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23.重量オーバー

「ライアン王子って結構ブラックですよね?」

「ぶらっく? 誰それ?」

「い、いえ、なんでもないです!!」


 扉を挟み、楽しそうに聞こえてくる会話。今なんてまだいい方で、さっきなんて「離してくれ」だ、「君を失いたくない」だ、恋愛映画のような会話が聞こえてきた。一介の召使と王が、それも自分の夫が、そんな身分の低い者と恋愛ごっこでもやっているのかと、盗み聞きをたてていた女性――アリスは気が狂いそうになった。


 さっきまで自分はライアンの寵愛を一身に受けていた、それなのに、この敗北感はなんだ?


 アリスの心に黒い感情が渦巻く。


 なんだ、これは、なんなんだ、あいつは――!!


「ライアン、ねえ、嘘でしょう? まさかその女のこと、ねえ、ウソって言ってよっ」


 答えのない扉に、必死に、言葉をかけるアリス。しかしあまり大きな声を出しても、物音を立ててもいけない。ライアンともあろう人ならば、人の気配なんて造作もなく読み取ってしまうからだ。


「覚えてなさいよ、ライアンは決して渡さないからっ!」


 唇を噛み、言葉を飲み、アリスはその場を立ち去る。怒りの形相で顔を歪めてしまっているアリスが自室に戻るまでにすれ違った兵はおらず、アリスは自分の黒い感情をそのまま自室に連れて帰る。誰かにでも話せば、多少は気が紛れたかもしれないが、しかし内容が内容だけでに話すことを憚れるのも事実だ。


「こんな悩み打ち明けたら、わたくしに女性としての魅力がないと思われる……それに結婚だってなしになる……ダメよ、ダメ。わたくしは慎ましやかな女性、民衆の憧れの存在、女性の頂点――こんなところで終わるわけにはいかないの……っ!」


 アリスは先ほどまで横になっていたベッドに、再び倒れ込む。さっきまで熱を持っていた二人分のシーツは、今ではすっかり乾いて冷たさを帯びていた。


「ライアン王子……」


 今日はきっと帰りが遅い。いや、もしかしたら帰らないかもしれない。あの女も一緒に……?

 そんなこと、ダメだ。


「差し入れ、何か持って行った方がいいのかしら?」


 今までは仕事の邪魔になるだろうかと持って行ったことはなかったが、夫をいつまでも女と二人きりにさせておくわけにはいかない。そうだ、ちょこちょこ顔をだして、警戒させておかないと。


「ライアン、あなたにはわたくしがいることをお忘れにならないで。

 そしてあの女――

 お前にはこのわたくしが直々に目を覚まさせてあげますわ。お前の居場所はそこではない。


 豚は豚小屋へおかえりなさい」


 そして高らかに笑うアリス。その声は一人でいるには広すぎる、生活音のしない部屋に響き渡ったのだった――



 ◆



「つ、疲れたー!」


 日が沈み始めて数時間。今では外はどっぷり暗くなり、闇にのまれていた。

 翻訳の仕事をすることになって初めて私がしたことは、食事だった。やりたいことも決まって、まずは掃除から!と意気込んだはいいが電池切れ。人はどうして欲望に忠実なのだろう。


『食事まだなの?』

『う、恥ずかしながら食堂にはケンカしに、』

『ケンカ?』

『いえ! 挨拶して終わっただけなので食べ損ねました』

『なにそれ。仕方ないな。ここに食事を持ってきてあげるから、それまで我慢してね』

『え、いいのですか?』

『うん。だって僕も、昨日の晩から何も口にしていないんだ』


 腹を空かせながら私たちは今まで禅問答をしていたのかと思うとそれも滑稽な話で、頼んですぐにメイドさんが二人分の食事を運んできてくれた。食事――といっても、ビュッフェのような形なのだが。


『なぜこの狭い部屋でビュッフェ形式……』

『好き嫌いが多くてね。自分の食べたいものを、食べたいだけってね』

『(このボンボンが)

 それは結構ですけど、健康のためには五色まんべんなくですよ。三角食べもしてると尚いいのですが』

『それ、何の呪文?』

『しいていうなら食の呪文です。色とりどりの食材を交互に口にするという、食事の基本ですよ。ライアン王子も、王子という立派な職についているのですからご自分のお体のことは考えていただかないと。体調を崩されでもしたら国民が心配しますよ』

『へぇ、この僕に随分な物言いだね』

『あ』


 やっべー!!


 顔面蒼白になったのだが、私が「すみません」と謝るより前に「新鮮だな」とライアン王子。


『僕の言うことを聞いてきた人はごまんといるけど、僕に説教した召使は君だけだよ』

『ふ、ふけい、』

『そんなことでいちいち不敬罪にしないよ。今の言葉はありがたく頂戴するとしよう』

『(へえ)』


 王子の素直な面を見た。なんだかちょっと、嬉しくなる。

 どれだけの暴君かと思っていたけれど、なんだかんだライアン王子には助けられている。素直に有り難かった。そして、いつか恩返しをしたいと思っている人に、今から少しずつ恩を返していける。それは心が少し軽くなる様な、嬉しい出来事だった。


 そう、優しいと思っていた。


「この大量の本を一気に持って行けと言われるまではね!!」


 じゃあ今日はここまで!

 そうなった時に、ライアン王子はこういった。


『本のことだけど、ここにあるシリーズ全部持って行ってよ。フランが棚から出して代わりに床に転がっていた本を入れちゃったせいで、今度は小説の本たちが行き場を失くしてるからさ』

『今まで触れもしなかった人が何をおっしゃいますか』

『僕がつまずくと危ないから、今日フランの部屋に全部運んでおいてね』

『え! これ全部ですか!?』

『言っても二十巻くらいなものだよ。ここは僕がいなくなると入れなくなるから、今全部外に出しておくこと。あ、分かってるとは思うけど、一冊でも失くしたら不敬罪よりひどいからね』

『このフラン! 一気に全巻持って帰ります!!』

『よし!』


 言っておくが、文庫本のように薄くて軽いなら文句は言わない。しかし一冊が十センチもあるような本が二十もあるのだ。それを失くさないように一気に運べと? この私に!?


「鬼、悪魔! こんなんこけた拍子にどこかに吹っ飛んでいく紛失のリスクの方が大きいわ!!」


 持ち上げて数歩進み、また下ろす。

 持ち上げて数歩進み、また下ろす。


 そんな作業をもう何度しただろうか。いや、何度したからと言って自室への距離はまだまだだ。この作業をあと何回もしないと当分つきそうにない。


「くっそ~あの鬼上司! か弱い女の子にこんなことさせてぇ!

 あ、腕限界! 無理、休憩!」


 腕がしびれて肩の根まで傷みが来ている。これは危険だ、と本をまた下ろそうとした、その時だった。


「お前、何やってんだよ……」


 子バカにした声が頭上から降って来る。見上げると不機嫌そうな顔を露わにした私の主ことシアンが、疲労感を抱えて横に立っていた。


「シ、シアン……な、何やってるの、こんなところで」

「それはこっちのセリフだっての。俺らの部屋はもっとあっちだろ。なんだってこんな場所に……」


 言ってから、シアンは周りをグルリと見たようだ。執務室からまだ数歩しか歩いていない現在――私がどこで何をしていたか、何となしに想像がついたらしい。


「おい、何も変なことされなかったか?」

「へ、変なこと!? 変なことってなによ!」

「そりゃ、お前」

「~っ!」

「おい……」


 急に真剣な顔で聞いてくるものだから、ビクリと心臓が跳ねる。しかも‟変なこと”なんて言うから、思わずライアン王子に抱きしめられたことが脳裏に過る。あの時言われた言葉が、頭の中で随分チャラく再生された。



『本当はきみ、僕によがってたんじゃないの~? 目をウルウル潤ませちゃって、それにそれに! 呼吸もあーんなに荒くしちゃってさぁ~? もうやだだ、フランってばやーらしー! 僕の方が照れちゃうよ!』



「ば、ばっかじゃないの!!」

「はあ!?」


 幸いにも本は地面におろしていたが、私の動揺は体にダイレクトに伝わってきた。足から腕から指から、何もかもが変な方向に動き出し、思わず近くにいたシアンを良い音で叩いてしまった。当然、黙認する騎士様ではなく……。


「お前なぁ、もうちょっとその小さい脳みそを働かせろよ。こんな近くに人がいて、そんな変な動きしたら、どんな奴だって被害受けるだろ。腕がぶつかったんだぞ。謝罪の一言もねーのかよ」

「す、すみませんでした……」


 さすが黙って歩いているだけでメイドたちが怖がるわけだ。そもそも目つきが怖いのに、怒らせた今なんて目を合わせれば凍り付きそうな氷点下具合である。妙な気まずさから解放されるために、本を持とうと腰を下げる。

 すると――


「それ、お前が一人で運ぶのかよ」

「そうよ。失くしたら大ごとだから、一気に運べってライアン王子から仰せつかっているの」

「この量を? お前が一人で? 一気に? ――――鬼だな」

「(それを傍観しているあんたも大概な!)」


 さすが兄弟。女に対してのマナーの心得てなさは同じくらいらしい。けれど運ばないとどうしようもない。ヨチヨチとだが、再び歩を進める。


「それで、騎士様は今日のお仕事を終えて帰って来たの?」

「ちげーよ。こんな早くに終わるわけねーだろ。お前の様子を見に来たんだよ」


 そう言って一冊、私の手から本を取る。おい、一冊だけかよ。


「あら、まさか逃げたかと思って追いかけてきたの? 残念、逃げて捕まって――わざわざ死にに行くようなことはしないのよ私」

「お前……本当に可愛くねーな。キャシーにあんなことされた後だろ? どこかでいじめられてメソメソしてんじゃねーのかと思ったんだよ」


 今度は二冊、私の手から本を奪う。

「けど」そう言いながら、また二冊奪った。


「杞憂だったようだな。どっかの誰かさんは、抱きしめてほしい王子の傍で仕事が出来たみたいだし? 何やら楽しいこともあったようで、全く心配する必要がなかったな」

「はあ? な、なに言ってんのよ! 変な言い方はやめてくれる? 私は王子のもとで食事をして掃除をして翻訳の仕事をまかさ、」

「へぇ食事。そりゃ、良い物を食べたんだろうなぁ。俺は飲まず食わず朝からずっと新兵の面接してしごき上げてきたってのに」

「(私のバカー!)」


 そう言えば、私と同じくシアンも何も食べていなかった。だけど、仕方ないじゃないか! ライアン王子が食事を用意してくれたんだもの! ご相伴にあずからないと、それはそれで失礼でしょうが!


「なに、なんかケンカ腰ね。とりあえず上手くやってるんだからいいじゃない。シアンの心配するようなことは何もないわ」

「へえ、おれがいつ、誰を心配したってんだよ」

「な! さっきあなたが自分で言ったんじゃない! 私がメソメソしてないか心配って!」

「ふん」

「(な! 腹立つ奴だな~!!)」


‟心配した”って言ってくれて嬉しかったのに! 少しドキドキして損した!

 けれど自分の腕を見ると、さっきまで二十冊あった本が半分以下になっている。いつの間に私の手から奪ったんだシアンは……恐るべし。


「ほ、本……ありがとう。でも、その、いいの?」

「いいって、何がだよ」

「この本、この国の人にすごく恐れられているんでしょ? その、触っただけで骨と皮だけになる、とか?」

「……は?」


 シアンの目が、恐る恐る下がっていくのが見えた。ゆっくり自分の手の中にある本を確認すると「うわあ!?」と言って本を落とした。バサバサと、重量音が廊下に響く。


「あぁ~本が!」と唸る私に、

「何でそれが!」とシアンは自身の両腕を抱えた。


「ま、まさかとは思ったけど、シアンまでこの噂信じてるの?」

「信じるも何も、そんな薄気味悪い本を進んで持とうとは思わねーよ! それに、お前もいつまでもそんな本持ってんじゃねーよ! それを‟運べ”なんて、お前やっぱりいじめられてんじゃねーか!」

「ちょ、離して、私は別にこの本を何とも思っていないから!」

「はあ?!」


 私から本を無理やり奪おうとするシアンを一瞥し「落ち着いて」と一言。本を抱えてシアンに背を向け、ことのあらましを説明した。


「私だけがこの小説の中身を読めるの。私だけが、この本を理解してあげられるの。だから、気味悪くも、なんともないよ。皆に読まれたがっている本の一つだよ」

「お前……」

「それなら、読んであげなきゃ可哀想でしょ?」


 ふふと笑って振り向くと、驚いたことにシアンは既に全ての本を拾い上げていた。ガッチリと両腕に本を抱きしめている。


「シアン、その……怖くないの?」

「こわく、ない」

「(あ、怖いんだ)」


 いつものシアンとは打って変わって、ソワソワしたような、足なんかはプルプル震えて、今にもこの場から逃げ出してしまいそうな――か弱いシアンがいた。私が入る手前、変なプライドが働いて半ば無理やりに本を持っているのだろうけど、素直に嬉しかった。


「ねえシアン」

「なんだよ」

「その本、ライアン王子は一緒に持ってくださらなかったの。いくら私が‟大丈夫ですよ”って言ったところで‟そう”で終わっていた。シアンみたいに、一緒に持ってはくださらなかったわ」

「……ふうん」

「やっぱり兄弟といっても違うのね。シアン、あなたは不器用だけど優しいわ。他人に寄り添える優しさを持っている。やっぱりあなた、王様になるべきよ」


 ひひっと笑うとシアンは照れたように顔を背けた。「面白がるな」とケチをつけてきたが、しかしこんな優しく人に寄り添える人が王にならないなんて、この国の頭の弱さを示しているようなものだ。まあ、あんな本の噂がたつくらいだから元々の程度なんて知れているのだけど。


「いいから、早くこれ運ぶぞ」

「ええ、でももうすぐじゃない。あ、私たちの部屋、北棟に入ってまっすぐ行った突き当りよ、覚えやすくていいわよね」

「はーん、囮要員として呼ばれたわけか。俺は自分の身は守れるけど、お前ひとりの時に賊に襲われたらどうすんだよ? こりゃ怖い夜を過ごすことになりそうだなぁ~」

「えらく楽しそうだけど、わ、私だって武力解除したら強いのよ!」

「へー初耳」

「(全く信じていない顔!)」


 涼しい顔で言ってくれちゃって! もしもシアンが帰って来た時に私の亡骸が転がっていたら、末代まで呪ってやるんだから!


「っていうか」

「なによ」

「これって俺らの部屋に置いておくのかよ?」

「そうよ。この本の翻訳を任されたの。でも日中はライアン王子の召使だし、夜中しか出来る時ないから自室に持って行くのよ。大丈夫、相当広いお部屋だったから、本の二十や百は余裕で置けるわ」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

「なに?」

「ひ、一目のつかないところに置いておけよ。いつ誰が忍び込むかわからねーだろ! なくなったらマズイってんなら、俺の目の届かない所に置いておけ。俺が隠し場所分からないってとこなら、誰が探したって見つかりはしねーよ」

「はいはい」


 本を抱えてはいるが、やっぱり強がりか。これは早く翻訳を終えて執務室に本を返さないとまずいな――


 しかし、今の会話を振り返って一つの疑問が湧いた。


「ねえ、シアン。私‟たち”の部屋っていった?」

「いや、俺が言ったのは俺‟ら”だけど」

「一緒のことよ! ねえ、嘘、まさか……!


 私とシアンって、これから同じ部屋で生活するの?」


 それはお互いが思ってもみなかった未来で――


「はあ!? 冗談じゃねーよこのまな板女と!?」

「キャースケベ! なんてこと言ってんのよ!!」


 私達には高すぎるハードルなのだった。

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