エピローグ 選んでいく未来
エピローグ
アエラはユリウスと共にエストリアへと帰国した。その後、第一皇子アルシオとアエラマリーナ・アルタイルの婚約が、両国から正式に発表された。二人はまだ学生であるため、卒業までは学業に専念することも併せて伝えられた。
アルシオは冬期休暇の間、皇国で過ごす。それからほどなくして、今年もルナーリアの生誕祭が訪れた。
控え室では、家族だけの穏やかな時間を終え、静かな鐘の音が鳴り響く。アリーシャはゆっくりと立ち上がる。深い紫紺のドレスの裾が静かに揺れ、その隣ではルークが白を基調とした礼装の襟元を整えていた。王配となって年月を重ねた彼は、以前よりさらに落ち着いた威圧感を纏っている。
「参りましょうか」
今年は兄弟揃っての入場ではない。去年は緊張したルナーリアのために、アルシオとエクシオがルナーリアの手を取り、入場した。だが今年は、一人でも大丈夫だとルナーリアが言った。
まずは女皇アリーシャと王配ルークが、その後に、第一皇子アルシオ、続いて第二皇子エクシオ。そして最後に、今夜の主役であるルナーリアが入場する。それぞれの立場を示すような順序だった。
大広間へ続く扉が開かれる。眩い灯りと、華やかな音楽。居並ぶ貴族たちが一斉に頭を垂れた。
「女皇陛下、王配殿下のご入場!」
高らかな声が響く。アリーシャとルークは並び立つように進む。アリーシャは、今では確かな威厳を纏う女皇となっていた。その半歩後ろを歩くルークの存在感もまた、皇国の支柱として揺るぎない。
続いて。
「第一皇子アルシオ・セレスティア殿下!」
ゆっくりと姿を見せたアルシオへ、視線が集中する。白と紺を基調とした皇族礼装。黒髪は端正に整えられ、その耳にはアエラの色である翠のピアスが覗いている。細身ながら引き締まった体躯は、青年らしい凛々しさを際立たせていた。真っ直ぐ前を見据える赤みを帯びた茶の瞳には、もう迷いがない。去年とは違うと、そう感じた者は少なくなかった。以前から美しい皇子ではあった。だが今は、それだけではない。立つべき場所に立つ覚悟が、その姿に滲んでいる。
もちろん、視線の中には未だに色への偏見もある。だが堂々と歩くアルシオの姿は、その嘲りすら飲み込むようだった。彼自身が微塵も揺らいでいない。だからこそ、以前よりもずっと言葉にしづらい。
その様子を、アリーシャは静かに見つめていた。
隣のルークもまた、わずかに目を細めている。
去年までのアルシオは、まだどこか自分の立場を測りかねていた。期待と視線を受け止めながら、それでも一歩引いた場所に立とうとしていたのだ。
けれど今は違う。
皇族として、そして一人の男として、自分が何を選び、誰を守りたいのかを知っている。
その変化は、親だからこそ分かるものだった。
「第二皇子エクシオ・セレスティア殿下!」
活発さを残しながらも、以前より成長した姿を見せるエクシオが続く。そして最後に。
「ルナーリア・セレスティア皇女殿下!」
会場の空気が柔らかく華やぐ。
淡い金髪を後ろに流したルナーリアは、まだ少女らしさを残しながらも、確かな気品を纏っていた。どこか若き日のアリーシャを思わせる面影に、年配の貴族たちは自然と目を細める。
祝賀が始まると、次々に祝いの言葉が述べられた。
「ルナーリア殿下、本日は誠におめでとうございます」
「ますますお美しくなられましたな」
ルナーリアは少し緊張しながらも、丁寧に礼を返していく。その姿を、アリーシャはどこか懐かしそうに見守っていた。
一方で、アルシオへも貴族たちの関心は尽きない。
「アルシオ殿下、婚約の件、誠におめでとうございます」
「歓迎会にてアルタイル嬢を拝見しましたが、実に聡明なお方でした」
「皇国の礼節にも、深い理解をしめしておられました」
歓迎会でアエラを見ていた貴族たちは、口々に賞賛を述べる。だが、それ以上に目を引いたのは、その言葉を受けるアルシオ自身の姿だった。以前の彼なら、少し曖昧に微笑み、流すように応じていたかもしれない。けれど今のアルシオは違う。視線を逸らさず、穏やかに、堂々と受け止めている。
「ありがとうございます。彼女は、私の隣にいてほしいと心から願った方です」
その一言に、周囲の空気がわずかに変わった。第一皇子自らが、婚約者への敬意と想いを隠さず示している。そこには誤魔化しも、曖昧さもない。その姿が、令嬢たちの胸をざわつかせる。そして同時に、貴族たちは理解し始めていた。この婚約は、第一皇子自身が、自らの意思で選び、守ろうとしているのだと。
ダンスが始まる頃には、会場の熱気はさらに増していた。アルシオは幾人かの令嬢と踊った。優雅な所作も、穏やかな会話も以前と変わらない。けれど今は、誰かを本気で大切にしている男の揺るがない余裕がある。それが以前よりも遥かにアルシオを魅力的に見せていた。
「アルシオ殿下、本当に変わられたわ……」
「ええ……前よりずっと」
数曲踊った後、アルシオは次の相手として、静かに一人の令嬢へ手を差し出した。
「一曲、お願いできますか」
エレオノーラはわずかに目を見開き、それから静かに微笑む。
「喜んで」
淡い瑠璃色のドレスが揺れる。二人はゆっくりとフロアへ出た。音楽に合わせて踊りながら、アルシオは穏やかに口を開く。
「先日の茶会では……リーナを庇っていただいたと聞きました。ありがとうございます」
「いえ、わたくしの方こそ、アエラ様に助けていただきました」
「それに、アエラ様が堂々とされていたのを見て、わたくしも嬉しかったのです」
アルシオは静かに目を瞬く。
「きっと、殿下のお隣に必要なのは、あの方なのだと思いました」
静かな声だった。悔しさも、嫉妬も感じられなかった。アルシオは少しだけ視線を伏せる。
「……彼女は、真っ直ぐですから」
「ええ。だからきっと、殿下も変わられたのですね」
曲が終わる。別れ際、エレオノーラは優雅に一礼した。
「どうか、お幸せに」
アルシオもまた、静かに礼を返す。
「ありがとう」
祝賀の夜は、ゆっくりと更けていく。楽団の音色。人々の笑い声。煌びやかな灯り。その中心で、アルシオは静かに息を吐いた。ふと、脳裏に浮かぶのは、遠く離れた最愛の少女の顔だった。
顔を真っ赤にして怒る顔。真っ直ぐに言葉を返す声。笑った時の、少し無防備な表情。無意識のうちに、アルシオの口元が柔らかく緩む。
その変化に気づいたルークが、グラスを傾けながら小さく笑った。
「アルシオ、顔が緩んでいるぞ」
「……父様」
「少し顔に出すぎだ」
アルシオは少しだけ困ったように笑う。父親に指摘されるのは、すこし気恥ずかしかった。その様子を見たアリーシャが、どこか嬉しそうに目を細める。かつて、自分もまた、誰かを想うことで変わっていった。だから分かる。人は、守りたい相手ができた時、本当の意味で強くなるのだと。
アルシオは耳元の翠へそっと指を触れた。その色に重なるのは、遠く離れたアエラの面影だった。窓の外には、静かな冬の夜空が広がっていた。学園で過ごす日々は、あと一年しかない。卒業後、アルシオは立太子に向けて本格的に政務を学んでいくことになる。そして、アエラ自身も皇国へ入り、妃教育が始まっていく。その先に何が待っているのかは、まだ誰にも分駆らない。けれど、二人がともに未来を選んでいく物語はは、まだ始まったばかりだった。
いったん、こちらにて中編は終いです。
現在、後編を執筆中ですので、投稿までしばらくお待たせします。




