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願わくは幸せな結末を  作者: 五十鈴 りく


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29/42

28◇ありがとう

 パヴェルは兄に連れられて王族の控えの間にいた。

 ここならば話を遮る者は誰もいない。

 兄は椅子に座るでもなく背もたれに手を添え、パヴェルに気が抜けるほど温和な笑みを向けた。


「お前がここにいてくれてよかったよ。父上と話す前に、誰か信頼できる者に相談したかったんだ」


 パヴェルの母は、兄から母親を奪った。

 あの時、兄は十歳ほどだった。心に負った傷は大きかったはずなのに、パヴェルを恨むことなく信じてくれている。

 今後も、パヴェルはそんな兄のことは絶対に裏切りたくなかった。


「俺が兄上の役に立てるのならいいが……」

「うん、実は、スラヴェナのことでね」


 婚約者の名を呼ぶにしては甘い響きがない。

 政略結婚だからと片づけてしまえないほどには。


「彼女が何か?」


 兄は顔の筋肉を震わせた。笑おうとして、笑顔を作りきれなかったように見えた。


「このまま結婚していいものか迷っていると言ったら、お前はどう思う?」


 スラヴェナの身分と容姿だけを見るのなら、他と見劣りはしない。けれど、王妃として国母として民を思い遣る気質は持ち合わせていない。


 そして、この気の優しい兄がスラヴェナの手綱を捌ききれないこともわかりきっている。

 パヴェルはひとつ嘆息し、慎重に言葉を選んだ。


「彼女の実家を敵に回すのが得策ではないのはわかる。ただ、俺は彼女自身が兄上に相応しいと思ったことはない。兄上が迷うのなら、考え直す期間を設けてもいいと思うが」


 それを聞くと、兄はほんの少し表情を明るくした。


「パヴェルに馬鹿なことを考えるなって言われなくてほっとしたよ。お前はいつでも僕の味方をしてくれるね」

「弟だから、俺は兄上を(たす)けるためにいる」

「ありがとう。でも、いつまでも親のことに縛られていないでいいんだ。僕たちは僕たちなんだから」


 兄は、パヴェルが母親の罪の意識を抱えていることを十分に知っていて、それさえ包み込んでくれる。

 それがいつも嬉しくて、申し訳ない。


 そこでふと、兄はパヴェルを見つめ、軽く首を傾げた。


「ところでパヴェル、エミーリエはどこの令嬢なんだ?」


 エミーリエについてはまだ詳しく話せない。パヴェルは気まずいながらにも答える。


「この国の者ではないそうです。詳しくはまだ……」

「そうなのか? それで雰囲気が変わっているのかな」


 兄は明らかにエミーリエに興味を持っている。

 それがどういう意味からなのか、パヴェルは考えたくなかった。まさかその興味が、スラヴェナとの婚約を考え直す理由でなければいい。


「パヴェルが女性を連れてきたのは初めてで驚いたけれど、あんなに可憐な女性がいるものだね」


 そう言って笑っている。

 なんて優しい目をして笑うのだろう。スラヴェナにそんな目を向けたことがあるだろうか。


 兄は自分でも気がついていないのかもしれない。

 エミーリエに惹かれ始めていることに。


 ――宝物は大事にしまっておいた方がいいと思うんですよ。

 マクシムが言った言葉が、今のパヴェルに重たくのしかかっていた。



     ◆



 それから、パヴェルがホールに戻ってきた。

 その頃にはカレルはどこかに行ってしまって姿が見えなかった。


 エミーリエはパヴェルの姿を見てほっとした。カレルからあんな話を聞いたからだ。

 知らないでいて無神経なことを言ってしまうより、ちゃんと事情を知れてよかったと思う。話したカレルがどんな腹積もりであったとしても。


「パヴェル様」


 エミーリエが声をかけると、パヴェルは軽くうなずいた。

 けれど、やはり今日のパヴェルは何か気がかりなことがあるように見えた。その気がかりがなんなのか、とても気になる。


 誰かに何か言われたのだろうか。立場の弱い王子だから、嫌なことを言われたのかもしれない。

 エミーリエはとにかくパヴェルの心配をした。


 一流の楽師たちが奏でる音楽が広いホールに流れる。

 人々は座した国王に挨拶しているが、パヴェルはエミーリエを父王に紹介するつもりはなさそうだった。素性を詳らかにできないからだろう。


 ただ、エミーリエは遠目で国王の姿を見て、パヴェルに似たところをほんの少し見つけて嬉しくなった。


 舞踏会が始まり、音楽と共に皆が踊り出す。

 エミーリエはパヴェルと、マクシムはシャールカと、ルドヴィークは身分の高そうなあの美しい令嬢と。

 皆がそれぞれに円を描いて踊る。


 少し首を上に向けると、煌びやかなシャンデリアから光が零れてくるように見えた。

 本当に、夢のような一夜だ。


「あの、パヴェル様」

「なんだ?」


 今日はいつもにも増して口数が少ない。

 踊りながらエミーリエは言った。


「今日は本当にありがとうございます。一生の記念になりました」

「それはよかったな」


 返してくれる声にも覇気がない。


「あの、何か心配事がおありなのでしょうか?」


 思いきって問いかけてみた。

 すると、パヴェルはどこか悲しそうに苦笑した。


「そうだ。あると言えるだろうな」

「わたしがお力になれることはございますか?」


 これを言った時、パヴェルはエミーリエの顔を覗き込んでいた。その目がどこか切ない。


「……いや、多分、ない」


 わかっていたけれど、はっきりと言われてしまった。当然だ。

 ここで、これまでの自分だったら恥じ入ってそれで終わりだった。

 けれど、パヴェルにはたくさんのことをしてもらった。

 できることがないのだとしても、それでも何かしたいと思えた。


「だとしても、何かさせて頂けませんか? パヴェル様にはいつも助けて頂いていますから、わたしがパヴェル様のためにできることがあれば嬉しく思います」


 それが正直な気持ちだった。だから、パヴェルの目を見て言った。

 パヴェルは驚いたように見えたけれど、不快な様子ではなかったと思う。


「気持ちだけで十分だ。ありがとう、エミーリエ」


 こんなに悲しそうにありがとうと言われたのは初めてだった。


 曲が途切れ、手を放す際に見せたパヴェルの笑顔がいつまでも焼きつくように残った。

 そして、パヴェルはエミーリエの手をそばに来たルドヴィークに託した。ルドヴィークがエミーリエに優しく微笑みかける。


 エミーリエは、笑おうとして、けれど楽しそうには笑えなかったかもしれない。

 他の誰かと踊るでもなく、サッと背を向けて歩いていくパヴェルの背中を見送るのが嫌だった。こんなに大勢の人がいる中、はぐれて二度と出会えないような気がしてしまう。

 おかしなことだけれど、パヴェルがとても孤独に見えた。


 ルドヴィークとは踊る約束をした。

 だから、一曲を踊りきるまでパヴェルを追うことはできない。


 エミーリエが気もそぞろになっているのをルドヴィークが気づかないわけがない。くるりとターンしながら言った。


「パヴェルがいないと不安?」

「はい」


 躊躇いなくすぐに言葉が出た。

 すると、ルドヴィークは微苦笑した。


「僕ではパヴェルの代わりになれないかな?」


 それはどういう意味だろう。

 そもそもエミーリエにとって、パヴェルはどういう存在なのか。

 これまで、それを深く考えてこなかった。


 ただ偶然出会い、助けてもらい、それからも優しく護ってくれている。

 誰からも必要とされなかったエミーリエを連れ戻しに追いかけてきてくれた。喜ぶことを選んで実現させてくれた。


 パヴェルは――。


「誰も代わりにはできません。でも、それと同じように、王太子殿下のことを一番に考えてくださる方もいらっしゃるはずです」


 大事にされてきた兄王子だ。疎まれていたパヴェルよりもずっと恵まれている。

 それなのに、ルドヴィークはどこか翳りのある表情を浮かべていた。


「本当にそうだろうか?」

「えっ?」

「僕よりもパヴェルの方がずっと――」


 何かを言いかけて、ルドヴィークはそれを引っ込めた。そして、気を取り直したようににこりと笑う。


「ねえ、エミーリエ。僕と友達でいてくれるかな?」


 大国の立派な王太子と友達とは、エミーリエの方が恐縮してしまうけれど、多分同じ本好きとして理解できる部分もあるのだろう。


「恐れ多いことですが、わたしでよければ喜んで」

「ああ、ありがとう」


 そうして踊りを終えた。

 その頃には、あの美しい令嬢がまたしても射るような視線をエミーリエに向けていた。彼女がエミーリエを嫌うのは、ルドヴィークと親しげにしたからだったようだ。


 あの目を見ていると、ラドミラを思い出してしまう。

 彼女のことが苦手だ、とエミーリエは思った。


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