第八話 隠された真実
第八話 隠された真実
≪ヴェリオス≫
崩れ落ちたアシュリーを抱き抱え、俺はゆっくりと彼を床に横たえた。
剣術のたしなみはあるようだが、思ったよりも線が細く、体も柔らかかった。
領主として直接手を汚す機会はこれからそれほどあるとも思えないが、それにしても、この程度で気絶するなどとは男としての胆力が足りない。
(少々見誤ったか……)
多少は気丈な青年かと思ったが、所詮は見目と同じく、中身も華奢であったということだろうか。
そこへようやく、騒ぎを聞きつけた女官が部屋へと駆け込んできた。
周囲の死体を見て一瞬怯んだが、アシュリーを見た瞬間、真っ青になりながらも駆け寄ってくる。
「姫様……!」
それは小さな悲鳴のような声だった。
近くにいなければ、聞こえていなかっただろう。
(この女……。姫様と言ったか……?)
女官は蒼ざめたまま、ハッとしたように口を横に結び、アシュリーの脈をとっている。
女官が心音を聞こうと寄せたアシュリーの胸は、細い体躯のわりに、少し膨らんでいた。
節のない、細い指先。
そして、鍛錬している者とは思えないほど、柔らかい体の感触。
(まさか……)
俺はその時、初めて合点が言った。
アシュリーが女であるということに。
おそらく、領主に双子の子などおらず、後継者争いを先延ばしにするために、双子の兄という架空の人物を作り出したのであろう。
それは衝撃的なことではあったが、想像に難い話ではない。
(酷なことだ……)
美しい彼女の顔を見ていると同情したくなるが、今の状況は俺にとっても良くはない。
おそらくこのことは、極秘事項であろう。
知ってはならぬことを知ってしまった者の末路は知れている。
俺はふらつく足に力をこめ、立ち上がった。
「……気を失っているだけだ。じきに気がつく。――俺はこれで失礼する」
早口でそう言うと、女官はきりりと俺をにらんだ。
「秘密を知ったからには、生かして帰せません」
やはりそう来たか。
「衛士!この者を捕まえよ!!」
女官が声を張り上げると、武装した衛士が次々と姿を現した。
「ほう……。この国では、客に向かって手を上げるのが礼儀か。ずいぶんと噂とは違うようだな」
「貴方は秘密を知ってしまいました。こればかりは見過ごすわけにはいきません」
「別に知りたかったわけではない。そちらが勝手にしゃべったことだと思ったが? 人のせいにされては困る」
俺は、人を食ったような口調でそう言った。
「……関係ありません。捕まえなさい!!」
「悪いがこのようなことで捕まるつもりはない。こちらも手加減せぬが、良いかな?」
俺は腰を落とし、居合の構えをとる。
じりじりと囲む輪を狭める衛士。
緊迫感のあるにらみ合いが続く。
ここで無理に突破しようとすれば、最低でも数名は斬り倒さなければならぬ。
峰うちなど、本気のやり取りの前で、できる技ではない。
それは、結果的にここを抜け出せたところで領内に指名手配されることを意味していた。
(面倒なことになったな……)
アシュリー……、いや、アリーシャと言うべきか。
彼女の秘密を望んで知ったわけではない。
同情こそすれ、それを利用するつもりなど毛頭ないが、そんな言い訳など、彼らには通用しないだろう。
そこへ、ふらりと一人の男が姿を現した。
「やめておけ。お前ら程度の腕じゃ、全員討死が関の山だ。俺が代わろう」
男はさりげない調子でそう言うと、輪の中に入ってくる。
背が高く、いかにも女受けしそうな男前。
口調も態度も漂々としており、こんな品のある邸宅よりは、酒場の方が似合いそうな男だ。
しかし、それは表面上だけのこと。
その足運びや所作からして、油断ならぬ強者の匂いがした。
「ダルス様が出るほどの者ではありません。ただの浪人ですぞ」
憤慨した衛士の一人が言う。
他の衛士にも、不満の色がありありと見えた。
「ほう……? お前らは千突のヴェリオスに勝てるほどの腕前だったのか。それは知らなかったな」
ダルスと呼ばれた男は、わざととぼけた風な顔をしてから、にやにやと笑みを浮かべた。
衛士たちは今さらのように俺の正体に気づき、刀を持つ手が震え、俺に向けた切っ先が定まらなくなった。
「さあ、やれよ。俺は止めねーぞ」
ダルスはさも愉快そうに衛士たちをはやしたが、当の衛士たちは俺の正体を知った途端、すっかり尻込みしてしまった。
「ちっ……! ちったぁ根性見せろや。だからいつまでたっても衛士止まりなんだよ」
興醒めしたように言うダルスの言動のどこまでが本心で、どこまでが冗談なのか。
けしかけて高みの見物と決め込もうという腹ならば、何とも性格の悪い男だ。
「ダルス様、お願いします……」
「最初からそう言え。情けねぇ奴らだ」
ダルスは俺の方に向くと一転、真剣な表情を浮かべた。
「拙者は、ダルスと申す者。ここでしがない護衛頭など務めております。中央でも名高きヴェリオス殿、このようなところでお会いできたのも何かの縁でありましょう。ぜひ、勝負願いたい」
絡みつく視線。
「俺がヴェリオスと知った上で、なぜ戦いたい?」
「武人とは強いものと戦い続けるもの。戦う理由まで揃っている今、それを袖にする者は、武人ではないかと」
俺は考えるように顎を撫でる。
先ほどまでの苛烈な戦いの後に、このいかにも一癖ありそうな男と戦うのは荷が重い。
どうにか戦いを回避できないか。
「千突の名も、噂程でないと考えた事は?」
「その時はその時。残念に思うだけの事ですな」
そう言って、ダルスは目を細める。
「しかし、拙者もアシュリー様と共に見てしまった。山賊風の男と貴殿が死力を尽くして戦う様をね。あれを見ていなければ、こうも必死に願いはしなかったでしょうな」
やはりあの戦いで、こちらの正体がばれていたのか。
ならば、こちらの手の内も見られていると考えるべきか。
しかも、どうやらここではこの男と戦うしか道はなさそうだ。
そう易々と道を開けてくれるようには思えぬ。
「貴殿は勝負を通して役務で俺を捕まえる。俺はこの勝負を通して益するところが見当たらぬが?」
俺が言うと、ダルスはニヤリと笑う。
「拙者に勝てば、道を開けよう」
言葉の意味を察して金切り声で抗議する女官を、ダルスは完全に無視する。
「良かろう。……その勝負、乗った」
「そう来なくては」
ダルスは、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。