第22話 再会
「…………」
その時、ユージンは一人、岩場の上から釣り糸を垂らしていた。
木陰にある岩場。風は心地よく平和な時間だ。
しかしながら、まだ釣果はない。
もうかれこれ三十分以上も水面は無反応だった。
穴場の湖なので魚も人馴れはしていないと思うのだが、餌が悪いのだろうか。
(それともこの不穏な気配のせいか?)
ユージンは双眸を細めた。
そして、
「……いい加減、姿を見せたらどうだ?」
背後の繁みに向かって、そう声を掛ける。
「お前たちに見られていたら、魚も逃げるようだ」
淡々とした口調で言葉を続ける。と、
「おいおい」
苦笑じみた声と共に繁みの中から姿を現す人物がいた。
かなり大柄な、四十代ほどの男である。
「そいつは難癖だろう。お前の腕が悪いだけだろ? アサルト」
「どうだかな。俺の釣りにはムラがあるしな」
ユージンは、こちらに近づいてくる男を一瞥した。
記憶にない男だ。しかし、自分の名を知っているということは知り合いか?
「ところでお前は誰だ?」
「……おい。そいつもねえだろう」男は眉をしかめた。
「てめえに童貞を捨てる機会を与えてやった恩人を忘れるか?」
「……なに?」
ユージンは改めて男を見やる。
ユージンが人生で初めて抱いた女性はトワだ。男の言う『機会を与えた』というのは、トワと出会った機会という意味だろうか。それならば、ユージンが《奈落》に落ちる切っ掛けを作ったとも捉えられることも出来るが、あれは純粋な災害だった。
「おい。マジで忘れてんのか?」
男――ライガスが呆れた口調で肩を竦めた。
「てめえに戦利品の女を――クロエをくれてやった恩人さまをよ」
そこまで教えられて、ようやくユージンは思い出した。
「ああ、そうか」
まだおぼろげな記憶を探る。
「確かライオット……いや、ライガスだったか?」
家名までは憶えていなかった。
そもそも傭兵の家名は胡散臭いので憶える気がなかったのもある。スラム出身者が多い傭兵や強盗団には家名無しが多いからだ。かくいうユージンの『アサルト』という家名も傭兵稼業をするために適当に名乗ったものだった。
「おうよ。そのライガスさんだ」
一方、ライガスはニカっと笑った。
「ようやく思い出したか。恩知らずめ」
「……何の用だ?」
釣り糸を見据え直して、ユージンが問う。
「顔見知りだからとて挨拶するような間柄でもないだろう?」
「釣れねえな。二重の意味で」
未だ一匹も魚のいないクーラーボックスを見やり、ライガスは言う。
「これでも同じ戦場を生き抜いた戦友じゃねえか。たまたまお前を見つけたから、俺の方はわざわざ声を掛け来たんだぜ」
「くだらないな。本題に入れ」
親し気な口調のライガスに対し、ユージンは素っ気なかった。
「言い直すぞ。お前は顔見知りだからとて挨拶するような人間でもないだろう?」
「……やれやれ、相変わらず不愛想だな」
ライガスは「ふん」と鼻を鳴らした。
「俺の用件は一つだ。クロエは今どこにいる?」
「…………」
ユージンは無言でライガスを見やる。
「あの女が欲しい。まだお前の奴隷なら言い値で買い取るぜ。すでに売ってここにいねえのなら居場所を教えてくれ」
「…………」
ユージンは未だ無言だ。それに対し、ライガスは肩を竦めて、
「言っとくが、死んだとかはなしだぜ。魔弾の戦鬼ともあろう男が、お気入りだった女をみすみす死なせるとは思えねえからな」
そう告げた。そうして数瞬の沈黙、
「……お前は」
ユージンは口を開いた。
「まだ彼女に執着しているのか?」
「ああ。そうだ」ライガスは強く頷いた。
「隠しても仕方がねえから言うが、あの日、あいつをお前にくれてやったのは痛恨だったぜ。くれてやるんじゃなかったと今でも後悔してるよ」
「……そうか」
ユージンは淡々とした声で呟く。対し、ライガスは湖の別方向――トワたちが遊んでいる場所へと視線を向けた。
「あの女たちはお前の新しい女か?」
ライガスは双眸を細める。
「クロエにはもう飽きたのか? ならいいだろう? クロエの居場所を教えてくれ」
単刀直入に願うライガスに、ユージンは沈黙した。
そうして、
「断る」
はっきりとそう答えた。
「彼女とは別行動しているが、あの頃から変わらず俺の女のままだ」
「けど、あいつは奴隷なんだろ?」ライガスは食い下がる。
「俺が似た女を用意してやるよ。なあ、アサルト。俺はお前の恩人だぜ? そろそろクロエを返してくれや」
「……これも正確に言い直そう」
ユージンは鋭い眼差しでライガスを見据えた。
「彼女――クロエはもう俺の奴隷ではない。俺の妻だ」
そう宣告して、トワたちの方を見やる。
「あそこにいる女たちもまた俺の妻たちだ。今の俺には妻が三人いる。そしてクロエが今ここにいないのは――」
一拍おいて、
「身重だからだ。俺の子を孕んでいる。俺はもう傭兵を辞めていてな。今は妻たちと共に運送屋をしている。クロエだけはとある街で出産に備えているが」
真顔でそう言い放った。当然ながら嘘である。クロエと、セラフィーナには申し訳ないが、彼女たちの安全を考えてのことだ。しかし、その言葉には意外と強い説得力があった。トワと運送屋に関しては真実のためだからかも知れない。
「クロエも含めて俺の妻たちだ。お前の要望には応えられんな」
ユージンは言う。
「……どうしてもか?」
なお食い下がるライガスを、「当然だ」とユージンは切り捨てた。
「諦めることだな」
「……そうかよ」ライガスはボリボリと頭を掻いた。
「仕方がねえ。それにしても奴隷を嫁さんにしたのか。あの頃からお前はクロエにマジだったってことだな」
「そういうことだ」
釣り糸に視線を戻して、ユージンは告げた。
「それならいいさ。俺の惚れた女だ。幸せにしてやってれくや」
そう告げて、ライガスは森へと歩き出した。
「今日は久しぶりに会えてよかったぜ。あばよ。アサルト」
「ああ。さよならだ。ライガス」
互いに視線を合わせることもなく、二人は別れの挨拶を交わした。
ややあって、気配が遠ざかっていく。
ライガスのみだけでなく、森の潜んでいた数人分の気配がだ。
「……やれやれだ」
ユージンは未だ反応のない釣り糸を見やりつつ、
「どうやら今夜は騒がしくなりそうだな」
そう呟いた。




