第二十六話「総てを止めし石化の双眸」・3
数日後。とうとう最後の子供である長男長女が死んだ。
《ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!》
エールは凄まじい怒りと九人もいた子供達を一年足らずの内に全員喪った事、その一人も助ける事の出来なかった己の無力さに絶望した。荒れ狂い、堪らず周囲の物に当たり散らした。
そして、振るった腕が、たまたま花を活けてあった花瓶に当たって割れた。
《……ぁ》
花瓶で手が切れた事などどうでもよかった。それよりも、信じがたい衝撃の光景を目にして、絶句して言葉を失った。
こんなにも、近くに……原因は、あったのだ。
エールの視線の先には、割れた花瓶から飛び出した例の花が落ちていた。それも、花瓶で手を切った際に飛び散ったエールの鮮血に塗れて。
だが、問題はそこではない。花弁の色が赤黒く変色し、熱を発し始めたのだ。
《そういう、事だったのね……》
エールは震える手でぎゅと拳を握り、身体をワナワナと震わせると、歯をギリと噛み締め、何かを手にして庭に飛び出した。
そして、目の前に咲き誇る花々の前に立つと、丸底フラスコに入った薬液をこれでもかと振りまいた。それから、マッチを擦って花畑に向かって放った。
瞬間、一気に火柱が舞いあがった。その異変を察知したのだろう。愛する夫が慌てた様子でやってきた。
《だ、大丈夫か! ど、どうしたんだ、これは……火事!? い、いけない、すぐに消さないと!》
《やめてっ!》
急ぎ消火活動に入ろうとする夫を制するように、エールは叫んだ。
《ッ!? ど、どうして……この花は、君が好きな……》
《好きなんかじゃないわ! こんな花……二度と見たくもないっ!》
目に大粒の涙を浮かべ、エールは声を張り上げる。
《い、一体どうしたんだ……》
どうしてこんなにも取り乱しているのか、いまいち理解出来ない夫は、必死に理由を知ろうと努めた。
と、エールが忌々し気に燃え盛る花を指さした。
《こいつが、この花が全ての元凶だったのよっ!》
《こ、この花が!?》
驚きに目を丸くする夫。それもそうだろう、まさか病気の元凶がすぐ近くに潜んでいたとは思ってもみなかったのだ。
エールは続ける。
《この花の花粉が悪さをしていたの。この花粉は、生き物の体液に反応して熱を発し、ある程度の熱にまで達した所で爆裂と同時に花粉を飛ばすのよ。そうして、近くにいる生き物の体内に入ってまた同じ事を繰り返すの。この植物は、花粉を昆虫ではなく、動物に運ばせて子孫を残すクソ花だったのよ!》
《お、落ち着いてくれ……確かにこの花が原因だというのは合点がいく。この花を我が家に持ち込むようになった時期と一番初めに病に罹った時期を計算すれば、辻褄があう》
《アタシのせいだわ……アタシが、アタシがこんな悪魔のような花に魅入られなければ……》
凄まじい責任の重圧を感じ、エールは歯をガチガチと鳴らして頭を抱えその場に蹲った。
そんな彼女に優しく寄り添うように、夫が腰を下ろす。
《君だけのせいじゃない、僕だって何も知らずにこの花を活けていたんだ。そうだと知っていれば、こんな事には……ゴホゴホッ!》
と、突如夫が激しく咳き込んだ。そこで、エールは思い出す。数日前、夫がくしゃみをしていた事を。そう、あれは前兆だったのだ。あの悪魔の花が花粉を部屋中に飛散していた証拠だったのだ。
あそこで夫は花粉を体内に吸引し、感染してしまった。きっと、このままでは遅かれ早かれ子供達と同じ末路を辿ってしまう。もしそうなれば、最終的にエールは独りぼっちになってしまうだろう。
エールは焦燥感に駆られ、急ぎ夫に肩を貸して部屋へと運び込んだ。
それから、大慌てで資料を漁った。原因が花粉にあると分かれば、後はその花粉を体内から除去する方法が分かればいい。そのためにも、花粉を分解する治療薬を作ることにした。
《……あった、これだわ!》
薬学書を捲る中で、ようやく見つけ出した最後の希望。花粉分解液。その必要材料に視線を這わせていき、エールは浮かない表情になった。
《……ダメだわ、材料が足りない。……この毒蛇……こいつさえ見つかれば、なんとかなるかもしれないのに!》
エールは悔しさに頭を掻きむしり、唸り声をあげた。すると、近場のベッドに寝かせていた夫が、その妻の声にうなされてか、目を醒まして口を開いた。
《うっく、どうか……したのかい?》
弱弱しい声で、夫が声をかけてくれる。エールはさっと振り返り、夫の下へ駆け寄った。
《無理しないで、寝ていて頂戴》
《そうも、いかないよ……それに、君だって無理をしているじゃないか。もう何日も寝ていないんだろう?》
《平気よ、これくらい。アナタ達の苦しさに比べたら……》
《はぁ、はぁ……君は本当に優しいね……ところで、何を探しているんだい?》
《これなのだけれど……》
《そ、その蛇は……このキキルニスタクト王国領に生息する毒蛇だね》
《え!?》
夫の口から飛び出た衝撃の情報。よもや、目的の毒蛇がこの地に住んでいる生き物だとは思ってもみなかった。
《だけど……気を付けてね。っはぁ、はぁ、やつらの毒は相当厄介だ。……ひとたび噛まれれば、あっという間に毒が全身に巡り……数分ともたずに死んでしまう猛毒の持ち主だ。ぅう、特に体調が悪い人間には毒の巡りが早いらしいから、気を付けてくれ……》
《分かったわ》
夫の忠告をしっかりと記憶に留め、準備を整えたエールは翌日毒蛇採取に出立した。
リーヒュベスト帝国領内に建国された小七カ国の一つであるキキルニスタクト王国。リリルロラストス王家が治めるこの小国は森も多いが、それ以上に危険地域も多い。その多くは、毒だ。そのためか、この地域で有属性者となった者達の多くは、毒属性を所持していた。
しかし、あの皆既日食後、無属性者のままだったエールは、毒属性を持つ事もなく生きている。毒に侵される事無く生きていけるのは、幼い頃からこの地域一帯の危険ポイントを頭に叩き込まれていたからだ。
そして、それは大きくなって母となった今でも活躍している。
彼女は地元民特有の土地勘を最大限に活かし、森の中を進んでいった。
そうして毒蛇捜索を続ける事暫く。
ようやく見つけた。
《いた!》
思わず大きな声をあげてしまい、慌てて口元を押さえる。どうやら、蛇は気づいていない様子だ。
――待ってて、アナタ! すぐにこんな毒蛇捕まえて帰るから!
そう強く意気込んだエールは、気合たっぷりに毒蛇捕獲にかかったのだった。
《はぁ、はぁ、すっかり遅くなってしまったわ! 急いで帰って治療薬作りに取り掛からないと!》
時刻は夕暮れ。
結局、毒蛇捕獲に凄まじい遅れを取ってしまい、苦労に苦労を重ね、ようやくの思いで三匹ほど捕獲する事に成功した。
人生初めての治療薬作りだ。下手をすれば精製に失敗する可能性もある。そのため、念には念をとそれなりに捕獲数を稼いでおきたかった。
だが、タイムリミットがない訳ではない。今のエールには、毒蛇捕獲に無駄に時間を割く余裕はなかった。
額から大量の汗を流しながら、エールは息を切らして帰路を急いだ。
《ただいまっ! アナタ今帰ったわ! だ、大丈夫!?》
家に着くなり、エールは夫の無事を確かめた。だが、せっかくの希望を掴む前に、運命は彼女を見放した。
《……そんな》
せっかく捕まえたのに、もうエールには薬を作る意味がなくなってしまった。なにせ、最期の家族さえ、彼女は喪ってしまったのだから。
夫の体はすっかり冷たくなってしまっていた。辛うじて、掛布団をかけていた身体がほんのり熱を帯びているくらいだろうか。症状に苛まれている際には、あれほどまでに高熱に侵されるというのに、死後はここまで冷え切ってしまうのかと、エールは絶望の最中、そんな事を考えていた。
《どうして、どうしてアタシにはかからないのよ……! どうせなら、アタシも感染して、皆と同じように死にたかったっ!》
叶わぬ願いだった。ずっと不思議に思っていたのだ。最初の感染者である六男の看病を常に行っていたエール。一緒に看病してくれていた五男と三女の二人は感染したというのに、何故か彼女には感染する事がなかった。
この花の成りをした邪悪な病魔は、まるで意思を持っているのではないかと思ってしまう程に、非情にもエールにだけは手を出さなかったのだ。
《……もういいわ、せめていつ感染してもいいように、薬……だけでも》
そう思ってその場に立ち上がった時だった。事故は起きた。
《……ぁ》
エールを襲った突然の立ち眩み。世界が回転し、ひっくり返った。多忙な研究と焦りのあまり、睡眠をまともに取らずに実験を続けていた結果だろう。挙句の果てに、全力疾走による著しい体力の低下。それは彼女を疲労困憊に陥らせるのに十分な条件だった。
エールは誤ってその場に転倒してしまった。しかも、その弾みで毒蛇を入れていた瓶を壊してしまった。毒蛇は忽ち逃げ出し、そして捕えた報復と言わんばかりに転倒して床に突っ伏していたエールの喉元に喰らいついた。
《がっ……ぁ!? ぐぅ、ごぼぉっ!?》
喉を食い破られたと同時、その傷口から一気に彼女の全身を猛毒が駆け巡った。
喉をやられて助けを呼ぶ事も出来ない。そもそも、最早この家には彼女以外誰一人として生存者はいないのだから、助けを請う手も無駄なのである。
結果、ものの数分でエールは愛する夫を追うようにして息を引き取ったのだった……。
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