第三話
「先ほどから気になっているんですが、あなたの話から推察しますと、そのマフラーで顔を隠していらっしゃるのは、政府のスパイの目から逃れるためなんですか?」
彼の話にあわせた質問をしたつもりだったのだが、男は意外にもその質問には難しい顔をした。うーんと考え込んでしまい、まるで相手を驚かせようと、何か新しい答えを探しているようだった。
「これを着けるようになった直接の原因はメディアなのです。私はマスメディアが苦手でして」
「ほう、それは不憫ですね。今はどこへ出かけてもテレビやラジオの音が聞こえてくるでしょうし、電車に乗れば大抵のサラリーマンは新聞を持っていますから、どうしても目に入ってしまって大変でしょう?」
「まったくです。そういったものから余計な音が聴こえて来ないように、こうして耳を塞いで生活しているのです。その上で、このように口をも塞ぐことによって、私の声が不特定多数の人に聞こえないようにしているというのもあります」
「かなり聴こえてきますよ!」
ここでタクシーの運転手が茶化すように相槌を打ってきた。その男はそれでも私の方から視線を逸らさずに話を続けた。
「ラジオやテレビからは、何というんですか……。DJやアナウンサーのように、ニュースの合間に必ず自分の意見を間に挟む人がいるんですが、そういう他人の発する、自分と異なる意見を聞くと反論したい衝動で、血が高ぶってしまうのです。言うなれば、私以外の人間の言っていることはすべて間違っているわけですが、そういう他人の間違った意見に過剰に反応してしまう自分が怖いんです。間違った意見を連呼する評論家の音声を聞いていると自然に感情が高ぶってくるのです。最悪なのは討論番組を見せられることですが、全員が間違った思想を持っているくせに、それを堂々と自己主張してますからね。そういった世の中の様々な意見のぶつけ合いが、私をおかしくしてしまったのです」
「しかし、それは仕方のないことですよ。さっきあなたもおっしゃってましたが、人間は各々が別々の意見を持って生きていますからね。時には妥協することも大事です。政治にせよ、企業社会にせよ、どこかで各々が意見を戦わせないとですね……」
「ああ! 議論の中心に私を据えてくれればいいのに! 私の意見だけを重視すれば世界はうまく回っていく。それでいいのに!」
男は天井に向かってそう叫んで苦しそうな表情になり頭を抱えてしまった。
「私は頭の中でがんばって作り上げた意見を、他人に無視されたり、必要以上の反論を受けるのが怖いのです。私に反論をする人は例え家族でも許せません。ですから、そういうことを怖れて次第に他人との接点を消していき、共同生活を避けるようになりました。本当を言えば、テレビなどで、自分の視点でしかものを言っていない人、あるいは目を血走らせて怒鳴り散らしている恐持ての教授や評論家などより、私の方がよっぽど強くて正しい意見を持っているのです」
この男は勢いに乗ってしまうと、とめどないので、私はそこで一度男の話に割って入ることにした。
「少し待って下さい。あなたは先ほどからずいぶんとご自分を卑下されていますが、異星人であるとか、他人とうまく協力して生活ができないとかですね。しかし、私の意見を言わせていただきますと、あなたは全くおかしくないですよ。他人の強い意見が耳障りであるとか、集団での討論に参加しにくいというのは、程度の差こそあれ、日本の多くの若者が持っている悩みですからね。あなたはこれまでの社会との軋轢に多少敏感になっているだけで、それほどおかしい人ではないのです」
私は男の話を正常な方向へ持って行きたかったので、そのような心にもない慰めを言ってみたが、男の様子は至って平静で、他人のタクシーに勝手に乗り込んでおきながら、自分はずっと正しいことをやっているとでも言いたげな、その真面目な表情に変化は見られなかった。
「もちろん私は正常です。おかしいのは今の人間社会の方です。まあ、もうすでに親兄弟をも見限っている私に怖いものはありませんけどね。私はよほど自分が気に入った相手でなければ自分の心を開いたりしません」
「これは大変失礼な質問なのですが、今現在、どこかの精神科関係の施設に入っているということはありませんか? あるいは以前に入所していたことがあるとか……」
「もちろん、ありますよ。私は一時期、この身を政府の管理下に置かれていたことがあるのです。まあ、私の素性からすれば、それは当然のことかもしれませんがね……。幼少期から、どうも私の話す言葉が一般の人には理解しにくいようで、他人に有益となる長話を聞かせてやっても、いや、こちらが気に入った相手には無理にでも聞かせますがね。それでも、聞き手が首を傾げることや、話の途中で逃げていくことが多かったですね。あなたのような特別な空気の中に住んでいる人にしか、うまく伝わらないのですよ。そうこうしているうちに、いつしか周囲の人間にばれてしまいまして……、私が政府によって監視されている特別な人間であるということがですね。そして私は精神病棟という政府によって造られた高度な研究施設に入れられることになったのです」
「その施設にはどのくらい入っていましたか? 辛くなかったですか?」
「それはもう、最初は失望しましたよ。政府の策略によって、またしても一般社会から離れた位置に押しのけられてしまったわけですからね。しかし、その施設に入れられてから数週間経ったある日、私は気がついたのです。その同じ病棟にいる全ての人が、世間ではほとんど受け入れられなかった私の言葉を、きちんと理解して聴いてくれているのです。政府を憎んでいるという私に同感してくれる人さえ多くいたのです。それはまったくもって不思議な体験でした。社会では受け入れられなかった私に、病棟の中の住人は人間としての普通の生活を送らせてくれたのです。施設の管理人は、朝夕の身の回りの掃除さえきちんとしてくれれば、ここで他の患者とどんな話をしても、基本的に自由だとまで言ってくれました。しかし、考えようによっては一般の人から優しい言葉をかけられ、一般人と同じように扱われ、わざと温かな施しを受けさせることによって、私が社会に従順になるように仕組まれていたのかもしれません。つまり……、少し怖い話になりますが、洗脳ですね。うう……、私は自分が意識できずにいる間に洗脳されていたのかもしれない……」
「それで、施設にはどのくらい入っていたのですか?」
男がまた自分だけの夢想の世界に入ってしまわない内に、私はもう一度同じことを尋ねた。
「ああ、施設に入っていた期間ですか? 5年ですよ。たった5年で政府は私を解放しました。解放せざるを得なかったのですよ。私は敵の策略に乗らぬよう、一度も問題を起こさずおとなしく暮らしていましたからね。政府は宇宙人である私へのこれ以上の監察を一時止めなければならないと思うに至ったのです。彼らも人の子ですからね。私がこの星の住民に何ら危害を加えないというのであれば、留置しておく理由はないのです。私はそうして再び外の世界の空気を吸えるようになったのです。すると、どうでしょう。施設の中だけでなく、外の世界にも私の言葉が理解できる人が多くいることに気づいたのです。真夜中に暗い建物の中で一人で雑巾で床磨きながらも、時々「くそ!」と独り言を呟いて、水の入ったバケツを蹴っ飛ばす、企業ビルの掃除夫。許可も取らずに車で混み合う駅前に乗りつけて、たいして旨くもない焼き芋をそれなりの値段で売り飛ばそうとする老年の焼き芋屋。海外アーティストのコンサートチケット売場に朝から晩まで並んで大量に購入し、インターネットを利用して他人に転売しようと企む販売人。あるいは、路上に安っぽい金メッキの貴金属を並べて、観光客相手に売りさばいている派手な髪型の若者でさえも、実は私の仲間だったのです。声をかけますと、彼らは喜んで私の組織に加わってくれました」
「それで、私もあなたによって選ばれた、その仲間の一人というわけですか? 何と言いますか、言葉は悪いですが、だいぶ社会の低い層にいられる方が多いようですね」
「それはそうですよ。政府によって迫害されて、社会の中で孤立してしまう人間は、やはり底辺層に多いのです。しかし、彼らこそ、現実の職業の裏側に隠された高貴な身分を持っていることが多いのです。それがために、今の権力者によって行く手を遮られてしまうわけです。なぜなら、この国を今現在支配する資産家にとっては、隠された身分を持つ我々は非常に邪魔な存在ですからね。我々はそこで社会への復讐を画策するために、都心の水道局の地下にあつらえてある目立たない小さな会議室に集まって、週に一度密議をこらしているのです」
「ほう、そこではどんなことが話し合われますか?」
「まずは、お互いの恵まれない境遇を報告しあうことが多いですね。職場での人間関係が上手くいかないとか、クレームをつけてくる顧客とのトラブルとか、その実際の人生の外にある偽りの仕事の活動中に、他人からの罵声があったり、通行人の視線が痛く感じられることなどが報告されていますね」
「その集まりでは最終的に何を目指しているのですか?」
「それは難しいご質問ですね。我々はこの人間社会というものに対して、あらゆることを試みながら、大衆の心情にゆっくりと訴えかけていき、彼らの思想を上手くこちらの言いなりになるように先導してやり、最終的な目標は国家の転覆ですね」
「国家の転覆とは……、それはまたずいぶんと物騒なご意見ですね。大丈夫ですか、そんな話をしてしまって」
ここまで読んでくださってありがとうございます。今夜中に完結します。




