表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

本能寺炎上

天正十年(1582年)六月二日早朝、信長は男の叫び声で目を覚ました。その直後――鉄砲の音が聞こえ、勢いよく立ち上がった。


誰かが廊下を走ってくる。

その音が聞こえ、信長は直ちに刀を握りしめた。


「……御館様!」


その声は森蘭丸もりらんまるだった。寝所の襖を開け、中に入ってきた。


「青色桔梗の御紋、明智殿の軍勢にございます!」


声を張り上げる蘭丸の表情は、驚きと怒りに満ち、胸は大きく上下していた。


「やはり来たか……」


信長は、それだけしか言わなかった。


蘭丸から弓を受け取り、目が見る見るうちに鋭くなっていった。


信長は白装束を羽織っただけの姿で、廊下に出て、南門に向かっていた。塀の向こうには、青色桔梗の旗指物がいくつも見え、慌ただしく動いていた。


廊下に面した壁には火矢が刺さったままだったが、信長は構わず進んだ。


――南門は突破されていた。

裏口である南門、そこが突破され、数十の兵が押し寄せていた。


信長の小姓たちが槍を持ち、必死に戦い、食い止めていた。


「信長じゃ……信長じゃ!」と兵士たちが騒ぎ始めた。


信長は弓を持つと、すぐさま塀をよじ登り、火縄銃を構える兵に向かい、矢を射った。男は塀から崩れ落ち、視界から消えた。


信長は恐れをなして近づけない兵たちを見つめ、違和感に気付いていた。


明智の軍勢は、織田家随一の精鋭揃いだった。いくつもの戦場をくぐり抜けてきた兵たちだった。だが――信長が目にしている兵の鎧には、傷が一つもなかった。


信長に気づき狙いを定める兵がいた。信長は弦を引き、素早く射った。その男は首に矢が刺さり、倒れていった。他の兵が信長に弓を射るが、弦を引く指の運びが、ぎこちなかった。そして狙いも甘く、放たれた矢は壁に当たっていた。


信長は外れた矢を視界の隅に捉えていた。


続いて銃声が響いた。

信長は反射的に体を動かしたが、その弾は逸れ、当たることがなかった。


その際、一人の兵が縁側にいた。男が背中に括り付けた旗指物――それはあまりにも大きく、時代遅れだった。正規の織田軍の旗指物は、機動性を考慮し、小さい物だった。


信長はふっと笑みを漏らした。

(……違う)


「光秀、貴様ではないのだな……」


その時――東門の方から「ドンッ、ドンッ」と複数の銃声が響き、信長はその音がした方を振り向いた。


「蘭丸!」と声を張り上げると、信長は本殿の渡り廊下を音を立てて歩き、縁側の下に兵がいるというのに、構わず進んでいた。


「御館様!」と蘭丸が身を案じるも、「当たらぬわ!」と大声を張り上げた。


信長が突如現れ、矢が放たれるも一矢も当たらず、かすめず、壁に突き刺さるだけだった。


そして――ドンッ、ドンッ、ドンッと銃声が近くなっていた。


本能寺の正門である東門も、突破されていた。水堀にかかる橋を渡り、兵がなだれ込んでいた。


「御館様!」


拙い口調で呼ぶ男を見つめ、信長は「……弥助!」と笑みを浮かべた。


黒き大男、弥助は主君信長にも引けを取らない、南蛮風の鎧を身に着け、奮戦していた。縁側に上がってこようとする敵を、槍で引き留めていた。


弥助が一たび槍を振り回せば、その迫力に兵たちは一歩二歩と下がっていった。弥助が使う槍のは、鉄の棒だったのだ。


地面には倒れ、動けなくなった兵が、いくつも横たわっていた。


「……弥助、存分に暴れよ!」


「はっ!」


弥助は信長に近付こうとする兵の胸を一刺しにし、その体を放り投げていた。兵たちは弥助の怪力に恐れをなして、容易に近づけなかった。


その時――ドンッ、ドンッ!と銃声が聞こえた。


弥助は「御館様!」と叫び、信長の盾となり銃弾を受けた。

だが――弥助の鎧は傷跡をつけただけで、鉄の球を弾き飛ばしていた。


互いにうっすらと笑みを浮かべ、目の前の敵に視線を戻していた。


塀の上から矢が放たれ、シュッ、シュッという音が弥助と信長をかすめていた。信長は次の矢が放たれると、槍の柄で矢を弾き飛ばし、「こうやるのじゃ!」と弥助に見せていた。


弥助も「は!」と応え、同じ動きで信長に向かって放たれる矢を防いでいた。


ドンッ、ドンッ!


次の瞬間――弥助の背後から「ンッ……」と低い声が聞こえた。


「御館様!」と蘭丸が叫んでいた。


信長の左肩が、赤く染まった。その色は白装束に大きな染みを作っていた。


「構うな!」と言う信長であったが、表情は険しかった。


その隙に蘭丸にも矢が刺さり、「クッ……」と声を上げた。


ドンッ、ドンッ!


盾になろうとした小姓二人が、その場に倒れた。信長は倒れていった小姓たちの顔に視線を落としていた。


シュッ、シュツ。矢が飛んできて、弥助は何とか防ごうとしたが、その内の一矢が信長の右腿に刺さっていた。


「ンッ、ンッ!」と信長の苦しむ声を聞き、蘭丸が信長の体を支えた。


「ここは……危のうございます!御館様、奥へ!」


蘭丸はそう言うと、すぐ近くの襖を開け、信長を伴い御殿の中に消えていった。


その途中、信長は蘭丸に命じた。


「……火を放て」



***


信長が奥に消えたのを境に、御殿の至るところから火の手が上がった。たちまち白い煙が立ち込め、煙は、主を隠すように広がり、やがて濃くなった。


南門と東門では、生死を賭けた攻防が繰り返されていた。しかし――多勢に無勢、数に劣る守備側に勢いが、なくなっていった。


一人倒せば、また一人。

敵が崩れた隙間に、すぐに新手が踏み込む。

小姓が一人、また一人と倒れていった。


まずは南側の均衡が破れ、敵が御殿内に慌ただしく侵入していた。


信長は蘭丸に抱きかかえられ、足を引きずり、進んでいた。御殿の中に忍び込んだ敵の動きに耳を澄ませ、時には槍で突き、敵を倒し、蘭丸は襖という襖に次々と火を放っていった。


東門が突破されたころには、縁側にまで煙が立ち込め、そこから中に入れない状況となっていた。


信長は奥へ奥へと進む途中、数名の女中が狭い間で座りこんでいるのを見つけた。


女たちは「御館様!」と声を掛ける。


「何をしておる!はよ逃げよ!」


左肩は血で滲み、右足には矢尻が刺さったままの主君を見て、女中たちは男の覚悟を悟った。


「ご無事で……」


女中たちは立ち上がり、そう声を掛けると、信長は振り返らず、さらに奥へ消えていった。


火の勢いは、追手のそれより遥かに速かった。蘭丸が放っていった火は次第に勢いを増し、それは大きな炎となり、上へ上へと伸び、やがて天井を這っていった。


ガタガタと大きな音を立て、柱が倒れ、天井が崩れるところが増えていた。


そんな時――

一人の女中が着物を頭に羽織り、逃げていた。


御殿廊下の向かい側では、小姓の一人が御台所(台所)に通じる縁側で敵の侵入を必死の形相で食い止めていた。


女中は追手がすぐそこまで迫っていると気付き、足早に去ろうとした。


煙が辺りを包み始め、視界が悪くなる中、女中は柱の陰から御台所を覗いた。大男が白襦袢を着た男を肩に担いでいた。


女中は、呟いた。


「……御館様」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ