11.動き出す人々②
「あら、わたくし間違えてしまったみたい。
ここはあなたのお部屋かしら?」
その言葉が聞こえた時に少しでも警戒出来たらよかったのだけど、
「わたくしはアリス・シュトレン。
ライアン王子の婚約者よ」
全てをひっくり返すこの言葉を聞いてしまった為に自分自身を保てなくなるほどのショックを受けてしまい、目の前の人物がいかに私に危害を加えようかと思っているかなど微塵も疑うことはなかったのだった――
「あの、今……ライアン王子の婚約者って……」
「ええ。ご存じなかったかしら? 結婚式はまだだけど、わたくしがこの国に嫁ぎに来たニュースは結構大きく報道されたと思ったのだけれど」
「す、すみません! 山奥に住んでいたものでして、そのような情報には疎く……しかし、そうでしたか、ライアン王子は婚約されているのですね……」
「どうかしたのかしら? 顔色が悪いわ」
「お、お気になさらず! すみません……」
確かに私の顔色は悪い。見なくても分かる。全身血の気が引いているんだもの。とてもこれから食事に行こうという状態ではない。シアンがこの姿を目にすれば、この数秒の間に何があった?と不思議がるに違いない。
だけど、無理もない。
好きだった人と瓜二つの人と異世界で会えたにも関わらず、その人は好きな人がおり既に婚約済みで、あとは結婚式を待つだけという幸せの絶頂期にいたのだから。
「幸せ、なのですね」
「そうね、ライアン王子はとてもお優しいわ。あの方と結婚できることを、わたくしは誇りに思うの」
「……そうです、よね」
ライアン王子はさぞ幸せだろうと思って述べた言葉だったが、予期せぬ回答が返って来る。そりゃ、器量が良く優しいライアンと生涯を共にできるとなれば、いかにと言えどこの絶世の美女も文句の一つも出まい。
「そうですか……」
改めて、ライアンとの距離を感じる。
所詮は雲の上の人なのだ。初日に会うことが出来ただけでも奇跡に近い――
ふっと、私の目の前に真っ暗な影がかかる。それは今の私の荒んだ心の有り様を表していたが、それを気にも留めないのが渦中のアリス様である。
「また結婚式の日時が決まったらお教えするわ。今はまだ準備中なの。
それで、あなたに会えたのは丁度良かったわ。話したいことがあったの」
「え、私にですか?」
「ええ、ぜひあなたに」
「な、なんでしょう?」
そもそも、何でこの東棟にいるのだろうか?
ここは倉庫代わりで、王子の婚約者が間違っても来るような所ではない。
混乱の中でも少しだけ頭が覚醒したので、深く疑問に思う。間違って部屋に入るにしては、少し方向音痴すぎやしないかと――
しかし疑問は口にする間もなく、アリス様は話を始める。
それは私の耳を疑うような内容だった。
「先ほど騎士様の姿が見えましたの、あなた、騎士様と面識があるの?」
「は、はい! 昨日づけで騎士の召使いとなりました!
も、申し遅れました! 私フラン・ブラウンと申します!」
「じゃああなたがやっぱり騎士様の召使いなのね。本当、珍しいこともあるのね」
「どうやら、そうみたいですね。主が今まで誰も雇ってこなかったというのは、私は知らなかったのですが……」
私の震えた自己紹介など意にも介さないらしく、アリス様は話を進める。
「けれど同じ女性としてあなたに忠告しておくわ――騎士様のこと」
「忠告? なんでしょう?」
すると今まで穏やかな顔で話していたアリス様に異変が起こる。大きな婚約指輪がついた細く白い指が細かく震え初め、目に涙が溜まっておりキラリと光る。その様子を察知した私は、いつまでも玄関先で話すのもどうかと思い、「汚い部屋ですが」と中へ促した。するとアリス様は私の言葉に食い気味で「ありがとう」と言い、断りなくベッドに腰を掛ける。その際に、持っていたハンカチを布団の上に敷くことも忘れはしなかった彼女の行動にあっけにとられていると、アリス様は神妙な面持ちで「実は」と重い口を開いた。
「実は、わたくしね、騎士様に……乱暴されたことがあるの」
「乱暴!?」
「お、大きな声を出さないで! 今でも、思い出すだけでホラ、震えるの……」
見ると確かに、先ほどまで指先だけに留まっていた震えは今や彼女全体を包み込んでいた。まるで寒中水泳をしているかのような大きな震えに「これはただ事ではない」と驚く。が、この震えが彼女の体験した全てを物語っているのだと分かり、アリス様の話により一層信憑性を持たせた。
「ご、ごめんなさい! し、静かにしていますから。
あの、だけど乱暴って、どうして……」
「わたくし、元々は騎士様と結婚する予定でしたの」
「へ!!?」
なんだそれ、ビックリする!!
これまた出た私の大きな声に、アリス様は眉間に皺を寄せるがそれも一瞬で、間髪入れずに話を続けた。
「だけど、結婚が決まってから騎士様は変わった。まるで人が変わったように怖いお方になり、冷たい態度を取られ、挙句の果てには……わたくしに乱暴を……」
「え、ええ……だ、大丈夫でしたか?」
「その時ライアン王子に助けられたの。騎士様は今とは違って、わたくし達と同じ北棟にいたから……わたくしが大きな声を出せたのが幸いだったわ」
「それは……不幸中の幸いといいますか……何事もなく、ですか?」
「そこまでは……あぁ、ごめんなさい……思い出しても怖くて……ご容赦くださる?」
「あ。すみません、非常識な質問をしてしまって……」
「いえ、いいの。非力なわたくしが悪いのですから……っ」
いいの――と言った後、アリス様は涙を零す。思い出すだけど震え、涙が出るのだ。これは相当な怖い思いをしたに違いない。バカな質問をしたと自分を叱責する。
「ですから、あなたにも気を付けてほしいと思って」
「気を付けるって、なにを」
「騎士様の召使いになったのであれば、これから騎士様と行動を共にされることは多いはず。その時、あなたにもわたくじと同じような経験をしてもらいたくはないの」
「え、でも私はアリス様とは違い美人でも可愛くもないですし大丈夫かと……」
「そんなの分からないわ! あの人は女性だったら分け隔てなく襲うかもしれないもの!!」
「……」
否定するところはそこかい――
と若干しらけた気持ちになったが、外で待っているであろうシアンのことを考える。彼のこれまでの行動を見る限りアリス様の話は信じられない、だけど、信じるべきなのだろう。アリス様のこの怯えよう、尋常ではない。
「(あのシアンが……いや、でもこの人を前にすると男の人は狼になるかもしれない。でも、あのシアンがそこでタガが外れるとも思えない。鍛錬とかで忍耐とか自制心がついていそうだもんなぁ)」
アリス様の言葉を信じる反面、シアンのことを根っから疑う気にもなれない。彼の今までの行動からするに、まず女性に興味なさそうなのが引っかかるのだ。イーノ伯爵ならまだしも、あのシアンが女性を襲う? 俄かには信じられない話だ。
イーノ伯爵ならまだしも――
けど、何度も言うがアリス様を疑う気にもなれない。同じ女性として、もし乱暴されたのであれば胸がキュウと苦しく締め付けられる思いに駆られる。
「アリス様……」
アリスの隣に座り、彼女の細い手を両手で包み込む。すると温かな体温がすぐに伝わってきた。すぐ隣で唐突な行動に驚いているアリス様を感じながら、私はゆっくりと目を閉じる。
「アリス様、辛い体験をお話ししていただき、本当にありがとうございます。
私は……幸せ者ですね」
「幸せ? どうして?」
アリス様は小首を傾げる。
「アリス様とこうして出会えたことが幸せなんです。これまでにない幸運でした。そしてこの王宮で生きていく為の術を授かった――召使いとしてこれから頑張っていこうと思っていた私にとって良い教訓となりました」
「わたくし、お役に立てそうかしら?」
「もちろんです!」
満面の笑みを向けた私に「それは良かった」とアリスも頬をほころばせる。もう涙は止まっているようだ。
「ハンカチも何もない部屋ですみません……お茶一つのおもてなしも出来ませんで」
「構わないわ。ここは倉庫みたいなところだしね」
「……ですよね」
「だけど、その倉庫生活ももう終わりね」
「――へ? なんでですか?」
「あら、まだ国王様から何も聞いてないの?
あなたと騎士殿は北棟に移動になるのよ。
私たちと同じ、北棟に住むことになるの」
「へ……?」
は、初耳!
そうなの!?
思いがけない情報に、自分の目から眼球が飛び出したかと焦った。同時に、「聞き間違いだろうか?」と何度も顔をつねる。
「だ、だって北棟って確か、王族しか入れないって!
どうしてそこに主と私が!?」
「国王がそう決めたことなの。もう、変えられないらしいわ。わたくしが言っても、ダメだったの」
「え……アリス様が言っても? あの、失礼ですが、国王様はアリス様の身に起こったことをご存じなのですか?」
「乱暴されたこと……もちろん知っているわ。
国王だけでなく、この王宮にいる人みんな周知の事実よ」
「あ……」
そうか、合点がいった。
さっきシアンが「みんなから腫物扱いをされている」と言った理由が分かったのだ。
「主は皆さんから犯罪者の目で見られているのですね。そして、その目から逃れる様に主はこの東棟に来た。メイドも召使いも雇わず……主なりの反省ということでしょうか? ではなぜ、今回私を雇ったのでしょう?」
「分からない、もしかすると、その反省期間が終わって……
暴れたくなったのかもね?」
「!?」
自分が襲われる――
それは今まで平和に生きてきた隙あり娘にとっては考えもしないことだった。
どれだけ怖いことだろう、さっきイーノに太ももを触られただけでも硬直してしまった芋娘だ。アリス様に起こったことに自分を重ねると――想像でしかないが、その想像だけでも末恐ろしかった。
「……っ」
「どうかした? 大丈夫かしら?」
「……は、はぃ……っ」
自分が襲われたとき、果たしてアリス様みたいに声が出せるか否かは、今の己の状態を見れば簡単に答えが出る。隙あり娘は、相手の隙を読むことが出来ない――
「(ふー、深呼吸、深呼吸。
だめだ、こんなことでパニクッてたら、ダメダメ!)」
危ない。
危ない危ない。
「(さっきまでシアンがそんなことをするか?と疑問を持っていたのに、自分が被害者の疑似体験をすることでシアンのことを怖いと思ってしまった……危ない思考だなこれ……)」
自分の目を覚ますように頭を左右へ大きく振った。軽い脳震盪が起きたが、変な思考はどこかへ行ったようで少し正気に戻れた気がした。
「(これでいい、少し冷静にならなくちゃ……)」
これから王宮でずっと一緒にいる人が、自分の仕える人が本当に犯罪者なのかどうか――それをきちんと見極めないといけない。
「(ん?)」
そう言えば――と頭の中にまた疑問が湧いた。
「(アリス様にそんなことをしておいて、どうしてシアンは騎士を続えていられるのだろう? 普通なら解雇じゃないの?)」
犯罪者をのさばらしにしている王宮、ここはそんな物騒な所なのだろうか?
合点がいかない点がいくつかある。
だけど、この疑問を、今、アリス様がいる前で披露していいものか――?
「……あの、アリス様」
「なにかしら?」
「聞きたいことがあります」
しばらく考えていたが、ここで足踏みしていても始まらない。意を決して、私は口を開いた。




