1-8 降下(1)
静寂の船の中で、ルイが地表への降下を決めたのは翌々日のことだった。決して前向きな選択ではなかったが、絶望的な逃避行というわけでもなかった。不安や畏れを解消するには事実のみが薬というタマの勧めで、様々な情報収集をしたこともあり現実的な当面の生存計画がたちつつあったからだ。
情報収集の一環として昨日、つまりタマから地表で生活することを薦められた次の日、ルイはタマと一機の無人ドローンを降下させていた。大気圏突入用でなかったから期待していなかったものの、地表近くになるとドローンが応答しなくなったことにルイは落胆を禁じ得なかった。ただ無駄というわけでもなかった。落下中に様々なデータを船に送ることには成功していたからだ。
ドローンにより新しい事実が明らかになることはなかったものの、推測していた大気や気温といった情報が間違っていないと確認できたことは重要であった。高天原プライムは本当に人類がそのまま生存できる空間であるらしいとルイとタマは確信を深めていった。
「久々に着ると、やっぱ違和感あるなあ」
『お似合いですよ、ふふふ』
今、ルイの足先から首の付根までを、黒いプロテクター付きのスーツが覆っている。薄手で伸縮性のある素材が体に完全にフィットしていて、胴体、腕、脚などは少し厚みと光沢のある硬質な素材が貼り付けられている。首から上はというとオープン型のヘルメットになっていて、その中でゴーグルを額に着用している。そして、右肩には黒い筒のような細いライフルが吊り下げられ、左腰には白い鞘の脇差が、背中には紅い鞘の長刀があった。
「機動戦闘服なんて、卒業以来だなあ」
『銃も実戦仕様のものが備品にあって良かったですね。しばらく自由に動いてみてください。システムが動きにくいところを調整します』
ルイが着ているものは、主に総合戦闘術で使われる戦闘用スーツの一種だ。総合戦闘術は教育課程の必須科目であることから、多くの人が使う機動戦闘服にも様々な価格帯があり、安価な初心者用から高価な軍用まで幅広い。
船内に配備されていたものは、全天候・長距離移動に対応した長期生存型と呼ばれるタイプで、悪天候下に耐えうる性能を持ちながらも近接及び銃撃戦に対応している。軍用ほどの性能は無いものの扱いやすく、未知の惑星を素人が探査するという今回の目的には最適であった。
右肩のライフルも備品で、強力だが有限の実弾に加えてエネルギーを射出する能力を持っていて太陽光さえあれば補充不要で使い続けられる。高天原の太陽の下であれば長期運用に耐えうるだろう。
「流石は草薙グループだな」
機動戦闘服とライフルは非常用備品として船に積み込むことが義務付けられている。ただ、必要になる場面などそうないので、法律が定める要件をギリギリ満たした安物を配備することが一般的だ。だが、ここに配備されていたのはどちらもなかなかに高品質のものだった。
一方、紅白で彩られた二振りの刀は備品ではない。誤ってルイの船に積み込まれたリンの持ち物だ。リンに「開けない」と約束したアタッシェケースを勝手に開けることに罪悪感を覚えたものの、結果的にタマにそそのかされるまま約束を破ってよかったと思わざるを得なかった。
「<白加賀>、<紅千鳥>との接続はどう?」
『機動戦闘服との連動が問題なく進んでいます。きっと、リンの動きを再現できるでしょう』
リンは白い脇差を白加賀、紅色の長刀を紅千鳥と呼んでいたようだ。どちらもただの鉄器ではない。エネルギー消費と引き換えに耐久力と切れ味を保持するとともに、刀の内部に記録されたリンの動きを機動戦闘服を使って再現する機能まで有する最新の近接用電子戦闘装置でもあった。つまり、これがあればルイでも熟練者の剣技を――完全にとはいかないが――繰り出すことができるようになる。
両方とも刀身の鍔の近くにわざわざ銘が彫ってあることが、高価かつ趣味的な武具であることを象徴していた。
『接続が完了しました。それでは、他の準備を始めていきましょう』
続けて、緊急時ポッドからレーションに至るまで、ルイとタマは持っていく備品全ての理解と訓練を行っていった。すべてスムーズに進んだが、それでも丸3日必要だった。
*
『再確認です。降下予定地点は?』
「赤い砂漠。ドローンを落としたあたり」
『結構です。それでは参りましょうか』
ルイは緊急脱出ポッドの中で目標降下地点を見つめる。降下地点を北東の砂漠地帯にすることは、すんなりと決まった。比較的まともな天候で、着陸に向いている地形で、かつ周囲に知的生命の痕跡が見当たらないのはここだけだった。知的生命の多い地域にうっかり降下してしまえば、逆噴射しながら地表に軟着陸する流れ星によって大騒ぎになりかねない。一方で、現地知的生命体との接触を過度に恐れ山岳や孤島を選んでしまえば着陸の危険性が高い。総合的に考えれば、北東の砂漠であれば何者かに目撃されるリスクも随分マシだろうし、着陸も容易なはずだ。これがルイとタマの一致した見解だった。
『一応聞きますけども、いいんですね?』
「いい。ここに居てもジリ貧だと思う。でも、そうじゃない。それが理由じゃないんだ。僕がこの目で、高天原プライムを見たいんだ」
『……』
「決めたんだ、好きなことをやってみようって。だから、いいんだ」
『ふ、結構ですとも。では、もう少しで始めますからね』
ルイは、うまくタマに乗せられていると自覚しながらも楽しげに頷いた。
紀ノ国に生まれ、運送屋になった。これから先の人生の振れ幅は小さい。変に道は踏み外さないだろうが、かといって大きく変わることもない。これからずっと末端の航行士としてすべきことをし続ける毎日だろう。でも、それは楽しいことなのか。
いまルイは、初めて自分の人生を選択したような気がしていた。タマに誘導されていようとも、理屈ではなく楽しいと思えるほうに人生の舵を切ったことに満足と不安を感じていた。
『行きますよー。降下シークエンス開始……3,2,1,脱出』
激しい加重がルイを襲うが、機動戦闘服がダメージのほとんどを軽減する。ルイは身体的には余裕を持って、心は緊張したまま窓の外を眺める。漆黒の宇宙が魂を吸い込むように広がっていて、その奥には越えることの出来ない白布が広がっている。ルイは視線を下に落とし、迫ってくる高天原プライムの地表を見つめた。
しばらくして、大気圏突入による激しい揺れが船全体を襲い始める。超耐熱強化ガラスで出来た窓の外は、空力加熱によって生まれた橙色の光で埋め尽くされていくが、その奥には広大な海が見える。人目になるべく付かぬよう、大陸の外にある海から北東の砂漠に向かうコースとしたからだ。目の前のモニターには予定と実際の突入コースが、ほぼ重なるように描かれている。すべては予定通り。
その時、ここまで軽口ばっかりだったタマが突然警戒感を露わにして、ルイがどうしたと尋ねる前に早口で話し始める。
『急速に船との通信が悪化しています……電波量を増幅していますが……たぶん持ちま――』
タマが話し終わる直前、突如アバターが消え去った。
「!? 聞こえるか!?……タマ!」
ルイは叫ぶが、アバターは現れず返事もない。ルイは僅かに呆然としたあと、激しい恐怖に襲われた。ソフォンが使えなくなることも想定して訓練していたが、本当の意味でどうなるかは考えてこなかった。考えることを意識的に――今にして思えば――避けていた。ソフォンが使えなくなるとはどういうことなのか。今ならこれ以上なく明確に分かる。
それは、第1に生活基盤を作るアドバイザがいなくなるということ。自分でデータベースを検索すれば知識そのものは手に入るが、掛かる手間は倍増どころの話ではない。
第二は――こちらのほうがルイにはずっと恐ろしかった――仮に生活基盤を築けたとして一体誰と苦労を分かち合えばいいのか。会話できる相手無しに、見知らぬ惑星の上でいったい何年生きる気力を持ち続けることができるのか。
ルイが暗黒のような前途に気づいて指を震わせ始めたとき、消えたときと全く同じように突然タマが現れた。だが、その姿は少し違っていた。





