八、難解な事件
「長蛇陣形! 全体、進め!」
残暑である。
昨夜、そろそろ寒くなりそうだと判断した俺は、二枚の毛布で身体を包み、幸せな気持ちで眠りについた。そして今朝、あまりの暑さに飛び起きると、シーツが背中に貼り付くほどの汗をかいていたのだ。
その事もあってか、全体訓練半ばだというのに体力は残り少ない。
「全体、止まれ! 雁行陣形! 全体、進め!」
気温は朝から上昇を続け、正午前の現在、王城前中央広場は真夏とほぼ変わらない暑さになっている。
日差しがじりじりと胸鎧の表面を焼いており、ブーツの中には水溜まりができていた。
いつも裸で寮を闊歩しているあの騎士は、胸に火傷を負ってすでに治療を受けている。直接、素肌に金属鎧を身に着けたのだ。馬鹿の所業である。
「全体、止まれ! 横陣! 全体、気を付け!」
そんな悪夢の様相を呈する中、俺達騎士団員は行進訓練中であった。
中央広場から大通りを進み南区鐘楼前広場へ、鐘楼到着直後に反転、復路を進んで再び中央広場へ戻ってきたところだ。
「全体、休め! 今から休憩に入る。正午の鐘が鳴るまでに中央広場へ戻れ! 解散!」
騎士団長の号令がかかると、団員達が中央広場の外周へ退散する。中央広場の外周には芝生と街路樹が整備されており、わずかながら木陰があるためだ。
木陰からあぶれた者は王城へ向かったようである。
「ふう……、ユーカ大丈夫か?」
「はい。まだまだいけますよ。あっ、昼食を持ってきますね」
ユーカは涼しい顔で、配給されている昼食を取りに走っていった。一体どれだけ体力があるというのか。
芝生に腰を下しながらユーカを目で追っていくと、広場の奥、天幕の下に指揮官達が集合して何事か相談している。
指揮官達もこの暑さまでは予想できていなかったようだな。それでも尚、脱落者が出なかったのは普段の訓練の賜物である、と団長閣下ならおっしゃるだろう。うむ。
「あのう、調査隊のリートさんですよね?」
不意に声を掛けられ顔を上げると、三十台中頃といった男が配給食を片手に立っていた。着ている鎧は正騎士隊のものだ。細面で均整のとれた体躯、耳にかかる程度の短い茶髪、目の細いさっぱりとした印象の男である。
おっとまずい、襟に付いているのは部隊長の徽章だ。
「はっ、万象調査隊所属、リートであります」
「ああ、立たなくてもいいです。座ってください」
俺が所属している万象調査隊は、正騎士隊の中の一部隊だ。
正騎士隊では上位から順に正騎士隊長、管区長、部隊長、騎士と階級が続く。つまり、調査隊隊長ランジャックと同階級の上司である。
「正騎士隊第二部隊所属、隊長のツィーゼです。よろしくお願いします」
「失礼ながら具申いたします。部下への言葉遣いがよろしくないかと」
「ああ、どうもすみません。隊長になったばかりで、どうも振る舞いに慣れていなくて」
正騎士隊の第二といえば、殺人、強盗、誘拐、放火などの犯罪を取り締まる部隊である。第二の隊長ってことは生え抜きのエリートだ。
ツィーゼ隊長は俺が座る芝生の横へ、軽々とした身のこなしで腰を下した。
「ええと、騎士団長に相談したら君を紹介してくれてね。少し話を聞いてもらえるかな」
「はい。任務でしょうか」
「任務といえば……任務になるのかな。相談といった方がいいかな?」
どうも歯切れの悪い言い方だ。はっきり物言いができない人物は上司として二流である。あまり指揮に向かない性格なのだろうか。
しかし、立場が人格を作る、という言葉もある。今後に期待だな。
「まあ、とりあえず聞いてほしい。この間ちょっと不可解な事件があったんだ」
四日ほど前、王都南区の歓楽街で遺体が発見された。被害者はシアヌという名のニ十台前半の女。シアヌは娼婦をしており、ある日の仕事中、縄で首をしめられ窒息死。遺体はシアヌが普段使っていた定宿の一室で発見されている。第一発見者は宿の主人。何日も続く雨漏りの修理をするため部屋に入り、遺体を見付けた。遺体は死亡からおよそ一日経っている。遺体発見時、騎士団は事件の捜査をしていた。
「“していた”、ですか?」
「うん。その時、すでに犯人は自首している。自供を元に遺体を捜索していたんだ」
「犯人はどんな人物ですか?」
「歓楽街のそばに住んでいる荷運び人の男で、名はルケ。客として女を買った。行為中に女からせがまれて首をしめたんだそうだ。実際、女にはその性癖があったようでね、他の客の証言もある」
事件というか事故だな。
そういった噂話は聞いたことがある。窒息すると行為の快楽が増す、という噂だ。
俺自身は試したことがないので、本当かどうかわからない。試す気もない。
「不可解なこと、というのは何ですか?」
「ここからは男の自供内容なんだけど、男は女を殺した後、焦って逃げた。ところが自宅へ戻ると、寝台に女の死体があるという」
ん? 殺人現場から男の自宅へ死体が移動したということか?
「死体が発見されたのは女の定宿ですよね?」
「そう。話を続けるよ。男は自宅の寝台にあった死体を運び出して、南の街道沿いにある林の中に埋めた」
死体を隠すにしてはずいぶんと中途半端な場所である。街道からもっと離れた場所へ運べば、その分発見は遅れるはずだ。
「翌日、男が自宅で目覚めると、埋めたはずの女の死体が隣に寝ていた。男はいよいよ恐ろしくなって自首した、というわけさ」
「男の自宅に死体の痕跡は残されていたんですか?」
「いいや、何も残っていなかった。林にも地面を掘り起こした形跡はなかった。女の死体は始めからずっと宿の一室にあったんだ」
話を聞く限り、犯人の男が記憶の混乱を起こした可能性が高い。
人を殺した衝撃で錯乱し、ありもしない事実を心の中で作り上げたというわけだ。
「男の精神がおかしくなったのではないですか?」
「そうだと思うんだけどね……。実はもっと不可解なことがあって」
「なんでしょう?」
「事件が起きたその日、男は自宅から一歩も外へ出ていないんだ」




