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思考が麻痺したように鈍くなり、肉体は自身の意思に反して全く力が入らない。
脱力し床に倒れるより前に、男爵が忍の身体を支えたのだろう、無様に床に倒れることは免れたようだった。
完全に体重を預けた忍の身体を、ピエタ像の如くベッドに腰掛けた男爵が横抱きにしている。何とか目線だけで男爵を睨み反抗の意志を見せるが、どこか楽しそうに微笑する男の印象は、マリアではなく悪魔といったところだろうか。
男は右手で忍の脇の下を支え、左手の甲でその頬に触れる。
「あんた、やっぱり…そっちが本来の姿なんだな」
「まだ口を利くだけの対抗心が残っていたか。いつ、気が付いた?」
忍を抱く男は、先ほどよりも幾分年若く、初見の時よりも怜悧で冷酷な印象が強い。
「身体を触った時……見た目と体格が違った」
「上手く脳を誤魔化せたと思ったが、その矛盾で魔眼を破ったか…」
実際の身長も先ほどの姿より高いのだろう、浅黒い肌に力強い肉体、黒々とした長い髪からは2本の長い角が伸びている。
「魔…眼?…」
「私の魔眼は人の意識を操るものだ。ネタがバレてしまえば、貴公の用に魔力耐性が強い相手には効かんが、身体の自由を奪うくらいは出来るぞ」
「……誰だよ…あんた。何が目的だ?」
くくっと楽しそうに笑む男は、腕の中に捉えた忍の頬から首筋、そして胸元へと手を滑らせるようにその感触を楽しんでいる。生まれながらの捕食者だ。
どうやら意識を操る魔眼は、その目に映る姿さえも違う人物だと認識させる力があるらしい。男は知覚や判断能力、欲求さえも、操作が可能な能力だと付け加えた。
「私が誰かは何れわかる。まあ、フェローの名を借りて私が態々この地へ出向いたのは、貴公の為でもあるのだぞ」
「………やっぱり、偽者かよ」
「ふふふ…さて、渡り人よ、魔族国へ行きたいのだろう?」
やはり正体がバレている。思った以上に早くに事が動いたが、相手の目的がはっきりしない以上、せめて雫のことは隠さねばならない。
「私が招待しよう……だがその前に聞くことがある。もう1人娘がいたな、あれの事だ――――――ああ、嘘をついても無駄だ。私の魔眼は相手に真実を語らせる時に便利でな。抵抗し、喋らせるのは難しくとも、是非を…首を縦横にさせるくらいは容易くできるぞ」
魔眼で相手の意思を操って口を割らせるつもりのようだ。魔力耐性が強い相手に抵抗されても、その是非を簡単な動きで示させる程度には強い拘束力を持っているらしい。
「あの娘も渡り人なのではないか?おそらくお前の妹御であろう」
男の瞳から視線を逸らす事が叶わず、それでも無言で抵抗する。なにかを言おうとすれば、真実を吐き出してしまうと、唇を噛んで魔眼に耐える。
「これ、そう唇を噛むな。血が滲む」
魔眼の力でそういわれ抵抗できずに従うと、男の指が忍の唇をなぞり、その指についた僅かな赤いものを舐め取った。
「……美味だな」
「こんなときに体液補給かよ」
美味しそうに舌なめずりする男に、呆れたように溢した忍は、少し思案してから口を開いた。
「確かに雫は妹だ。同様にセッカもコウも、一緒に暮らして、一緒に飯を食ってる家族だ」
「ふむ、そう言うならば、魔術師はどうなのだ?あれも家族か?」
「アルは居候。家賃代わりに仕事させてるし、俺が養っている訳じゃない」
「なるほどな、モノはいい様か。では質問を変えよう。あの雫という娘、お前の血縁か?」
忍の血縁ならば、同じ異界から来たのだろうと、そう男が質問を変えた。
「あれと血の繋がりはない。だが、妹だ」
「花人族の子も、獣人の子も、同様に…という訳か。まだ何か隠している様子はあるが……」
「あんたも、何を…か、隠してる…俺の名前も、正確に発音したしな。渡り人を知っている、いや慣れているって所か?」
「魔眼の影響下にあって、それだけ思考し自身の意思で話すとは―――それ以上抵抗すると心を壊すぞ」
まるで大切な者に触れるように忍の頬を撫でる男が、魔眼の効果を緩めたのが分かったが、弛緩した身体の意思はまだ戻らない。
「とりあえずで良い、私の申し出を受けておけ。魔族国への入国は私が保証しよう」
「花人族の、セッカの身の保障と」
「分かっておる。じゃが、あれはお前が思うよりもずっと面倒な立場にあるのだ。まあ、それも何れな」
「……わ、渡り人が…帰ったという例は、あるのか?」
「………それは魔族国へ来れば分かる」
「何も教える気はないんだな…あんた」
「時が来ればはっきりすることを、態々説明する気はなくての」
名前さえ語らずに、ただ手助けするという男の何を信じろというのか。忍の視線の意味に気付いた男が、出来の良い生徒を褒めるようにそれに答える。
「対価なく動く私が信じられぬか?ならば、まずは私が態々この地まで出向いてきた礼を受けとろうかの」
「……何が望みだ?」
「…忍、お前の血を」
身体に力が入らず男に抱きかかえられたまま、碌な抵抗もできない忍に、好き勝手に血を貪るのではなく、血を分けてくれという。変なところで律儀に頼み込む男の瞳が、再び赤い血鬼の異常色に変化していた。
「力を使いすぎたようでな。飢えが再びやってきてしまった」
「け、献血は400ミリ以内なら」
「……けん?……なんじゃ?」
「生死に関わるほどじゃなければ、対価として」
殺す訳がないだろうと笑いながら、男の鋭い牙が忍の肌に食い込んだ。
首に鋭い痛みが走りぎゅっと目を閉じて耐えた―――刹那、頭が白くなるほどの快感が脳天を貫き、思わず漏れ出る嬌声。
「あ゛っ……んんぅ…ふぅ………あぁ、あぁぁぁ」
まるで性行為をしたかのような感覚が全身に走り、触れられている肌の全てに快楽を感じた。男もそれを分かっているのだろう、首に牙を打ち込んだまま、その手は忍の肌の上を滑り愛撫する。牙が食い込んだ首筋が熱を持ったように熱くなり、男が血を飲む音が耳元に届く。その音を聞きながら首を反らせ、卑猥な声を漏らし、びくんびくんと身体が快感を駆け上がり、脳が白く焼き切れる様に意識を飛ばした。
どのくらい忘我の境にいたのだろう、漸く思考が自身に戻ってきた時、忍はまだ男の腕の中で横たわっていた。
ゆっくりと身を起こすと、それを助けるように男の腕が忍の背を支える。
下半身に違和感を感じ視線を向けると、まるで10代の様に反応し濡れたそれを見て大きく溜息をついた。
「血の提供は、身体を重ねる情事以上の快楽だからな。気にすることはない」
「慰めにならない……この歳になって夢精するなんて……」
「くくくっ、血を吸われながら身体を重ねた者は、血鬼の虜になるというからな。試してみるか?」
身体を男から離すように手で押しやって、それを拒否する。
「あんた、タチだろ?………悪いが俺もタチだ。寝る気はねぇよ」
「嘘じゃな………」
「相手を選ぶんでね」
「私が相手では不安か?」
「不安じゃなくて、不満なの!!糞っ、立てねぇ!!」
膝に力が入らず身体を崩すと、後でケラケラと笑う男が愉快そうに忍の身体を支えた。
「次の報酬は、魔族国に来てから受け取ることにしよう。その時に、色好い返事をくれれば良い」
「ぜってーしないからな!!この変態エロ男爵がっ」
「おお、そうじゃった、私の爵位は男爵ではない。それも何れな」
抱きかかえた忍を仕事用のベッドに横たえると、身動きの取れない忍の唇に男のそれが重なる―――直前、両の手で男の顔を押しやって、忍はどうにか自分の唇を護ることが出来たのだった。
フェロー男爵の正体はそのうち…なので、登場人物のフェロー男爵欄、訂正せねば




