第1話 ドラフト9巡目
はじめまして。
本作は、ドラフト9巡目でプロ入りした高卒ルーキー・相沢直人が、野手として、そして投手としてプロ野球の世界で結果を残していく物語です。
実在のNPBをベースにした架空のプロ野球世界を舞台にしています。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
8月22日。
9回裏、2死。スコアは3対0。
あと1人抑えれば、東明館高校の甲子園優勝が決まる。
遊撃を守る相沢直人は腰を落とし、マウンドを見つめていた。
この日は1番・遊撃。甲子園では相沢自身がマウンドに上がる試合もあったが、決勝ではエースの後ろを任されている。
マウンドに立つのは速水翔太。
最速158km/hの直球と鋭いスライダーを武器に、2年秋から高校球界を代表する投手として知られてきた東明館の絶対的エースだった。今年のドラフトでも1位指名は確実視され、複数球団の競合が予想されている。
その速水が最後の打者を前にセットポジションへ入った。
ここまで被安打4、無失点。球数にもまだ余裕があり、最後まで速水に任せることに疑問を持つ者はいなかった。
相沢は重心を落とし、打球に備えた。
速水が投じた球を打者が弾き返す。甲高い金属音が響き、打球は三遊間の深いところへ転がった。
相沢はすぐに追いつき、逆シングルで拾い上げる。止まって体勢を作り直す余裕はない。そのまま身体をひねり、一塁へ投げた。
送球は低く鋭く伸び、一塁手のミットへ収まる。打者走者の足がベースに届くのと、ほとんど同時だった。
一塁塁審がアウトのジェスチャーを示した瞬間、甲子園がどっと沸いた。
相沢は拳を握り、そのままマウンドへ駆け出した。捕手や内野手たちも速水のもとへ走り、歓喜の輪ができていく。
相沢もその輪に加わると、速水に声をかけた。
「最後は三振で締めろよ。結構ギリギリだったぞ」
「お前ならもっと余裕で処理できたはずだ」
「無茶言うなよお前……」
相沢はそう言いながら笑い、速水の肩を叩いた。
そこへ外野から主将の黒瀬が全速力で駆けてくる。周りが速水を囲んで喜ぶ中、黒瀬だけは何の躊躇もなく、そのまま速水に抱きついた。
「おい、抱きつくな! 気色悪い」
「甲子園優勝だぞ! 今日くらい喜べよ!」
「当然の結果だ。浮かれすぎだぞお前ら」
速水が悪態をつきながら黒瀬を引き剥がそうとする。その様子を見て相沢たちが笑う中、遅れて外野手たちも集まり、マウンドの歓喜の輪はさらに大きくなっていった。
やがて選手たちは整列し、優勝校として甲子園に校歌を響かせた。試合が終わった直後にはしゃいでいた選手たちも、表彰式を迎える頃には涙をこらえきれなくなっていた。
相沢も例外ではない。仲間たちと笑い合いながら、何度も目元を拭った。
表彰式が終わると、選手たちはグラウンドにしゃがみ込み、甲子園の土を袋へ詰めていく。
相沢もまだ赤い目元のまま土をすくい、袋へ収めた。
東明館高校、夏の甲子園優勝。
相沢の高校最後の夏は、これ以上ない形で幕を閉じた。
* * *
東明館高校が甲子園で戦った全6試合のうち、相沢は4試合に登板していた。
そのうち2試合に先発し、1試合では9回を投げ切っている。大会を通じて20回を投げ、失点はわずか3。全国制覇を狙う東明館にとって、相沢は単なる控え投手ではなかった。
持ち球は最速145km/hの直球に、スライダー、チェンジアップ、カーブ。中でも最大の武器は制球力だった。
速水のように圧倒的な球威で打者をねじ伏せるタイプではない。内外のコースを使い分け、緩急をつけながら打者の狙いを外す。空振りを奪うこともあれば、タイミングを崩して打たせることもある。
派手さでは速水に及ばないが、試合を崩さない安定感は同世代でも高い水準にあった。
それでも、東明館でより大きな勝負を託されていたのは速水翔太だった。
速水もこの甲子園で4試合に登板し、そのすべてに先発している。31回を投げて失点はわずか1。うち2試合を完封した。
東明館が勝負を託すエースは、速水だった。
相沢自身、それに不満はなかった。
投手は好きだった。自分の投げた球で打者を抑えるのは面白いし、狙い通りの球で空振りを奪えれば気持ちがいい。何より、試合の勝敗に大きく関われる投手というポジションそのものが好きだった。
できることなら自分もマウンドに立ちたい。だが、投げられないからといって不満があるわけではない。
相沢は東明館の1番打者であり、遊撃手でもある。速水がマウンドに立つなら、その後ろで遊撃を守ればいい。自分が投げる日はマウンドに上がり、そうでない日は遊撃を守って打席に立つ。
どちらでも試合には出られる。
相沢にとって重要なのは、そこだった。
打席では左だが、遊撃から送球するときは右。そしてマウンドに上がれば、また左で投げる。
初めて相沢を見る者が、その組み合わせを不思議がることは珍しくなかった。
相沢は元々、左利きだった。箸もペンも左で、幼い頃にボールを投げ始めたのも左手だった。
右投げを覚えたのは、小学生の頃。理由は遊撃を守りたかったからだ。
左投げでは、一塁以外の内野を任されることはほとんどない。それなら右で投げられるようになればいい。相沢が出した答えは単純だった。
右手で壁当てをし、キャッチボールをして、ノックを受ける。最初は狙ったところへ投げることさえ難しかったが、それでも毎日のように繰り返した。中学に上がる頃には、内野から右で送球することが当たり前になっていた。
それでも投手だけは左だった。右でもマウンドから投げること自体はできるが、指先の感覚も腕の振りも、投手としては明らかに左の方がいい。
だから遊撃では右で投げ、マウンドでは左で投げる。相沢本人にとっては、どちらも野球をするために身につけた技術というだけだった。
甲子園でも、記者からこんなことを聞かれた。
「投手としてもこれだけ投げて、普段は遊撃手ですよね。相沢君自身は、二刀流という意識はあるんですか?」
相沢は少し考えた。
「どうなんですかね。高校だと投手が他のポジションを守ることって普通にありますし、あんまり考えたことないです。投げられるなら投げたいですけど、投げられなくてもショートで出られるならそれでいいと思ってます」
記者は笑っていたが、相沢は本気だった。
投手をやりたいし、遊撃も好きだ。もちろん打席にも立ちたい。だが、どれか1つに絞ることよりも、相沢にはずっと優先していることがあった。
野球の試合に出たい。できれば、最初から最後まで。
相沢が野球を始めた頃から変わらない、すべての原点だった。
* * *
甲子園が終わり、季節が秋へ移る頃。
東明館高校には、プロ球団から次々と調査書が届いていた。
エースの速水翔太には全12球団から届き、4番を打った主将の黒瀬健吾にも多くの球団が関心を示している。相沢直人のもとにも、複数の調査書が届いていた。
甲子園優勝校で1番・遊撃を務めた相沢は、高校通算打率4割超、出塁率も5割を上回っている。三振が少なく、速球にも強い。ドラフト候補として名前の挙がる投手を相手にしても力のある直球に振り負けず、変化球にも対応しながら広角へ打ち分けてきた。
俊足を生かした走塁にも定評があり、二遊間では安定した動きと送球を見せている。投手としても甲子園で結果を残しており、高校生として見れば投打ともに完成度の高い選手だった。
調査書が届き始めてから、相沢は監督や周囲を通じ、自分がプロからどう見られているのかを耳にする機会も増えていた。
野手としての評価は、決して低くない。
守備については、高校生の二遊間としてかなり高く見られていた。打球への入り方や捕球から送球までの流れが安定しており、足の速さも含め、守備と走塁には十分な素質があると評価されている。
ただ、その守備がプロでもどこまで通用するのかとなれば、見方は分かれる。
甲子園では速水が多くの打者を三振に仕留めたこともあり、遊撃へ打球が飛ぶ機会そのものが少なかった。相沢が難しい打球を処理する場面はあっても、守備範囲や初動、打球判断まで含めた力を何度も見せるほどの機会には恵まれていない。
高校生の中ではかなり上手い遊撃手。その認識までは多くの球団で共通していても、その守備がプロでどれほどの武器になるのかについては評価に幅があった。
打撃についても、評価と不安の両方があった。
三振の少なさや速球への対応力は評価されている。一方で、身長169cm、高校通算7本塁打。長打で打撃成績を支えるタイプではない以上、木製バットへ替わったときにどこまで打球の強さを保てるかは大きな分かれ目になる。
木製バットにも対応できれば、二遊間を守りながら打撃と走塁でも貢献できる内野手として育つ可能性がある。反対に、そこで苦しめば、守備や走塁を評価されながらも打撃で一軍への壁にぶつかることになる。
投手としては、野手以上に将来性を慎重に見られていた。
左腕で最速145km/h。球速だけで高く評価されるほどではないが、内外角を投げ分け、緩急を使いながら試合を組み立てる制球力は高校生の中でも高く、甲子園で20回を投げて3失点という結果もその完成度を裏付けていた。
ただ、その完成度の高さは、同時に別の見方も生んでいる。
相沢はすでに、自分の身体をかなり上手く使って投げていた。フォームを整えれば一気に球速が伸びる、制球が劇的に良くなるといった、分かりやすい伸びしろを残した素材型の投手ではない。
まして身長169cmは、プロ野球選手として見てもかなり小柄だった。
プロの打者を相手にしたとき、今の制球力や変化球がどこまで通用するのか。そして数年後、そこからどれほど上積みできるのか。投手として見るなら、そこに不安が残った。
そのため、甲子園では投打の両方で活躍した相沢も、プロのスカウトからは野手として見る向きが強かった。
投手としての能力を評価していないわけではない。それでも、木製バットに対応できれば二遊間を守りながら打撃と走塁でも貢献できる野手の方が、将来像を描きやすかった。
もっとも、それだけ評価されているからといって、上位指名につながるわけではない。
ドラフトでは選手の評価だけでなく、球団ごとの補強事情も指名順に大きく影響する。その年にどのポジションを補強したいのか、若い選手をどれだけ抱えているのか、即戦力を優先するのか、それとも高校生を数年かけて育てるのか。
相沢を評価していても、すでに若い内野手が揃っていれば優先順位は下がる。投手陣の補強を急いでいる球団なら、そちらへ先に枠を使うことになる。
必要な人数を獲り終えれば、その時点で選択を終える球団もある。例年、支配下での指名を5巡目から7巡目ほどで終えることも珍しくない。
後の巡目まで名前が残っているからといって、それまでに指名された選手全員より評価が低いとは限らなかった。
相沢についても、支配下なら下位で、そこまで残るなら育成でも獲りたい。そんな評価をしている球団があるらしいことは、本人の耳にも入っていた。
支配下で呼ばれるなら、もちろんその方がいい。育成から支配下へ上がる段階を挟まず、最初から一軍登録を目指せる立場なのだから、その違いは大きい。
ただ、育成指名だからという理由でプロ入りをためらうつもりもなかった。そこから結果を残して支配下に上がる道があるなら、相沢にとっては十分だった。
ドラフトを前に相沢が気にしていたのは、自分を獲ろうとする球団があるのか。そして、プロ野球選手としてスタートを切れるのかということだった。
* * *
ドラフト会議当日。
東明館高校の会議室には、プロ志望届を提出した相沢、速水、黒瀬の3人が集まっていた。
神谷監督や野球部関係者も席につき、正面のテレビにはドラフト会議の中継が映っている。
開始を待つ間、黒瀬は何度か座り直していた。普段なら何かしら話していることの多い男だが、今日は口数も少ない。
「落ち着きないなぁ。どんだけ緊張してんだよ」
相沢が声をかけると、黒瀬は少し間を置いて答えた。
「平然としているお前らがおかしいんだよ。特に相沢、お前は指名されるかもわからないのに退屈そうにしやがって」
「だって俺が呼ばれるのって後半だろ? 去年の渡部さんの時でもかなり待ったのに」
「それはそうだけど、お前の人生がこれで決まるんだぞ」
相沢にも、不安がないわけではなかった。
複数の球団から調査書は届いているし、スカウトとも何度か話をしている。ただ、上位で指名するという話を聞いたことはない。
指名された球団に入団する。ただそれだけのことだ。
「まあ、黒瀬が緊張するのも無理はない。最近、高卒野手の指名は減少傾向にあるからな。特に外野はな」
それまで黙っていた速水が、テレビを見たまま口を開いた。
「おいおい、不安になるようなこと言うなよ。ドラ1が決まってるやつは気楽でいいよな」
黒瀬がすぐに返す。
北海道を本拠地とするフ・リーグの北海道雪稜シールズが、速水の1位指名を公言している。少なくとも、速水がこのドラフトで指名されることだけは決まっていた。
もっとも、本人に何も気になることがないわけではない。
「決まっているのは1位指名だけだ。それに俺はユ・リーグの球団の方がいい」
速水はそう言って、腕を組んだ。
シールズ以外にも速水を1位で指名する球団があるのか。競合した場合、どの球団が交渉権を獲得するのか。速水にとっては、そちらの方が重要だった。
「何球団くらい来そうなの?」
相沢が聞く。
「少なくともあと1球団からは指名があるはずだ」
「へー、どの球団?」
「さあな」
速水はそれ以上答える気はないらしく、画面へ視線を戻した。
3人がそんな話をしているうちに、中継の画面が切り替わった。
会場では各球団の代表者が席につき、間もなくドラフト会議が始まる。
それまで何度も座り直していた黒瀬も、さすがに動きを止めた。
やがて1巡目の入札が始まった。
最初に北海道雪稜シールズが、公言通り速水翔太を指名した。さらに東京都を本拠地とするユ・リーグの東京白峰リンクスが重なり、最後に福岡県を本拠地とするフ・リーグの福岡玄海ファルコンズも同じ名前を挙げた。
速水は3球団による競合となった。
「ちっ、たったの3球団か」
速水が小さく舌打ちした。
「なんで3球団競合でも不満そうなんだよ」
「俺を1位で考えていた球団はもっとあったはずだ。抽選にビビりやがったか」
速水はそう返したものの、抽選が始まると画面から目を離さなかった。
ここまで来れば、速水にできるのは抽選の結果を待つことだけだった。
抽選の結果、速水との交渉権を獲得したのは東京白峰リンクスだった。
リンクスの当選が表示されると、速水は小さく息を吐いた。
「リンクスか……まあ、この中なら一番いいな」
先ほどまでの不満は、すでに速水の表情から消えていた。
「良かったな! ユ・リーグの球団だぞ」
「お前、打つのも好きだもんな」
「まあな」
速水は素っ気なく返したが、どこか満足そうだった。
「お前ら、人のことを気にしている場合か? そろそろ2巡目が始まるぞ」
速水に言われ、相沢と黒瀬も画面へ視線を戻した。
もっとも、ここから一気に緊張が増したのは黒瀬の方だった。
2巡目の指名が始まり、各球団から次々と選手の名前が読み上げられていく。
黒瀬健吾の名前は、最後まで出なかった。
開始前から落ち着かなかった黒瀬は、2巡目を終える頃にはほとんど口を開かなくなっていた。
そして3巡目の後半。
千葉県を本拠地とするフ・リーグの千葉湾星ドルフィンズの指名として、黒瀬健吾の名前が読み上げられた。
一瞬、黒瀬は画面を見つめたまま動かなかったが、すぐに大きく息を吐いた。
「……よっしゃあ!! 指名されたぞ!!」
「良かったじゃん。3位なら結構上位だぞ」
「ああ、速水とは別のリーグだけど、千葉ならここからかなり近いしな」
そう返す黒瀬の表情には、ようやくいつもの余裕が戻っていた。
これで3人のうち、まだ指名を受けていないのは相沢だけになった。
4巡目でも相沢の名前は出なかったが、まだ予想の範囲内だった。
5巡目に入ると、それまでよりも画面に意識が向くようになる。支配下で指名されるとすれば、このあたりからだろうと相沢自身も考えていた。
しかし5巡目でも名前は呼ばれず、続く6巡目も同じだった。
支配下で呼ばれるなら5巡目か6巡目あたり。そう考えていた相沢も、ここまで名前が出なければ、育成まで残る可能性の方が高いだろうと思い始めていた。
「心配するな、まだ指名は終わってないぞ」
なぜか相沢以上にそわそわしている黒瀬が、横から声をかけてきた。
「なんでまだお前がそわそわしてんだよ」
「どうせなら全員で指名されたいだろ。ていうか、なんでお前はまだ余裕そうなんだよ」
「まあ、さすがに育成では指名されると思ってる」
あっさり答えると、黒瀬が眉をひそめた。
「なんてのんきな……ていうか育成でもいいのかよ」
「支配下の方がいいけど、育成なら育成でもいいよ」
育成から始まるなら、そこで結果を残して支配下に上がればいい。
最初からその可能性も考えていた相沢は、6巡目まで名前が呼ばれなくても、それほど気落ちしてはいなかった。
7巡目に入る頃には、選択を終了する球団も目立ち始めていた。
そんな中、神奈川県を本拠地とするユ・リーグの横浜海嶺マリナーズは、まだ指名を続けている。
長年低迷が続くマリナーズは、このオフにも多くの選手を整理しており、支配下枠に余裕があることは相沢も知っていた。担当の吉岡スカウトが何度か東明館を訪れていた球団でもある。
7巡目でも、マリナーズは別の選手を指名した。
8巡目にマリナーズが指名したのは高校生の投手だったが、相沢ではなかった。
「支配下指名で残ってるのはマリナーズだけか……」
相沢が言うと、黒瀬がこちらを見た。
「お前のところにも来てただろ?」
「来てたよ。割といい評価もらってたけど、あそこが欲しいのは投手だからなぁ」
マリナーズは直近5年間で4度も最下位に沈んでいる。中でも深刻なのが投手陣で、昨季は12球団で唯一、チーム防御率が5点台に達していた。
今のマリナーズがまず補強したいのは投手だろう。
相沢は投手としても評価を受けていたが、スカウトからは投手よりも野手として高く評価されている。その相沢より、投手として指名候補に残っている選手を優先しても不思議ではなかった。
相沢もそれ以上は期待せず、育成指名が始まるまで待つつもりでいた。
ところが、マリナーズはまだ選択終了を告げなかった。
『第9巡選択希望選手、横浜海嶺マリナーズ』
相沢も画面に意識を戻した。
『相沢直人、内野手、東明館高等学校』
相沢の名前だった。
「あ、指名された」
反応が一拍遅れた。
名前を聞き間違えたわけではない。ここまで来れば育成だと思っていた。それだけに、支配下指名で自分の名前が呼ばれたことを、すぐには実感できなかった。
「相沢、やったじゃないか! 支配下だぞ!」
先に声を上げたのは黒瀬だった。
「うん、良かったよ。育成までいってたらあと30分は待ちそうだったからな」
「そこかよ! もっとなんかあるだろ普通」
「まあ支配下でよかったよ。契約金も増えるしな!」
指名直後とは思えない現実的な言葉に、黒瀬は思わず苦笑いした。
相沢は気にした様子もなく笑うと、そのまま隣の速水へ顔を向けた。契約金という言葉から、今度はドラフト1位の金額が気になったらしい。
「契約金といえばさ、ドラ1ってめちゃくちゃ貰えるんだろ? いくらくらい?」
突然話を振られた速水は一度相沢を見たが、特に隠すことでもないと思ったのか、あっさりと答えた。
「……1億くらいだったはずだ」
「1億か! じゃあ指名祝いで焼肉おごってくれよ!」
金額を聞いた途端にそう言い出した相沢を、速水は呆れたように見返した。
「なんで俺がお前らに奢らないといけないんだ。自分の契約金を使え」
「いいだろ、焼肉くらいケチケチすんなよ。未来の日本のエース様だろ」
調子よく持ち上げながら食い下がる相沢に、速水はしばらく嫌そうな顔をしていたが、やがて諦めたように小さく舌打ちした。
「ちっ、今回だけだぞ」
渋々といった様子ながら、速水は折れたようだった。
「よし、じゃあ明日行こう!」
相沢がすぐに話を進めると、黒瀬も待ってましたとばかりに乗ってきた。
「当然俺も行くぞ」
速水は一瞬だけ黒瀬へ視線を向けたが、もう言い返すのも面倒になったらしい。
「ふん、勝手にしろ」
3人のやり取りを、神谷監督は呆れたように見守っていた。
「まったく、お前らは……」
甲子園を終えてから約2か月。プロ志望届を提出した3人は、この日それぞれ別の球団から指名を受けた。
「まあ、何にせよ3人ともおめでとう。ここから先は今まで以上に大変だぞ」
神谷の言葉に、3人はそれぞれ返事をした。
その後もテレビではドラフト会議が続いていたが、相沢にとってはもう自分の名前が呼ばれるのを待つ必要はない。
改めて画面を見ると、そこには横浜海嶺マリナーズの9巡目指名として、自分の名前が残っていた。
少し前まで育成指名を待つつもりでいたことを思えば、支配下でプロ入りできるのは十分すぎる結果だった。
来年から、自分は横浜海嶺マリナーズの選手になる。
そのことが、ようやく少しずつ現実味を帯び始めていた。
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