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11.動き出す人々③

「……あの、アリス様」

「なにかしら?」

「聞きたいことがあります」


 意を決した私は、アリス様の手をキュッと軽く握った。

 その手を一度チラリと見て、彼女は凛とした目つきで私を見定め、そして、

「何かしら?」

 曇りない大きな目を向けたのだ。


「えっと、若干言いにくいのですが、」

「構わないわ。何でも言って?」

「はい、えっと……。

 アリス様は、どうして私の部屋にいらっしゃったのですか?」

「……え?」

「いや、あの……この東棟は倉庫のようなもので、間違ってもアリス様のような高貴な方がいらっしゃるような所ではないと思いまして……いえ、アリス様がものすごい方向音痴でしたら話は別ですが……あ」

「へえ」

「す、すみません! あの、た、ただ不思議に思っただけですので、その、

 すみません!! 不快に思われたのなら謝りますので!」

「……」

「(やっべー!!)」


 しまった、当たり障りのないことを話そうと思っていたのに、逆に地雷を踏んでしまった!

 ど、どうしよう、絶対不審に思われた!!

 パッとアリス様の手を放したが、当の本人は先ほどと変わった様子はなく、むしろ「何で手を離したの?」と純粋な瞳を私に向けていた。


「あ、れ?」

「どうしたのかしら?」

「いえ、怒っていないのですか?」

「わたくしが? なぜ?」

「だって、私、さっき失言してしまったものですから……」

「方向音痴のこと?」

「ぐ! は、はい……」

「構わないわ」

「へ?」

「だって、わたくしが方向音痴なのは本当のことですもの」

「……」


 不敬罪の言葉が頭を過っていたが、彼女の言葉に肩すかしを食らったように脱力する。まるで芸人がわざとコケるシーンのように「カクッ」と力が抜け、危うく座っているベッドから転げ落ちそうになった。その姿を見たアリス様は笑い、形容しがたい程の美しい笑みを見せると同時に口角を柔らかく上げた。


「ふふ、わたくしの方向音痴は筋金入りなのよ。ライアン王子に迎えに来てもらうこともあるの」

「え……ライアン王子に?」

「ええ。けど王子は優しいから、どんなところに居ても迎えにきてくれるの」

「そ、そうですか……」


 惚気を聞いていくと、だんだん気力がなくなってくる。まるで私の生命力をアリス様が吸い取っているかのように、相対している二人の様子はみるみるうちに正反対になっていった。もちろん、しおれかけた雑草のように萎びているのが私である。


「あら、元気がないようだけど、大丈夫かしら?」

「はい、なんとか……」


 答えながら、掴みどころがないアリス様を前に、ふとイーノ伯爵のことを思い出す。

 先ほどの忘れたい出来事だ。

 イーノ伯爵の洞察力はなかなかに鋭いもので、私がライアン王子に恋心を抱いていることをすぐに察した(ただ単に隙あり娘が分かりやすいだけなのかもしれないが)。

 その事実を知られてしまったあの時――


『王子に特別な思いを抱くか』


 私は動揺していたため何も言えず、イーノ伯爵に何の言葉も返せなかった。イエスとも、ノーとも言えなかったのだ。

 ライアン王子のことが好きかと聞かれて否定しないのであれば、それは肯定しているも同じこと。だけど私は、その事実を秘密にしてもらえるように口止めすらもしなかった。

 もし、もしも、だ。

 ライアン王子に恋心を抱いていると、イーノ伯爵がアリス様に告げ口したら?

 アリス様が私を良く思わないのは当然のことである。


「(伯爵様は皆に言いふらしたかな? 私が王子を好きだってこと……でも、もしそのことを知っていたら、アリス様は私のことをすぐ殴るなり蹴るなりしているはず。それをしないのは私の王子への好意を知らないからか……いや、王族の方だから忍耐とか精神力が抜きん出ているだけなのかもしれない。自分の本性を敵にすぐに見せることはないのかも)」


 色んなパターンで検討してみるが、やはりアリス様の本音が読めない。どのパターンで想像してもアリス様の表の顔と裏の顔の両面がちらついてしまう。

 目の前のアリス様は今、何を思っている――?

 隙あり娘の私には分かりようのないことだった。


「(まあ、素人に簡単に分かるはずない……よね)」


 これだけ近い距離にいるのに何一つ分からない。それはつまり、アリス様の対人能力がいかに高いか、ということを表している。さすが王族育ちの人は違うと見た。東京の自分の家を思い出し、平々凡々の自分とアリス様の身分との間に、いかに大きな差があるかということを思い知る。


「先ほどアリス様は嫁ぎに来た、と言われていましたが……」


 自分の考えていることを悟られまいと必死で口にしたのは、こんなことだった。


「ええ、ビッグニュースになったわね。けれどあなたは知らないというんですもの、驚いたわ」

「も、申し訳ありません」

「いいのよ、それで。わたくしが嫁ぎに来たのが何か?」

「いえ、その……プ、プレッシャーじゃなかったのかなって」

「王子の嫁になることが? 全くプレッシャーにならなかったわ。この偉大なる王国の王子のお嫁さんになれるのよ? あなただって、わたくしの立場になれば、この立場がどれほど名誉なことかくらい分かるはず。わたくしは早くこの王国に来て、王子の隣に並びたかったの」

「え、ええ、そうですけね……」


 あれ?

 フランは胸に引っ掛かりを覚える。


「アリス様は最初、主と結婚する予定だったんですよね?」

「そうよ」

「けれど、事件があってライアン王子と結婚することになった。

 つまり――アリス様の結婚相手は、初めは‟騎士”だったはず。

 それなのになぜ、‟王子の嫁”になることにプレッシャーはなかったと、そうお答えになったのですか?」

「え――?」

「騎士の嫁として嫁いだ後あの事件が起こり、アリス様は王子の嫁になることに決まった。それはつまり、王子の嫁になることは、嫁ぐ前のアリス様はご存じないはず。それなのになぜ、“早くこの王国に来て王子の隣に並びたかった”とそう言われたのですか?」

「!?」

「アリス様には、王子の嫁になる未来が見えていたのですか?」

「そ、れは……」


 立場逆転――?

 先ほどまで意気揚々としていたアリス様の目には明らかな動揺が見られ、眼球が忙しなく動いている。私の言うことに一字一句反応しているかのような焦燥感が見て取れ、まるでさっき私が言ったことは全て正解だと言わんばかりだ。


「(これ以上は……ってかもう、確実に、不敬罪かな……!?)」


 自分が立ち入ってはいけない区域まで入ってしまっていることを、アリス様の様子で悟ってしまった。重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをしてしまい、挙句、見てはいけないものを見てしまったかのような、そんな絶望的な思いだ。


「(どうして私はこう、余計なことに首を突っ込むかなぁ、もう!)」


 しかしここで私もつられて動揺してはいけない。

 怯えてしまっていては、イーノ伯爵の二の舞になる。

 それだけは避けなければ!!

 額から流れた汗が瞼を伝い、私の目がきらりと光る。


「ああ、なるほど!!」


 パンッと手を叩きながら私は勢いよく立ち上がる。未だ座ったままのアリス様の顔は驚いていたが、そんなことはお構いなしに、またもや彼女の手を握る。それも勢いよくだ。


「アリス様は先見の目をお持ちなのですね! 遠い先、遥か先のことまでも見通せる、そんな素晴らしい能力をお持ちのお方なのですね! 私、感動してしまいました!!」

「え、え……あ、へ?」

「隠さないでくださいアリス様! 私、感銘を受けているのです!

 王宮にこれほどすごい才能を持った方がいらっしゃるとは! その方がまさかアリス様だとは! これで王子の身も、王国の安寧も約束されたようなものです。

 アリス様、私、あなたを心から尊敬いたします!」

「ど、どうもありがとう……」


 いまいち納得のいかないような彼女だったが、しかしここまで絶賛されて悪い気は起きなかったのか「実はそうなのよ」と私の話に便乗してきた。

「(かかった!)」

 額に、更に汗が滲む。


「アリス様、先ほど主と私は北棟に移動になると聞きました。その時はなんて恐れ多いことだろうかと思いましたが……だけど私、アリス様の偉大な力をいつも身近に感じていたいです!」

「――へ?」

「私も、主をお守りしたい! 召使いになったからには立派にその役を果たしたいです。しかし今の私では非力すぎて、何の役にも立てません……けれど! あなた様のお近くにいれば、それが叶いそうな気がします。

 だからどうか、主と私が北棟にいくことをお許しください。

 身分不相応な願いと言うのは承知しております。しかしこのフラン、今までこんな感動を覚えたことはありません! アリス様という奇跡を、いつも、私にお与えください!」


 言い終わった瞬間、私自身「ここまで恐ろしい宗教団体を見たことがない」と思ったが、褒めたたえられているアリス様は気を良くしたようで頬を上気させてウットリとしている。


「あなた、そこまでわたくしのことを……」

「はい!」

「また二人でお茶しませんこと? 美味しいお菓子をいただいたの!」

「誘っていただけるなんて嬉しいです! 身に余る光栄……!

 この身ならいつでも空けておきますので!」

「ふふ、良かった!」

 そこから話の展開は早かった。

 太陽の差し込み加減が傾いてきたのを見て、時間が経ったと分かったのだろう。

「すっかりお邪魔してしまって」


 という言葉を残して、アリス様は笑顔でこの場を去った。

 パタン

 扉が閉まる音からすぐに、カツカツと言う足音。優しく響く靴音からでさえ高貴な様子が感じ取れるので、その靴音は間違いなくアリスのものだと判明した。

 アリスが、東棟を去ったのだ――


「だあぁ~疲れた……」


 脅威は去った――

 それが分かった瞬間、体は風船から空気が抜ける様にその場にへなへなと座り込む。極度の緊張からやっと解放されたのだ。

 いろいろに思う所があったが、今は、ただ一つのことを確認しておきたい。

 そしてその確認は、外にいる人物に聞けば分かるはずだ。


「よし」


 意を決して、自分と言う風船に再び空気を入れる。

 そして長い間待ちぼうけを食らって怒っているだろう、あの人物の元へ向かうのだった。


 向かうのだった――


 といっても、向かう先は扉一枚隔てた廊下だ。

 扉を開け顔を出すと、そこには案の定、しかめっ面をした真っ黒の人物がいた。


「おせーよ、お前の顔はどんだけデケーんだ」

「すみません、ちょっと立て込んでて」

「みたいだな」

「ずっとここに?」


 立て込んでる理由が分かると言うことは、ここにアリス様が来ていたことを知っていたことになる。もしや、会話の中身も聞こえてしまっていただろうか?と思い質問すると、黒の人物――シアンは首を振った。


「あまりに遅いから馬の世話をしていた。さっきここに戻ってきたばかりだが、ここを出ていく彼女とすれ違った」

「そう、ですか」

「……」

「……」

「なんか聞いたか?」

「ふえ!?」


 渦中の人物にそのように聞かれると、何と答えていいか分からない。

 しかし逃がすつもりはないようで、狼狽している私から片時も目を離さずシアンは視線を送り続けた。その姿は真剣そのもので、耐えきれなくなり思わず両手を上げる。まいった。参りすぎるくらいに参った。降参だ。


「いや、ちょうど私も聞きたいことがあったのです。

 しかしなかなかに質問しがたいことなので、その……」

「構わねーよ。なんでも聞け」

「い、いいので?」

「どんな質問が来るのかも、大体予想がついてる」

「は、はあ。なら……」


 本人が良いと言っているんだ。

 ならご希望通り、質問しようじゃないか。


「では、お聞きします。

 先ほど、アリス様から昔のあなたについて聞きました。

 単刀直入に言います。


 アリス様に乱暴をしたというのは、本当のことですか?」


 そう尋ねた瞬間、シアンの眉毛がピクリと動いた。

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