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人間として生活し始めた草別三姉妹界隈  作者: 森の手


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料理をめぐる結婚 後編

 僕らはしばらく無言でお互いを見合っていた。

 と、彼女の視線が僕の奥に移動する。そこにはいつの間にかさやかが立っている。実に興味深そうに紅石を見ていた。


「ふうん」


 紅石は腰に両手を当て言った。


「それがあんたの結婚相手ってわけ」


 僕がもう一度後ろを見たときにはさやかの姿は消えている。


「若くない?そんなのがいいわけ」


「いや」


「まあいいや、赤の他人のことは」


 結局訂正することはできない。それに家の門の前に入り口をふさぐように大きな運送トラックが止まっていて、それがとても気になる。


「私があんたのために寝る間も惜しんで椅子を作ってるってとき、まさか嫌がらせみたいにあんな若い女と我が家にしけこんで結婚までするとはね」


 まあでも合ってないとも言えない。でも先に音信不通になったのは紅石の方だ。

 彼女は僕の視線に気づいて、腰に手を当てたまま後ろを振り向く。


「あ、これ? あんたのために作ってた椅子10脚。もちろん買い取ってくれるんでしょ」


 10脚なんていらない。

 でも彼女の目がそんなことを言わせてくれない。


「オーダーメイドだから一つ十万円ね。まあ私も鬼じゃないから、結婚祝いに一つはあげるわ。口座番号メールしておくから、90万、振り込んどいてね」


 そう言っている間に、きいとトラックが開いて、帽子をかぶった二人の作業員が椅子を持って、庭へ次々と椅子を運び入れ、紅石からサインをもらって去って行った。

 サインは普通こっちだと思うんだが、僕は何も言えなかった。


「じゃあまあそういうことでおめでとう。椅子、いらないってんならもちろん私の家に返しに来てもいいわよ。来られるもんなら」


 そう言って彼女は帰っていった。

 背もたれのない丸椅子から、ピアノで使うようなのまで、そこには色々な形の椅子がずらりと並べてあった。

 縁側のガラスの向こうでは、さやかと結城が感情のこもらない目でこっちを見ている。なんだか動物園の動物になったような気分だ。

 そうこうしている間に、たまきが大家を連れて帰ってきた。


「まあ企てのすべてが見抜かれるのは時間の問題だと思っとったが」


 大家は言った。


 たまきは大家に、さっき僕らがたどり着いた答えをそのまま彼女にぶつけてみたのだそうだ。

 大家は観念したかしたらしい。ウチへきて全部を話すということになったようである。


 彼女が言うには、料理でこの辺一帯の動植物と、それから昔の仕事(女盗賊)のツテで知り合った大富豪たちを呼び寄せて、一緒に料理を食べる予定でいたという。


「なんでそんなことを?」


「そもそもこのフルコースはすべてわしの旦那が考えついたものだが、実はベースとなったものがあってだな」


 さやかが立ち上がって寝室に戻る。長くなると踏んだのだろう。


「はじめに歴史の大舞台でそれが振る舞われたのは、合衆国憲法を決める会議じゃった」


 大家が言うには、この料理を口にした州の代表者や動植物たちが仲良くなって、彼らを中心にアメリカという国の土台ができあがったらしい。

 他にも史実には残らない数々の民族間の紛争や学校紛争、夫婦喧嘩や兄弟げんかなどをこの料理が治めてきたということだった。


 大家の旦那さんはその効用に目をつけ、他の動物たちにも応用できないものかと考えながら、そのレシピを作り上げたということだった。


「くそお!」


 そこまで言って、大家はいきなりテーブルに拳を叩きつける。


「あと一歩、あと一歩じゃった!!」


 言いながらドンドンドンドンとテーブルを叩き続ける。


「あなたは何をしようとしていたのです?」


「決まっておろう! 国をぶっ立てて、もう一回蒸気機関車を走らせる! 百貨店を作り、道路をぶっ壊して着物で生活をするんじゃ! 大正ロマンじゃ。そんでわしは税金生活者になる!!」


 すごい、とたまきの口からそんな言葉がこぼれる。確かにすごい。


「だが、お前のやくざな妹のせいでこのざまさ!」


「さくらは何をやったんでしょう」


「なあに、わしの目論見さえ分かれば、羽子板の力を使って、政府筋に情報を流したのだろう」


 話はなんとなく分かった。でも、大家の野望を阻止して、さくらは何をするつもりなのだろうか。僕らの結婚を阻止するために動いているのではないのか。


「あいつは何が目的なんじゃ」大家がその僕の言葉を代弁するように言った。「それに、その庭にある椅子どもはなんじゃ」


 それで僕は紅石のことを二人に告げた。


「あいつか」と、大家は言った。この家に入居するときに二人は会っている。「まあちょうどええ。テーブルを外に出して、みんなで料理でも食おう。もったいない」


 僕は反対者がいないものかとそれとなくみんなを見るが、誰にもそんな様子はない。さやかも襖を開けて顔をのぞかせる。

 なんでみんな食べる気なのだろう。みんな仲良くなるとか、間違いなくおかしな成分が入ってるからに決まっているのに。


 それで僕らは立ち上がって(さやかは外に遊びに出掛けた)、大家の指図で料理に取りかかることになった。

 でもそうしたとき、また門の前に大きなトラックが止まった。


 リンゴーン


 鐘が鳴らされる。

 僕とたまきがそちらへ向かう。

 玄関にいたのは、昨日とは一転、黒いスーツに身を包んださくらだった。


「さくら!」


 たまきが叫ぶ。


「大家さんっている?」


 さくらは姉の言葉には反応せず言う。

 たまきは何も言わず、黙って妹を見ている。

 らちが明かないので、僕が台所の大家を連れてくる。さやかもついでについてきた。


「おう、なんじゃ! やってくれおって」


「単刀直入にいうわ」


「なんじゃい」


「今日の料理は羽子板財閥が買い取らせていただきます」


「んなにをぬけぬけと! 国一つ、一体いくらで買おうってんじゃ!」


「国じゃなくて料理の値段よ」さくらは努めて冷静だ。「ここで私の申し出を断って、一銭の価値もなくなった料理をみんなで食べるか、私たちの話にのって、料理をお金に替えるか」


 大家が思い切り奥歯をかみしめている。

 そうやって睨み合っている間に、さくらは手に持っていた、西陣織みたいなバインダーを開いて、出した小切手を大家に渡す。


「いくらでもいいわ」


 結局震える手で大家はそれを受け取った。「見てろ。この金でおんなじことしてやる」


「商談成立。ということで、ここにいるみなさんを羽子板家の晩餐会にご招待します」


 僕らにはその意味が分からない。さくらは僕を見て続ける。


「悪いけど、この家使わせてもらうわね」


 何も言う暇もなくさくらは外を見て、誰かに号令をかける。するとぞろぞろと四人の男たちがやって来て、ずらりと狭い玄関に並んだ。

 一人はコックで一人は給仕、あとの二人は晩餐会の準備係ということだった。用意がいいこったと大家がつぶやいたが、さくらはまったく顔色一つ変えない。

 二人が部屋へ上がり、二人は庭へ向かった。


「どういうこと?」たまきが尋ねる。


「だからここにいるみんなと、そして夕方にやってくる羽子板幸二様で、一緒にこれからできるフルコース料理を召し上がっていただきます」


 なるほど、それでさくらの狙いがようやく読めてきた。つまり、この料理をたまきと一緒に食べることによって、何というか洗脳的に二人を結婚させるハラなのだろう。


 だがもちろんおかしなこともある。その席に僕も招待されているのだから。

 まあだが、きっとさくらのことだから何か底知れぬ理由があるのだと思う。悔しいがここまですべて彼女の思う通りに事が運んでいる。

 なにか阻止する手立てはないだろか。

 でも何もいい方法が思い浮かばない。たまきは羽子板との結婚話を断るため、この招待に応じるだろう。

 僕一人なら無理を通せば欠席できるかも知れないが、さくらの本当の狙いが分からない。こうやって僕が自分から抜けると言い出すということが彼女の本当の狙いだったということだってありえる。


 結局そんなことを思うと、僕は黙して誘いを受けるほかなかった。



 台所では料理が作られているというのに、庭にはさくらが手配した作業員が黙々と働いているだけで、植物はにじり寄ってもこなければ、あんなにウヨウヨしていた猫や鼠、それから虫たちもどこにもいなかったし、空を旋回する鳥の姿もすっかり消えてうせていた。


 結局料理は大家が中心となり、さくらが連れてきた60代くらいの痩せた鉤鼻の長髪のコック、ハシカミさん(たぶん橋上と書く。羽子板家付きの料理人のようだ)と、たまきが補助に入って作っている。給仕は買い物に行っている。

 さやかは結城を連れて外へ遊びに行って、さくらは茶の間で携帯をいじり、僕も茶の間でパソコンを前にしていたが仕事はまったく進まない。


 庭では三つの円形のテーブルに、紅石が作った一つ十万円の椅子が割り当てられる。椅子は10脚だったから十人でご飯を食べるらしい。

 ここにいるのは僕(1)とたまき(2)。それからさやか(3)、結城(4)にさくら(5)。すべての始まりである大家(6)と、料理人のハシカミさん(7)も参加するような気配がある。それから金の力でこの晩餐会を乗っ取った羽子板幸二(8)。あとは多分地下のフジコさん(9)もひょっこり参加するだろう。


 一人余る。若い給仕がいるが、いくら何でも羽子板と一緒の席で食べるなんてことはないだろう。彼は人数に入っていない気がする。

 僕は近くにいたさくらに参加者が誰なのかを聞いてみる。すると、今僕が上げたのとまったく同じ名前が挙げられた。


「一人余ると思うんだけど」


「いなくてもいいわよ。他に呼びたい人いたら呼んでもいいけど」


 もちろんそんなの特には、……いる。


 僕は紅石を呼ぶことにした。たまきも交えて話すのにはいい機会だ。それにさくらの企てに何か棹することができるかも知れないと思って。

 とりあえず電話をすると紅石はものすごく怒ってはいたが、あの羽子板家が主催する晩餐会だと言うと急きょ来てくれることになった。


「君は何を考えているんだ?」


 僕はさくらに尋ねる。

 彼女のガラス玉みたいな目は、携帯の画面から僕に移る。


「早く岩手に帰りたい」


 それは僕とこれ以上会話をしたくないという遠回しの言い方なのか、あるいはただ僕の問いに真面目に答えただけなのか、ちょっとよくわからない。


「なんでこんなことをしたの?」


「仕事だから」


「仕事だからって、たまきを僕にくっ付けたり、今度は羽子板にくっ付けたりするのか」


「説明不足なのは悪いけど」


 彼女は僕の目の奥を見ながら言った。


「こうした方がいいと思う。今私、結構言葉を選んで言ってるから」


 そう言って、今度こそ携帯の画面に戻った。




 まぶしい夕日が庭に差し込むようになった頃、作業をしていた男たちは挨拶をして出て行った。

 庭には花と食器が設えられた三つのテーブルセット。物干しざおなんかはすっかり片付けられている。

 物置の近くに小型のワインセラーと、その隣に料理や鍋やなんかを一時的に置くための台がある。今は銀のお盆や皿が重ねられている。

 やれやれと言いながら、台所から女たちが現れる。

 その瞬間、とんでもなくいい食べ物の匂いが僕の鼻からお腹の底へ入って行った。その一瞬で筆舌に尽くしがたいほどの空腹に襲われた。


 なんだこれは。

 でも一瞬のことで、はっと思ったときには僕は正気に戻っていた。さくらを見ると、彼女もあっけにとられたような表情をして物欲しそうな感じで台所の方を見ている。

 でも僕らは正気になんて戻ってはいなかった。またじわじわ、やがてもう居ても立ってもいられないくらい身体の内側が悶えだして、鼻はさっき感じた香りを探している。


「ふん、完成だ」と鼻の穴にティッシュを突っ込んだ大家がさくらに言う。

 それで僕らもまずしっかりと鼻栓をして、みんなで手分けして料理を運んでいく。その間も庭は驚くほど静かで、鳥なんかも見ることができなかった。

 でも半分くらい作業が進んだ頃に、何度か地震のような微かな揺れを感じた。いや、地震というよりは船上のように、地面がずっと揺れているのだ。


「ええい! 静まれぃ!!!」


 大家が地面を踏みながらしながら叫ぶ。でも揺れは治まらない。彼女は大鍋の液体をお玉ですくって井戸の中へ入れる。

 するとたちまちそこだけが揺れ出し、それから静かになってしまった。


「草っこどもが」


 彼女は吐き捨て、時折同じことを何度か給仕に続けさせながら作業を続ける。

 そうやって僕らは食事をすべて外に出してしまい、でも依然羽子板と紅石は不在のままだった。


 開始20分前になって紅石が現れた。


 彼女は何度か鐘を鳴らし、でも僕が鳴ってるなと気づいたときには庭に回り込んでやってきていて、鼻栓をして作業する一同を困惑の目で見ていた。

 紅石は僕に真っ直ぐな厳しい目を向け、でも僕も彼女を見ると、すぐに視線を外して、同じような目でさやかを射る。

 そのさやかときたら、結城の膝の上に足を置いて、スルメを食べさせてもらっている。

 紅石はそのままさやかの方へ歩いていく。


「あんた、なにやってんの?」


 据わった目で紅石が言う。そういえば、彼女はさやかが僕の婚約者だと思っているんだった。

 結城もさやかも何が起こっているのかと、彼女を見上げている。

 紅石は続ける。


「あんた、婚約したんでしょ!」


「ああ」とさやか。


「じゃあなんで違う男とこんなことしてるの!」


「違うんだ」


 僕は言った。


「彼女じゃないんだ」


「どういうことよ」


「こい……じゃなくて、彼女は妹のさやかで、たまきは今台所で片づけをしている」


 それで結城が立ち上がる。「私がさやかさんの婚約者です」


 僕は結城とさやかを紹介する。「たまきもあとで紹介するから」


「お前も鼻栓つけろ」


 さやかは言う。


「なにこれ? 変なお祭り?」


「いや、この料理の匂いを嗅ぐと、なんだかものすごくお腹がすくから、食べるまではこうしているんだ」


へえと、彼女は言う。「私は結構。花粉症だし」


「花粉症ってなんだ」と、さやか。


 それらのやりとりでなんとなく紅石はさやかの正体に気づいたらしい。

 そのまま三人で話をしていた。


 彼女は真っ赤なドレスを着て、ハイヒールなんかもおしゃれで、キラキラと首飾りや指輪をはめ、髪もなんだか複雑なウェディングケーキみたいにセットしていた。

 こんな彼女一度も見たことがない。


 彼女の隣に料理人のハシカミさんが座る。彼はエプロンなどは取ってしまっていたから、ボーダーのTシャツとジーパンという姿で、最初は紅石もなんだか警戒していたが、気が合ったか、他に話し相手がいないか、徐々に打ち解けて会話をしているようだった。

 あとは半ば乗っ取るような形でこの晩餐会の主役になった羽子板の到着を待つばかりである。

 僕は紅石にたまきを紹介し、顔合わせだけは済ませた。一応大家が指定した晩餐会の時間を迎えた。


 丸テーブルの席には適当にみんなついていたが、さくらの指示で席替えが行われた。大家、ハシカミさん、さくら。次にフジコさん、結城、さやか。そうして僕、たまき、紅石、羽子板という席で割り当てられた。


 さくらに抗議しようとしたが、彼女はもうまったく僕を無視しているようだった。

 僕の話なんて聞きたくないというより、まあそれもあるかもしれないが、その頃には僕らはその料理に対する渇望はものすごいことになっていた。


 誰しもが無言で、ちょっと殺気立ってもいた。まるで何日もご飯をたべていないみたいに。


 開始から十分が過ぎた。


 でも羽子板の姿は一向に現れなかった。

 どこからか電話が鳴り、さくらがそれを取る。でもすぐにやり取りを終える。


「羽子板様は少し遅れるそうなので、このまま始めてくださいとのことです」


 言われたが早いか大家と給仕とハシカミさんが即座に席を立ち、手早くサラダが取り分けられ、シャンパンの栓が開かれる。


「高知県産聖護院カブとレンコンとズッキーニと柿のサラダ、肉の銀ソースハリケーン和え」


 もう僕は待ちきれなくて、サラダを口に運ぶ。うまい。うますぎる。給仕はカブとかレンコンとかハリケーンとか言っていたけど、そんなのは通りすぎた駅みたいにすでに過去の彼方だ。


 瞬く間にそれを食べてしまう。気づいたらもうないと言った感じだった。


「千年床キノコのマタタビ風味千本桜あえ。積乱雲圧雪地帯サバの味噌煮」


 僕には確かにそう聞こえたけど、聞き直すことなんてもうできない。息するよりも早く目の前の料理が食べたくて食べたくて仕方がない。

 頭の片隅では冷静に、自分はもうおかしくなっているのではなんて思っているのだけど、そう思いながらも箸を動かす手が止まらない。


 これもあっという間になくなってしまった。全員が無言だった。隣の料理も食べてしまいたいというような目で見ると、みんなもすでに食べ終わっていて、気のせいか同じような目で愛おしそうに隣の皿を見ている。


「田舎風都会ステーキ、大雪雪崩警報芋ケンピ、ほとばしりたけのこ黄金ソース」


 バナナの葉のようなものに包まれたステーキ。透明なソース。だけどもうなんというか、料理というより、それは良質なエネルギーそのものだ。


 僕の身体はそれらを食べるたびに、お湯のように柔らかくなっていく。足と大地が溶けあい、それから周りの存在をはっきり感じられる。そうして、周りがどんどんどんどん自分のような感じで一体化してくる。


 気のせいかテーブルの向こうで物音がする。僕はそれについては顔を上げて確かめなければならないような気がした。

でもできなかった。


「盆地肉まん。無風の京都の夏」


 ケーキワンホールくらいの中華まん。僕はそれに夢中でかぶりつく。一口食べると、もうさっきの気がかりのことなんて忘れてしまった。


 どんどんわけの分からない名前の料理は続く。


「海彦山彦満漢全席百景一皿」


 もうなんだか分からない料理。テリーヌ状だけど、とにかく色んなみじん切りが入っている。食べてもよく分からない。でも箸も考えも止まらない。手づかみで食べたいのを堪えるだけで精一杯。


「乾坤一擲ウズラの丸焼き、十戒滝割り宝探し」


 もうなんでもいい。

 僕はすぐその料理にかぶりつく。

 気のせいかカチャカチャという周囲のナイフと皿の音が、遠くから聞こえるみたいにくぐもっているけどもう気にしない。


「余った食材全部いれたカレー、闇鍋必殺仕事人」


 うん。カレーだ。ちゃんと名前も聞き取れた。


「春夏秋冬、日本一周パフェ、きのこたけのこプラチナソース」


 どんぶりにこれでもかというほど色々な果物が乗っている。

 でもそれを見てもひるむことなく僕はスプーンを手に取って、半ばかきこむように口の中に流し込む。

 幸福な甘み。


 食べているとき、炭酸入りの飲み物が脇に置かれる。

 飲んでみるとお酒で、ミントのカクテルだろう。一口、二口となんだか視界が、これまでの勢いと一緒にパッと晴れて、頭が涼やかで、目がぱっちり開けてくる。



 それでようやく僕には周りを見る余裕が生まれたのだけど、そこはもうなんだか鬱蒼とした藪の中で、僕の頭と同じ高さの長い草が生えていた。

 かろうじて左右のたまきと紅石のことは分かるけど、それ以外のテーブルについてはまったく見ることができなかった。


 二人も酒を飲んで正気に戻ったみたいで、僕の顔を見て、それから羽子板が座るはずだった空のテーブルを見る。


 結局来なかったのか。


 でもおかしい、その席には僕らと同じ料理の皿があって、綺麗に食べられている。

 ガサガサと草をかき分ける音がして、巨体の男が座ったのはそのときだ。


「羽子板」と、僕は言った。


 どうやら食べ物に夢中になっているときに、やって来ていたらしい。

 たまきも紅石もたぶん羽子板の存在に気づいたのは僕と同じなのだろう。


 でも彼の目は料理の方へ向けていて、シロクマみたいな大きな身体をこごめ、一生懸命ボウルに残ったフルーツソースを愛おしそうにスプーンですくっては口に運ぶということを繰り返していた。

 僕はまた彼の名前を呼ぶ。でも顔すらあげない。


 そう。いつになっても変わらない。

 羽子板と僕は幼稚園からの付き合いで、彼はその頃からずっとこんな感じの、特大サイズのクマのぬいぐるみがそのまま服着たみたいな大人しい男だった。


 彼がこんな生活になってしまったのは、よくは聞いていない。大学に入ってからのことはほとんど知らない。

でも今から一年前に僕の実家に、彼から手紙が来た。


 それによると、彼が今住んでいる近くで何度か僕の姿を見かけたから、もしその近くにいるのなら、家に来てくれないかというものだった。


 彼が書いた僕の風貌や見かけた場所によると、確かにそれは僕で、送ってきた彼の住所も、確かに僕が以前住んでいたところとすごく近くだった。


 手紙が送られてきた住所は、どこかのわけのわからないアパートの一階となっている。一応ネットで調べてみたが、どう見ても高級マンションという風には見えなかった。

 一応それで彼の家のことについても調べてはみたのだけれど、健在で、会社も日本を代表する大企業だった。


 僕は彼の家に行ってみた。

 すると、あのごみ屋敷があった。

 圧倒される僕に彼は、この中から炬燵を探してくれないかと言った。


「金ははずむ」


 それで僕は部屋を一つ一つ回って、二階の真ん中の部屋でついにそれを掘り当てた。


 彼はその間ずっと部屋に引きこもっていたのだけど、僕がそれを持っていくと黙って受け取り、代わりに額面の書かれていない小切手を渡してドアを閉めた。


 そう言うやり取りが何度か続いていて、その最後に僕はたまきを差し向けたわけだ。

 その頃のたまきはまだ人間の姿をしていなかったから、あの羽子板の部屋をひとつ掃除でもすれば、住まわせてもらえるかも知れないと、そういうことも思った。




「そう」


 と、彼は言った。いや、言ったのか?それは確かに羽子板の声だった。でも彼は今も僕らなんかには目もくれず、夢中で目の前の料理を口に運び続けている。


「俺は、生まれて初めて恋をした。お前には感謝している」


 今度は聞き間違いではない。でも、言った彼は食べ続けている。それに、なんというかその声は耳からではなく頭の中から直接響いてきた感じだった。


 僕らは彼のそばを離れ、自分の席で料理の続きを食べ始めた。そういう風にすれば彼の声がもっとよく聞こえる気がしたし、実際そうだった。


 そのとき気づいたのだけど、さっき僕が思った羽子板に関することは、同じテーブルにいる三人に共有されたということが分かった。

 なんでそういう実感があるのかは分からない。けど、僕には羽子板だけではなく、紅石もたまきも、そのとき思っていたことがなんとなく分かった。もちろん僕が思っていたことを、他の三人が知っていることも。


 羽子板がたまきに抱く恋心を例えるなら、アメリカかどこかの見渡す限りの大平原がみんな、いつでもいつまでもメラメラと燃え続けているような感じだった。

 僕は、そしておそらく僕らは、その彼が感じているのと同じ恋の感じを自分の身体で再現することができた。

 その気持ちになると、たまきが違う男(僕なんだが)と一緒に住んでいたとしてもまったく関係がなかったし、そのまま世界全部を焼き尽くしても、たまきを手に入れる気概しか持ち合わせていないようだった。彼にとってみればその火すべてがたまきなのだ。


 実際羽子板は、僕とたまきが結婚することを知ったと思う。でもその炎の揺れに動揺はなかった。あったとしても恋の炎の規模があまりにも巨大すぎ、本人にもちょっと分からないのではないか。


 一方で紅石の心に目を向けると、彼女はすごく傷ついていた。傷の深さが見えないくらいに。

 まず初めに飛び込んできたのは、彼女が僕のために一生懸命椅子を作ってくれていたということだった。

 なんというか、これはおそらくこういう状況でなければ絶対に明らかにならない類のことだったと思う。どうも紅石は、すでに僕と夫婦の関係でいるように思っているようだった。


 彼女が家を離れたのも、お客さんが多くて作業に没頭できず一人になりたいからで、僕に対して不満から出て行ったのではなく、むしろその逆で、ここを自分の帰るべき場所の一つだと思っていたから、安心して離れたようだった。


 でももちろん僕はそうは思っていなかったし、僕が彼女の傷を見たように、彼女も僕の傷を感じただろう。


 そしてたまきだ。


 彼女もまた、羽子板の思いに応えることができず、また一方で紅石から僕と、それから彼女の居場所を奪ったことにどう償っていいのか戸惑っているようだった。


 でももちろん、彼女はそれでも僕と一緒になりたいようだったし、それは僕も一緒だった。彼女にとってはそれはすごく自然なことで、なんとなくその自然さというのは僕にも心地が良かった。


 それで、僕らは同時にそういう気持ちを抱いていることを知った。


 デザートを食べ、コーヒーを出される。


 少しだけ現実に意識が戻ってきた感じがあった。


 誰も何も声を出さなかった。


 僕は何気なく相手の顔を見た。そのとき目をそらしたり、逆に合わせたり、微かに表情が変わったり。そんな仕草を今まで以上に自分のこととして分かることができた。

 もちろん全部まやかしということもあるのかも知れない。でも心の中に確信みたいなものがあった。


 晩餐会は終わった。感想も何もなかった。

 みんな黙って帰っていき、さくらとスタッフが後片付けをし、草を刈ったり、大家の指示で余った食べ物を井戸の中に投げ入れ、塀の何か所かに置いて行った。


 僕らは食べるだけで会話らしい会話は何もなかったし、食事が終ってからもほとんど挨拶もなく、呆けたような顔をして家を去って行った。


 そうして家には、僕とたまきが残された。


 僕らも何も言えなくて、さらに昨日からの疲れがどっと出たみたいで、シャワーを浴びてぐっすり眠ってしまった。


 次の日も、誰もやってこなかった。庭の様子も、十脚の椅子があること以外は何も変わったことはなかった。

 変わったことと言ったら、たまきが熱を出したということくらいで、その日はずっと彼女の看病に追われた。


 翌日になっても熱は引かず、僕は大家に一応連絡をして、彼女の様子を伝えてみた。


「大家さんがどこまで知っているか分かりませんが、彼女は元は人間ではないんです。何か心当たりがありますか」


「しらぬ」


 と、彼女は言った。


「丈夫な子じゃから、ほっといても治るじゃろう」


 大家からはそれだけだった。

 庭には、猫や虫や鼠や鳥といった見慣れたものから、今までたまきが話を聞いてやったおかしなものまで、色々なモノが様子を見にやってきた。


 結局僕は庭のカーテンを閉ざし、彼女に負担がかからないようにした。彼らは、思い思いの物を置いて帰って行った。



 三日後、たまきはまだ予断を許さない状況だったけど、そんな中、さやかと結城がやってきた。

 話によると、二人は無事結婚を認められ、結城に関してはイルカ財団に戻ることもできたとのことだった。

 さくらの部下になってしまうということだったけど。もっとも、彼女はもう少しで東北の方へ行くということだった。


 今日はさくらも来たかったんだけど、財団の仕事が忙しくて離れられないということだった。自分が飲んで聞いた栄養剤やら民間療法の本だのをどっさりよこしてくれた。


 羽子板は自分のアパートを掃除して、イルカ財団の運営に着手し始めたのだそうだ。

 二人の結婚を始めに認めてくれたのは彼だったということだった。


 次の日に紅石もやってきた。大人げなかったと言って、椅子を引き取りに来てくれた。

 僕も一応一脚を選んで、それからたまきの分も選んで金を払うと言うと、結婚祝いだと言ってそれをくれた。


 食事の席でのことは話さなかった。どう切り出していいか分からなかったし、まあそういうことは自分の中に留めておいた方がいいと思って。見られたくない部分も相当見たり、見られたりしたわけだし。


 彼女は寝込んでいるたまきの頭を撫ででそれからお大事にと言って帰って行った。


 五日後になってようやく容態が回復してきた。

 それで僕らは少しずつまとまった話をするようになった。


 多分、と彼女は言った。


「あのとき、色々な人の思いや感情に触れて、それだけでも大変だったのに、私の選択がみなさんの人生にとても大きく影響をもたらすことになるなんて、思ってもみないことでした」


 僕は黙ってうなづく。


「あなたのことが好きだという感情は、なんとなく私だけのものだって思っていたんです」


 彼女は僕に背を向ける。


「でも羽子板さんが私のことを考えてくれる思いの強さは、私と同じものでしたし、紅石さんのあなたへの思いは、多分私のものよりも深くて複雑なんだと思います」


 僕はやはりうなづく。


「でもそんなお二人が私たちを祝福してくれています」


 と、彼女は言う。


「これはすごいことです。なんでこんなことが起きたか、あなたには分かりますか?」


「たぶん、みんな君のことが好きだからだと思う」


 と僕は言った。

 その後で僕は彼女の髪を拭いてやり、新しいパジャマやシーツや枕カバーを出してやった。


 熱は下がったようだ。

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