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願わくは幸せな結末を  作者: 五十鈴 りく


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14◇飛来

 何か仕事をしたいと思うけれど、この屋敷の人々はエミーリエを客人扱いして雑用など任せてくれなかった。

 よって、エミーリエは特にすることもなく庭先を散歩し、パヴェルのお気に入りの場所で時間を潰すことがよくあった。


 エミーリエがここへ来て半月ほど経っただろうか。ここでパヴェルに会ったのは最初の一度と、つい最近もう一度だけだ。

 普段は副官の二人と領地の視察に出ていることが多い。ここで昼寝できるような時間は基本的にほとんどないらしい。


 エミーリエは木陰でじっと考える。

 そろそろパヴェルにここへ来た経緯と祖国のことを話さなくては、と。


 パヴェルは身分のわりに自分をよく見せようと気負うところがない。

 エミーリエがよく見せる必要のない相手だから、気を抜いているだけだとしても。

 個人的な欲を見せない人だから、エミーリエとタロン公国を利用しないと思いたい。


 あの国はそっとしておいてほしいのだ。

 踏み荒らされるようなことは起こってほしくない。


 問題は、いつ、折を見て話すかということだ。

 今度またここでばったり会った時に話すのはどうだろう。その機会が近いうちにあるといいけれど。


 どうしよう、と再び考えていると、茂みを越えてパヴェルが顔を覗かせた。


「エミーリエか」


 穏やかな声で名を呼ばれた。

 こんなふうに名前を呼んでくれた人はこれまでいなかったな、と感じた。

 最初は兄のヴィレームに似ている気がしたけれど、今となってはどうしてそう思ったのかもわからない。実際のところはそれほど似ていないのだ。


「お邪魔しております」


 姿勢を正して頭を下げると、パヴェルは苦笑した。


「いや、構わん」


 そう言って木の根元に腰を下ろした。

 次の機会には話をしようと決めていたのに、それと決めた直後すぎて焦った。

 まずは何気ない会話から始めてみよう。


「殿下はいつも領地を視察されておいでのようですが、どの辺りまでがベルディフ領なのですか?」

「ここは我が国の最東だからな。西は入り江の辺り、東は山の片側まで。あの山の先に幻の国があるとされるが、捜索に向かった者たちは口をそろえて先へ進む道はないと言いきった。もしそこに国があるとしても、それは人間の国ではないのかもしれないな」


 カーライル王国の人々にとって、タロン公国の認識はその程度らしい。

 人の国ではないというのなら、そこから来たエミーリエは人ではないと言われてしまうのだろうか。


 山の先に道はないが、川を遡った先の洞窟からタロン公国への出入りが可能なのだ。ただし、それなりに危険は伴うけれど。


「あの、ですね――」


 エミーリエが大きく息を吸い込んで切り出すと、その時、屋敷の正面の方から悲鳴が聞こえた。

 二人してハッと目を向けるが、ここからでは何も見えない。パヴェルは深刻な顔をして立ち上がった。


「何かあったようだ。お前は屋敷の中へ戻れ」

「は、はい」


 気圧されて思わず返事をした。パヴェルは身をひるがえして駆け出していく。

 突然の異変に、エミーリエの心臓がうるさく騒いでいた。胸を押さえながら出ていくと、途中で庭丁を一人捕まえた。


「あの、何があったのでしょうか?」


 まだ若い見習いらしき庭丁は、顔を青ざめさせながら答えてくれた。


「さっき、竜が飛来したんです! 危ないですから避難してください!」

「えっ? 竜?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 竜なんて物語の中でしか登場しない生き物だと思っていた。それが実在するのだ。

 少なくともタロン公国にはいなかった。


「よく来るんですか?」

「まさか! こんなこと、初めてですよ。何十年かに一度はあるみたいですけど」


 この国でも竜は珍しいらしい。何十年かに一度は遭遇してしまうなんて、まるで災害のようだ。


 パヴェルは大丈夫だろうか。気になるけれど、足手まといになってはいけない。素直に避難しよう。

 エミーリエはそう思って屋敷へ急いだけれど、竜の声が聞こえた。それは大きな、体を揺さぶるような鳴き声だった。


 まるで雷に打たれた感覚がした。

 エミーリエが足を止めたから、一緒に逃げていた庭丁も立ち止まった。


「どうされました? 足を痛められたとか?」

「い、いえ。あなたは先に避難されてください」

「えっ? ちょっ、エミーリエ様っ?」


 避難するはずだったエミーリエが渦中に舵を切ったため、庭丁は驚いてたじろぐばかりだった。そんな彼を振りきって、エミーリエは声のした方へ急いだ。

 心臓が痛いほど主張する。間に合って、とエミーリエは祈った。


 そこでは、マクシムが矢を(つが)えていた。いつもはのん気な彼がひどく真剣な面持ちで竜に矢尻を向けている。

 パヴェルとシャールカは剣を構えており、それ以外の男たちも槍や斧といった武器を手に遠巻きに竜を囲んでいる。


 紫色の肌をした竜は、低木ほどの大きさで、見上げるほど大きくはなかった。きっと、まだ子供なのだ。


 その竜はひどく荒れ狂っており、狙いが定めにくいようだった。翼をばたつかせ、尻尾を地面に叩きつけながら首を振っている。どう見ても正常には見えなかった。


 エミーリエがそこにいることにパヴェルが気づいた。ぎょっとして顔を強張らせる。


「エミーリエ! 屋敷へ入れと言ったはずだ!」

「でも!」


 言いかけた言葉を、パヴェルの怒声が遮った。


「早く行け! 邪魔をするな!」


 苛立ったように言われた。

 竜に襲われる危険はもちろんのこと、エミーリエがそこにいたのでは流れ矢に当たる可能性があり、マクシムが矢を放てない。

 とにかく邪魔なのだ。それはわかっている。


「待ってください! 話を聞いてください!」


 それでも、エミーリエは叫んだ。

 この非常時に何を馬鹿なことを言うのかと一蹴されてしまいそうだが、エミーリエにはこの竜がどうして暴れているのかがわかったような気がしたのだ。


 むやみに攻撃してはいけない。

 エミーリエが竜に向けて一歩踏み出した時、パヴェルが焦っているのはわかった。責任感の強い人だから、エミーリエのせいで竜を暴れさせるわけには行かないと考えているはずだ。今まで見たどんな時よりも厳しい、険しい顔をして怒鳴った。


「邪魔をするなと言っている! ここで俺の言うことが聞けないのなら出ていけ!!」


 この時のパヴェルは、竦んでしまうほど怖かった。

 王子というよりも武人というのか、戦うことを恐れない殺気を放っていた。


 それなのに、エミーリエが言いつけに背いてまで動いたのは、この子竜を救いたかったからだ。この子は好きで飛び込んできたわけでも、好きで暴れているわけでもない。


 エミーリエは唇を強く結び、竜のもとへ駆けた。いろんな人がそれぞれに叫んでいたけれど、もう何も聞こえなかった。


 竜の首に手を伸ばす。

 犬のように垂れた耳をしていて、それを持ち上げてやると、耳に挟まっていた羽虫が飛び去った。


 この竜は、耳に虫が飛び込んできて、どんなに頭を振っても取れなくて錯乱してしまったのだ。まだ子供だからこそ、こんなふうに我を忘れて人の領域へ入り込んだとも気づかずに暴れてしまったらしい。


 エミーリエが何故それに気づけたのかはわからない。

 ただ、わかったのだ。そうとしか言えない。


 子竜は途端に大人しくなり、自分の行いを恥じているようにすら見えた。目の色が穏やかな黄色をしている。


「もう大丈夫ね?」


 人の言葉がわかるかのように、グルル、と小さく鳴いた。

 そして、助走もせずに小鳥のように羽ばたいて飛び上がった。エミーリエは飛び去る竜を眺め、それから唖然とする人々を見た。


 そして、パヴェルに向けて大きく頭を下げる。

 今になって涙が滲むけれど、それを言うのは勝手だろう。自分がしたいと思った方を選んだのだから。


 力いっぱい、屋敷へ向けて駆け出した。

 屋敷に入るのではなく、裏手へ向かい、そのまま裏口を使って外へ出ていった。


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