激闘! VS『テディ』
「だ、誰だっ!」
突然何の気配もなく出現した声は、今まで聞いていたような声ではなった。肉声に限りなく近いが、やはりどこかおかしい声。
リードは言うや否やすばやく後ろを向いた。そして見たものは……
「ガキ?」
「え? ええっ! 女の子ぉ?」
リードとノイズが面食らったような声を上げるのも無理はない。僕もクリストも、声こそ出していないが同じような表情。
そう。ちょうど出口である階段付近に突如として現れたのは、年の頃なら十歳前後。真っ白く長い髪には緩くウエーブがかかっている。ひらひらとしたレースをいたるところにあしらった、黒いワンピース。そして、その両腕で抱えているものは、ごくごく普通のテディ・ベア。ただし、色は真っ黒だ。
その子はおもむろに抱いていたテディ・ベアの顔をこちらに向けた。
「ひっ……っ」
思わず声を引きつらせてしまったのはノイズだ。これまで普通のぬいぐるみだと思っていたものが、血のような赤い眼を凶悪に吊り上げ、その口には本物だろう牙がきれいに並んで生えていたのだから。
ひゅごおぅっ!
「うあっ!」
どごがしゃあぁんっ!
「え? 何? 何があったのよ?」
風を切り裂くような音が聞こえたと思ったら、リードがまともに後ろに吹っ飛んでいた。
『汝、我が魔道書欲しくば命をかけて奪い取るがいい』
小さな女の子にはとてもではないが釣り合わない、貫禄のある男の声。
僕たちはこの声が聞こえたときにすぐ臨戦態勢に入っていたのだが、相手の姿を見て油断してしまっていた。
(こいつ……もしかして……)
ふとある考えが僕の脳裏をよぎったが、それは今は考えないのが懸命だ。それぞれに武器を構え、もちろんノイズはその拳だが、間合いを十分に取り、改めて臨戦態勢を整えた。
ここは物こそ多いがどうやら敵さんの目的は僕が持ってるこの本。彼女が『魔道書』と呼んだのを確かに聞いた。間違いない。これが本物だ。だけど、これを持っていくには、目の前の不思議な少女と戦わなければならないだろう。姿かたちこそ可愛いが、こいつ、とんでもない奴なのかもしれない。ついでに言うなら、この得体の知れない女の子を『女の子』と言っていいのかは疑問だが。
ちらりと横目で他の三人も見てみたが、三人とも僕と同じ考えだろう。そしてここから脱出するためにも、この少女を倒さなきゃいけないのだ。
じりじりと這い上がってくる緊張感。テディの少女が、動いた!
戦闘開始っ!
ひゅう……っ!
風を切る音と同時に、テディを片手に掲げ持ったその少女が僕たちの間合いの中に急速に入ってきた。とっさに身を翻して、何とかその一撃を避けたものの、僕のローブの袖口が見事に切り裂かれていた。
「ルシアっ!」
「大丈夫! ちょっと服をかすめただけだからっ!」
叫ぶように言って、僕はさらに相手から距離を取るように後ろに下がる。そして、錫杖を構えて呪文の詠唱に入った。
「こぉのっ!」
ぎゅんっ
リードが振り回した左腕の剣が、空を切る。今の間合いでは確実に相手に届いていたはずの一撃が、むなしく宙を切り裂いた。
「っ? 上かっ!」
彼の言葉にとっさに上を見上げると、空中を自在に動き回ることでもできるのか、上に跳んでリードの一撃をかわした少女が僕たちの上で凶悪とも言える笑みを浮かべていた。そのとき、僕の魔法の第一波が完成した。
「ダーク・ウィンっ!」
ごおおううぅ……っ がだんっ!
『く……っ』
小さく呻く男の声。
僕が放った『風』の魔法が、正確には『風』と『魔』の属性を組み合わせた魔法が、空中で僕たちを見下ろしていた少女にまともに直撃した。彼女のさらに上から下に叩きつけるような衝撃波で、宙に舞っていたその『テディ』を床に叩きつけたのだ。
床に叩きつけられても、すぐに体勢を整える『テディ』。が、彼女が完全に立ち上がる前にノイズの低空ドロップキックが炸裂した。ものの見事にまともに吹っ飛ぶ『テディ』。そしてその吹っ飛んだ先にはリードが構えている。
「もらったっ!」
ぎぢゅうっ……!
肉を切り裂くような不快な音。
リードのすくい上げるような一撃で、『テディ』の身体はきれいに二つに分かれていた。
「……やったの?」
上半身と下半身を絶たれ、未だびくびくと蠢いている『テディ』を注意深く観察しながら僕。その上半身にくっついている手は、しっかりとテディ・ベアを握り締めたままだ。
「あっけないわね……」
未だ緊張を解くことをしないのは、みんな同じだ。少し緊張気味の声でノイズが言う。
僕の考えが正しければ、これで終わることはないだろう。現に、普通の人間ならば胴体を二分されて生きているワケがないのだが、この『テディ』からは血の一滴も零れ落ちていないのだから。
『ヒヨっ子どもと甘く見たか……』
やおら貫禄のある男の声が部屋に響いた。『テディ』が発していたものと同質の声が。
「都市伝説かよ……」
呟くリードの小さな声も、部屋に不気味に響いていた。
胴体を上下に二分され、床に伏していたはずの『テディ』がゆっくりと動いた。……ただし、上下別々に。上半身はぬいぐるみを握り締めたまま、下半身は断ち切られた上半身との境目も露に、そいつはゆらりと立ち上がった。
「こいつ、本体はぬいぐるみだよ、多分」
確信に近い予想を僕は言った。
「何ですって……?」
ノイズが震える声を絞り出す。下半身は床についているが、上半身はその高さを保ったまま、不釣合いに宙に留まっている、その異様な風景を目の当たりにして、みんなが同じ恐怖と戸惑いを抱いている。
「あの研究は失敗なんかじゃなかったんだ……」
僕が持っている本にあった、不老不死の研究。それは僕たちが見たような文書だけに留まらなかったようだ。キメラを造り、自らの生命を永遠のものとするその研究は、記録に示されているものを遥かに凌駕していた。
「何をどうやったか知らないけど、この研究者……肉体じゃなくて精神を永遠に手に入れたんだ」
半ば独り言のように呟く。自分の声が震えているのが分かる。目の前の情景と、そして僕の想像に自分でも戸惑いながら、それでもこれは真実なのだと思わざるを得ない。
研究者、つまりこの塔に隠れ住んで不老不死の研究をしていた魔法使いは、キメラやそのほかの実験を進めるうちに、自分の精神だけを未来へと永久に存在させる術を手に入れてしまった。肉体が滅びても、何かを媒介にして自分の意志を伝え操る、現在では禁断とされる呪法を。
この『テディ』、少女のほうは殆ど無表情に近いのだが、それよりも生命を感じるのは彼女が握り締めている黒いテディ・ベア。その魔法使いは少女ではなくぬいぐるみのほうに精神を宿しているようだ。
少女の肉体を両断しても、そのぬいぐるみに一つも傷がついていないこと、そして両断された少女の肉体からは一滴の血も流れなかったこと、それがこの突拍子もない考えに繋がる証拠になった。少女の肉体はすでに滅び、ただの肉塊と化していたならば、このおぞましい光景も納得がいく。何せ本体はそのぬいぐるみにあるのだから。
「では、そのぬいぐるみを破壊すれば……あるいは……」
クリストの言葉に、頷くだけで応える。彼は完全に僕の考えを理解し、そして相手を倒す手段を知ったようだ。彼が呟く呪文の響きから、彼が何をしかけようとしているのかは十分に分かる。
「ちょっと……どういうことよ?」
恐怖と戸惑いを隠せないままの声で、ノイズが聞いてくる。無論、相手からは視線を逸らさない。
「リード、ノイズ」
「…………」
「…………」
僕の呼びかけに沈黙で応える二人。相手が普通に戦って勝てない者である以上、彼らは不用意な攻撃を仕掛けない。それが分かっているからこそ、いつでも攻撃できる間合いにいる相手に向かっていかずに僕の言葉を待っているのだ。『テディ』もまた、僕たちが何をしようとしているのかを見極めようとしているのか、ゆらゆらとその場に留まっている。
「僕がもう一度二人に魔法をかけるから、それまでは何とか時間を稼いで。クリストは防御結界を解いて、攻撃に徹して」
「!」
「?」
「…………」
僕が言うや否や、クリストが呪文の詠唱最終段階に入ったようだ。彼の周囲には、聖なる銀色の光が包み込むように現れている。クリストにとっての攻撃魔法というのは、そのほとんどが『聖』属性のものだ。悪意あるものに対しては、ときに絶大なる威力を発揮する。
僕もまた、リードとノイズにかけるための呪文を詠唱する。錫杖を構え、全精神力を使い果たす覚悟で、僕は呪文を唱え続けた。
ひゅうっ……
空気の間を縫うように、不自然な姿勢で『テディ』の両断された身体が同時に動いた!
「ちっ……」
軽く舌打ちし、難なく身をかわすリード。構えていた剣を振り回したのだろう、風のような速さで迫ってきていた『テディ』の上半身を再び薙いだが、ダメージを与えられたのはその少女のほうだけ。テディ・ベアは無傷のままだ。
「腐った人形切ってるみたいだぜ」
まさにリードの言うとおり、肩口を深々と切り裂いたはずの上半身は、張り付いたような狂気の笑みを浮かべて、まるで壊れたマリオネットのように不自然な動きでさらにリードに踊りかかった。
「でええいっ! 気色悪いっ!」
ざむっ……
またもやリードの一閃が少女を薙いだ!
「ち、ちょおっとおっ! あんまり気持ち悪いことしないでよっ!」
どごがぁんっ!
リードが薙いだのはあろうことか少女の首だ。首なしになっても、やはり動きは止めないままだ。多少バランスが崩れているのだろう、動きがぎこちなくなっているが、気色悪いことこの上ない。
リードに抗議の悲鳴を上げながらも、ノイズは向かってきた下半身の膝を狙って脚払いをかけ、ひるんだその隙に続けざまに膝蹴りをかました。ボールみたいに弾かれるように隅の置物やらが置いてある場所に下半身だけが突っ込んで、派手な音を立てる。無論、これでダメージを与えられることはできないだろう。
そのとき、僕の一つ目の魔法が完成した。肩で息を切らし、未だ震えの止まらないノイズの代わりに、リードが叫ぶ。
「ノイズ! 受け取れっ!」
「っ!」
リードの声に、はっと僕を見るノイズ。そのときを狙って、僕はノイズの両拳や両足以外にも彼女の全身に『聖』の魔法をかけた。彼女の全身が一瞬のうちに銀色の光に包まれた。続いてリードへも同じ魔法をかける。
「女の子は無視して! ぬいぐるみにターゲット絞ってっ」
叫ぶと、僕はすぐに次の呪文を唱える。『聖』属性の最上級魔法。『聖』の魔法は、正直なところ苦手な分野にあるのだが、攻撃魔法となれば話は別。僕の得意とする魔法攻撃の中でも最も精神力を消耗する大技の一つ。目を閉じて、両手で錫杖を構えて一気に集中力を高める。同時に強い脱力感と疲労が僕を襲うが、そんなもの気にしてる場合じゃない!
ざじゅっ!
リードが魔法のかかった剣を一閃させる! が、『テディ』はぬいぐるみを庇うようにその身を剣の犠牲とした。すでに縫い合わせてあったパーツがほどけかけている少女の薄い胸板を、リードの一撃が貫いた。
「くそっ……」
思うように相手にダメージを与えられない焦りか、リードは言い捨てると後ろに退がり、『テディ』の上半身との間合いを取った。
その下半身は、数あるガラクタと化した置物たちの中からゆっくりと動き出し、周囲が自由だと判断すると、ノイズに向かって風のように間合いを縮めた!
「甘いわっ!」
どごしゃあっ!
ノイズのカウンターがまともに入り、またも瓦礫の中に埋もれる下半身。すぐさまノイズはリードの応戦に向かった。
ゆらゆらと不自然に揺れる上半身を挟むように、リードとノイズが『テディ』と対峙する。
このとき、すでにクリストの魔法は完成していたが、彼はまだ動かずに期を見ている。僕の魔法も、クリストに続いて完成した。
「いくわよ」
「おう」
じりじりと両側から間合いを詰めるリードとノイズ。凶悪な顔のテディ・ベアはリードを、そしてそれを掴んでいる少女の首はノイズを見据えている。
これはタイミングが勝敗を左右する。相手は未だ本性、つまりほかにどんな攻撃を仕掛けてくるのか分からない。こういう場合、僕たちだったらどうするか。……先手必勝。勝てる相手でも油断をすると負ける。僕たちは負けると分かっていながら戦うなんてカッコイイ騎士道精神なんてものは持ち合わせていない。
「はあっ!」
「ふっ!」
鋭い吐息とともに、二人が同時に攻撃を仕掛けた!
ノイズはぬいぐるみを掴んでいた少女のほうを、そしてリードは凶悪な顔つきの黒いぬいぐるみに向かって。
ぐうっ……!
それが何なのか、あるいは攻撃がヒットした音なのか、それともダメージを受けたぬいぐるみの声なのかは分からないが、呻くようなその一声を残して、一瞬時が止まった。
ノイズのハイキックが少女をリードに向かって吹き飛ばし、その勢いを利用して狙っていたぬいぐるみにリードの魔法のかかった剣が一閃した!
(今だっ!)
僕はクリストに目配せしてタイミングを計る。彼もすぐに理解して、これまで溜めに溜めていた聖なる光を急速に加速、収束させる!
「聖なる光を纏う者
我を纏いて聖なる雷をここにっ!」
力強いクリストの言葉に応えるように、彼が両腕に装備していた宝玉を胸の前で交差させる。同時に、銀色の聖なる雷が、一瞬動きを止めた『テディ』の本体を貫いた!
ぐうぅぉぉおおおぉっ……!
間違いなく『テディ』の悲鳴。続けざま、とどめとばかりに僕は唱えていた魔法を全力で解き放つ!
「聖なる力の源よ
邪悪なる心を持つ者に
聖なる剣の制裁を!
ホーリィ・ブラストっ!」
ガカッ……!
「うっ……!」
凄まじい音と光が、室内を完全に支配する。僕が放った聖なる光は剣を成し、少女ごと本体であるテディ・ベアを包み込んだ!
『我が……我の精神を……っ』
……それが、そいつの断末魔の言葉だった。
部屋中に広がっていた銀色のまばゆい光がゆっくりと消えていく。光が完全に消えたあとには、静寂のみが残っていた。
僕もみんなも、気力を使い果たして半ば放心状態。光と共に、あの忌まわしい『テディ』は、跡形もなく消滅していた。
終わったのだ。
「やった……」
「ああ……」
しばらくの沈黙を破り、声を出したのは僕とリード。あとの二人はまだ放心状態だ。
これまで部屋の中は塔の内部に充満していた忌まわしい気配すら、今はない。
……倒したのだ、完全に。全てがこれで終わった。
僕は気力を使い果たし、安心したのかその場に座り込み、しばらく気を失ってしまった。気が付いてから知ったのだが、リードもノイズもクリストも、その場で気を失っていたようで、結局その場でその日の夜を明かした。