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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
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34.この今へと続くその思い出の欠片


 霧間千侍は黄柳院オルガを純粋すぎると評した。


 オルガの持つ純粋さが純霊素を生み出す要因となったのか。


 それは誰にもわからない。


 ただ、真柄弦十郎はこう思った。


 時おり彼女が物事の本質をついた言葉を口にするのは、他の人間より物事を純粋に捉えられるからなのではないか、と。


 他者とかかわって生きる限り、世界に対する人の目や思考フィルターはほぼ確実に濁っていく。


 そうして人は一種の”防衛手段”として、経験則や猜疑心を獲得する。


 しかしいわばそれらは諸刃の剣。


 得たことで逆に、真実を見通すことが困難となるケースもある。


 むしろそれらが養われれば養われるほど、真実とは見当違いの方向を見ることになったりもする。


 黄柳院オルガのフィルターには濁りがない。


 ゆえに、誰も気づかなかった本質を見通す。


 たとえばそう――七崎悠真の向こうに秘められていた真柄弦十郎の想いなど、だろうか。


 だから、


『間違いなく、です』


 身体が変わっても”同じ魂”だと感じ取ることができたのだろう。



     ▽



 山道を一台の車が走っている。


 車内には運転手と金髪の少女の姿があった。


 向かう先はかつて黄柳院オルガとその母親の暮らしていた屋敷。


「もう少しで着く」


 運転手――真柄弦十郎が後部座席の黄柳院オルガに声をかける。


「緊張しているのか?」

「していないとは、言い切れませんわね」


 殻識学園のランキングで一位を取ってまで、オルガが黄柳院の家へ戻りたがっていた理由。

 

 最初は単に黄柳院の一族として認めてもらいたいのだと思っていた。けれどつき合っていく中で、彼女は黄柳院の子として家へ戻りたいわけではないのかもしれない――そう感じるようになった。


『ただ……どうしても一度、わたくしは黄柳院家の所有するある屋敷へ足を踏み入れたいのです』


 かつてオルガが口にした言葉。”どうしても一度”という言い回しは、改めて考えると引っかかる。


「これから行く屋敷に何かあるんだな」

「はい」


 オルガのその目的さえ達成されれば、彼女が殻識学園のランキング戦で無理をする必要はなくなる。


「それにしても、わたくしがあの屋敷へ立ち入るのを許していただけるなんて……いまだに現実感がありませんわ」

「小耳に挟んだ話によると、おまえの存在を快く思っていなかった黄柳院の人間の影響力が弱まったそうだ。今回は心強い協力者もいたしな」


 冴に掛け合ったところ、とある屋敷へオルガが足を踏み入れるのを認めてもらうことができた。


 今回は皇龍が嗅ぎつけてストップをかけることもなかった。心の拠り所でもあった紫条良正の死を知った皇龍は、今はずっと寝込んだままだそうだ。


 現在、黄柳院の権限は完全に現当主の総牛へ移動している――少なくとも、皇龍が復帰するまでは。


 そして総牛が機能不全を起こしている間に黄柳院の屋台骨を独り支え続けた冴に大きな権限が生まれたのは、自然な流れとも言える。


「何かと手を尽くしていただき、感謝していますわ」

「俺は大したことはしていない。俺よりも、冴に掛け合ってくれた葉武谷宗彦に感謝することだ」


 真柄と冴の関係はまだオルガに伏せたままだった。五識の申し子にも、冴との関係は伏せてある。


 できるだけ二人の関係性は伏せておきたいというのが、冴の意向だった。


 冴から了承を取りつけたあと、真柄は葉武谷宗彦へ連絡を入れた。



     △



『つまり……黄柳院の所有するその屋敷に黄柳院オルガが入れるよう、俺から冴に掛け合えと?』

「そうだ。今回の件で四家の申し子とは一応の縁ができたものの、黄柳院冴とだけは縁がないものでな」

『……なぜ俺に頼む?』

「話したのは短い時間だったが、葉武谷宗彦が四人の中で最も交渉しやすい相手だと感じた。理解が早く、状況の冷静な把握能力があり、話も理路整然としている」

『ベルゼビュートに褒められて悪い気はしない……俺としても、ベルゼビュートに恩を売っておくメリットは理解できる。だから、今の話について冴に聞くだけ聞いてみるのはかまわない』

「助かる」

『ただし、確約はできん。認められる確率は低いと考えておくといい』

「わかっている。恩に着る、葉武谷宗彦」

『――ちっ』

「どうした?」

『俺たち申し子は程度の差はあれ、皆、覇王たるための教育を受けている』

「…………」

「だがおまえと話していると、つくづく自分の若さや未熟さを痛感させられる』

「その実感を持てているのなら問題あるまい。おそらくそれは、成長痛のようなものだ」


 後日、宗彦から連絡がきた。


 冴が了承したことに彼は驚いていた。



     ▽



「あの、真柄さん」

「ん?」

「今回のことが終わったあとも、その……お電話をしたり、あの事務所へ会いに行ったりしても……よろしいでしょうか?」


 遠慮するようなニュアンスでオルガは続けた。


「もちろん、真柄さんにとってわたくしはお仕事でかかわっただけの人間にすぎません。ご迷惑と思われても、仕方ありませんわ。ただ、わたくしは――わたくしは……」


 オルガが口をつぐむ。


 これ以上、言葉を紡ぐのが怖いといった空気だった。


「会いにきたければ、いつでも会いにくるといいさ」

「あ――」


 オルガの声に明るさが灯る。


「何かあれば連絡も遠慮せずしてくれてかまわない。もちろん頼みごとでなく、世間話でもいい。まあ、24時間営業というわけにはいかないけどな」

「あ――」


 オルガとの会話の感じは今も七崎悠真の時の感覚を引きずっている。最初は少し悩んだが、無理に使い分ける必要もないという結論に達した。


「ありがとう、ございます」


 バックミラーを見る。


 オルガは、嬉しそうだった。


(やれやれ……やはり俺は、どうもこの子の笑顔には弱いらしい。娘を溺愛する父親というのは、案外、こういう心持ちなのかもしれんな)



     ▽



 目的の屋敷に到着する。


 屋敷は周囲を深い林に覆われていた。竹林も見える。


 敷地は皇龍や冴の住む屋敷よりは小規模だった。しかし一般的な観点から言えば、この屋敷も十分に大きいと言える。


 駐車場に車を停め、屋敷の門の方へ回る。


(ここが、オルガが母親と幼少期を過ごした屋敷か)


 現在は屋敷を維持管理する夫婦が二人だけで住んでいるそうだ。


 チャイムを押す。


 音声で確認をとったのち、管理人の妻が門の向こうから顔を出した。


 躊躇いがちなオルガを送り出して管理人の妻に預け、真柄は門の前で待つことにした。


 管理人の妻に連れられて、オルガは屋敷へと消えて行った。


 しばらく仕事のメール類をチェックしながら待っていると、一時間も経たずにオルガが戻ってきた。


「目的は果たせたか?」

「……はい」


 オルガはその胸もとに、クマのぬいぐるみを感慨深そうに抱いていた。


 真柄はぬいぐるみを見た。


「そのぬいぐるみが、屋敷に入りたかった理由か?」

「屋敷の土蔵に、ありました」


 母親とオルガに関係する一切は、二人が屋敷から去る際にすべて処分されたそうだ。おそらく仮初めの母娘の存在を限りなく透明に近づけたかった良正の指示だったと思われる。


 思い返せばオルガの部屋で母親の写真を見た記憶はない。思い出の品の存在も聞いたことがなかった。何一つ。


「これは昔、お母様がわたくしのために作ってくださったものなんです」

「それは処分されていなかったのか」

「当時、家の者とのかくれんぼをして土蔵に隠れていた際、この子だけは見つからないようにと……幼いわたくしが、蔵の中の古い箱の奥にこのぬいぐるみを隠したのです。ですが、その時のわたくしはあとでこのぬいぐるみをどこへ隠したのか忘れてしまって……わんわん、泣き喚いていました」


 思い出を抱きしめるように、ぬいぐるみに身を寄せるオルガ。


「そうしたら……お母様が、新しいクマのぬいぐるみを作ってくださって……結局はその新しいぬいぐるみも、家を出る時に処分されてしまいましたが」


 あのクマのぬいぐるみは”最後の思い出”として土蔵の奥でずっと”かくれんぼ”を続けていたのだろうか。


 いつか、オルガが迎えに来るとを信じながら。


 年甲斐もなくロマンチシズムが過ぎるなと自嘲しつつも、つい真柄はそんなことを考えてしまった。


「屋敷を去ったあとで、このぬいぐるみを隠したのを思い出して……まだあるかどうかを、どうしても確かめたかったのです」


 懐かしさに胸を溢れさせた様子で、オルガが幸福そうに目を閉じる。


「何か一つでもいいから……記憶以外のお母様とのつながりが、どうしても欲しかったんです」


 真柄は目を細めた。


(黄柳院の娘として家へ戻りたかったのではなく――これをために、か)


 たった一つの寄る辺たる思い出と、再会するために。

 残された唯一の母親との思い出を、確認するために。


(それだけのために、この子は……あんなにもボロボロになりながら、あの学園で孤独に戦っていたというのか)


 真柄弦十郎に母親の記憶はない。

 あるのは、血のつながらぬ育ての父の記憶だけ。


(俺にはわからないが、子にとって、母親というのはかけがえのない存在なのだろう……たとえ何年も言葉を交わさず、離れていても……)


「そういえばオルガ、一つ気になることがあるんだが」


 もしあの情報をオルガが知っているのなら、ここまで彼女が母との思い出をかき集めるのに苦心する理由に、説明がつかない気がした。


「母親は今、どこにいると聞いている?」

「……行方不明になったと聞いています。ただ、生きている母らしき姿を故郷の北欧で目撃したという話を、黄柳院の方づてに聞きましたが」


 彼女の育ての母は、実際は北欧ではなくH県のA島に住んでいる。

 真柄自身が会いにいったのだから間違いない。


(それも良正の偽装工作か……とことん、色んなものこの子から切り離したかったとみえる……)


 かすかに険のある表情を浮かべそうになったのを抑え、真柄は車のロックを解除した。


「オルガ」

「は、はい」


 運転席のドアを開き、背後のオルガに問いかける。   


「もし――母親に会えると言ったら、どうする?」





 長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。


 活動報告にも書きましたが、ここから、去年連載を始めた9月16日に完結できるよう更新していきたいと思います。


 実のところまだ別件で忙しい状況が継続中なのですが……手を抜かず、どうにか気合いで完結までもって行きたいと思います。


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