢人を見上げたまま七海は瞬きした。
「ヴィーナスさん、海の泡から生まれたんじゃないんですか?」
「そうなんですが、ではその泡は何から発生したと思います?」
は?
はあ、とため息をつきながら、賢人の淹れてくれたコーヒーのカップ片手に暗室カーテンをめくった七海は窓の外、遠くを眺めた。
「そりゃあそんな出自と知っていれば、ヴィーナスさんも目がうつろになりますよね。ああ私って何?みたいな」
はい、と賢人もため息をついた。
「ギリシャ神話を作った人達も何考えてたんだか」
だよね。
窓の外、何かの皮肉のように快晴の空を見上げながら、七海はもう一度嘆息した。
「けど、ネットを見てもその情報がヒットしにくいのは何よりの救いですよね、ヴィーナスさんも。単に、泡から生まれた、だけなら清廉感ありますものね」
「ですね。世間のほとんどの人は彼女の本当の出自の秘密を知らないでしょうからね」
もし、と七海は俯くと首を振った。
「もし、私達のこの会話を聞いていた人がいたとしても、彼女の出生の秘密を詮索することは是非やめて欲しいですよね」
そうですね、と七海の背後に立って快晴の空を見上げた賢人は目を細めた。
「その人に、人間としての心があるのなら、ね」
(出生の秘密は、言いたくないけど・・・・一番下に)
(ヴィーナスの出生の秘密)
なんでも、天空ウラヌスが息子のクロノス(サトゥルヌス)に殺された時に、大鎌でちょん切られた“息子”が海に落ちて泡となりヴィーナスが生まれたそうな。ちなみに“息子”の意味がわからない人は『それは言えない(後編)』を参照ください)




