【異世界小話】一歩踏み出す
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異世界にて。
私がサチの弟、恵を産んでしばらくした頃。
雄太郎に子守りを頼んでいたら、サツキの集落に真白い毛皮の巨大な狼が駆けてきた。ものすごい勢いで、山の上から。結構な木がなぎ倒されて新しい道ができた。ちょっとだけ魔王城を通って来なかったか心配になった。あの破壊力で激突されたらお城も壊れそう。
「何? また迷惑系渡り人?」
世界をはじめたせいなのか、渡ってきた世界を現実と認識できずに無茶をする渡り人が増えた。最近、あちこちでそういう自称冒険者の被害を聞く。
「いや、あの白い狼は白峯連峰の山主だ」
あ、そうなの? 雄太郎はサツキの集落の代表だし、大きな声ではいえないけど日本村の卑弥呼みたいな存在だから、あちこちの偉い人が会いに来るのか。今までこんなに目立つ登場した人いないけど、緊急かしらね。
「そうだな。あんなに慌てて走って来るなんて何かあったんだろう。ちょっと行って」
行って来るって、最後までいう暇もなく狼はまっすぐ我が家へ走ってきた。めっちゃ足早い。母屋側、店の裏側を選んでくれて良かった。柵が踏みつぶされて跡形もなくなったわ。雄太郎にあやしてもらってたサチを慌てて引き取って、ついでに大きな背中に隠れちゃう。
「ねえ、山主ってことは悪い人じゃないんだよね?」
「ああ、ちょっと人嫌いだけどな」
ちょっと? ちょっとだけだよね。人間をみつけたら頭から貪り食ったりしないよね。
「雄太郎。突然押しかけて済まない。こちらの山で問題が起きた。私は山主失格だ」
見かけにぴったりの地を這うような野太い低音。狼さん、庭先に座ってるのに二階の窓辺にいる私たちとまっすぐ目が合うね。理性的な語り口調にちょっと安心したわ。
「女神を呼ぶか?」
「いや、新しい力に古い力が負けただけのこと。女神に運命を捻じ曲げてもらうことはできない。ただ、知るべき人には知らせておくのが山主としての私の最後の仕事だ」
「そうか。では聞こう」
私、これ聞いちゃっていい奴なのかな? すごく興味あるし、ここは我が家だし、狼さんも私の裏庭にいるわけだし、聞こえちゃってもしょうがないよね。って、気配を消そうとしたところで奥の部屋でケイが泣き出した。うおう、なんてタイミングなのケイ! お腹が空いたのね、今行くわ。耳だけ後ろ向きにしながら、ちょっとだけゆっくり歩くけど許して。お兄ちゃん抱っこしたまま廊下を走ると滑って危ないから、これは仕方ないのよ。
「奴らの狙いは私の身体、いや、毛皮か。私に歯がたたないとみると、山に住む魔物の仲間たちを狙い始めた。挑発だ。それで、たくさんの仲間が逃げ出し、逃げ遅れたものも数えきれないほど……私は山を離れると決めた。もうあの山には戻れない」
「それでこの先はどうする」
「山は私が去れば、次に力ある者が自然と治めるようになるだろう。摂理に従えばいい。私は誰の邪魔にもならないところで隠れ住むつもりだ」
「お前は自分の美しさを分かってない。その姿を一目見れば心奪われる。誰にも見つからずに生きるなんて無理だ。一生、逃げ続ける気か?」
「でも私には……」
ああ、もう聞こえなくなっちゃう! 狼さん、ご苦労なさったのね。今夜くらい美味しいものを食べさせてやりたいわ。人型になれるなら。
ケイのお腹をいっぱいにしてやって、さらにぐずりだしたサチも寝かしつけてから外をみるともう狼はいなかった。雄太郎が廊下の壁にもたれて座り込んでるだけ。こんな風に落ち込んでる姿を見せるのは珍しい。
「雄太郎、狼さんは?」
「逃げられた」
え? 帰ったんじゃなくて、逃げたの?
「あ、まだ追われてたってこと? 毛皮狙いの冒険者に」
「どこまで聞いてた?」
あっ、耳を後ろ向きに広げてました。ごめんなさい。黙っているべきことは黙っています。でも、うん。聞いちゃった。途中まで。素直に白状しとこ。
雄太郎は怒らなかった。ただ、膝を立てて座ったまま首を落としてため息をつく。これは相当落ち込んでるなあ。
「あの山主がずっと誰も見つからずに山の中に隠れて生きていけると思うか?」
「いや、無理じゃない? 大きいし、目立つし」
なるほど。狼さん、一人で隠遁生活を選んだのね。絶対見つかるし、見つかれば追われるのに。聞けば、どっかのギルドで賞金をかけられているんだとか。いわばお尋ね者だ。
「人型で生活すれば全て解決するんだが……」
やっぱり人型になれるんだ。命がかかっても人になりたくないって、それはちょっと人嫌いっていうより、強烈な人嫌いじゃん。今回のことで拍車かかっちゃったのかな。
「そうじゃなくて、山で犠牲になった仲間に申し訳が立たないと言われてな。家族を見捨てて自分だけ幸せにはなれないと」
「えー。山で一緒に暮らしてた魔物の人達のこと? でも、狼さんが山を離れてくれた方が、彼らは安全なわけでしょ? 去った後は好きにすればいいのに」
「義理堅いというか。まあ、既に犠牲になったものも少なくないらしいから、負い目もあるんだろう」
うーん。責任感じてるのか。
「逃げて幸せになれるなら逃げてって思うけどなあ。不幸になるのが分かってて、お前だけ楽になるなって足をひっぱるのは良い家族じゃないよ」
雄太郎の顔が上がってばっちり目が合った。何、ちょっと意外そうな表情してるの。割と普通の意見を言ったつもりだよ、私は。
「だって、絶対に守ってあげらるくらい自分に力があれば話は別だけどさ、そうじゃないなら自分が足手まといになるくらいなら、離れるから遠くで幸せになって欲しいってならない? 狼さんも魔物の人達を家族って思うなら、信じてあげたらいいのにねえ。自分が幸せになっても恨んだりしないって。きっと喜んでくれるってさ」
そう、思わないかい? 雄太郎さんや。
ええー、頭抱えないでよう。何? 能天気すぎた? 違う? 力の使い道について考えてるって? なんでそうなるの。うーん、うーん。雄太郎ほどの力があったら使い道もたくさん思いつきそう。って、熟考に入ったね。よし、お茶でも持ってきてあげよう。
お茶を飲んで、お代わりをいれたけど、それには気づかないまま冷めて。
延々と悩んでいる間にサチが起きてきて、私は最後まで見守れなかったけど、やがて雄太郎が立ちあがってやってきた。あ、お茶の片づけは良いよ~。どっかにおいといて。あ、サチ、飛びつくのは雄太郎が食器をテーブルに置いてからにして。
「ありがとう、ヒカリ。悩んでたことに踏ん切りがついた」
ああ、笑顔が戻ってきたみたいだから良かったよ。力の使い道が決まったってことは白峯連峰に殴り込みに行くのかな? え? 違った? 攻める方じゃなくて守る方に使うの?
「それと、山主を探してもう一度話をしてくる」
ああ、やっとつながったぞ。雄太郎、狼さんを守ってあげることにしたのね。たしかに雄太郎がついてれば怖いものなしだもんねえ。そっか、あの狼さんと実はけっこう仲良しだったんだね。そしたら、差し伸べた手を振り払って逃げられたら落ち込むわ。目の前で友達が不幸へ続く道をまっしぐらに走っていて、止められなかったら辛いよね。うん。分かった。やっと状況を理解したよ。
「少し時間がかかるかもしれないが」
「うん。うん。雄太郎はもう充分に集落とこの世界の平和に尽くしてるから、我儘言ってもいいと思うよ!」
ちょっとくらい集落と魔王城のお役目休んでも誰も怒らないよ。それに狼さんは目立つからきっとすぐ見つかるだろうし。だって通った後に新しい道ができちゃってるもん。帰り道では畑を潰さないように、なるべく端っこを走ってくれたみたいだね。
それから、しばらくしてサツキの集落の凄腕狩人雄太郎が巨大な白い狼を仕留めたと風の噂に聞いた。ギルドには討伐の報告をせず、賞金の話は立ち消えになった。雄太郎の家には目立たない感じの大人しそうな同居人ができて、さらに時間が経ってから魔王城の門番に白い狼が増えた。一切攻撃してこないけど、大きくてどんな攻撃も弾くので、なかなかの難敵だと冒険者たちは新しい敵の攻略法の交換に忙しい。
私は状況をきちんと理解したつもりだったけど、あの迫力満点の狼の中身が女性だったってことは分かってなかった。ついでに、最初にサチを抱いてる雄太郎と、一緒にいる私を見た狼さんが雄太郎に妻子があると思いこんでたことも知らなかった。あの日、座り込んでた雄太郎が「うちに住めばいい」って申し出たのを、愛人に囲ってやるって意味だと取り違えられて「人間に失望した」って泣かれた後だったことも。
私、何にも分かってなかったんじゃん!!
子育てに忙しい私のために『草壁』の手伝いをしてくれるようになった狼さんと、お迎えにきた雄太郎にそう言ったら二人は顔を見合わせて笑った。
「ヒカリは一番大事なことを、ちゃんと分かってたよ」
え? なになに? ちょっと二人してますます楽しそうに笑ってないで教えてよ。
「家族は自分の幸せを喜んでくれるだろうってこと」
幸せになっていいのか悩んでいたのは、狼さんだけではなかったってことらしい。どうぞ、お幸せに。