第一章16 『讟吐ク』
「君はいつまで、自分が主人公だと思い込んでいるんだよ」
告げられた言葉は冷ややかだ。
「……それって」
「そう。僕には、力がある」
宗太郎は、元の不敵な笑顔に戻って、両手を大きく広げて言った。
「――世界を、『やり直す』力が」
辟易しとめどなく冷や汗を流しながら、彼がやったことを思い返す。
彼が頭に銃弾を撃ち込んだと同時に、世界は、あの少女が現れる前の時間に戻った。
『リトライ』したのだ。彼は。
けれど、そう考えると、ある一つの疑問が生まれる。
世界をやり直す力を持った人間が二人いるなんて、そんなことあり得るんだろうか?
「……まさか」
「頭が正常に回り始めたようだね。やっと寝ぼけ眼が冴えてきたかい」
考える。
朔磨が今まで知りえなかった部分が、少しずつその頭角を現していく。全貌は見えないまでも、靄のかかった全体像は認識できる。
そうして見出した結論を、
「そうかよ。お前だったのか――本物の『バグ』は」
恨むように憎むように吐き捨てた。
むろん、朔磨だって信じたくはない。けれどどう考えても、そうじゃなければ説明がつかないだろう?
宗太郎は大袈裟に手を叩いて笑う。
「大正解だ。やり直しの力を持っているのは、僕だ。桐生宗太郎だ。まあそれを手に入れた経緯は省くことにして……や、安心してくれ。これだけで説明を終える気はないよ。
君はこう思っていることだろう。『桐生宗太郎が世界をやり直せる人物であることは分かった。否、どうして自分、久遠朔磨はこれまで世界をやり直せていたのだろう?』ってね。
それは、君がやり直しの『力』を持っていなくても、その『権利』ないしは『可能性』は持ち合わせていたからだ」
「どういうことだ」
「仮に僕が死んで世界が戻ったとして……皆がその、世界が戻った分の記憶を忘れて同じ足跡を辿るなか、君だけは、その記憶を持ち続けられるんだ。世の中の科学者とかでも、『遡行』を感知することしかできない。でも君は違う。遡行の前に何が起こったのかを明確に覚えていることができる、僕以外の唯一の存在だ。君が違和感を感じなかったのは、必ず君が僕の死ぬ前に命を落としていたからなんだよ」
筋は、通っている。
けれど。
「それなら……お前は、これから起こることを全部、知って――」
「まあ、聞いてよ」
震える声で問おうとした朔磨を、宗太郎はやんわりと制する。
「聞きたいことは山ほどあるだろう。でもその前に、少し僕に話をさせてほしい」
そう言って、彼は瞼を落とす。
「……どうせもう、終わりなんだから」
呟かれた言葉を、朔磨は拾ってやることができなかった。
***
僕がこの力を手に入れたのはずっと前だった。
本当に、ずっと前だ。
そのとき僕には、特に何も守りたいものとかはなくて、でも僕は他の人よりほんの少しだけ、運が悪かったんだ。一か月に一回くらいかな……僕は事故か何かで死ぬんだよ。で、当時僕は、それを回避するためだけに力を使ってた。まあ、わざわざ何度も死ににいく人なんていないだろうし、当然だよね。
色々なことがあったよ。
大学受験は緊張した。会社の面接はなかなか受からなくて苦労したし、普通に生きてくだけでも十分に大変だった。充実感もあった。幸せだった。本をたくさん読むようになって、晴耕雨読の人生を過ごしていたときね。
当時の僕はすっかり忘れていたんだけど、人には、寿命っていうものがあるんだよ。
ああ、これで僕の人生も終わりかあって、死ぬ間際に思ってさ。そりゃ寂しくはあったけど、泣き叫ぶほど死に恐怖していたわけじゃない。さっきも言ったけど、一か月に一回は死んでいたんだからね。
自分で言うのもなんだけど、こんな力にはまったく似つかわしくない、平凡で幸福な人生だった。
今思えば、それがこれまでの中で、一番幸せな人生だったのかもね。
ん?
ああ、そうさ。
そんな平凡な人生を終えた僕は――あろうことか、その力を手に入れた、幼少のころに戻っていたんだ。
さしもの僕でも、これには辟易したし、一種の興奮すら覚えたさ。これでまた違う、もっと充実した人生を送ることができるって。無限の可能性を感じたし、大袈裟だけど、神になった気さえした。
死んだはずの両親が今はまだ生きている。
喧嘩別れをした友人との仲はまだ壊れていない。
これからは、前回みたいな間違いは繰り返さない。
そんな思いを抱きながら、僕の『二回目』が始まった。
二回目、三回目は、多少の違和感を感じているだけだった。でも、四巡目くらいから、だんだん、世界は色褪せてきた。
君なら少しは分かるんじゃないかな。
今まで自分が積み上げてきたものが、強制的にゼロへと戻される絶望が。
五回目あたりで、僕はそれを如実に感じ取り始める。
あれほど仲の良かった、気の置けない無二の友人が、余所余所しくなり、馴れ馴れしい口をきけば彼は何も言わず怪訝な目を向けるだけ。考えてみれば初対面なんだから、当然だけど。
いつも僕の隣にいた誰かに触れることが、戻ったとたんにできなくなる。また一から何度も通った道を辿って信頼を得て愛を育んで、それでも結局は次の人生で何もかも無に帰る。
そりゃあ、楽しいゲームは何回もやるさ。
でもどこの世界に、**回もやるやつがいるんだよ?
僕は虚無を感じ始めた。同時に、終わりがないことに対する恐怖も。
そこで僕が逃げ道として行きついたのは、知識の習得だった。
手始めに、あるだけの本を読み漁った。かろうじて人間らしい生活をするために、学校にも会社にも行って、程々の友好関係をつくって、その上でだけど。
何もしない時間はひたすらに本を読んだ。
読んで、
読んで、
読んで。
純粋に好きだったはずの本は、僕が虚無や恐怖から逃れように縋るためのものになった。本のような縋る対象は、ことごとく変わっていった。興味なんて、何もなかったのに。
まあ、結果だけ伝えようか。
すべての本を読んだとか、そんな無謀なことは言わないよ。多分、表紙くらいは全部見ていると思うけど。
でも僕は多分、発見されている全ての植物を知っているし、生物もその生態まで隅々まで知り尽くしている。ほとんどのゲームを遊び尽くしたし、医学の分野で僕は最終的に、現代のブラックジャックとまで言われるようになった。はは、笑えるだろ? この二つ名をつけたのはそのときの親友だったんだけど……ああ、やっぱりいい。その話はやめておこう。
あとは、すべての言語をよどみなく話せるし、世に知れている料理ならなんだってできる。なんなら五つ星レストランのシェフを務めたことだってある。
……すべての人と仲良くなる方法を知っている。すべての人に嫌われる方法を知っている。すべての人を守る方法も知っているし、すべての人を殺す方法も知っている。他にもいろんな、本当にいろんな知識を、痛みと寂しさを紛らわすみたいに貪り食ったんだ。
楽しそうだと思うかい。
僕はね。
その間、ずっと怯えていたんだよ。
来る日も来る日も、世界には僕だけがいないような気がして、はたまた、僕だけしかいないような気がした……いや。
確かに、僕一人しかそこにはいなかった。すれ違う人物は誰も彼もが、僕が知っている顔しかできない人形たちばかり。気が狂ってしまいそうだった。絶対的な孤独を背負いこみ抱えながら、目に映る世界が色褪せてしまうのを恐れて、違うことを繰り返し、新しいものを求めて、そうやって心を擦り減らして生きていた。
けれど、戻っても戻っても、もう、何もしたくない。何かをするのが苦しかった。でも、戻る。死にたくても死ぬことができず、かといって生き続けることもできず、どこにも辿りつけない暗闇の中で、ただひたすらに走り続けてる。
はじめ希望に満ち溢れていた世界はいつのまにか終わりのない地獄に変貌して、絶えず僕を追ってくるんだ。
悲鳴を上げても、誰も聞いてくれはしない。
聞いてくれたとして、時間が戻ればそんな記憶、跡形もなく消えてしまう。
そんな世界の中、自分が生きる意味を見出そうとするなんて、どれだけ空虚なことだろう?
気づいたら僕は何もする気力がなくなっていて、感情を覚える方法も、すっかり忘れてしまっていた。
自分で言うのもなんだけれど、よくもった方だと思う。とっくに狂ってしまっておかしくないはずのこの状況で、よくここまで耐えたと思う。もうそろそろ、僕は限界だった。
でもそこで僕は、ふと思ったんだ。
一番幸せだった、最初の人生に戻れたら――。
そう思った瞬間から僕は、『普通』で『幸せ』だった一回目の人生を、これから何度も繰り返すことに決めた。
それからは楽だったよ。何も考えなくていい。ただひたすらに、出来上がったパターンを繰り返して、初めてそれをした時の気持ちを思い出して、嬉しかったときは嬉しいふりをして、悲しかったときは悲しいふりをして、滅多になかったけど、怒ったときは怒ったふりをして。
幸せだった。狂っていると君たちは言うよね。そうだよ、まさにその通りだ。
あの日、一回目の人生を静かに望んだあの時に、僕は狂ったんだ。
狂ったからこそ、幸せになれた。
そうして『再試行』は、『再演』に変わっていった。
僕は自ら変化することを断ち切って、決められた枠の中で、モノクロの世界を生きていく決意をした。傍観者として、廻りつづける世界を眺め続けるって。同じ映画を、繰り返し何回も、何回も再生するみたいに。
ずっとそうやって生きていたんだ、僕は。
――でも、『君』という存在が現れたことで、その生き方が瓦解した。
久遠朔磨っていう友人は、もともといたんだ。中学、高校とよく一緒に過ごしていて、皮肉な態度が少し目につく変なやつだよ。はは、いやいや、事実だろ?
けれどある日、君は、奇妙な行動をしたんだ。
僕がいつものように部活動を何にするか聞いたとき、君は一瞬、表情をなくして固まった。そのあと君はすぐに、何でもないと僕に言って、去っていった。
僕はパニックになった。
四月十三日八時二十分五十六秒時点のそんな行動、僕の記憶に存在していなかったから。
目を回して、どういうことだ、どういうことだって考えた。どうしても答えが出なくて、しばらくしてから、僕は自分で命を絶った。戻ったんだ。もう僕は、遡行する時間を大体だけど調節することができたから、その出来事が起きた直前にまで戻ることができた。この目でもう一度、君の行動を確認したかった。もしかしたら、さっきのは僕の思い違いだったのかもしれないって、そう思ったから。
次に君は、天を仰ぐような顔をして、いきなり「なるほどな」と呟いた。そして僕に日付と時刻を聞いて、ぼそぼそと、何かを言い始めたんだ。
内心震えが止まらなかったよ。でも僕は、君の表情を見て、それで全てを察したんだ。
それは、二回目の人生で僕が、鏡の前で見た顔にそっくりだったから。
可能性を信じて、自分は何かができると驕り、全能にでもなった気分だったろう。
どうだい、今の気分は?
クソ食らえだとか思ってるんじゃないかい? なあ、どうなんだ?
度重なる失敗に精神を削られ、誰に言われたわけでもないのに、『世界』が自分を無力な人間だと糾弾し嘲笑っている気がしてならない。段々自分が死ぬことが義務のように感じられてきて、猛烈な吐き気に襲われ、気持ち悪くて涙が出てくる。
そうさ。君は、僕と同じように『戻っている』んだとわかった。
そこから僕なりに調べて、君が僕のように能力を持っているんじゃなく記憶だけを持つ存在であることがわかった。『同調』した僕に対して、君はいわば『半同調』、とでも言うべきなのかな。
詳しいことは知らないしそれほど興味もない。原因だとかきっかけだとかはどうでもいい。これは僕にとってとても重要なことを示す。
この意味が、君にわかるかい?
世界が、僕の世界が、ようやく動き始めたんだよ!!
胸がいっぱいで、声も出なかったよ。やっと、孤独から解放された気がしたんだ。今になってはその感情が何だったのかはわからないけれど、僕は随分久しぶりに、何かの感情を得ることができた。言い知れない激情に心を揺らすことができた。
僕は本来なら、その日にこの街を去る予定だったんだ。
長くいると、爆発に巻き込まれてしまう。母さんと一緒に、車に乗って別のところへ移動する。これがいつものパターンだった。君も本当だったら、ここで命を落としていたんだよ。……ううん。テロを止めようとしたことはある。かなり最初の方に。実際、止めたこともあるよ。でもね、サク。何度も何度も戻るたびにそれをするのは、さすがに疲れるんだよ。
住む場所を間違えなければ、僕はその業火を目にすることすらないんだ。
一回目の人生、僕はそうやって危機を回避した。
あのテロを止めても、僕に目立った利益はないんだよ。
今回ばかりは、期待したんだ。
君が、僕の世界を色づかせてくれるって。
世界なんて大層なものは救わなくていい、ただ、ずっと苦しみ続ける僕を救ってくれるって。
そうだ、僕は賭けたんだ。
君だったらいいなって、きっと君のはずだって、何度も何度もそう願ったんだよ。
……でも君は、すぐ壊れてしまう。
少し誰かに責められて、折れて、蹲って、涙を流して、気づけば隅のゴミ箱に放られている。君は僕の方を向いてくれないし、かといって前にも向くこともない。そんな、ぐちゃぐちゃの君の死体を目にするたび、僕はいつも思うんだ。
失望でも、悲哀でもない。
君の死は僕にとって、どこまでいっても絶望だ。それ以上でも以下でもない。
底なしの暗闇に突き落とされて、自分だけでも這い上がって来いと? そんなの無理だよ。
だから、もう、いっそ。
そう思って足を運んだわけさ。これ以上ぬか喜びをさせられるのもどうかと思ってね。
さ、仕切り直しだ――。
……。
今更、何か用?
今の今まで蹲って、耳を塞いで目を瞑ってたじゃないか。別にいいんだよ、怒りはしないさ。世界が少し君に厳しかったんだろ? 仕方ない。諦めるのもまた人生だ。君がそうやって諦めていたように、僕も諦めようと思ったんだ。何で止めるんだい?
誰かが死ぬのを見たくないとか、気持ちのいい理由じゃないんだろう?
これから世界がどうなろうと、そんなものお構いなしに君は生きれるだろう?
こんなことに意味なんてないはずだ。
君は自分が特別だという妄想に駆り立てられて虚言を吐いているだけだ。
その軽率な行動で、何回世界が失われた? 何人が火にくべられていった?
いいさ。責め立てはしない。そんなものにも意味はない。
僕はただ、そんな吹けば飛ぶような正義感を折れては直し折れては直しそれでも高々と翳して、堂々と、いかにもこの世界を救ってみせるふうな間抜けな顔をしていることに腹が立っているだけだ。
君がいなくても世界は廻る。
それがどこへ向かおうと知ったことじゃないとか、心の底では思ってるんじゃないのか?
目先の優越感に飛びついて、尻尾を振って、自分で悪とも断言できない悪に立ち向かって何が主人公だ。
笑わせるな。
頼むから笑わせないでくれ。
そんなことを宣って、今更受け入れられるとでも思ってるのか?
さっさと役立たずのガラクタになって、僕を絶望させてくれよ。
そしたらもう、誰も傷つかないから。
傷ついても、それは綺麗さっぱり、『ゼロ』に戻るから。
何も変えずに、今までの世界をなぞるだけだから。
立ち上がるんじゃない。詭弁をさも勇気ある決意かのように振舞うな。
ここで終わりだよ。君が終わらせたんだ。君の無能さが、脆さが、弱さが、愚かしさが、不誠実さが、虚偽が、この終わりを招いた。
まだ終わっていないなんてどの口が言う?
終わってるよ、とっくに。何回も。そしてそれを許さなかったのは君じゃない。世界だ。
君は、ただそれに甘んじているだけだ。
いいじゃないか。君も僕も、もう十分夢を見た。
誰だっていつかは死んでいく。その過程がどうあれ終着点はみんな一緒だ。
仲良く死のう。
みんなで手を繋いで、大団円とはいかないまでもの終わりを快く迎えよう。誰しも身の丈がある。幸福な最後だけが終わりじゃあない。
過ちを犯してそれに気づいて自分自身を責め立てて、傷だらけになってなお立ち向かおうとするのが綺麗事だと思っているならそれは間違いだ。
僕たちはすでに存在自体が道理に違えているんだよ。この調子だと君は中々わかってくれないんだろうね。
安心してくれよ。
君にもいつか、それがわかるさ。
わかるまで僕は何度だって君を殺し続けるし、世界はそのたびに何度だって君を戻し続ける。
本当は傍観者らしく、劇場の前で大人しく座っていようと思っていたんだ。ギャラリーが壇上に上がって上演をぶち壊すなんて、無粋にも程がある。
だから、これっきりだ。
誰の目にも止まらないくらい小さな、驕ってしまった端役を一人、観客席へ連れ戻して――。
…………。
君は、なにも表情を変えないんだね。
僕が何を言っても無駄だって、そう言いたいのかい?
……わかったよ。
長いこと待つのは慣れてるんだ。
君がそこまで言うなら、しょうがない。
でももし次に俯けば、僕は躊躇なく君を終わらせるよ?
…………はは……『誓う』なんて有り触れた言葉、使わないでくれよ……。
恰好よくなんてないさ。
わかってるって顔だね。なんだか腹が立つな。
どうとでも決着をつけてきてくれ。
それで君が満足できるなら、僕はいつもと同じ笑顔で君を送り出すよ。
見届けさせてもらおうじゃないか。
行き着く先が、希望でも、絶望でも。
何でも、いつかは終わる。僕たちがそれを拒んでも。
――そうしたらまた、二人で楽しく話でもしよう。




