21.王子の心中垣間見て
あぁこれはやばい――
何度だってそう思った、何度だってそう感じた。すでに婚約者のいることを抜いても、国の王子と一介の召使いが色恋沙汰に発展するなんてあってはいけないことなのだ。王子の遊び――ただそれだけの理由だとしても。
しかも「ヤバイ」のはそれだけではない。
ネイハム子爵の召使いが言っていた「王子は扉の前に少しの間いた」、「あなたたちの会話を聞いていたのかも」と忠告してくれた事だ。
王子はさっき「騎士のことは名前で呼ぶのに」と言っていたけど、それはあの子爵の部屋で私が「シアン」と言っていたことを指すのだろう。あの声がライアン王子に聞こえてしまっていたのだ。ライアン王子が退出したことによって気が緩んでいた。どうしようもない、私のミスだ。
「王子、まさか子爵の部屋の前で何かを聞きましたか?」
「君が騎士のことを名前で呼んでいること?」
「(やっぱり聞こえてた)」
言いながら、王子は私の首に顔を埋める。息がかかり、だんだんと肩が熱くなる。蒸気でヌルヌルと蒸れてきた。ああ、どうしよう。王子との距離が近すぎて考えるどころじゃない。だけど、言い訳はしないといけない。頭が正常に回る気はしないけども。
「じ、実は、主からシアンと呼べと言われておりまして……それで名前で呼んだまでなのです。それにあの一時だけで、今はもう名前で呼んではりません!」もちろん嘘だ。
「にしてはえらい親密な言い方だったけど」
「聞き違いです」
「本当?」
「本当です!」
息も絶え絶えに言うと、王子は少し納得したのか、はたまた興味をなくしたのか「あっそう」と私の首から頭を浮かせた。
その後どうしたかというと、私の顔の前で静止したのだのだ。ピッタリと。その距離はあまりにも近すぎて直視することはできず、思わず目をつむって視界を遮った。紫音先輩の顔が目の前にある状況に耐えられるはずもなかった。
「王子……おやめくださいっ」
「というわりにはこの力の入れなさ具合。さっきの言葉、本気で言ってる?」ダラダラになった腕を弄ばれる。なるほど、笑えるほどに全然力が入っていない。
「わ、私はいつだって本気です!」
「そう奇遇だね。僕もいつだって本気だ」
「本気って……じゃあ私を本気で襲いたいのですか?」
「襲う? フランを?」
「ち、違うのですか?」
「ふふ、さあ。どうだろうね?」
「(な、なんだそりゃ!)」
まるで私が自意識過剰みたいじゃないか! 恥ずかしい! 女の子に恥かかせんな!
怒り沸騰しそうな頭を無理やり冷却し、そっちがその気ならと、聞きたいことを聞いてみた。
「あの、王子」
「ライアン王子」
「ら、ライアン王子!」
「なに?」
たかが名前を言う言わないで何の違いもないことは、催促したライアン王子本人が一番分かっていたようだ。だけどシアンを名前で呼んで王である自分は名前では呼ばなくて……と言う差別が気に食わなかったのだろう。不満足そうな青の瞳がゆらゆら揺れている。
「一つだけ教えていただけませんか?」
「僕は質問されたら何でも答える。聞きたいことが百個あるなら、百個質問するといいよ」
「そんなオーバーな……」
「おーばー?」
「いえ!」
危ない危ない。
「ライアン王子は先ほど、いつだって本気だと言われました。お間違えないですか?」
「ないよ」
「ではそれについて一つだけ質問をさせてください」
ライアン王子が柔らかく頷いたのを見て、「では」と一言。
「ただの召使いをだき抱えた状態で、ライアン王子は一体何に対して本気になっていらっしゃるのでしょうか?」
「どういうこと?」
「この状態の“なに”に、ライアン王子は期待をしているのですか?ということです」
「……」
いざ質問をされても、その質問の仕方を変更されても、ライアン王子は答えが出せないでいるようだ。
なぜ?
いや、そもそも「期待」とは?
誰がなにに本気?
答えられないのも無理はない。
それこそ、彼が一番知りたかったことだからだ。
「答えてくれますかライアン王子」
「君にただ興味があると言ったら?」
「質問を質問で返すあたり、真意のなさが読み取れます。やはりからかっているだけでしたね」
「そういうつもりじゃないんどけど……手厳しいね」
フッと笑うと力が抜けたのか、今まで私を拘束していた手を離す。左手、右手、片方ずつ。かと言ってイーノ伯爵みたく離すのが名残惜しそうな雰囲気などは全くなく、たまたま抱きしめただけだったと言わんばかりの呆気なさだった。
「僕は、そうだなぁ。何かを持っている君に惹かれてるんだよ」
「私の何にひかれているんでしょう? こんな平々凡々の召使いに」
「それが分かっていたら苦労しないよ」
「(苦労してんのかい)」
国の王子が「召使いに苦労する」などと、他の人が聞けば確実に笑う言葉を、目の前の王子は簡単に口にしてくれる。それならば、まだ寡黙で必要なことすら口にしないシアンの方が、口を滑らせてヘマをすることはないかもしれない。寡黙すぎるのも困りものだが、やはり秘密を遵守するのが仕事とも言える王子にふさわしいのはシアンだ。
王子にふさわしい兄と、そうでない弟――
「(同じ兄弟であるのに、どうしてこうも両極端に育つかなぁ)」
王子になることを必要として育てられてきたシアンと、その兄の姿を見つつも自分と王子という立場は切り離して考えてきたライアン――もしこういった過程でもあれば兄弟の確執が生まれるのは分かるのだが、まだ数日しか二人を見ていない私には、今までの二人なんて想像もつかない。もしかすればそういった確執があったかもしれないし、何事もなく二人同じように育ってきたのかもしれない。
「(当たり前だけど私、知らないことばかりだなぁ)」
なにも知らないからこそ知りたくなるのが人間の心理だ。この王子が自分にどういう意味があって近づいてきているのか、私は知らないといけない。
だから王子、あなたの真意を教えてください。
「本心はそうやって隠されるのですね。私に教える義理がないことはわかっていますが、残念です」
「教える義理がないんわけじゃないよ。だから言ったじゃないか。僕にも分からないのだってね」
「分からないって、それははぐらかしているようにしか思えません。私、こう見えて人の機微に聡いのですが、ライアン王子からは何も見えてこないのです」
「それは単に君が鈍感なだけじゃないの?」
「(う!!)」
隙あり娘、発動――うぬぼれるなと誰かから釘を刺されたようだった。
「そ、そうじゃなくて、ライアン王子が目的もなく、ただからかっているから、私は何も感情が読み取れないのだと思います! だから、からかうのはやめて下さい!
婚約中の身で、召使いにちょっかい出してるとしれたら事ですよ!」
必死になる私をライアン王子はもちろん笑った。しかしその次には流し目で私の心を捉える。
流すことなく、確実に――。
「君のことを好意的に思っているからこそ、からかうって可能性もあるよ? そんなに僕を拒絶しないで。王子の権限で何かしちゃうかもよ?」
「権限って……」
「ね、怖いでしょ?」
確かに目つきは鋭くなった。だけどシアンのそれとは比べ物にならない。
「いえ――ありません」
「なんて言ったの?」
「私はライアン王子が怖くありません」
「へ……?」
「あなたはそんな人ではありませんから」
真っすぐと見て、そう言った。
彼の青い瞳がキラリと揺れる。口元には笑みが浮かんでいた。
「君……すごいね」
「へ?」
「フランはすごいと言っているの」
「うれしいお言葉ですが、いったいどの辺がでしょうか……私には皆目見当がつきません」
「僕を見透かすのがうまいねって言っているんだよ」
「そうでしょうか……」
きっとライアン王子は、王子の権力を私情で振りかざしたことは一度だってないだろう。さっきの言葉はもちろん、私を怖がらせようとしてついた嘘に過ぎないのだ。分かっていた。王子の言動を見ていたら簡単なことだ。
だから怖くなかった。
結局のところ、ライアン王子も優しいのだ。
「大抵の人は僕に恐れをなして、僕の思い通りになっちゃうんだ。それが僕はつまらなくてね。見透かされたのは久しぶりだ。いや、口答えされるのが久しぶりというべきか。それが召使いがやるだなんて、スゴイこともあったもんだね」
「ライアン王子……」
あ、ヤバい。
困ったように笑う王子に胸が高鳴った。
更には「王子とこんなに近距離にいる」と改めてライアン王子の存在を、彼との距離を認識した。認識、してしまった。すると、顔が更にのぼせたのが嫌でも分かった。
さっきまで「ライアン王子を引きずりおろしてシアンを王子に!」と思っていた自分を笑ってしまう。あの威勢のよさはどこに行ったと。今の借りてきた猫のような有様はなんだと。
「(だけど、最初会った時のイメージとは随分かけ離れたなぁ。最初はなんて言うか、ただただ眩しかった)」
初めて会った時のライアン王子はとんでもなく輝いていて直視することは躊躇われて、声さえも透き通って、空に向かって伸びた声はシャンデリアの照り返しを受けてこの身に降り注いだ。
ライアン王子を見て、声を全身で聞いて、そしてこの命は繋がれた。
その背景にあるのはライアン王子の人柄の良さでしかなく、彼が彼でなかったら自分の命はあの場でとうに消えてなくなっていた。
「(こんなひよっこ召使いにも隙を見せる王子なんて、きっとどこを探してもいないだろうなぁ)」
隙あり娘は少し同情した――王子に召使いが同情するなんて身分不相応な行いだということは知っている。だけど心の中で思うだけは自由だ。思想の自由だ。
「(ふふ、紫音先輩に性格まで似てきたかも)」
困ったように笑う王子を「可愛らしい」と思ってしまった。と同時に、私はこの笑顔を知っている。ずっとずっと、知っていたのだ。
脳にあるのは紫音先輩の影--
先輩もイタズラが好きで、たまに突拍子もないことを言って私を困らせた。生徒会が夜遅くまで残っていた理由は仕事量が多かった以外に、会長である紫音先輩が皆の仕事を邪魔するようにイタズラを仕掛けていたのもある。そんな先輩を年上とは思えずに、よく怒っていた。だけど私のその時の顔は笑っていて、確かに、楽しかったのだ。
今の私は、その時の幸せな気持ちと似ている。
あぁ、心が温かい。
幸せだ--
「(さて、いいものを見せてもらったし、仕事をするか!)」
さっきまでは騎士の召使い。
そして今からは、王子の召使いだ。
「ライアン王子、何か命令をしてください」
「なんで?」
「そもそも私は数日間ではありますが王子の召使いとして任命されたのです。あなた様から仕事を貰わなければ、私は暇人になってしまいます」
「あぁ、そうか! そう言えばそうだったね」
「(そう言えばって……)」
忘れてたんかい!!
叩いてやりたかったが、ここは我慢。
「じゃあ」と言ったライアン王子を見た。
「執務室にきてもらおうかな、僕と一緒に」
「ライアン王子と一緒にですか?」
「僕と一緒に仕事するの、不満?」
「いえいえ! 同伴していいものかどうか、その……畏れ多くて」
一緒に仕事をする――それがどういう意味をさすか分からないまま、ライアン王子の後をついていく。今まで大事に持っていたマフラーはベッドの上に置き(決して丁寧ではないがそれでも労わるように置いた)、シアンにメモ書きを残すこともないまま、騎士の部屋は再び無人となったのだった。




