鶏と油と酔っ払い
【1-B 鶏と油と酔っ払い】
ターゲットの数が多ければ多いほど、下手な鉄砲の当たる確率が高くなる。手当たり次第に弾丸を放てばどこかしらに当たる。たとえ狙いを外れても別の標的にぶつかるだろう。そういう時に売上アップを狙って手を打つのが商人の基本姿勢のようだ。客数増の見込める日を目掛けて納品数を増やし、稼げるときに稼ごうとしないものは商人として失格だという。逆に人の出が少ないと見込まれる日にはおとなしくしていることがリスク軽減につながるはずなのだが、現代という時代においてこの姿勢はあまり評価されないらしい。攻める時に攻め、引くときに引かせない。何故か。おかしいではないか。
資本主義の株式社会では成長を続けることが経営であり、停滞は悪の代名詞。現状維持は何もしていないのと同じで、マイナス成長などもってのほか。それが近代の経済活動、競争社会。従って無理が生じることも少なくない、というのは余計な話だな。
雑魚がウヨウヨする荒野へ飛び道具を乱れ打つのも悪くない。嫌いではないぞ。連休 突入。相も変わらず効率が良いのか悪いのか、みんな揃ってお休みだそうだ。3連休、4連休を取りやすいことも手伝って、沢山の人が動くということだ。そういう時に休みを取れない小売業は精神的になかなか厳しい側面もあるようだが、やはり稼げる時に稼がなくてはなるまい。それに、皆が働いている時に休日というのは妙な優越感が得られるそうな。人間族は心が狭いのか、根に持つタイプなのか。
それはさて置き、書き入れ時にセールやキャンペーンがあると売上がつくりやすく、店側にも活気が出てくる。それは自然と客にも伝わり、すぐさま精神支配を受け入れる人間どもの財布の紐を緩めるのだ。願わくば自店でセール対象商品を決めて、価格まで設定したいところなのだろうが、そこはフランチャイズ。本部からの提供に従うしかない。ありがたく活用させて頂くしかない。ということで、『若鶏の唐揚げ5+1ヶ』セールが始まった。
「・・・では、唐揚げ100セットを目標に頑張りましょう」という谷口店長の一言で朝礼は締められた。普段は20~30セットの販売数だったと思うが、それを100まで伸ばせという。これだけ天気が良ければ人も動くだろう。フランチャイズなのでセールやキャンペーンは本部の提供に従わざるをえないというのは理解している、が、『5+1ヶ』はセールとして弱くはないだろうか。通常は一口サイズの唐揚げが5個で280円。ひとつあたり56円だから、それなりに得なのは分かる。〇〇10パーセント引きなどよりはよっぽど良さそうな響きは聞こえてくる。が、そればらば個数そのままに50円引きとかの方が魅力的と思うのは俺だけだろうか。まだまだ人間世界の感性とはズレがあるのかもしれない。それでも、わざわざ規格変更して1ヶ増量を叫ぶのではなく、直球勝負を仕掛ければ良いと考えてしまう。50円負けてやる、だから買っていけ、と。その方がウキウキ浮かれ気分でフワフワしている客にとっても分かり易いはずだ。
さらに敢えて言うなれば、唐揚げ6個も要らなくね?5個で十分だろう。人によっては5個でも多いくらいか。とはいえバラ売りしているわけではないので5個で我慢してもらうしかないのだが、5個が6個になった所で人間族のよく使うお得感という奴が生まれてくるのだろうか。ワォ、ラッキー!などと喜んで食いつくものがいるのだろうか。
そんな思いを胸に秘めながら売場へ出た。俺様は午前中、仕込みの担当だ。つまり唐揚げを店内調理器でどんどん揚げる役目。ただただ揚げる役目。ひとまずはどの程度売れるものなのか、様子見といこう。
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・・・追いつかない。ふざけるな、どいつもこいつも朝から唐揚げばかり食いやがって。全くどうなってやがる。なんだ、テレビで大々的にCMでも流しているのか、そんなに唐揚げ1ヶが恋しいか。嬉しいか。愛しいか。店長をはじめ店員の勧めるままに『若鶏の唐揚げ5+1ヶ』を買っていきやがる。連休ということでワクワク気分なのかは知らんが、どいつもこいつもホイホイ購入するものだから揚げるのが間に合わないんだよ、本当に。
「ぬぅおー!」しかもここで痛恨の一撃。油の温度が下がってしまった。グヌヌヌ・・・こんな時に。これでは唐揚げを投入できぬではないか。油の温度が上がりきるまで待たねばならない。これだけ連続で揚げていれば仕方のないことではあるが、じれったい、ジレッタイ、焦れったいぞ。俺は思わず右手を強く握っていた。
「火・炎・呪・・・・・・」
「竹田さん、大丈夫ですか?」
谷口店長の呼びかけで我に返った。
「ああ、スミマセン。油の温度が下がってしまったので・・・」
「ああ、随分売れましたもんね。ゆっくりでいいですよ。少しお客さんが途切れたので。」
午前中から少し汗ばんで、頬をやや赤く染めた店長はどこか嬉し気だった。客の入りが良いのかもしれない。唐揚げの販売が好調だということもあるだろう。ショーケースには2セットしか残っていなかった。それにしても危ない、危ない。火炎呪文はイカンだろう。火に油を注ぐと言うが、油に炎を塗したらどエライことになってしまう。店内の人間族が全員から揚げになってしまう所だった。
数分後。ピー、とブザーがなった。油の温度が上がり、俺は再び唐揚げ作りに入っていった。その後なんとか、在庫を切らすことなくフライヤー業務をこなせていたと思う。
昼休憩を挟み、担当業務が変更された。俺はレジ打ち、そして『5+1ヶ』セールのおすすめ担当である。やれやれ、これで油に塗れる必要がなくなり気は楽になったわけだが、この日これからの数時間、死神の俺様が下界に堕ちて初めて壁にぶつかることとなる。どういうことか、それは人間族に対して声が掛けられないのだ。
1つ、タイミングが分からない。2つ、誰に言うべきか分からない。3つ、視線の送り先が分からない。結果的に午後の滑り出し、唐揚げの販売は著しく鈍ってしまった。この俺様が人間共の足を引っ張ってしまったと言わざるをえなかった。。
事前に教えられたセール拡販の為の作戦は次の通りだ。まずはターゲットを指定せずに
「本日のおすすめ『若鶏の唐揚げ』はいかかですか。只今1ヶ増量中です。」などとやや大きめの声で告知する。これはレジ打ち以外の人間の方がやりやすい。実際俺以外の者はよくよく声を出していた。ちょっとうるさくね?というくらいに。随分と訓練されている雰囲気は感じられた。そしてセールを認知させた上で、精算の時にもうひと押し。
「揚げたての唐揚げはいかがですか。」これが予想以上に難しい。この一言が出てこないのだ。
何故か。まずはそのタイミングが難しい。客から商品を預かり、会計を始める。読み上げ登録というのが基本で
「100円が一点、200円が一点」といった具合に商品をスキャンしていく。声を出して登録することで二重スキャンなどのミスを防止し、客にも安心感を与える。全て終えたところで合計金額を伝え、客が支払いの準備をする。こちらも袋詰めをできるだけ済ませてしまい、あとは金を受け取り、釣り銭なりレシートなりを渡して一丁上がり。次の客に取り掛かるのだ。
・・・どこだ。どの隙に唐揚げを買えと脅せば・・・・・・
もとい。お勧めすればいいのだ。そもそもレジカウンターにフライヤーケースがあって客の目にはつきやすいはずだ。だから声をかけなくても次々と注文が――
そんなに甘くない。そんなことなれば誰も苦労しないのだ。ほとんどの客は見向きもしない。さらには皮肉なことに、ターゲットが増えれば増えるほどにレジから声をかけることが難しくなってしまうのだ。念の為に断っておくが、もちろん販売数がゼロというわけではない。店内では他の店員も声かけをしているし、セールを告知するPOPも至るところに掲示してある。あれだけ物寂しかった店内が少しだけ賑やかなのだ。自動扉にもしっかりとポスターが貼ってある。それでも何かこう、上手くいかない。手応えに乏しい。この俺が何とはなく、セール販売に貢献できていない気がしてしまうのだ。一応断っておくが、店に貢献できなくてもどうということはない。何も気にすることはない。もっと言えば、唐揚げが売れようが売れなかろうが従業員の時給に影響はないのだ。しかし・・・・・・・・俺様の神族としてのプライドが傷つけられる。
そんな折に姿を現したのが米山の爺さんだった。おそらくは外から客の引くタイミングを見計らっていたのだろう、店内には立ち読み客以外ほとんど誰もいなかった。米山の爺さんにとってはこの上ない状況。ただ、またすぐに客で溢れるであろうことを爺さんも分かっているようで、無駄口を叩くことなく、一目散に、いつもより若干足早に日本酒を迎えに行った。その様子をどこか悲しげかつ申し訳なさそうに見つめる谷口店長の視線にまるで気付かぬまま、レジに立つ俺の所へやってくる。
「いらっ―」
「唐揚げセール中かい?」俺と爺さんの言葉が重なり、束の間の沈黙を経て、俺が受け手に回った。
「はい。1ヶ増量中です。」
「そうかい。じゃあ、ひとつもらおうかな。」
「えっ、あ、はい。ありがとうございます。」
「お~、うまそうじゃの~。」
「揚げたてなんで、おいしいですよ。」
「あ~りが~とさん。ま~たく~るよ~。」
とても自然な流れだった。思いがけず会話が成立していた。なにか、光が差した気がした。カウンター商品の販売構成が俺様の脳内で組み立てられた。モンスターとの戦闘後、レベルが上がって魔法を覚える、というのはこういう感覚なのだろうか。
それでは俺様がカウンター商品の販売方法、そのコツというものを口授してやろう。
まずはセールの告知、店内環境を整えることから。POPやポスターの類は最低限度の準備。深夜、日付が変わると同時に掲示できるよう用意しておかねばなるまい。ただしこんなもの、客の目には入らないと思っておいたほうが良い。無意味とまでは言わないが、ただ貼って吊るして終いというだけでは販売に結びつかない。客の目ではなく耳へと情報を捩じ込むのだ。その第一歩が店内での声掛けということになる。誰に向けるでもなくセール実施中であることを少し大きめやや高めの声で来店客に認知させるのだ。コンビニで試食というところまで手を出せれば視覚、聴覚、嗅覚、味覚という感覚までカバーできるのだが、その際は必ず揚げたてのものを。温度変化などに敏感な商品、今回は揚げ物であるが、時間が経って冷めたものであれば逆効果になりかねない。
次、仕込み。確かに仕込みすぎて廃棄処分で、というのは恐ろしい。全てが無駄になる。けれども廃棄を避けんとFFケースがスカスカの状態では客の購買意欲を刺激できない、というのも理解できるだろう。売れなければ話にならない、次に繋がらない、売上げにならない。ではどうするか。経営者の腕の見せどころと言ってしまえばそれまでなのだが、ひとつの策としてサンプルの掲示という手段がある。味の落ちたものを売らないことと、時間が経ちすぎての色変化には注意が必要だが、ボリューム陳列という点では十分に活用できるだろう。
今は谷口店長が唐揚げを仕込んでいるのだが、レジと仕込みの連携も大切だ。
「若鶏の唐揚げ、揚げたてでーす!」というタイミングが、レジ打ちの俺としても1番お勧めしやすい。そして売れるのだ。客の食付きがまるで異なってくるから驚きだ。ただし、そこでフライヤーケースから揚げ物を取るのに手間取ってはならない。カウンター商品の提供に時間をかけることは、客を遠ざけることになってしまう。その点を承知している店長は、レジでの注文を聞き逃さずフォローに入ってくれる。地獄耳・・・いや、器用なもんだ。このコンビネーションがうまくいくと、客がカウンター商品を頼みやすい環境を提供することができるのだ。自分の前の客がカウンター商品を頼むと自分も頼みやすい。そして次の客も。好循環に繋がるのである。
フゥ。慣れてしまえばこんなものだ。少々時間は費やしたものの、再び『若鶏の唐揚げ5+1ヶ』の売れ行きが軌道に乗った。販売目標はクリア、めでたし、めでたし、とういことだ。
では最後に教えておいてやろう。レジにてカウンター商品をお勧めする方法を。声をかけて客に買わせる手段というやつを。
まずは誰に声を掛けるべきか。これは大いに性別を意識しろ。詰まる所、男は女、女は男に惹かれるのだ。俺がマダムキラーとなることはさほど難しくなかったし、谷口店長がちょっと微笑んで勧めればその辺のヤロー共が買っていく可能性は飛躍的に上昇する。テクニックのひとつとして明から様にではなく活用していくといいだろう。ただし100パーセントこれにこだわれば大変なことになるということは言わなくても分かる・・・よな・・・さすがに・・・人間族でも。察してくれよな。
2つ目は視線についてだが、実はこれが意外と難しい。特に若い学生らにレジ打ちをさせていると全くお勧めができないまま1時間、2時間経過、ということも珍しくない。店舗によってはそのまま勤務時間終了ということも珍しいことではあるまい。その原因の一つが恐怖心。気恥かしさや面倒くさいというのは二の次で、断られる、拒否されることへの恐怖心が声を掛けられぬ人間を取り囲んでいるのだ。その打開策が視線のもっていき方である。しばしばお客様の目をしっかりと見て・・・などとあるが、ジーッと店員に見つめられては客も圧迫感を受けてしまう。コツとしては頭と尻に視線をもっていくことだ。まずは頭。客がカウンターに荷物を持ってきたらば「いらっしゃいませ」で迎える。この時に笑顔、口元に笑みを浮かべる程度で可、そして一コマで良いから視線を客に投げかけろ。可能ならば瞬間的に客と目を合わせるのだ。それから読み上げ登録を開始すると店員が、いわば主導権を握って会計を進められるはずだ。そして残り2、3点の商品をスキャンするという時に声をかける。文言は何でもいい。読み上げ登録はストップ。簡単に一言、二言。そして相手の返答、顔色具合を伺うべく再度視線を上げるのだ。首を動かすだけで返答する客も多いからな。これが大まかな手順で、あとは精神面の支援を施せばよい。
人間族の弱さは何も肉体的側面ばかりではない。そのメンタリティにこそ欠点が見て取れるのだ。セール品のお勧めなど断られて当たり前、冷たく遇われて当然。そういった心構えに自分の意識を持っていけないから恥ずかしさや恐怖心に囚われてしまう。これでは満足にお勧め販売などできはしない。動じぬ心が必要なのだ。できれば前もって断られた時の言葉を用意しておくことよい。「またお願いします」みたいなものでいいだろう。2、3パターンあると尚良い。これだけで気持ちが随分と楽になるようだ。
レジカウンターでお勧め販売をする際に、どのような心の準備をすれば良いのか。どのようにメンタルの部分を整理すれば良いのか。一言で言えば『ダメで元々』、ダメ元という心意気で臨むことである。お勧めを断られる度にいちいち気にしていては身がもつまい。仕事にならない。とはいえ、ネガティブなダメ元では本当にダメになってしまう。どうせ誰も買わないだろう、声をかけてもかけなくて一緒だろう、という逆ギレにも近い感情は客にも伝わってしまう。そうではない。尤も、最も好都合な展開としては売り手が買い手に対して上から目線で応対できる位に商品力のあるアイテムが登場すると話は違ってくるのだが、そういったものはなかなか、というか滅多に出てこないようだ。拒否されることを前提にレジ打ちすることが凹まないコツである。オーナーや店長が『ダメ元』ということを従業員に対して言いふらすことは決して良しとはできないが、断られて当たり前だという共通認識がレジに立つ者の恥ずかしさを軽減するのだ。
そう、これが第一歩。『店の従業員の8割が自主的にお勧め販売を実施できて、セールがあるといつも以上に店内が活気づいて、売上げも上がって―』理想に向けた第一歩なのだ。大して出来もしないのにいきなり理想を押し付けようとする店は総じて上手くはいかないだろう。仕事が増えた所で時給が上がるわけではないのだから。
あとはトップの工夫次第。その店の従業員に合わせたやり方を編み出していくのがよかろう。
「販売244セット、か。目標が低すぎたかな。フフフ、上々、上々。これで今週の打ち合わせはいい報告ができそうだわ。」
【1-B 鶏と油と酔っ払い 終】