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人間として生活し始めた草別三姉妹界隈  作者: 森の手


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7/8

料理をめぐる結婚 前編

 その日は時間的にも精神的にもとてつもなく長い一日だった。

 僕らは朝の3時に起きて、文字通り死ぬほどの目にあいながらたけのこ取りをした。

 それが終わるとすぐ、同居人のたまきと大家の3人で下処理に取りかかった。

 我々はフルコースの準備をしていた。

 2日前から大家がウチに来て仕込みをしていたのだ。にもかかわらず、10時ごろ彼女が市場から取り寄せた魚が届いた。それでさらなる下処理に追われ、すべてが終わったのがお昼過ぎというわけだ。

 もう僕らは、身体中に藁が詰め込まれたみたいにクタクタだった。

 できた料理は明日の昼、みんなで盛大に食べようということになった。


「あんたらには世話になった。お代はいらん。その代り、」


 大家はこちらに顔を近づけ、声のトーンを少し落とす。


「実はわしが個人的に料理を振る舞いたい客がおるんじゃ。夜にこの家を借りたいんだ」


 まあそれくらいならと、僕は返事をしようとする。すると彼女は素早く唇に人差し指をくっ付ける。


「もちろんただでとは言わん。あんたの名前で山の上の上ホテルを二日おさえといた。たまきと二人で楽しんで来い」


 とってもいい話だ。断る理由がない。僕は二つ返事でうなずいた。たまきだって、おそらく山の上の上なんてところに行くのは初めてだろう。これはいい労いになる。



 大家が帰ると、家の中には僕とたまきが残された。

 考えてみると二人きりになるのは結構久しぶりかも知れない。

 昨日彼女は岩手県から帰ってきたばかりだ。しかも長距離バスで。そして帰ったその日に休む間もなく二日間猫の素行調査を命じられた。今日は今日で相当忙しかった。疲れは相当溜まっているだろう。


 僕らは会話もそこそこにすぐに順番に風呂に入って、ご飯も食べずに七時には眠ってしまった。


 玄関だけ戸締りをして、縁側のガラス戸だけは開けておいた。たけのこ取りの最中にどこかへ行った二人の姉妹がいつ帰って来てもいいように。

 庭にはいまだに、たくさんの鳥獣昆虫、さらには植物で溢れかえっていた。僕らが作っている料理の匂いにつられて集まってきたのだ。まあ彼女たちなら問題なくそんなのを蹴散らしながら上がってこられるだろう。


 さやかとさくらが帰ってきたのは夜になってからのことだった。

 家の前に一台の車が止まったのをなんとなく僕は知ることができた。それですぐ起き上がって玄関の鍵を開けてやった。するとそこには二人の姉妹の他に、結城大海の姿があった。


「お疲れのところすいません」


 結城は、彼独特の高い声で言った。

 オールバックの髪のセットが乱れている。まあ無理もない。彼も朝からたけのこ取りをしていたのだから。その様子では、昼間に仮眠をとったというわけでもなさそうだ。

 彼はたけのこ取りの最中に逃げ出したさくらを追って、さやかと一緒に出て行ったのだ。


 なんだか立ち話では終わらない感じだった。僕は無言で彼らを部屋の中に招き入れた。

 結城は軽く会釈をして招きに応じる。

 居間に入ると、部屋には明かりが灯っていた。たまきが台所でお茶の用意をしてくれている。部屋の時計は22時を少し過ぎていた。

 やってきた三人は、並んで座った。結城が真ん中。彼の右にさくら、左にさやか。姉妹はなんだかやけに大人しい。不気味なくらいだ。

 まあさやかがこんな風に大人しくなるのは寝ているとき以外では、疲れて空腹で放置されるときだ。今がそうなのだろう。

 だが不思議なのはさくらだ。普通なら一目散に風呂場に向かって行くだろうに、不気味なほど静かにしている。

 僕は結城とテーブルを挟んで、軽く目を伏せる。普段なら、勢いよく喋り出すはずなのに。

 奇妙なことはもう一つある。姉妹二人の服装がとても派手なのだ。

 さやかは鶯色のひらひらとしたドレスを着ている。腕や指なんかには高そうな宝石がついたブレスレットや指輪をはめている。

 一方でさくらは高級そうなさくら色の和服姿だった。髪型も綺麗に結い上げられている。どこかの料亭の若女将みたいな感じで視線を定めず静かに座っていた。

 ほどなくたまきが人数分のお茶を運んできた。僕の斜め後ろに座る。

 話を切り出したのは結城だ。


「実は」と、彼はやはり甲高い声で言って、一瞬さやかに目配せをする。


「僕たち、結婚することになりました」


「それはおめでとうございます」


 と言ったのは、いつの間にか僕の隣にいたたまきだ。

 結城は続ける。


「はい。ありがとうございます。たまきさんのアドバイスのおかげです」


 さやかをよく見ると化粧をしている。結構念入りだ。眉毛なんかも完璧に整えられている。その夜のカナリアみたいな衣装はともかく、見違えるほど綺麗だ。


「まあ、そういうことだからよ」


 と、さやかが言う。


「うん、おめでとう。それで、なんでそんな恰好をしてるの?」


 僕は尋ねる。今から結婚式ってわけでもないだろうに。


「ああそれは、なんだか僕が嬉しくなっちゃって、お二人にプレゼントしたんです」


 だからこんなバラバラな格好をしているのか。

 だがなんだろう。おめでたいという割に三人の表情は浮かない。


「何があったんでしょう」


 たまきが尋ねる。

 三人は探り合うような目配せをする。そうして結城がこんなことを言う。


「実は、そのことを私の雇い主である幸二様にお話ししたところ、反対されてしまったのです」


「なんでまた」


「はい。私とさやかさんが結婚をするとします」


「ええ」


「すると今後さやかさんの姉である、たまきさんと幸二さまが結婚したとき、私と幸二さまが親戚になってしまうでしょう。必然的に」


 なんでたまきと羽子板が結婚することになるのかは分からなかったけど、僕はうなづいておく。


「それが羽子板家にとっては少しばかり都合が悪いようなのです」


 結城は羽子板家に代々仕える執事の息子だった。彼は今でこそ羽子板がつくったイルカ財団の仕事をしてはいるが、元々はそこの執事をしていた。

 そして確かに彼らの関係は、上司と部下というよりは、主従関係といった性格が強いだろう。そういうしきたりみたいな話がでてくるのも、まあ不思議ではない。


 結城は続ける。


「ですから私は、近いうちにこの仕事を辞めます。そして羽子板家とは縁を切って、さやかさんと人生の再スタートをするつもりでいるのです」


 彼の気持ちは分かる。羽子板家というのは大財閥だ。その彼らの反対に逆らうには、向こうの手の届かないところまで逃げる必要がある。

 でも、彼は一つ勘違いしている。

 僕はたまきを見る。


「君は羽子板幸二と結婚するつもりなの?」


「いいえ」と、穏やかに彼女が答える。


 僕は今一度結城を見る。


「ということだから、君は今の仕事を続けながら堂々とさやかと結婚すればいいよ」


 いいえと、結城はゆっくりと首を横に振る。


「申し訳ないのですが、あなたは幸二様の恐ろしさを分かっておいでではありません。ですからそんなことが言えるのです」


「どういう意味?」


「あの方は本気でたまきさんと結婚しようとしているのです。ありとあらゆる方法を用いて」


 まあ確かに、彼の言うことも一理ある。本来人間ではないたまきたちの戸籍を偽造したのはイルカ財団なのだ。その財団は羽子板の資金で動いている。

 彼が本当に強硬手段にでれば、書類上たまきと結婚するのなんて造作もないことだろう。


「今までの企ては、犯罪と人権侵害を理由に私がすべて水際でとどめていました。でもこのようなことになった以上、いつ第二第三の刺客が送り込まれるか分かりません」


 僕はさやかを見る。彼女は分かったような顔をして、ここまでの話を微動だにせず聞いている。

 多分これがダメになれば、うまいご飯も洋服もアクセサリーもありつけなくなるなんて思っているのではないか。

 反対側のさくらなんてもっと動機がはっきりしている。彼女はつい一昨日そのイルカ財団に雇われたばっかりなのだ。


「分かりました」


 と言ったのはたまきだった。


「では私が明日羽子板さんのところへ、結婚はできないとの旨を申し上げに行ってきます」


 確かにそれで円満解決だろう。羽子板だって、彼女が直接出向いて嫌だときっぱり断られたら、それ以上は何もできないはずだ。


「いえ、それはいけません。もしたまきさんがあの家へ行ってしまえば、多分二度と戻ってこられなくなるからです」


「どういう意味でしょう」


「彼はたまきさんのことを知りつくしています。今彼のアパートは再び大量のごみで埋め尽くされているのです」


 たまきが綺麗にしてからまだ一か月くらいしか経っていないというのに。

 結城は続ける。


「しかも幸二様は、それをワザとやっているのです。そんな場所にあなたが行けばどうなると思います?」


「もちろん片付けます。明日行って、結婚を断った上でお部屋を片付け、そのようなことももうしないよう約束させてきます」


 確かにたまきはそうするだろう。というか、もう明日行くことが決まってないか。


「でも残念ながらたまきさんの努力むなしく、片付けても片付けてもゴミは増え続ける一方でしょう」


「そんなことはさせません」


「もちろん一時的にはそういうことはできるかも知れません。でもあなたが帰ったあと、またすぐ同じことが繰り返されるとしたら?」


「それは、また行って新たに言い聞かせると思います」


「でも、幸二さまは止まりません」


「どうしてです?」


「あなたと結婚をしたいがためにやっているからです。もしこの問題を本当に解決したいのなら、あなたは幸二様と結婚をする以外に道はありません。そうしたら、たまきさんはどうされます?」


「もちろん、結婚します」


 躊躇なく彼女はそう言った。

 なるほど。正攻法には程遠いが、羽子板も羽子板なりに考えているようだ。


「それじゃだめじゃん」


 とさやか。


「でも、私は大丈夫です。とりあえず、明日行ってきますから」


 たまき以外の僕らは思わず顔を見合わせる。なんというか、このままでは本当にたまきと羽子板が結婚してしまうかも知れない。


「とりあえず、明日は料理のことがあるから、ちょっと日を改めよう」


 僕はそう提案する。「君だって食べたいって言ってたと思うけど」


 あの、と、突然結城がたまきに言う。


「ちょっとだけ、私から提案があるのですが」


「なんでしょう」


 彼は僕とたまきを交互に見る。


「実は今日はそれを申し上げに、お疲れのところ本当に申し訳なく思っているのですが、やってきたのです」


 そこまで言って、でも彼はしばらくモジモジしている。


「それで?」僕はうながす。


「本当に身勝手なお願いなのですが、お二人に結婚していただくというわけにはいかないでしょうか。そういうご予定はこれから先ないのかだけでもお伺いしたいのですが」


 僕たちは顔を見合わせる。

 確かに僕らが結婚したり、あるいは婚約しているというようなことになったら、これはさすがに羽子板もあきらめざるを得ないだろう。そうすれば、あとは自然と結城とさやかは結婚できる。さくらだって今の職に就ける。


 でもいきなりすぎる。

 黙っていると、結城が慌てて喋り始める。


「もしくは、そういうフリでもいいんです。それも少しの間だけ。その間に我々は届を出して、式も挙げてしまいます」


 まあそれくらいだったらいいだろう。要は結城とさやかの結婚を反対される理由がなくなればいいのだから。そもそも従者と親戚関係になることが嫌で、自分が好きな女性と結婚できないなんて、羽子板の考えの方がおかしいのだ。


 それでいい。


 と言おうと思ったとき、


「私は」


 たまきが僕を見ながら先に喋り始める。


「それでもかまいません」


 そう言って彼女は静かに立ち上がる。そのままみんなが見ている中、寝室へ行って襖をピシャリと閉めてしまう。


「ここで聞いていてもらえませんか」


 襖の奥からそうくぐもった声が聞こえてくる。


「ああ」と、僕は言う。


「なんだか私の胸が、なんて言えばいいんでしょう。引き潮みたいにどんどん干からびて行っているようなんです」


 と、彼女は言った。


「そう、結城さんが初めていらしたあのときから、私は変だったのです」


 僕らの目が結城に集まる。


「あのときさやかが突然やって来て、みんな彼女を気にしていたでしょう」


 僕は曖昧な声を漏らす。まあそう言われればそんな気もする。


「なんだかそれを見て、私はひどく気分を害してしまったようなのです」


 それについては、つい数日前、僕はオケラの才谷梅次郎と喧々諤々の議論をした。でもどうも僕らの辿り着いた答えは違っていたらしい。


「それは針で刺される程度の、決して我慢できないというような不快感ではありません。けれど私はその感情を抑えることができませんでした」


 うんと、僕は聞いているというようにそう言った。


「それについては、私はひどく混乱してしまいました。人間ってこうなのか、なんであれしきのことでこんなにも取り乱してしまうのか。だから、さくらのところへ行く道中、ちょっと一人で考えてみたかったのです」


 僕らは全員襖の方を向いて、固唾をのんで彼女の言葉を待っている。


「やはり、これは恋です」


 と、彼女は言った。なんだかどこかで聞いたことがあるセリフだけど。


「でも、さっき羽子板と結婚するとか言ってたと思うけど」


 と、僕は言う。すごく気になったので。


「でも、本当はしたくないんでしょ」


 と、後ろからそんな声が聞こえてきた。言ったのはさくらだ。


「はい。したくありません。でもあなたとならしてもいいです」


 みんながどうやら僕の言葉を待っているようだ。

 僕は立ち上がる。それから台所へ行って、水を一杯飲んで戻ってくる。


「分かった。とりあえず、羽子板には僕らが婚約したって伝えてくれ。そのことには僕は賛成だし、君もいいよね」


 はいと襖が答える。

 分かりましたと結城が言う。

 僕はチラリと襖を見る。


「結婚はちょっとだけ待ってくれ。僕の方でもちょっと身辺整理しなくちゃならないから」


「それは、前向きに考えてくれるということでいいのでしょうか?」


「たぶん」と、僕は言った。なんだか襖の向こうが、花が咲くみたいにパアっと明るくなった気がする。


 僕の携帯が鳴る。


「録音した」


 と、さくらがメールで伝えてきた。口で言え。


 羽子板の方には、結城が連絡を入れるということになった。それで三人は一緒に帰って行った。


 僕はたまきを部屋に残し、三人を見送る。彼らが帰ると、紅石さと子に連絡を入れることにした。


「はい、もしもし」


 何コール目かで彼女は電話に出た。僕は今度結婚をすることになったと告げる。


「ふうん」


 と、彼女は言った。


「それがあなたの返事ってわけね」


 声は冷たい川みたいに静かだった。感情が読み取れない。


「うん」と、僕は言う。


 でも電話は切れている。



 それから家に入って、紅石のことをたまきに話すことにした。


 紅石との付き合いは数か月前だった。仕事用の椅子を作ってもらうことになったのが始まりだ。

 そのころ僕はひどく腰を痛めていた。だから仕事を少しでも快適にするために、良い椅子を探していた。でもそんなものどうやって探せばいいのか分からない。藁にも縋る思いで色々な人に声をかけたのだが、その中の一人に彼女がいたのだ。色々雑貨屋工芸品などを作っているということだった。


 僕と会うなり彼女は、自分がその椅子を作ってやると言った。そしてその条件として、恋人同士になって一緒に暮らそうと提案された。

 結局僕はその条件をのみ、それで彼女は作業ができる比較的大きな庭があるこの家を見つけてきて、しばらくの間一緒に暮らした。


 でも間もなく彼女は居心地が悪いと言って家から出て行ったというわけだ。

 何の前触れもなく出て行ったときは正直とてもこたえたが、今となってはその気持ちはまあ分かる。それでも始めの頃はちょくちょく訪ねてはきた。でも最近ではそれもまったくなくなっていた。


 一方であれほど痛かった僕の腰は、ここで暮らしているうちに不思議と楽になり、いつの間にか痛みも感じなくなってしまった。


 と、そういう経緯を僕はたまきに話して聞かせた。


「そのうち言おうとは思ってたんだけど」


「いえ、ここにおいてくださいと言ったのは私ですから」


 と、彼女は少し落ち込んでいたが、それでも嬉しさを失わずにそう言った。

 それで僕らはようやく眠りの続きに入った。でも結局朝の4時に(いつものように)鍵を開けて入ってきた大家によって叩き起こされた。


「どういう了見だ!」


 と彼女は、茶の間で応対したたまきに向かってすごい剣幕で言った。

 襖越しに話は全部聞こえてきた。

 要約すると、今日の晩餐会(晩餐会を開くつもりのようだ)に招待した各国(各国らしい)の来賓たち全員が、今朝になっていきなりキャンセルをしてきたらしい。


 もちろん、この料理に並々ならぬ執念と時間をかけていた大家だったから、全キャンセルということもあって、その全員にすぐさま日付を変更する旨を伝えたのだが、結局誰一人として応えてくれる者はいなかったということだった。


「なあ、こらどうなってんだ!!! どうなってんだ!!!!!」


 彼女の興奮がさらに加速しそうになったところで、やれやれと僕も起き上がった。

 そのとき枕もとの携帯電話が鳴った。思わず取ると結城がかけてきたようだ。


「はい」と、僕は言った。


「たいへんなことをしでかしてしまいました」


 と彼は、いつも以上にひっくり返った声で言った。こっちもか。

 幸い僕が電話をしていることが分かって、襖の向こうの二人は静かになった。


 彼が言うには、どうも仕事をクビになったらしい。

 あの後すぐ、嬉しさも手伝ってか、彼に有らざるべき不用意さで、僕とたまきの婚約のことを羽子板に話してしまったそうなのだ。


 羽子板にとっては、彼の人生の中でもかなり優先順位の高い案件だったはずだ。

 その誘致に結城が失敗し、あまつさえその同じ口で自分の結婚を報告(しかも相手は意中の女性の妹だ。それに昨日あれからならだいぶ夜中のことだろう)を報告したというのだから、彼も相当興奮していたとしか言いようがない。


 ここからは色んな教訓が引き出せるように思う。小学校の国語とか道徳とかの教科書に載せてもいいくらいの見事な失敗譚である。

「はいっ、結城さんは、明るい日に直接羽子板さんに会って、様子を見ながらそういうことを伝えた方が良かったと思います!!」なんて授業で女の子が言うのだ。


 ということで彼はそのまま電話口でクビを言い渡された。


 死んだ電話を床に転がし、すっかり意気阻喪してうなだれる結城の横で、近くの一人用ソファでさやかとじゃれ合っていたさくらの携帯電話が鳴ったそうだ。


 話はすぐに済んだようだが、その一分もかかるかかからないかくらいの電話で、財団法人イルカの会の事務局長は二日前に入ったばかりの草別さくらになり、もちろんイルカ財団の全権限は結城から彼女に移され、と同時に羽子板とたまきを結婚させるという使命も仰せつかることになった。


 と、そこまで結城に説明したさくらは、即刻自分のホテルの部屋に戻り、それから朝になっても姿を見せず、連絡も一切つかなくなったという。


 つまり、第二の刺客というわけだ。


「何か、そちらで変わったことはありませんか?」


 ある。


 でもそれがどういう因果関係なのかは分からない。

 それで話すのを渋ったが、結局結城の圧に押されて、今大家の身に起こっていることを説明してやる。すると、隣の部屋でそれに聞き耳を立てていた大家がいきなり襖を全開に開け、僕から携帯電話を半ばひったくって結城とやり取りを始める。


 その会話のやり取りを何とはなしに聞いていると、目に見えて大家の方の歯切れが悪い。それはつまり、今までの経験上何か僕たちに言っていないことがあるということだ。


 結局結城の質問にほとんど答えることなく逃げるように電話を切って、僕に渡す。


「今からさやかと一緒に、こっちへ来ると」


 僕は電話を受け取っても、黙って大家を見ている。


「こればっかは口が裂けても言えねえだ」と、彼女は僕の気持ちを察して言った。


「つまり、晩餐会のことで僕らにまだ言っていないことがあるということですね?」


 でも彼女は返事をしなかった。


「その、今日ここに来られるお客さんを全部キャンセルさせたのは、さくらなのですか?」


 たまきが言った。


「ああ、んだ。いんや、あいづ一人では無理だ。おそらくは羽子板の財閥も絡んどる」


 と、大家は返す。


「どうしてさくらはそんなことをするのです?」


「それは、…いや、いえねぇ」


 そう言って彼女は台所へ行ってしまった。たまきが後を追ってすぐ戻ってきたが、どうやら大家はぶつぶつと独り言を言いながら、僕たちの朝食を作ってくれているらしかった。


 その後すぐ、僕らはさくらに電話やメールをしたが、連絡も返事も返ってはこなかった。


「大家は何を隠しているんだろう」


 彼女は右手を鼻の下に添え、考えながら喋る。


「わかりません。でも、さくらが羽子板さんから命令を受けて、すぐこんな行動を起こせたわけですから、私たちにもそれに辿り着く道はきっとあるはずです」


 なるほど。

 それで思い出したのはオケラの才谷梅次郎のことだ。昨日さくらは携帯でお酒を注文して、それを才谷が井戸を使って地下から届けに来てくれたのだ。

僕らが知らなくてさくらが知っていることというのは、このことくらいだろうか。

 確か『アーアーアー』とか、そんな変な名前だった。


 それを伝えると、たまきはおもむろに立ち上がって縁側のドアを開ける。庭はすっかり足の踏み場もないほど緑に覆われていた。木々の暗がりを見ると、何匹かの猫やら鼠やらが目を光らせていることが分かる。


 たまきが上がりに出ると、その真下からすぐに一匹のモグラが顔を出した。出産と子育てのため、昨日からこの家の地下に住み着くことになったモグラのフジコさんである。


「話は地下で全部聞かせてもらってたから」


 たまきが言うより早く、彼女は言った。困ったことに、なんだか配管やらの響きで僕らの会話はすべて地下にダダ漏れているらしいのだ。


「教えてください」と、たまきが言う。


「あなたの妹さんが、何をどうしてこんなことをしているのかってことかしら。それとも、『地下運送アーアーアー』のことかしら」


 まあうまく僕らの聞きたいことをまとめたものだ。


 どちらもですと、たまきは言う。


「見返りは? 地下運送のことはただで教えてあげてもいいけど」


「ミミズ十匹ではどうです」すかさずたまき。


「この家の地下運送のチカチカポイントは私のもの」


「それでいいですよ」


 フジコさんはフンとうなづく。交渉は成立したらしい。


「まず地下運送からだけど、これはあれよ。私たちみたいなモノたちの間での物々交換とか情報取引みたいなものよ。たぶんさくらも、人間になる前に知ったんじゃないかな」


 なるほど。


「それでさくらのことだけど、これは私の推測よ」


「それで構いません」


「多分この地下情報網を知っているくらいだから、今あんたたちが作っている料理の秘密のことも、彼女は知ってしまったんじゃないかって思うの」


 おそらくそれが大家が頑なに喋ろうとしない秘密なのだろう。


「つまりあの料理を食べると、みんな仲良くなってしまうってことなの」


 それは、どういう意味だろうか。

 フジコさんはもったいぶるように、次に話すまで長いタメを作る。その間に僕も縁側に出て、たまきと並んでフジコさんを見る。

 と、そのとき、彼女は何かに気づいたように「あっ」と言って、そのまま縁側の下の穴に潜って行ってしまった。

 でもちょっとしてから顔を出して、それから僕らにこう告げる。


「ごめん。悪いけど地下通信網全体にこの情報に対する情報制限がかかったわ」


「どういうことでしょう」


 身を乗り出してたまきが尋ねる。


「何者かが、この情報を高値で買ったの。みんなに大盤振る舞いをして口止めをしたってことよ」


 僕らは顔を見合わせて目でうなづき合う。きっとそんなことをするのは、いまや羽子板の経済力を背景に持つさくら以外には考えられない。

 フジコさんも、僕たちがその意味を理解したことを知ると、ごめんなさいと言ってまた地下に潜ってしまった。

 しかも異変はそれだけではない。周囲からガサガサ、ザワザワと音がして、庭一面に広がっていた葉っぱたちがズルズル井戸の中へ戻っていく。するとその下に隠れていた無数の虫や猫などが素早く逃げ、あっという間に元の僕らの庭に戻ってしまった。


 これはどういうことか。もちろんさくらの仕業に決まっている。そうして彼女は昨日たまきの本音を引き出した舌の根も乾かぬうちに、今度は彼女と羽子板をくっ付けようとする気らしい。


「はわぁ! なんっちゅことをっ!」


 後ろから声が聞こえた。

 朝食を運んできた大家が、庭の様子を見て、驚いたらしい。


「な、なんなんなんなん、何が起こってんだ!」


 たまきは素早く大家の前に膝を正して座る。


「お願いです、大家さん。教えてくれませんか」


「な、何をだ!」


「これをやっているのはさくらです。そして彼女は大家さんが作ろうとしている料理の秘密を知ったがためにこうしているようなのです」


「ふ、ふん、知らんもんは知らん!」


「ですがこのままですと、せっかく何日もかけて用意した料理が全部台無しになってしまいます!」


 それで二人の視線はしばらくぶつかり合う。


 でも先にそらして背を向けたのは大家だ。


「ふん、話せるものならとうに話しとる!」


 そうして家を出て行ってしまった。




「つまり、大家は今日あらかじめ呼ぶ予定でいた晩餐会のお客たちと仲良くなりたかった」


 というのが僕とたまきと結城が、フジコさんの話と大家の行動を元に導き出した結論である。さやかは布団の上で寝ている。


「あと、それから、『各国の』お客だと思います。正確には」


 と、たまきが付け加える。

 でも考えがそこにいたったあとは、それ以上進まない。


「さくらが地下の情報網で料理の秘密を知ったのなら、大家さんが呼んだ世界のお客たちのことはどうやって知ることができたんでしょうか?」


 たまきが結城に鋭い問いを投げる。確かに地下からでは世界には届かない。


「あの短期間で、そこまでの情報は結城さんでも集められるものなのでしょうか?」


「大家さんのことを調べるとしたら、まずはインターネットでしょうね」


 そう言って、彼は携帯電話を取り出し、大家の名前を打ち込んでみる。

 すると、SNS上に彼女の名前があるらしい。僕もすぐにそれを見てみると、確かにヒットはしたが、フォローもフォロワーも少ないし、親戚とか友だちみたいな者しかいない。発言もほとんどない。


「ああ、昨日のことが書いてありますね」


 と、結城。

 確かにそこには晩餐会を開くためにたくさんの準備をしている写真や、彼女がつけたコメントを読むことができる。

 それに対して、親戚や友達と思われる人たちが、おいしそうとか、なにができるんですかとか、そんなことを言っている。でも結局それだけだった。お手上げである。

 僕は携帯電話をテーブルに放り出してそのまま畳に寝転がる。


「私も見てもいいですか?」


 と、たまきが上からのぞき込むように尋ねる。いいよと僕は返事をする。

 彼女は隣の結城から使い方を教わりながら、画面をコツコツと鳴らしている。


「あ」


という声が聞こえたのは、それから間もなくだった。


「これをちょっと見て下さい」


 それで僕は起き上がって画面を見ると、それはトレンドの欄で『世界各国の富豪』というものだった。

 詳しく読んでみると、世界各国の富豪たちが三日前になんの前触れもなく来日することを告げ、だが今日になってその全員がキャンセルをしたというのだ。

 確かに大家の言ったこととこのことは符合はする。でもいくらなんでもあまりにも偶然だし、ことが大きすぎる。


「一応メンバーは、石油王やIT会社とかバラバラで、国籍もインドや中東、それからロシアに中国なんかが多いですね」


「つまり三日前にもこんな記事になったのかも知れませんね」


 まあ日にちを考えれば、さくらが携帯電話を買った日と重なりはする。だからって、どうやって大家と彼らを結び付けられるというのか。


「つまり、彼らを料理に誘い出したのが大家で、さくらはその料理のことで何らかのことをして、彼らの興味を失わせた」


 僕が疑っている間に、二人の話はどんどん進んでいる。

 たまきが立ち上がる。「ちょっと電話をかけてもいいですか?」


「誰に?」


 でもそれには答えず、はいとだけ言って、彼女は僕の電話を持って外へ出て行ってしまった。

 でも彼女はそれから30分くらい帰らず、心配した結城が僕の電話にかけたが、それにも出てくれない。

 どうしたんだろうなどと話していると、背後の襖がスーッと開いてさやかが顔をのぞかせる。

また何かよこせとでも言うんだろうと思っていると、彼女はじっと通路の方を見ている。



 リンゴーン



 実にタイミングよく鐘が鳴った。お客のようだ。

 玄関のドアを開ける。そこには腕を組んで赤い服を着た紅石さと子が立っていた。

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