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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
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40.長いお別れ


 冴が一歩前へ出る。


「礼儀として一応の謝罪は述べておこう。虎胤は、日頃から不要な口をきくところが――」


 冴の言葉が途切れた。


 視線を横へ滑らせた冴が細く息をつく。


「一定以上の霊素を持つ者には、余の”龍泉”による認識阻害も効を為さぬのでな」


 青志麻禊を引きつれて広場の向こうから歩いてきたのは、


「よお、七崎」


 朱川鏡子郎。


 朱川の長男はやはり歩いているだけで帝気ていきの感じられる男だ。おそらくあの迫力は、引き締まった肉体と長身によるものだけではあるまい。


 冴とは違うベクトルを持った王性の者。


 それが、朱川鏡子郎である。


「冴も一緒か」


 小気味よく鼻を鳴らして、鏡子郎が周囲を見渡す。


「やっぱ冴の”龍泉”は便利だな。こいつがなかったら、このあたりは何倍もやかましくなってたはずだしよ」


 冴が一歩引く。


「おまえも七崎悠真の見送りか、鏡子郎」

「まーな。つーか……冴が七崎の見送りに出張ってきてる方がオレには驚きなんだがな。どういう風の吹き回しだ?」

「早とちるな。余は虎胤に連れ添ったに過ぎん。珍しく手持ち無沙汰だっただけだ」

「黄柳院冴は暇だからって学園のいち生徒の見送りにくるような人間じゃねーだろ。なあ、七崎もそう思うだろ?」

「どうですかね。人は変わるものですから」


 ポケットに両手を突っ込んだまま、鏡子郎が悠真の前に立った。彼の背丈は真柄弦十郎に近い。悠真の身長だと、宗彦の時と同じく見上げる形になる。


「ふん……最後までおまえは、敬語の似合わねぇ男だったな」


 悠真は淡々と切り返す。


「俺の敬語は、最後まで評判が悪かったみたいですね」

「ずっとそいつが不思議でな」


 鏡子郎が上体を曲げると、顔の高さを悠真に合わせた。そして真実を探るような目で悠真の瞳を見つめた。


「その理由がわかった気がする。年齢がちぐはぐに感じたんだ」

「どういう風にですか?」

「年上が年下に対して無理をして敬語を使ってるような違和感、とでも言うかな。俺も自分で何を言ってるのかわからねぇが……直感、ってやつかもしれねぇ」


(この男……)


 野生の勘とでもいうのか。


 違和感を持った者はいたが、そこまで言語化した者はいなかった。


(朱川鏡子郎、か)


 鏡子郎が上体を起こす。


「おまえはオレたちの仲間に引き入れようと考えてたんだがな。ただ、冴のやつがどーしても首を縦に振らなくてよ。冴からすると『魂殻使いとして不適格な者を引き入れるわけにはいかぬ』だと」


 冴が弁解したそうな目をしていた。


 とはいえ例の新設部隊の話は、前に黄柳院の屋敷を訪れた際に片がついていた。



     △



「――というわけで、余はその新設部隊に七崎悠真を受け入れるつもりでいる」


 七崎悠真を新設部隊に受け入れると冴は話した。


 しかし真柄はきっぱりその提案を断った。


「やめておけ。俺のために自分の意思を曲げる必要はない。それに、魂殻使いとしてはほぼ無能力に近い七崎悠真ではその部隊のコンセプトに適しないだろう」


「……その通りでは、あるのだが」


「どのみち七崎悠真は近いうち、殻識学園を去ることになる」


「そうなのか?」


「ああ」


 七崎悠真が殻識学園に戻ることはないだろう。


「おそらくは、長い別れになる」



     ▽



「例の話はただ条件が噛み合わなかったに過ぎん。断っておくが、余が首を縦に振らなかったのは、七崎悠真を快く思っていなかったからではない」


 冴の言葉に鏡子郎が反応する。


「そうかぁ?」

「無論だ」

「どーも、違和感があんだよなぁ……アレは路傍の石に過ぎないとか言って歯牙にもかけてなかった冴が、ここ数日はやたらと七崎の肩を持つような態度を取ってやがっただろ? テメェら最近、なんかあったのか?」

「つまらん勘繰りも甚だしいぞ、鏡子郎」


 酷薄な表情を浮かべ、冴が己以外の四人を睥睨する。


「余にとって七崎悠真が路傍の石に過ぎん事実は今も変わらぬ。とある計画に七崎悠真を引き入れるべく鏡子郎が推していた時期は、希薄ながらも確かに問題視するだけの存在感はあった。しかしこの殻識を去る段となっては、もはや問題視する価値もない。いわばこれはマイナスが無になっただけの話。それによって、わずかにあった存在感も消え去っただけに過ぎん」


 冴が鮮やかに踵を返す。


「七崎悠真に存在価値を感じなくなった余を見て、態度が軟化したと感じたのであれば――朱川鏡子郎の目もどうやら、節穴の域にまで堕したと見える」


 ボロを出さないために、冴はこの場を去る選択をしたようだ。


(どうにか踏ん張ってくれたようだな、冴)


 これまでと矛盾する態度は避けねばならない。特に、勘の鋭い他の五識の申し子の前では。


 悠真としても最後の最後で違和感を残したくはなかった。


「気まぐれで空疎に時間を浪費した。行くぞ、虎胤」

「え? わ、わかった! じゃーな悠真っち! なんつーか、たまには顔でも見せにきてくれよな!」


 虎胤がそう挨拶をして冴に続く。


 鏡子郎はというと、渋い顔で頭を掻いていた。


「いや、やっぱ変わってねぇかもな……見事なほどにいつもの冴だ。変だと思ったのは、オレの勘違いか?」

「えっ!? 冴!? も、もしかして――泣いてるのか!?」


 冴の顔を不意に覗き込んだ虎胤が、驚きの声を上げた。


「案ずるな……目に、砂が入っただけだ」

「ほ、ほんとにか!?」

「余を疑るのか」

「え? う、疑ってるわけじゃないけどさ……」


 鏡子郎が訝しそうに冴の方へ歩いて行く。


「やっぱ今日のあいつ、なんか変だろっ……ったく、何があったってんだよ……」


 心の中で冴へエールを送りながら、悠真はふと思った。


(そういえば、他の五識の申し子は冴の正体が女だと知らないようだが……もし女と知れたら、他の四人はどう反応するんだろうな……)


 朱川鏡子郎あたりは、接し方がだいぶ変わりそうな気もする。


 逃げの手を打ち続けざるをえなくなった冴が鏡子郎と虎胤を引き連れていなくなると、


「きゃっ! 青志麻先輩!」


 一人の女子生徒が、青志麻禊の


 冴が離れたために”龍泉”の効果が消え、周囲の生徒たちが禊を認識できるようになったのだ。


「え!? あ、青志麻先輩!? いつの間にここに!?」

「はぁ、やっぱり素敵……美少年すぎます……」

「冴様の次に、お美しい」


 うっとりする女子たち。


 朱川鏡子郎の言う通りもし”龍泉”がなければ、確かにここで落ち着いて話はできなかったかもしれない。


 青志麻禊。


 冴の影に隠れがちだが、彼も中性的で美しい少年と言える。


 ただ、彼がなぜ一人残ったのかはわからない。


「七崎悠真という人間が僕には結局、最後までよくわからなかったよ。人間分析にはこれでもそこそこ自信があったんだけどね」


 周りの黄色い声を気にかける様子もなく、禊は悠真に歩み寄った。


「それとさ、七崎――」


 互いの顔と顔が数センチほどという距離まで来ると、禊が、二人だけが聞き取れるくらいの声量で言った。



「朱川鏡子郎にとって”毒”になりそうなら、を潰すつもりだった」



「俺は、青志麻先輩の気に障るようなことを何かしましたか?」

「君は得体が知れなかったからね……その君にあのキョウが興味を持っていた。五識の申し子以外には、滅多に執心しない朱川鏡子郎がね」


 怜悧な顔つきで、禊は、探るような視線を飛ばす。


「君の身の周りは調べさせた。結果、いささかできすぎていると思えるほどの”普通の経歴”しか出てこない。数年の空白期間以外はね」


 耳もとで禊が囁く。


「転校になって命拾いしたかもね、七崎悠真」

「青志麻先輩は、朱川先輩のことが大事なんですね」

「幼なじみだからね」


 五識の申し子たちの結びつきは強い。


「もちろん、冴も宗彦も虎胤だって大事だよ。だからそんな僕たちにとって毒となる者がいると思えば――容赦なく”清め”を、させてもらう」

「…………」


 禊の言う”清め”とは青志麻独自の比喩的表現と思われる。


 禊は耳もとから顔を離すと、そのまま冴たちの消えた方角へ歩き出した。


「ま……本当の青志麻を知らない君には、いまいちピンと来ないかもしれないけどね」


 この目ざとい青志麻の次期当主がついていれば、今後の冴の身の周りも安泰だろうと思えた。


 禊とは逆方向へ歩み出しながら、フン、と悠真は鼻を鳴らす。



の存在は、五識の申し子たちには欠かせないでしょうからね」



 ハッとした気配が、背後から伝わってきた。


 しかし悠真は振り返ることもなく、そのままオルガとティアの待つ学園の正門を目指した。


 青志麻は五識家の中で唯一裏社会との太いパイプを持っている。


 歴史的に見ても裏ごとの”後始末”のほとんどを青志麻が担ってきた。


 しかし引き受ける仕事の内容が過酷な裏ごとばかりなのもあってか、当主が精神疾患を患うことが多かったと聞く。


 さらに歴史を紐解いてみると、薬師の系譜である朱川の者が、精神を患った青志麻の者の面倒を見ることが多かったそうだ。


 禊が朱川鏡子郎を特に大事にしているのは、過去から続くそういった関係性の影響もあるのかもしれない。


 正門が見えてくる。


 オルガとティアが並んで待っていた。


 二人は柘榴塀小平太や蘇芳十色と共に、五識の申し子が中心となって創設する特殊チームへの配属が決まっている。


 悠真は一度立ち止まると、学園の校舎の方を振り返った。


 七崎悠真がいなくなったあとも殻識学園に通う者たちの物語は続く。


 しかし七崎悠真の物語は、もうすぐ終わりを迎える。


 悠真は心の中で別れを告げた。


 そして再び歩き出す。


 去りゆく者を送り出すかのように、五月も迫った時期の爽やかな風が悠真の頬を撫でて、穏やかに通り過ぎて行った。



     ▽



 七崎悠真として生活した部屋。


 その隣の部屋で、真柄弦十郎は槽の中で眠る七崎悠真の素体を眺めていた。


 七崎悠真はこれから長い眠りにつく。


 しばらくすると水瀬の手配した”引っ越し業者”がやってきて、七崎悠真が生活していた痕跡をすべて運び出す予定となっている。


 以後、七崎悠真の素体は長期間”保管”されると聞いた。氷崎から聞いた説明を聞いた限りだと、これから先真柄が七崎悠真と入れ替わることはないだろう。


(おまえのおかげで、一人の少女を救うことができた)


 槽の表面にそっと触れる。


(今回のことは俺一人では決して達成できなかった。おまえと一緒だったからこそ、俺は目的を果たすことができた……)


 真柄は口を開いた。


「短い間だったが、おまえに会えてよかった。今は、ゆっくり休んでくれ」


 眠る”相棒”をしばらく眺めたあと、真柄は別れの言葉を口にした。


「ありがとう、七崎悠真」


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― 新着の感想 ―
[一言] >ある計画に七崎悠真を引き入れるべく鏡子郎が推していた時期は、希薄ながらも確かに問題視するだけの存在感はあった。 実際、「魂殼を使わずに魂殼使いに勝てる技術」を持ってる人がオブザーバーに付…
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