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その客は、ひどく血色の悪い男だった。灰褐色の長い髪、病的なまでの青白い肌と少しこけた頬に薄っすらと残る不精ひげ。その全てが退廃的な男の色気となって存在したやけに魅力的な人物だ。こりゃ【魅了】の天恵持ちか?フェロモン駄々漏れじゃないか。
以前にもアルにレクチャーを受けたが、どうやら魔術の【魅了】と天恵の【魅了】では多少性質が違うらしい。前者は術者の意思と魔術式の行使によって効果を得るものであるのに対し、後者は本人の意識とは関係なく常に発動状態。ある程度、本人の意思で抑えることが出来るそうだが、完全に無効化するのは難しく、程度は違えど、天恵の効果は常に漏れ出ている状態らしいのだ。それがまんま垂れ流しの状態なのが、ルーキス=オルトゥス辺境伯領の領主のシャールだ。
というか、このフェロー男爵。魔人族なら天恵も制御できそうだが、【魅了】を抑える気がないのか、シャールのように抑制できなのか?問答無用で【魅了】効果を浴びせてくる。
「えーっと、フェロー男爵様ですよね」
「……いかにも」
おお、渋くて良い声だ。年の頃は50代というとこか?まあ、魔人の歳なんて見た目通りかは怪しいものだ。男爵はスラリとして背が高く、彼の有名なちょい悪オヤジの愛読雑誌にモデルとして登場してそうだ。よし、彼の渾名は「エロ男爵」か「フェロモン男爵」で決まりだ。
「まあ、とりあえずお掛け下さい」
整体用のベッドに腰掛けてもらうと、フェロモン男爵の額の少し上部には、鋭く長い鬼角が左右に2本確認できた。同じ鬼族でも、アルやシャールとは違い赤みがかった紫、いや殆ど紅と言っていい瞳をしている。
「えーっと、アルディシャール様のお話では、うちの歌い手達にお会いする為にノクスへいらっしゃるという話でしたが?それも確か明後日のお約束でしたよね?」
「予定より早く都合がついてね。だが、移動の疲れからかどうにも身体の調子が悪い。そこへ辺境伯が貴殿を紹介しくれたという訳だよ」
だったら事前に連絡しろよシャールめ!!
いきなりお貴族様に訪ねて来られても、心の準備が出来ていないのだが、とにかく整体の顧客だと思って通常通りの問診を行った。
「ほう、では、慢性的な疲労・倦怠感に、手先の冷えがお悩みということですね」
「うむ、最近は節々も痛む」
何処のお爺ちゃんだよ、フェロモン男爵。
「ああ、確かに手先が冷たいですね。ちょっと失礼……足先も冷えがありっと」
手先足先と触れてみると確かに冷たい…ってか「私、冷え症なんですぅ」どころの話じゃないぞ、生きてる?ねえ、生きてる?さっきまでコンビニのバックヤードで「冷蔵室でドリンクの補充してましたぁ」とかじゃなよな?
慌てて冬期使用してるホットマットを整体ベッドに準備し、人肌程度に温めることにした。ベッドの準備をしている間に、フェロモン男爵には貸し出し用のジャージに着替えてもらう。だってこの人、なんだかゴチャゴチャした服着てるし……キラキラした飾りが多すぎて、整体には不向きだ。
それにしても、なんてジャージが似合わない…いやいや、これはこれで…ありか?ジャージ姿が恥ずかしいのか?ちょっともじもじする男爵。個人的にはちょっとツボだ。
「ああ、準備できましたね。ではうつ伏せに寝てください。足先から肩まで解して、まずは血流を改善しましょう」
うつ伏せになったフェロモン男爵にブランケットをかける。つま先、親指から1本1本丁寧に刺激し、足裏の経穴、湧泉や失眠を刺激する。足首からふくらはぎ、大腿、臀部の仙腸と順に上へ上がっていく。こういった整体・マッサージには遠心法と求心法がある。まあ、心臓から足先へ解す遠心法か、足先から心臓へ向かって解す求心法かの違いだ。うちでは求心法、足先まで流れてきた血液は、ふくらはぎの筋肉で心臓へ送り返すのだが、立ちっぱなしや座りっぱなし、運動不足などで、足先の血液が滞留してしまう場合がある、所謂冷え症や浮腫んだ人達だ。足先を刺激し、血液を心臓へ流すように、送り出すように、筋肉を解してやる。
「ふっ………ぐぅ…………」
「あぁー…男爵様……声は無理に我慢しなくて良いですよ」
漏れ出る喘ぎ声を我慢しているのが分かったので、気を利かせてみた。本来、元の世界ではこんな事をお客様に言ったりはしないのだが、やはりここは聞きたいじゃないか!良い声で啼いてくれる、フェロモン男爵の喘ぎ声。
「う…あ…あ゛ぁ……んっ…う゛ぅん…」
まだまだ声出すのに遠慮がある様子だ。まあ、我慢して抑えている感じも、それはそれで良いものだ。
両脚解したら、腰、背中、肩と順に解し、手先の指先まで入念に解し終えると、次は態勢を変えて首回りと頭だ。フェロモン男爵……頭硬いなぁー。ストレスが多い人は実は頭皮も硬い。こうなってくると、禿げへの第1歩だ。だって硬い土壌よりも柔らかい土壌の方が草だって成長しやすいじゃないか、頭だって同じだよ。毛根にストレスは禁物だ!!
最後に仰向けになってもらい、顔と頭を刺激し、下から頚椎を指でくるりくるりと引き上げる様に伸ばす。最後はデコルテ部分、胸の上部から両脇のリンパ管へ手を滑らせる様に流し、再度首をぎゅーっと伸ばすように上へ引き上げて終了だ。
ゆっくり身体を起こし、ベッドに腰掛けてもらう。ほんのりと上気した頬が、薄ピンクになっていた。おお!!フェロモン倍増!!
後ろから頭部の経穴、首の付け根・風池の経穴と、こめかみ・太陽の経穴に指を添え、少し上を向かせて後ろに身体を倒させる。自分の体重が施術者の指に支えられ、それぞれのツボを刺激するのだ。
「ん゛ふぅぅぅぅぅぅ」
なんともまぁ、良い声で啼きなさる。指をスライドさせ、刺激する経穴を替えて他も同様に刺激。最後は万歳した男爵の腕を受けに引っ張り上げて、身体を伸ばしてから整体を終了した。
「はい、お疲れ様でした」
「……ふ…ぅ…あ、ああ…身体が温かくなった…」
「ああ、良かったですね。血の巡りが良くなったので、身体が温まったんですよ」
「そ、そうか…」
ってあれ?伯爵ってそんな瞳の色してましたっけ?
「あれ…紫……?」
「………今何と?」
ぽろっと零したその言葉に、フェロモン男爵は忍の両肩をがしっと掴み聞き返した。正面から見ると、確かに先ほどとは瞳の色が違う。そう、先程までの紅色の瞳が、今は深い赤紫に変化していた。
えっと、もしかして、瞳の色が変色したのは整体の所為なのか?
多少血色が改善されたフェロモン男爵に両肩を掴まれたまま、しばし見つめ合っていたが、ちょ…やめてぇー、顔近いって。掌でぐいっと男爵の顔を押しやって、距離を取ると、男爵にベッドで腰掛けて待つように言い、手鏡を持って部屋に戻ってきた。
「フェロ…モ……うぉほんっ…失礼。フェロー男爵様、御自身の瞳の色をご確認いただけますか?」
「う、うむ………こ、これは、確かに。血鬼の異常色から正常値の色に瞳が戻っただと」
「け…けっき…?」
「私は二角月鬼血華だ。一般的には血鬼と呼ばれているが……」
何だろう、物凄く嫌な予感がする。妹やアル達がシャールの所へ出掛けていて良かった。
「血鬼の特性として、血を欲する習性があるのだ。血に餓えると瞳が血色に染まり、衝動的に近くにいる者を襲ってしまう」
やっぱり吸血鬼か。確かに鬼ではあるが、歩く危険人物じゃねーか。
「そ、それは、大変そうですね……」
「全くだ。普段は提供者からの協力で血の衝動が来る前に、対処しているのだが、今回は忙しくてな」
「それで、血を飲まれた人が、鬼になるなんてことは?」
「血を提供したからといって鬼になる訳があるまい。そんな事になったら、そこら中に血鬼が溢れかえっておるわ」
「で、ですよね……」
ちょっと安心した。
「男爵様。では、血の衝動が抑えられたのですか?」
「うむ、そろそろ時期だとは思っていたのだが、今はそれほど衝動がない。まあいずれは必要だがな。血鬼は定期的に人の体液を摂取せねば生きられぬ種族ゆえ」
「……た、体液…ですか?」
「うむ、他の体液でも問題はないが、普通は人の生き血だな」
もろ吸血鬼かと思ったら、他の体液でも大丈夫ってことか?
「貴公…変なことを想像しておらんか?」
「はははっ……………気のせいですよ」
そんなの想像するに決まってるぢゃないか。
「我々血鬼は、古代魔術に精通した一族なのだが、何故か他の魔人族ならば体内で作ることができる【ある成分】を自身で作ることができない。それ故、他の者たちから血を分けてもらう事で生きながらえている一族なのだよ」
「…【ある成分】とは?」
「体内で生成するモノだと分かってはいるのだが、今の技術ではまだそれが特定できないというのが現状だ。それらが不足すると、瞳が血の様に紅く染まり、自我を失って精神に異常をきたす。瞳の色は血鬼にとって、ひとつの指標なのだ」
ほうほう、現代医学でもあったな。まだ解明されていない未知のウィルスとかそんなところか?しかし何で整体で改善されたのだろう?
「なるほど、フェロー男爵様の瞳の色が変化したことは理解できました。しかし何故?施術後に色が変わったのでしょうか?」
「うむ……これは私の個人的な見解だが…」
ジャージ姿で腕を組み、思案するフェロモン男爵。ちょっと笑える。
「血の衝動前と後では、血鬼の体内の魔力の流れが違うのだ。何と言うか、血の衝動に苦しんでいる時は、体内の魔術回路が狂っているというか滞った感があるのだが、血を受けた後は体内の魔力が流れだす感じが……」
確か、魔力は体内で生成し身体を巡って存在し、魔術回路とは人が体内に持つ魔力の流れの様なモノだったはずだ。
「あーーー、何となく思ったのですが、整体で身体が解れ、血液循環が多少なりとも改善されたことで、同様に身体を循環している魔力の循環も改善され、乱れ滞っていた魔術回路とやらが、正常に流れる様になったと。で、その影響で血に飢えていた衝動がちょっと抑えられたということですかね?」
「それなのだが――――血の渇きが完全に治まった訳ではない。が、楽になったのは確かだ。おそらく、体内にわずかに残り滞っていた【成分】が、正常に魔力が循環する事で、体内に行き渡り、血の衝動が少し先へ持ち越しされたのだろう。いづれその【成分】が不足した時には、また血の衝動があるのだと思う」
リアル吸血鬼のエロ男爵は、それでも幾分か渇きが楽になったのだと、ちょっと嬉しそうだ。誰だって喉が渇くと辛いからな。
ニコニコと機嫌の良い男爵の着替えを手伝う。といっても、ショップ店員の様にシャツやジャケットを持って男爵の後ろに立ち、袖を通させる程度だ。御貴族様は普段は侍従にでも着替えを手伝わせているのだろう、さも当たり前とでもいう態度で仕立ての良い服を身に着けてゆく。
「さて、シノブといったな?」
男爵の後ろでジャケットを広げて待機していると、それに袖を通しながら忍の名を呼んだ。
どこかの王子かよ!という感じのシャツを少し肌蹴たまま長い上衣を着ると、くるりと忍の方へ向き直りその腰を抱き寄せる様に引き寄せる。少しだけ忍より高い男爵と目線を合わせる様に、下顎に指を掛けると息がかかる程近くで瞳が合った。
近い近い近い……貴族相手に不敬だろうか?だが何故か貞操の危機を感じるので、身体を反らせて両手で男爵の顔を押しやる。
「えーと、15歳以下の少年にしか興味がないと伺ってますが?」
「…………………………」
「その沈黙は何ですか?」
「…いや、確かにそういう嗜好であったな?」
「いや、あんたの事でしょーが!!」
既に口調は通常運転へ戻っている。いきなり迫ってくる様な危険なエロ男爵に、気を使う事はないだろう。
「気にするな。人と違い500年以上は優に生きる二角鬼だ。15も20も変わりはせぬ故」
「30歳なので、守備範囲外ですよぉ~~」
存外に力強い、いや鬼という人外なので元が並外れた腕力を持っている。魔力循環させ筋力を上げた忍でも、フェロー男爵の手が緩む気配は一向にない。しかも視線をぴたりと合わせて目が逸らせず、背筋をぞくりとした感覚が走る。
「あんた……何やった?」
「ほう、わしの魔眼が効かぬとみえるな」
「誰だよ!てめぇ」
魔眼がどのような効果を表すモノかは分からないが、効かないのではない、魔術耐性が強い忍はそれに耐えているだけだった。次第に力が抜けて足ががくがくと震えだすと、自分を支える事が難しくなる。互いの息遣いを感じる近い距離でその瞳を睨んでいたが、緊張の糸が切れた様にある瞬間それは訪れた。
がくりと膝の力が抜けると、忍の腕がかくんと重力に従って下に落ちた。




