十八話 再訪
「……やっぱり。"Ocean"で入力しても出てこないね」
──マンションの駐車場に停まった、車の中。
運転席では鳩森がカーナビを操作し、後部座席からはヘルメットを被った薆が画面を覗いている。
布に包まれたさすまたと、護身用具、そして車椅子を積み終えた架場は薆の横に乗り込み、ドアを閉めた。
「ねえ、薆ちゃん。覚えてる?薬屋の場所」
振り向いた鳩森に、薆は手を動かしながら説明する。
「大森駅からマンションへ向かう、あの大通りです。薬屋の角を右手に曲がると、架場さんが買いに行ったっていう古本屋の通りに出ると思います」
隣に座る架場は、難しい顔をする。
「ええ……確かに、イヅミ古書店には行きましたが。薬屋らしき建物は見ていません。それに、古書店へ向かう道の角は、トゥー・エム。カラオケボックスですよ」
「トゥー・エム?」
「ええ。実名はSoundto M。長いので、略して呼ぶ人が多いみたいです。城のような見た目のせいで、まるでラブホテルだと一時期、話題になっていました」
「へ、へえ。近所にそんな名前のカラオケボックスがあったなんて。ここへ来て二年経つのに、全然知りませんでした」
気まずいのを誤魔化すかのように笑う薆に、鳩森は架場をジトっとした目で見る。
その情報要るのかよ、と言いたげな彼の顔に架場は軽く咳払いをすると話を続けた。
「……長らく営業していますが、最近は客の入りもイマイチという印象ですかね。それから、そのカラオケの対面には老舗のヘアサロンがあります。幼い頃、一度だけ祖父に連れられて行ったことがあるんです」
「へえ……!それじゃあ、昔からこの辺りには詳しいんですね」
「はい、祖父の昔の職場が大森にあったとかで。休日は大抵、一緒に過ごしていましたから、祖父の行動範囲は自然と覚えてしまいました」
後部座席で話に花を咲かせる二人に、鳩森は握ったハンドルを爪で順に弾き鳴らす。
少しの間、考え込むと彼は口を開いた。
「……その『トゥー・エム』ってカラオケ屋。話を聞くに、かなり目立ちそうだけど。ここに来るまでの間で、城みたいな建物を見た記憶は無いんだよな……」
そう言う鳩森は、カーナビのキーボードに指を滑らせる。
「もし、今がナオヤンの言う非現実なんだとしたら、検索に掛からないなんてことも……」
鳩森が検索ボタンを押すと、目当てのカラオケボックスはあっさりとヒットした。
「……あっちゃった」
「当然だろう。地元でも知れている店だ」
「なーにが、"当然だろう"だ。こちとら、お前と違って慎重なんだよ」
腕を組み、澄ました顔をする後ろの架場に舌を出した鳩森は、シートベルトを締めるとブランドのロゴが入ったサングラスを掛けた。
「……まあ、いいや。とりあえず、目的地の薬屋はこのカラオケボックスの付近にありそうだし、まずは大通りに行ってみよう」
──大森駅から、徒歩5分地点。カラオケ『サウンド・トゥー・エム』。
城のような建物の出口から、若い女性の二人組が見える。
「なーんだ。裸体の幽霊が出るとか、採点画面から白い腕が伸びてくるとか、色々聞いて期待してたけど。延長料金払ってオールしても結局、なんにもなかったねえ。つまんないの」
「本当よ!このビッグチャンネル、オカルト姉妹が直々に撮影に来たっていうのに。あの、受付の男。撮影許可出しておいて"撮ったって、全部無駄なのに"ですって?あたしらに喧嘩売りたいの?」
「アハハ。確かに、あの言い方はなかったよねえ。でも、そんなことより……お姉ちゃん。あの受付の人、稀に見ないイケメンじゃなかった?カッコ良かったな〜」
「はあ?顔が良くても、あれはダメだわ。性格で損するタイプ。ていうか、私が損して欲しいの」
オカルト姉妹の話し声が聞こえなくなると、開いた店のドアからは、話題の失礼な店員が姿を見せた。
「……本当のことを言っただけなのに。傷つくなあ」
そう言うと、店員はドアに掛かったOPENプレートをカタンと裏返し、CLOSEへと変えた。
──車内。大通りまで出てきた三人は、カラオケ『トゥー・エム』があるとされている場所に到着した。
「……おい、どこがカラオケなんだよ」
道路脇に車を停めた鳩森は、窓の外に見える異色な雰囲気の店を指差した。
「どこをどう見ても、洒落たバーじゃんか!」
声を挙げる鳩森に、架場も窓の外を覗く。
「いつもであればトゥー・エムが見える場所に、別の建物。向かい側のヘアサロンに、その横の自販機──景色はいつもと何も変わっていない。現実の中の、非現実──それなら、このバーのような店というのは……」
まさかと架場が振り向くと、膝掛けを握った薆はゆっくりと首を縦に振った。
「──ここです。新海の薬屋」
──薬屋Ocean、店内。
ドクターコートを羽織った紺髪の男は、窓際から店の前に停まった車高の低い車を覗く。
運転席に見える金髪の男もまた、こちらを覗いている。
その後方。今しがた後部座席から降りてきた冷たい顔の男に、彼は運命の色を見る。
ふわりとした癖っ毛に、少し猫背な立ち姿──
初めて見たはずの男に、彼は遠い日の思い出が蘇るような、どこか懐かしさを覚えた。
「……フフ、ようやく来たね。どれだけ、この瞬間を待ち侘びたことか」
彼は嬉しさに歪みそうな顔を両手で挟み、自制を効かせると、元居たレジの立ち位置に着く。
カウンターに置かれた水槽では、三尾の小さな鑑賞魚、シャ頭三兄弟が元気に尾鰭を揺らす。
男は水槽の前に手をつくと、ガラス越しの三尾に話しかけた。
「君たち。薆が、とびきりのお客さんを連れてきてくれたよ」
──ギイッ。
薬屋の扉が開き、店の床に細長い影が伸びる。
「いらっしゃい」
ニヤリと微笑む店員の目に映るのは、さすまたを構えた金髪男。
そして、その後ろからは、癖っ毛の男が押す車椅子に乗った薆が姿を現した。
「……先日ぶりだね、薆。今日は、人魚のフンも一緒かい?」
軽口を叩く店員に、鳩森はさすまたを向ける。
「お前が、新海か」
緊張気味に武器を握る鳩森に笑うと、店員はカウンターに頬杖をついた。
「如何にも、僕が新海だよ。薬屋Oceanへ、ようこそ。人間のお客様」




