老練占い師と初心
王都東区の街壁は、東区の中心から南北地区の環状通りまで弓なりに築かれており、大人の背丈でおよそ四人分の高さがある。出入り門は五箇所あり、大通りの門上で見張り台の低い塔が存在を主張している。
三十年ほど前までは出入り門に大きな木扉が設置されていたらしいのだが、通行の邪魔になるとのことで鉄製の引き戸に付け替えられた。そのせいで冬場になると戸車が凍って閉まらなくなるというのだから、お粗末なものである。
「エグバジルさんが住んでいるのはここだな」
「お会いしたことはあるんですか?」
「いや、初めてだ」
目の前には漆喰で白く輝く二階建ての細い家屋が、王城側の街壁へ寄り添うように建てられていた。隣家との隙間には小さな庭があり、色とりどりの花が植えられている。なるほど、上手い具合に陽が当たるよう設計されているのか。
「ユーカ、身だしなみはどうだ」
「よし」
「手土産」
「よし」
「行くぞ」
「はい」
ノックノック。即座に「ごめんください」とユーカの通る声が狭い路地に反響した。
扉を開け、出てきたのはふくよかな体型の中年女性だ。上品で優しそうな笑顔が人好きのする性格を思わせる。
「こちらはエグバジルさんのお宅でよろしいでしょうか」
「ええそうです。夫に何か御用ですか?」
「衛兵騎士団から参りました。エグバジルさんにお話を伺えないかと思いまして」
「あらあら、そうなの。ちょっと待っててね」
あんたーお客さんだよー、と家の奥へ呼びかける奥さんの声に、あいよっ、と答える軽妙で力強い声が返ってきた。何か想像と違うな。王室付き占い師ってもっとこう、物静かで理知的な人物がやるものじゃないのか。
家の奥から床板を踏み抜く勢いでこちらへ来たのは、筋骨隆々という表現が良く似合う、隠居した老人とは思えない偉丈夫であった。誰だ。
「初めまして、万象調査隊のリートといいます。こっちはユーカ。お話を聞かせて頂こうと訪ねてまいりました」
「おうおう調査隊か、よく来たな。俺がエグバジルだ。ほれ、遠慮するな。二人ともあがれ」
「し、失礼します」
戸口を潜ると土間に大きな暖炉があり、様々な種類の花や蔓植物が室内を色鮮やかに飾っていた。家具にも明るい色の塗料が塗られ、洒落た社交場のようにも見える。
ユーカが驚いたそぶりを見せ、感心したように呟いた。
「とっても素敵なお部屋ですね……」
「すごいだろ。隠居してから暇でよ、カカアに命令されて花ばかり作っとるんだわ」
「あんたが好きでやってるんでしょ」
「わっはっは」
想像とは違ったが、気難しい性格の人物ではなくて良かったと安堵した。こういう人だからこそ、王室付き占い師を任せられたのかもしれない。
「俺達は今、伝染する神秘の調査をしています。幽霊の噂話なんですが」
「お、神秘の調査か。いいな、久しぶりにわくわくするぞ」
「無意識に話してしまうという内容のない噂話で、噂を聞いた人物は話した人物のことを聞いたそばから忘れる、という神秘なんです」
「そりゃすげえ、意識を操る神秘か。催眠だな」
催眠? 記憶を失う神秘現象じゃないのか?
「神秘現象ってなぁ間違いねえが、催眠に分類される神秘だ。頭に怪我したり年食ってボケない限り、人の記憶ってなぁそんな簡単に失くさねえ。いくら神秘の力でも聞いたそばから忘れるなんてこたぁ、ありえねえんだ。潜在意識に記憶は残るが、顕在意識がそれを上手いこと引き出せねえっていう理屈じゃねえかな」
「話を聞く前に相手の身体へ触れると忘れない、という対処法があります」
「変性意識の条件を外れるからそうなるんだ。相手に触れた、という記憶が邪魔して催眠にかからねえ。おそらく触れる相手は誰でもいい。その日の内に誰かに触れた、っつう記憶が大事なんだ」
前言撤回。
物静かではないがサーラ先輩以上に理知的だ。これだけ博識な人物がどうして元気な内に引退したんだろう。
そして俺は話を聞いて勘違いをしていたことに気付いた。ランジャック隊長の実験では情報源に触れることで記憶を失わないと判断したが、そうではない。仮にアンルカさん、ユーカの順で二度目の実験を行っていれば、隊長はどちらの情報源も忘れなかった。
「噂を流した人物に心当たりはありませんか?」
「そうだなあ、意図的に意識の状態を操るなら催眠術師だが……たぶん違うな。催眠の専門家なら、誰かに触れるだけで無効になるような穴を作るヘマはしねえ」
エグバジルは輝く頭頂部を皺の深い手で撫でた後、ぺち、と音を鳴らして叩いた。
「霊術師だ。霊術師を探せ。あれは催眠術に関しちゃ素人だが、人の意識の専門家だ」
「……あの、もう一度倉庫の番人に戻る気はありませんか? エグバジルさんならまだ現役でいけますよ」
問いかけると一瞬だけ困ったような、はにかんだような顔を見せて、すぐに満面の笑顔を俺へ向けた。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。だが、もうサーラに席を譲ったからな。戻らねえよ。俺ぁ、花育てながらたまにこうやって相談されるくれえがちょうどいいんだ。それに、お前達若えもんの中に爺がいたら一日中説教するぞ。わっはっは」
「どうもありがとうございました」
「またいつでもこいや。今度はサーラも連れて遊びにこい」
俺達はエグバジル夫妻に最大限の礼をして、花に溢れた暖かい家を後にした。ここへ来るまでは調査隊の先輩に会う緊張感があったのに、今は離れるのが名残惜しい。
「雰囲気の良い夫婦だったな」
「話し方が祖父にそっくりで『おじいちゃん』って言いそうになりました」
来て良かった。今回の件について助言をもらえたのも嬉しかったが、それ以上の収穫があった。
「あー、ユーカ。ありがとな」
「どうしたんですか」
「ユーカに言われなかったら、ここへ来ていなかったと思ってな」
「ふふっ、どうしたしまして」
過去にいくつもの難事件を解決した老練な占い師は、引退した今でも神秘話を聞くとわくわくすると言った。そうして俺はエグバジルと話しながら、不思議な道具や、世界の謎に触れて、心から楽しんでいた若い頃をありありと思い出していた。
いくら焦っても、いくら悩んでも、俺達が動かない限り問題は解決しないのだ。
どうせ仕事をすることになるのなら楽しい方が良い。困ったらその時はその時である。隊長に「開き直るな」と叱られそうだけどな。
「さて、王城へ向かうか、それとも霊術師を探すか、どうする?」
「王城へ向かった方がいいと思います。せっかく隊長から許可証を貸していただいたのですから資料を集めましょう」
「……馬車?」
「徒歩です」
ユーカが元気良く歩き出すと、俺が腕を組んだまま後についていく。
もしかして俺、尻に敷かれてないか。先輩がこんな体たらくで良いのか。いいや、良くない。ここは先輩としてびしっと上下関係を教え込むべきだ。しかし俺の方から「どうする」と聞いた手前、俺の言による責任が――
「おや、リートとユーカちゃんだ」
顔を上げると、アトリの手を引いたサーラ先輩が馬車から降りてきた。
先輩の方は相変わらず黒い薄手のローブを身に纏っているが、アトリは髪をまとめ、乳白色のドレスで着飾っている。綺麗な格好をすると人形みたいだな。
「こんな所でどうしたんですか。出張中と聞いていますが」
「うん、王城へ帰る途中だよ。先王陛下の妃様がアトリに会いたいとおっしゃってね、別荘でご挨拶をしてきたんだ。二人はどうしたの?」
「エグバジルさんにお会いしてきました。これから王城で資料集めです」
「リート! ヘイ! ヘイ、リート! パス!」
アトリは一体、何をやっているのか。
「守衛隊と球遊びをしたら、はまっちゃってね」
ほう、元気で何よりだ。これなら大丈夫そうだな。
走ってきたアトリがそのままの勢いで俺の胸へ収まると、顔を上げて口を開く。
「二人とも王城へ行くんじゃろう? 道を同じくしようではないか」
「ああ、ちょうどいいな。サーラ先輩とアトリにも助言をもらおう」
「わかった。御者さーん! 先に帰っててー!」
馬車の前から顔を覗かせた御者の男は、はいよ、と言って去っていく。
あれ!? 俺達も馬車に乗る流れじゃないのか!?
「サーラさん、この先のお店でさくらんぼのトルテが食べられるそうですよ」
「それはいいね。みんなで遅い昼食といこうか」
あれえ?




