11◇物語のような奇跡
朝、エミーリエは寝間着のままで絨毯の上を這いつくばって指輪を探した。埋もれていないかと絨毯を撫でてみるけれど、見つからない。
部屋に入るなりエミーリエが床に這っていたので、ルジェナは危うく朝食を落としかけた。
「エ、エミーリエ様! そこまでして頂かなくても大丈夫です!」
「でも、大事なものだから」
ルジェナは朝食そっちのけで指輪を探したがるエミーリエを説得し、先に着替えをさせた。そして、髪の毛のサイドを編み込んでハーフアップにしてくれた。
支度を整えたエミーリエをなんとか席に座らせ、ルジェナは朝食の支度を始める。彼女の赤くなった目に向け、エミーリエは問いかける。
「指輪は誰にもらったの?」
すると、ルジェナはギクリとした様子で一度手を止め、それからほんのりと頬を染めてつぶやく。
「幼馴染の彼です」
「彼?」
「恋人です。婚約っていうほど大げさなものじゃないんですけど、その、いつかはって。その約束で指輪を」
「恋人! だからあんなに必死だったのね?」
どちらかといえば大人しいエミーリエが、急に食い入るように身を乗り出したので、ルジェナは少し驚いていた。
「え、ええ、まあ」
「恋人同士だなんて、お話の中みたい」
エミーリエが知っている貴族社会は、恋愛結婚とは無縁である。よって、恋愛とは物語の中の絵空事でしかない。
それが恋する当事者に出会えたのだ。これはぜひとも話を聞きたい。
「ねえ、どんな方なの? もちろん、素敵な方だと思うけど」
目を輝かせているエミーリエに、ルジェナはさらに顔を赤くして困惑した。
「腐れ縁ですから、素敵だとか言えたものじゃないですけど」
なんてことを言うけれど、昨日の様子から、ルジェナが恋人のことを本当に好きなことはわかっている。
こんな照れ隠しもエミーリエには素晴らしいものに映った。
「ルジェナが幸せそうに見えた理由がわかったわ。その方のおかげなのね」
それを言うと、ルジェナは言葉に詰まっていた。とても可愛い。
「さあ、早く指輪を探しましょう」
エミーリエは慌ててパンをかっ込み、喉を詰めるところだった。ルジェナはそんなエミーリエの背中をトントンと叩いてくれた。
ルジェナといると、エミーリエも幸せのお裾分けをもらっているような気分になれた。
――しかし、部屋の中のどこを探しても指輪は見つからなかったのだ。
小さな真珠が象嵌された銀の細い指輪だという。アクセサリーの着用は禁止されているから、普段は鎖で首から提げて服の下に隠していたところ、その鎖が切れていた。
「もう、屋敷の中で探していないのはここしかなくて。それでもないなんて、誰かに拾われたか、屋敷の外か――」
ルジェナがまた泣き出しそうになってその場にくずおれる。
「屋敷の外へ出たの?」
「料理に使う香草を採りに庭園へ行きました」
「そこは探した?」
「時間が遅くて暗かったので、簡単に見ただけですが」
「じゃあ、もう一度行きましょう!」
エミーリエは恐る恐るルジェナの手を取った。
やはり、カーライル人たちとは触れ合っても何も起こらないように思えた。
二人でルジェナがいつも通る順に進み、屋敷の外へ出た。使用人たちが不思議な客人に目を留めるけれど、今のエミーリエの意識は指輪を見つけることにしかなかった。
「香草畑はどこ?」
「こっちです」
今日はルジェナの方が元気がなかった。
彼女は侍女だから仕事もしなくてはならない。指輪ばかりを探しているわけには行かないのだ。不安が募るのだろう。
ルジェナが昨日採ったというセボリーの辺りに光るものはない。エミーリエは泥が着くのも構わずに膝を突いた。
ルジェナも同じように膝と手を突いて草の根を掻き分ける。土と香草の匂いが漂い、二人にも染みつくようだった。
けれど、それでも指輪は見つからなかった。ルジェナはその場でハラハラと涙を零し、泥で汚れた手で頬を擦った。
「ごめんなさい、エミーリエ様にこんなことまでして頂いたのに、見つからないなんて。きっともう出てこないんです」
指輪を失くしたと正直に言っても、恋人は怒らないかもしれない。
代わりの何かを差し出してくれるかもしれない。
けれど、指輪そのものではなく、指輪に込められた想いこそがルジェナの宝物なのだ。
それを失いたくないからこそ、一生懸命に探すのだと思う。その気持ちが健気で、零す涙が悲しかった。
「出てくるわ、きっと」
口では気休めを言うものの、エミーリエもどうしていいのかわからなかった。
こんな時、本の中の物語では何が起こっただろう。奇跡が恋人たちを救ってくれるのではないのか。
エミーリエはその場で目を瞑り、手を組んで祈った。
どうか、ルジェナを助けてください、と。
指輪を持ち主のところへ返してあげてください、と。
――奇跡なんて起こらないことは、誰よりもエミーリエが一番よく知っている。
これまでどんなに願っても、エミーリエを取り巻く状況は変わらなかったのだから。それなのに今、祈りたい気分だった。
今なら祈りが届くような、そんな心境だった。
「あれは……」
ポツリ、とルジェナがつぶやく。
エミーリエは目を開き、空を見上げた。
すると、空には雲のように白い小鳥の群れがいた。あの小鳥は群れになる習性などなかったはずだが、不思議とたくさんいたのだ。
見上げていると、小鳥たちは二人の真上に来て、そして四方八方バラバラに飛んでいった。
ただ、その鳥たちが去る時、日差しを受けて輝く何かがひと粒落ちてきた。それがエミーリエの頭にコツンと当たり、柔らかい土の上に転がる。
ルジェナは、ああっ、と大声を上げた。
「指輪! 私の指輪がっ!」
エミーリエはきょとんとしてしまったが、ルジェナは指輪を拾って泣きながら胸に抱きしめていた。
この世に奇跡なんてない。
けれど、そうと決めつけられるほど、エミーリエは世界を知らない。
時には信じがたいことが起こるのだ。
泣きながら喜ぶルジェナを見て、エミーリエも胸がいっぱいになった。
この時、屋敷の窓から外を見下ろすパヴェルたちの姿が見えた。今の光景を、パヴェルならば説明できるのだろうかとエミーリエはぼんやりと考えた。




