↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/16

伝言配達 その1

 逆トリップから帰って一番やりたかったことができた。達成感で力が抜けちゃう。でも、深夜シフト生活は続く。

 まだ、もう少し行きたいところがある。




 今度は無理なシフト調整なしでいける普通の休みの日に近くの目的地に行ってみることにした。私の安アパートは東京都の南北方向には端っこだけど、東西方向には真ん中らへんにあるから23区内なら次の給料日を待たないでいける。目的地と言っても具体的な住所は分からない。記憶にある言葉をつなぎ合わせて、事前にネット検索もして、あとはそれらしい場所に行ってみる。こういうワイルドな出掛け方にためらいがなくなったのは異世界生活のせいだな。いや、以前からそうだったかな? 記憶にございませんな。わはは、行き当たりばったり上等。

「うーん、一発で見つかるかなあ。つうか見つかったとして、その後、どうすればいいのか計画がなさ過ぎる。どうしようかなあ」

 細かい作戦を用意してこなかった、なんて心配は全然いらなかった。それ以前にそもそもの目的地が全然見つからない。まあ、そうだよね。大雑把な場所と苗字しか分からない人の家を探すの、都内のど真ん中では無理だよね。忘れてた。サツキの集落とは人口のケタが違うんだった。




 それでも諦められなくて、バイトのない日に三回通った。歩き疲れて、倒れたい気分のところで、気になる看板が目に飛び込んできた。

「あ、おとこ教室、じゃなくて、おこと教室」

 日本人なら誰もが一度は読み間違えたことがあるだろう、あの看板。それを見た途端に記憶がよみがえった。この話、したぞ。おこと教室の隣にあるピアノ教室に通ってて、おことの看板見る度に「おとこ」に見えて、自分が病んでるんじゃないかって思ったって言ってた。男とは、女とはって考え過ぎて頭おかしくなったかと思ったって。

 なんでこんな具体的な場所に繋がる情報を今まで忘れてたんだ、私! 使えないぞ、私! でも、今思い出したからオッケー。だって、ほら、隣にピアノ教室、あるじゃーん!

 はい、勢いに任せて立派なピアノ教室のチャイムを、ピンポーン!

「はい」

「あの、私、怪しいものじゃないんですけど、あの、ここの教室に桃瀬姫乃さんという人が通っていたかどうかを……」

「桃瀬、姫乃?」

 そのままガチャンとインターホンが切れた。

 うわあ、失敗? 自分で言っといてなんだけど、超怪しかったもんね……どうしよう。やっと見つけた手がかりが途切れた。もう本当に倒れたい。体中の力が抜けた。もう、なめくじになりたい。あっ、玄関扉の開く音が! 追いかけてくる気なの? 追いかけて、追い払おうってことなの?

「ひっ、歩みは遅くても帰るから塩をまくのは勘弁」

「あなた、ちょっと待って。姫乃ちゃんを、知ってるの?」

「え?」

 ぐっと腕を掴んできたのは綺麗な奥様。この人がピアノの先生なのかな?

「あ、ええと、はい。知ってます」

「ああ! ちょっと、ちょっとお話聞かせて頂戴」

 上品そうな奥様はすごいパワーで私を家の中に引きずり込んだ。脱いだ靴を揃える間もなくリビングらしき部屋に連行される。えー、たぶんいい人だからいいけど、私の危機管理能力は問題あるな。異世界では皆に守られていたから怖い思いする暇もなかったから、思いっきり油断してたわ。今は一人のうら若き乙女なんだから気を付けなきゃ。




 いつの間にか座らされたふかふかのソファで、あっという間にお茶とお菓子が出てきて、その間も奥様は家の奥に何か声をかけに行ったり、電話をかけたり忙しい。あ、お茶、いい香り。ちゃんとした紅茶なんて何十年ぶりだろ。バターもお砂糖も惜しみなく使ったお菓子も。やばい、涙出てきた。日本を捨てる覚悟、やわやわだ。

「お母さん、こちらのお嬢さんよ。桃瀬姫乃ちゃんを訪ねて来て下さったの。姫乃ちゃんのお知り合いだそうよ。まだ、私も詳しいお話は聞いてないんだけど。ええ、もちろん桃瀬の奥様にもお知らせしたわよ。駅前にいらしたみたいで、すぐにいらっしゃるって」

 滲む涙を誤魔化しながらクッキーを齧っていたら、目の前に先ほどの40代くらいの奥様とその母上と思しき素敵なホワイトヘアーのおばあ様が並んで座った。奥様が先ほどの勢いを少し落ち着かせて話し出した。

「あのね、確かに桃瀬姫乃さんはここでピアノを学んでいたわ。母が教えていたの。あなたがどういう目的でいらしたのか分からないけれど、これからここに姫乃さんのお母様がいらっしゃいますから、姫乃さんに関わるお話なら全て、お母様にお話してくださらないかしら」

「はい、それは、もう。ていうか、姫乃さんのご家族のことを聞きたくてこちらにきたので。むしろお母さん呼んでくださってありがとうございます」

 どうやって信用してもらって、実家の場所を聞き出そうか何のアイディアもなかったから本気で助かっちゃったよ。美味しいお菓子食べて待ってたらいいなんて、想定を超えて最高。え、なに? もっと食べていいんですか? じゃあ、遠慮なく。ああ、美味しい。涙が堪え切れない。ハンカチ忘れた。あ、ティッシュ、すみません。ちーん。はあ、美味しい。むぐむぐ。コンビニスィーツの破壊的な甘さにも痺れたけど、高級お菓子はまた別モノだよね。

 しかし、そうか。この反応はつまりそういうことだ。桃瀬姫乃は実在してて、そしてたぶん失踪したことになってる。異世界トリップしたら地球から存在自体記憶もろとも抹消されるという仮説は却下だ。まあ、私が帰ってきた時点で、うすうすそんなような気はしてたんだけど。この検証結果、あちらに持ち帰ったらどんな反応を呼ぶかなあ…。あ、チョコチップも美味。




 何種類目かのクッキーをいただいているところで、慌ただしく貴婦人がやってきた。うん、現代日本で貴婦人とか存在しないはずだけど、これはもう貴婦人というしかない。たおやかで美しい……。工藤さんの美魔女っぷりとはまた違う方向で、こっちを極めた方が全方位好感度高いかもしんない。あの人のお母さんってことは、ええと、50歳は超えてるはずだもんね。わあ、年相応の美しさっていいなあ。若作りより、こっち目指すべきかなあ。けど、これは地顔がめっちゃ良くないと成立しないやつ。

 その貴婦人が私のはす向かいに落ち着いて、とうとうインタビューが開始された。

「ごめんなさい、お待たせして。ええと、姫乃のお知り合いなのよね。どういう関係なのかうかがっても? それで、どうしてここへ来たのかも教えて欲しいわ」

 そういや、私が突撃してきたはずなのに自然な流れでインタビューされる側に回っている。どうして私はすぐに攻守交替されてしまうんだろう。色々弱い。

「私は、姫乃さんのお友達というか、うーん、一時は同僚でもあったし、いや、それより前にあちらが私のお客だった時代があって、でもこっちもすごくお世話になってて」

「とても親しくされていたのね」

「そう! そうです!」

「それはいつのこと?」

「少し前のことです」

「そう、どのくらい……いえ、姫乃は元気にしていたのかしら? 何か犯罪に巻き込まれたり……」

「いやいや、すこぶる元気でしたよ」

 元気と聞いた貴婦人は一瞬言葉に詰まって、膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。そうだよね、突然に子どもがいなくなったら、家出か事件か、心配するよね。彼の場合、この時点で音信不通のまま十年近く経っちゃってるわけだから、うん。うん。心配してたよね。

「姫乃とはどこで?」

 ああ、そこ。そこは聞かないで欲しかった。けど、聞かない理由がないよね。うん、知ってた。でも対策は用意してない。

「ええと、ここではないどこか、と言いますか。あ、でも、とても平和で、他にも親しい友達がたくさんいて、皆で仲良く暮らしていて」

「そう、言えないのね……」

「すみません」

 貴婦人ったら敏腕。大人の察し、助かる。

「でも、安全なところで幸せにしていたということかしら?」

「うーんと、そうですね」

「では、あなたはどうしてここに?」

 うん。それははっきりしてる。それだけはね。

「彼が、自分でご家族に会いに行くことはできないのですけど、でもご家族のことをとても心配していたので伝言を伝えにきました」

 そこで貴婦人ははっとして、目を伏せた。涙が浮かんではらはら落ちる。私もついさっきお菓子に感動して泣いたけど、ぜったい涙ははらはら落ちてなかった。どうやったら涙が「はらはら」するんだろう。肌の張りかな。私、二十代なのに……肌の張りで負けるなんて。美魔女修行足りてない。

「あの、先生。本当に申し訳ないのだけど、少しだけ、こちらの方と二人でお話させていただいてもよろしいかしら」

 貴婦人の言葉にピアノの先生たちは、もちろんと気持ちよく頷いて席を外してくれた。ここまでも家族みたいに必死に話聞いてたし、姫乃さんが元気って聞いて二人で手を取り合って泣いてたし、本当に家族みたいに仲良くしてるんだろうな。あの人にとっては良い思い出ばかりの場所じゃなかったみたいだけど、愛されていたんだろうなあ。私みたいなぽっとでの怪しい人間でも、手がかりだと思ったら家の中に引きずり込むくらいだもん。




 二人きりになったところで、貴婦人がもう一度、ぐっと背筋を伸ばしてこっちを見つめた。

 あ、目が。

「すごく、似てますね。目が」

「え?」

「真剣に話すときに、まっすぐに相手をみつめる感じ。懐かしいなって。じっと見られてるのに不思議と怖くないんですよね。透き通った感じって言うか、そう、心の窓に直結ですよ、みたいな。受け入れられてる感じがして安心しちゃう」

 だから、見つめられると隠し事をするのがすごく難しかった。そして隠そうと思ってた失敗とか、隠しておいた失敗とか、まだ計画中のいたずらとか、白状させられては説教されたり、ため息吐かれたり。最後はしょうがないなあって。聞く前から挙動不審過ぎるから分かってたよって言いながら許してくれちゃうんだよなあ。大きな手で頭ぽんぽんされたこと数知れず。頭を自分でなでなでしながら思い返しちゃう。私、あんないい男になんで惚れなかったんだろうな。

 はっ、懐かしさに浸ってたら貴婦人を置き去りにしてた。ごめんなさい。

「ええと、それで、なんでしたっけ?」

「あのね、さっき、姫乃のことを『彼』って言ったでしょう? とても自然だったわ。ねえ、あの子、今はどんな風に……つまり、その」

 あ、無意識。私の中では「姫乃さん」じゃなくて「彼」の方が自然だからなあ、口が滑ってた。でもひと言でピンとくるってことは貴婦人もうすうす気がついていたんだろうな。

「あ。姫乃さんは男性として生きていますよ。私たちは雄太郎と呼んでるんですけど、すごくカッコよくて頼りになります。あ、格好良すぎて、弟子入りした子もいましたね」

 貴婦人は顔を覆ってしまったから、どういう感情で泣いているのか分からないけど、怒りださなくてよかった。まあ、雄太郎から聞いていた彼のお母さんのイメージなら、激怒ってことはないと思ってたけど、娘を完璧な淑女にするために随分頑張ってたみたいだったからな。がっかりかな。

 とくにかけるべき言葉も思いつかないから、残っていた紅茶に戻った。冷めたら苦い。またお菓子がすすんじゃうなあ。


 貴婦人が立ち直るのには時間がかかった。お皿の上のクッキーが全部なくなって、手持無沙汰でティッシュで指を一本ずつ吹いている頃にやっと顔があがった。薄化粧が涙で乱れて、それでも、気品がある。

「ごめんなさいね、取り乱して」

「いやいや。雄太郎、何も言わずに家を出てきたって言ってたし、その後も連絡してないんですよね。それで突然こんなのが来たら普通そうなりますよ。掴みかかられても仕方ないと思ってたから大丈夫です」

 貴婦人、彼は覚悟の家出だったんだよ。理由はお察し。ね。そういうことにしといて。それが、彼の望みだから。世界からはじき出されるくらい強く男性になりたいと思ってたのに、可愛い娘であることを望む家族の気持ちも無下にできなくて、毎日「女の子」を演じて、苦しんで、死にたいくらい苦しんで、一度死んで自分の弟として生まれ変わりたいなんて毎晩願ってたわけじゃないから。家族のことなんて顧みないで、飛び出してった我儘娘だから、そう思っててあげて。それで今頃になって、後悔して、でも顔向けもできないから、伝言だけよこしたのよ。私が帰れるなんて、その頃は夢にも思ってなかったから届かない手紙みたいな気持ちで話してくれたんだろうけど。でも、聞いておいてよかった。あの日に、もしも帰れることがあったら伝えてあげるねって約束しておいた私、偉すぎる。

「姫乃さんから伝言です。勝手をして心配をかけてごめんなさい。大事に育ててくれてありがとう。でも、もう帰れないから親不孝を許してください。弟にもごめんねって。一緒に正義の味方ごっこするのが一番楽しかった、救われてたって伝えてあげてください。それから、皆、愛してるって、あと、元気でいてねって。あとは……うんと、いっぱい愛してるって意味のことを言ってました」

 今度は涙ははらはらじゃなくてどばーってなった。握りしめたハンカチじゃ足りなそうだから、フリルの可愛いカバーのかかったティッシュ箱、ピアノの先生のおうちのだけど、を差し出した。家具の陰にあった籐網のすてきなゴミ箱ももってきた。


 手持無沙汰だけどクッキーもティッシュもないから、リビングをうろうろしてみる。飾られたたくさんの発表会の日の写真。一枚ずつじっくり眺める。綺麗なドレスの少女と背伸びしたスーツ姿の少年たちの中に、一度も見たことのなかった姫乃ちゃんを見つけるのは、そんなに難しくなかった。雄太郎は夢の叶う異世界に渡った瞬間に顔かたちがすっかり変わったって言ってたけど、そんなことない。お人形みたいにきれいな姫乃ちゃんの、意外と気の強そうな眉の形とか、ちょっと丸みを帯びた鼻とか、じっと前を見つめる表情とか、面影がたっぷりある。もしも、また会えるなら、雄太郎に伝えてあげたい。親からもらった身体、全部捨てたわけじゃなかったみたいよって。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。