11.動き出す人々
「大丈夫か? って、何がですか?」
この時の騎士様はもちろん、イーノ伯爵に迫られたようだが大丈夫か?――
ということを言っていたのだが、何も知らない私としては、まさか騎士様があの殺伐とした場面をこっそり見ていたとは思いもせず、ちんぷんかんぷんな表情を浮かべるしかない。
「あの、私がお昼を食べたかどうかということでしょうか?」
「なわけあるか」
「(違うんかい)」
しかし言葉にすると、そう言えば昨晩から何も食べていないことに気づいた。意識すると厄介なもので、今まで大人しくしていた腹の虫が、まるで親鳥から餌をもらうひな鳥のようにグーグーと激しく鳴り始めた。
「お前、ご飯は?」
「恥ずかしながら、ずっと食しておりません」
そもそもそんな時間なんてなかったし……と愚痴りたいが我慢して、極めて召使いらしく慎ましく「騎士様は?」と付け加えた。
「俺は朝食べているから今はいらない……けど、来い、食堂に行くぞ」
「え、でも召使い準備室に騎士様が行かれなくとも、私一人で行けます」
「召使い準備室? どうしてそんな所に行かないといけねーんだよ?」
「え、だって、召使いのことで困ったことがあればあそこに行けばいいと思って……それに、多くの召使いがあそこで衣食住をまかなっていると聞いたもので、最低限の食料ならあるかと」
「あぁ。まあそれもそうだが……」
煮え切らない騎士の言葉に訝しむ。いつも仏頂面の騎士様が何を考えてるのかは、皆目見当もつかないが。
「あの、じゃあどこに行かれるのですか?」
「食堂に行く」
「だから、どこの」
「王族専用の食堂だ。そこは王族専用と呼ばれているものの、俺たち爵位ある者も利用していいことになっている。というか昨日、お前もそこで食べたんだろ」
「ああ、あの豪華な場所!!」
頭の中に記憶が蘇る。そう言えばイーノに案内されて美味しいお肉を食べた所があった!
そんなこともあった!
忘れかけていたけど!!
「王族専用、ですか……。爵位のある方が出入りされるということは、伯爵様に会うこともありますよね」
「当り前だ」
「ですか……」
色々してくれて、有り難いと思った。なんて優しい人かと涙ぐんだものだ。
だけど、イーノは掌を返したような傲慢な態度に変わった。
一瞬でだ。
「先ほど伯爵様とお会いしました。けれど私が粗相をしてしまったんでしょう、すごく気分を害されて、その……怖かったんです。正直、これからすぐお会いするのは、心がまた立ち直っておりません」
「……」
「すみません」
せっかくの主人からの誘いを無下にしたことは、とても悪いことだと思っている。けれど、イーノの顔を見ると先ほどの恐怖が蘇って来る。足も立たなくなるような、背筋も凍る恐怖。またあの体験をする――それは嫌だ。
「それに、私に召使いのことを色々教えてくださった方がいたのですが、その方の気分も害してしまったようで……い、今考えれば、ナカノ先輩は伯爵様が主人なわけですから、その伯爵様の機嫌を損ねてしまった私をお恨みになるのは仕方ないことかと思うですが……すみません、こういった経験は本当に初めてなもので、まだ頭がついていかないんです」
「(馬鹿正直にポンポンとよく喋る……)」
それが軽はずみな発言だと分かっていない私を見て、本当に召使の仕事は初めてなのだと悟ったのだろう騎士様――思えば今まで森の中で暮らしていたのだ。自然の中でのびのびと育った場所から、こんな縛りだらけの王宮へ急に来て「すぐに慣れろ」というのが無理な話である。
「お前、名前は」
「フラン……フラン・ブラウンです」
「そうか、ならこれはお前のだろう」
そう言って騎士様がスッと出したのは、バベッドおばさんに持たされた果物ナイフだった。牢屋で肉を切る時に「無くした!」と騒いでいた、あの代物だ。
「これっ!?」
どこでなくしたか分からない小さなナイフだ。もう出てくることはないだろうと諦めていただけに、家族との絆を具現化した代物に、私は勢いよく飛びついた。
「これ、一体どこで!?」
「その辺に落ちていた。拾っただけだ、何もしてねーよ」
「た、多分私の物だとは思いますが、か、確認のために見せてもらっても!?」
「好きにしろ」
「ありがとうございます!」
ナイフを手に取る。するとそこには「フラン・ブラウン」と刻印がされており、以前家で使っていた物と同じ物だということがすぐに分かる。
「よ、よかった……っ!」
馬も手放し、ナイフも無くし、今の私には支えという支えがない状態だった。その中でイーノとの事件があり心が折れそうになっていた時の、この奇跡だ。「あ……」気が付くと目から、涙がこぼれた。
「おい、どうした? こんなナイフ一つがそんなに大事なのか?」
「大事、大事なんです……っ。良かった、私、もう諦めていたの……家族を守るためにここに来たのに、家族からもらったお守りを失くしちゃって……けど、見つかった。私に、ガンバレって、そう言ってくれているのかな?
ねぇ、騎士様……本当に、本当にありがとうございますっ」
泣きながら、笑顔が漏れた。その高等技術を高校生の私がやると、童顔の割にひどく大人びた雰囲気になった。
「(なるほど)」
私の様子を見た騎士様は、何か閃いたようで「よし」と腕を組んだ。
「フラン、お前のことは今からそう呼ぶ。お前も、俺のことは騎士様ではなく、もっと軽い感じで呼べ」
「へ? いや、でも、騎士様は一応主人ですし……」
「一応ってなんだ」
「す、すみません!」
しまった!と口を押えた私を、騎士様はただ真っ直ぐ見ていた。
そして次に言った言葉は、
「そのナイフを肌身離さず持っていろ。王宮では何が起こるか分からない、自分の身は自分で守れ。もしもナイフが見つかった時は、俺の警護だといって上手くかわせ。それでも信じてもらえなかったら俺が持つよう命令したと言ってやる」
「え、あの、いいんですか?」
「俺の気がかわらない内にどこかにいれておけ」
「で、では」
善は急げと、徐に長いワンピースを捲り上げる。「は!?」と奇声を上げた騎士様だったが、私の白くて張りのある太ももまで見えた時、全てを納得したようだ。なぜなら、両太ももに巻かれているホルスターを見つけたからだ。
「お前、もうナイフ仕込んでいたのか」
「はい、何かあった時にと思いまして」
まあ実際、さっきは全く役に立たなかったんですが――と言う言葉は飲み込んで、ホルスターにナイフを追加で装着する。しかし、まだほしいな……そう思っていた時に、騎士様も同じような言葉を発した。
「まだ少ないな。刃こぼれが起きた時に、替えは何本あってもいい。補給しておけ」
「は、はい!」
「それでだ――」
「(なんだか……まるで人が変わったみたいだ)」
急に饒舌になった騎士様を目の前にして小首を傾げた。目の前にいる人が本当に、ぶっきらぼうでツンケンしたあの騎士かと。
「――ということだ。そうと決まったら行くぞ」
「へ? い、行くってどこにですか?」
「おい、聞いてたのか?」
「いえ、確認のためにもう一度お聞きしようと思ったまでです!」
上手くフォローできたのか騎士様は「次はないぞ」と大きなため息を一つついただけだった。
「これから食堂に行く。今の時間帯だと、ある程度の人物は揃っているはずだ。そこでお前を紹介する。言っていくが、俺は一度も召使いを雇ったことはない」
「め、メイドもですか?」
「ない。自分のことくらい自分で出来る。周りに人がいるだけで邪魔になる」
「じゃあ、どうして私を……?」
「と、とにかく!」
明らかにはぐらかした騎士様に深く探りをいれることはなかったが、私の中で当然、疑問が生まれた。そう言えばイーノもそんなことを言っていた、今回の騎士の行動は極めて異例なものだと、そういうニュアンスで喋っていた。ローランドだって同じようなことを言っていた。あれは嘘じゃなかったんだ。
「(もしかして、この人も私と同じように、並々ならぬ事情があるんじゃないかな?)」
だとすると、見ず知らずの自分にここまでしてくれる理由も分かる。同じ境遇だし、通じる部分があったんだろう。助ける理由なんて、それだけで充分だ。
「(いつか聞けたらいいのだけど……さりげなく聞くにはもう少し仲良くなってからの方が成功しそう)」
まさに探り合いの仲だが、お互い赤の他人なのだ。これからゆっくり知っていけばいい。
「それで」
「はい」
私も、そして騎士様も、最初は目も合わせなかった二人が、今ではお互いの目を見てお互いを確認しながら話している。それは劇的な進歩、そしてこれからの礎を築いたともいえる大きな成果だった。
「まず俺が召使を雇ったという異例に驚かれる。次に、お前だ」
「私、ですか?」
「黒髪なんてこの王国、だけじゃなく、他の国にも存在しない。染める色にしたって、黒髪は販売されていない。つまりお前は、正体不明の怪しい奴だ」
「な!? 何もそんな裏事情がある奴みたいな言い方!」
「ほう、自分は清廉潔白だと?」
「と、思っている、つもりですが……まあこの話は置いといて」
「まあいい。
その怪しい素性に追加して、お前は王宮に乗り込んでいる。今までそんなことをした奴は一人とていない。つまり、お前は、
反逆者――
こう捉えられる可能性が極めて高い」
「は! 反逆者!? 私、そんなこと一言も!」
「分かっている。で、そんなお前を雇っている俺だ。けど実のところ俺は…………」
「‟俺は”?」
「結構周りから腫物扱いされている」
え!?
騎士なのに!?
「お、お可哀想に……経緯とか聞いてもいいんですか?」
「後で話す……で、だ。
腫物扱いの俺と、反逆者と噂されるお前。
この二人が手を組んだことで、周りにいるものが何かをしてくるかもしれない」
「な、何かって!?」
「知らねーよ。少なくとも、目障りな俺らを消したい奴は出てくるだろうな」
「最低のタッグじゃないですか! 最悪だ―!!」
嘆く私にゲンコツをし、騎士様は真剣な顔つきになる。
「大事なのはここからだ、よく聞け。
誰がどんな噂をしようと、誰がどんな嫌がらせをしようと、慌てるな。心乱されるな。
正々堂々、自分に降りかかるモノと向き合っていけ」
「……まるで戦場に行く気分なんですけど」
「間違ってはねーだろ」
王宮もある意味戦場だしな――
意味深なことをぽつりと言う横顔が、何だか寂しそうに見える。騎士様が今にも消えてしまいそうで、咄嗟に彼の腕を掴んだ。
「なんだ?」
「いえ、あの……まだあなたのお名前を聞いてなかったと思って……あ、聞いておりませんでしたので」
「いい。話し方はそのままでいい。俺も改まった言葉は嫌いだ。名前も好きに呼べ。
シアン・ベイカー。俺の名前だ」
「しあん……?」
頭の中で、少し前の記憶が蘇る。
それは日本での記憶。
楽しかった、生徒会の日々。
そして愛しかった、紫音という一人の先輩――
「シオン、ではなくて?」
「シアンだ、どうとでも呼べと言ったが名前まで変える気かよ?」
「いえ、そんなことは……」
「じゃあ二人きりの時はシアンと呼べ。煩わしくない」
目に見えて困ったような顔をした私に、騎士様……シアンは小首を傾げる。しかし取り留めもないことだと判断したのか「行くぞ」と先を促した。
「昼食の今の時間を逃したくない。伯爵もいうかと思うが、そこは耐えろ」
「は、はい……」
「とりあえず顔を洗え。それと、腰に巻ているその布も部屋においていけ」
「え、でも」
「俺が釘で扉をうっといてやる。それなら誰かに盗まれる心配もないだろう?」
「は、はい!」
盗難の心配をしていたことを察してくれたシアンに、思わず顔が綻ぶ。好きだった先輩の名前と似ているだけあってか、優しいように思えてきた。
人はなんて単純なんだろう――
自分のことながらそう思わずにはいられず、半ばスキップしながら部屋を移動した。
「じゃあ先に外に出て待っている。顔洗ったら出てこい」
「はい」
そう言ってパタンと扉が閉まる。
では顔を洗うか、と蛇口を室内で探していた、その時だった。
ガチャ――
「あら、わたくし間違えてしまったみたい。
ここはあなたのお部屋かしら?」
長い金髪の美しい髪を持った絶世の美女が扉を開け私の様子を見ていた。離れていても香るくらいに、香水の匂いが強く纏われている。
「え、っと、どちら様でしょう……?」
「あら、わたくしの顔を知らないのね。異国の方かしら?」
「あ〜えっと、そのようなもので」
「そう、ようこそ王宮へ。
わたくしはアリス・シュトレン。
ライアン王子の婚約者よ」
「え!?」
思わぬ客人が、ボロボロの部屋に招かれたのだった。




