30◇問われる覚悟
翌日になって、パヴェルは再び父のところへ出向いた。
家臣たちは良い顔をしないが、父は時間を設けてくれた。
「昨晩は早々に辞してしまい、申し訳ありませんでした」
王の自室で机を挟んで向き合うと、父は苦笑した。
「あの令嬢を紹介しに来ると思ったのだが」
「そのつもりではあったのですが、諸事情で、それはまたの機会に……」
すると、父は声を立てて笑った。そんなふうに笑われると思ってもみなかったパヴェルは唖然とするが、それでも父は楽しげだった。
「お前にそういう相手ができたことを私が喜んでいると、それだけは伝えておこう」
「ありがとう、ございます」
自分の将来の話をするのがこんなに居心地が悪いとは知らなかった。
不愉快なわけではなく、ただ恥ずかしいような、なんとも言えない居心地の悪さだ。
父に会った一番の目的はそのことではなく、タロン公国のことを話そうと思ったからである。パヴェルはそれを切り出す。
「――あの、父上、唐突ですが、タロン公国は今も実在すると思われますか?」
エミーリエのことを話す前にそこをはっきりさせなくてはならない。
父はパヴェルの話題が唐突に思えたのか、眉根を寄せた。
「タロン公国? どうした、急に」
「いえ、少し気がかりなことがございまして」
すると、父は小さく息をつき、それからつぶやく。
「あの国は今も実在するのだろう。ただし、こちらから接触する術がないだけだ」
「本当にそうでしょうか?」
父はパヴェルの真意を探るように目を向けた。
パヴェル自身がタロン公国を探し当てたいという欲があるわけではないから、そこには何も見出せなかったのではないだろうか。
「……もし何かあったのだとしても、今は絶対に手を出すな」
「それはどういう意味ですか?」
「このことはまだ伝えるつもりはなかったのだが」
そんな前置きをしてから父は手を組んだ。
「西の国境にヴァラフ王国の斥候らしき者が認められた。もし不穏な動きをするようなら少々脅しつける必要がある。そんな時にタロン公国になど手を出している場合ではない」
脅しつけるというのは、二国間の会合ではない。軍事的な脅しである。
そんなことにならなければいいが。
「ハルディナ領はルドヴィークに任せている。有能な人材も多く与えたが、あやつは臣を上手く使えず、耳に痛いことを言われると遠ざけてしまう。困ったものだ」
ハルディナ領はベルディフ領以上に重要な土地柄だ。何せ、大国カーライルに盾突く国はそう多くない中で最も敵意を隠さないのがヴァラフ王国なのだから。
父は期待を込めて王太子である兄にハルディナ領を任せたのだ。
「兄上はお優しい方です。平和な世ではよい王となられるはずです。必要とあらば、汚れ役は私が務めればよいのでしょう」
「平和な世など理想だ。放っておけば実現するものではない。それを成し得る気概があやつには足らんのだ」
父は渋い顔をして言葉を絞り出す。
「ヴァラフの牽制はあやつにさせる。それが王太子としての責務だ」
「しかし……」
そうしたことを何より嫌い、苦手とする兄だ。
兄自身の苦痛もさることながら、もし下手を打った場合、国民に被害が及ぶのではないかという懸念もある。
「私が代わるのではいけませんか?」
その方がいい。もし何かあったとしても、パヴェルが責任を負えばいいのだ。
「カーライル王国の第二王子が武勇の持ち主だとは諸国に知れ渡っている。お前が出ていけばヴァラフも攻め入りにくくなることだろう。しかし、お前はそうやって常にルドヴィークを庇うつもりか?」
「ええ。弟として生まれついたからには兄上を補佐するのが私の役割かと」
「私はお前にそうしたことを望んでいない。私はルドヴィークに行かせたいのだ。もし、どうしてもお前が代わるというのなら、それなりの覚悟を持って行うことだ」
父がいつになく厳しく釘を刺した。ことがことなだけに慎重にもなる。
もしパヴェルがしくじれば、その責任を負う。最初からその覚悟を持って口を開いたつもりだ。
「覚悟はしました。もちろん、兄上の御意思は先に確かめますが」
これは牽制であって、戦ではない。戦にしないために行うことだ。
けれど、いつ何時状況が変わるかはわからない。パヴェルが無事に成し遂げられるとは限らないのだから。
「ルドヴィークが、自ら行くと申し出ることを期待したいが、仕方がないな」
父の目の奥に諦めが浮かんでいた。
王であるからこそ、次期国王に必要なものを兄に求めるのは当然かもしれないが。
兄に会いに行くと、やはり兄は怯えた。
「そ、そんなの、僕にどうしろと……」
「俺が代わりに行っても構わないのなら、俺が行く」
「そうしてくれるのか? パヴェルが指揮を執る方が皆も安心だろう。頼めるかい?」
「ああ、承知した」
パヴェルが答えると、兄は青白かった顔に血の気を蘇らせた。やはり、父が期待したようにはならなかった。
それでも、兄に足りない部分をパヴェルが補えばいいのだ。
「それと――」
兄はポツリと切り出す。
「スラヴェナとは少し話をしたよ」
「それは今後のことを?」
「ああ。話をしていてやっぱり、彼女とは無理だと思った」
それは仕方がないことだ。ただ、その後、兄がどうするのかが気がかりではあった。
余計なことは言えず、パヴェルは退室した。
その帰り道にスラヴェナに出くわした。パヴェルに不満をぶちまけてくるかと思いきや、ただ睨むばかりで何も言わなかった。
それが彼女なりの精一杯の矜持なのだろう。
ただし、その目つきは剣ほどに鋭かった。このまま泣き寝入りするような女ではないかもしれない。そう思うと、兄のことも心配ではあるが、パヴェルは行かなくてはならない。
こうなると、自分がいない間、エミーリエを王都に残していくのも不安だ。ベルディフ領の方がまだいい。
そして、まず――。
しばらく出かけなくてはならないから、エミーリエのダンスにつき合えなくなった。
これをどう伝えようか。




