第45話:さあ、本当の戴冠式を始めよう
――バキィィィィィィンッ!!
玄関のドアノブをジークヴァルト様が回した瞬間、世界を繋ぎ止めていた最後の「理」が砕け散った。
開かれた扉の先。
そこには、緑の森も、澄んだ湖も、空の青さえもなかった。
ただ、目が眩むほどの、残酷な「白」。
描きかけの絵画から絵具を全て削ぎ落としたような、救いようのない虚無がどこまでも広がっている。
「……あ、あ……」
足元が、ない。
玄関の段差から先は、形のない光の海だ。
私はジークヴァルト様の腕の中で、その深淵を覗き込み、震える指先で彼の黒い衣を強く握りしめた。
「怖がるな、エルセ。私の隣だ。地獄にさえ底はあるが、この白紙には終わりがないだけだ」
ジークヴァルト様は、躊躇なくその白の中へと一歩を踏み出した。
落ちる。そう思った瞬間。
ドォォォォンッ!!
彼の足裏が触れた場所から、猛烈な黄金の魔力が火花となって散り、白紙の上に「確かな床」を強引に焼き付けた。
彼は歩く。
一歩ごとに世界を、背景を、重力を、自らの意思だけで再構築しながら。
背後の家がガラガラと崩れ、真っ白な塵となって消えていく。
もはや私たちが住んでいた世界は、この男が踏みしめる「直径一メートル」の黄金の円の中にしか存在しなかった。
『――無駄な抵抗です。観測者を失ったデータは、保存される意味を失いました。
貴方たちは、誰の記憶にも残らない「文字の死骸」となるのです』
空のどこからか、掠れたノイズ混じりのシステムメッセージが降り注ぐ。
それはかつての執行官エグゼの声でも、作者の泣き言でもない。
物語を「完結」という名の死へ導こうとする、この宇宙の墓守の言葉だ。
「価値がない? 誰の記憶にも残らないだと?」
ジークヴァルト様が、虚無に向かって低い、地響きのような声で笑った。
彼は私を床――彼が創り出した黄金の台座の上に、そっと下ろした。
「おい、墓守。……私が、ここにいるのが見えんのか」
ジークヴァルト様の全身から、これまでになく、太陽さえも黒ずんで見えるほどの苛烈な黄金の魔力が噴き出した。
それは「魔力」などという甘い言葉では呼べない。
執着、独占、狂愛。
この女を、誰の手にも、たとえ「死(完結)」にさえも渡さないという、絶望的なまでのエゴの塊。
「観測者がいないなら、私がその役割を一生引き受けてやる。
私が、エルセの瞬き一つ、吐息一つ、その肌の温度一分一厘までを、永遠に観測し、記録し、愛し抜いてやる!
数億の読者が束になったところで、私のこの『渇き』の一滴にすら敵わんのだ!!」
「ジークヴァルト様……っ!!」
私は彼の手を握りしめ、共にペンを掲げた。
銀のペンは、今や二人の魂を溶かした白金の輝きを放っている。
「……書きましょう、ジークヴァルト様。
誰かの期待のためではなく、貴方の瞳に映る私を、真実にするために」
私は、足元の黄金の台座から広がる「白紙」に向かって、最後の一筆を叩きつけた。
『――新約:戴冠。
これより、この物語の支配権を、管理者エルセと聖王ジークヴァルトへと永久に譲渡する。
世界は、私たちの愛を祝うためだけに、再定義される』
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
白紙の世界が、内側から爆発した。
紅いインクが血管のように虚無を走り、黄金の魔力がその肉付けをしていく。
空が。
大地が。
城が。
民の歓喜が。
それは、奪われたものの「復元」ではなかった。
一から十まで、私たちの都合の良いように、私たちの愛を邪魔しないように、私たちのためにだけ創られた「私有地」の誕生。
眩い光が王都を包み、気づけば私たちは、満開の花びらが舞い散る、巨大な大聖堂の壇上に立っていた。
下を見れば、数万の民が跪いている。
だが、今の私には分かる。彼らは以前のような「システムの操り人形」ではない。
ジークヴァルト様の魔力が生み出し、私のペンが命を吹き込んだ、私たちの「幸せ」を構成するための最良のエキストラ。
「……ようやく、この時が来たな、エルセ」
ジークヴァルト様の手には、私のペンが変化した、白金の王冠があった。
彼は跪かない。
対等な、そして唯一の共犯者として、私の瞳を真っ直ぐに見つめ、その王冠を私の頭上に掲げた。
「誰の視線も、誰の修正も、ここには届かない。
ここは私の帝国であり、お前の聖域だ。
さあ、本当の戴冠式を始めよう。……永遠に終わることのない、私たちの『私生活』を」
王冠が私の頭に置かれた瞬間、空に浮かんでいた「砂時計」が砕け散り、無限に輝く星々へと変わった。
世界は、もう消えない。
この男の愛が、燃料となって燃え続ける限り。
「……愛しています、ジークヴァルト様」
「ああ、私もだ。……世界を壊してでも、お前を奪った価値はあった」
私たちは、数万の民の歓喜――という名の、静寂な祝福の中で、深い、深い口づけを交わした。
第3章、完結。
私たちは、物語という名の「檻」を壊し、自分たちの足でハッピーエンドの先へと踏み出した。
――けれど。
戴冠式の喧騒の向こう側。
空の最果て、私にしか見えない次元の境界に、新しい「文字」が刻まれる。
『――第4章:神殺しの聖王と、叛逆の女神』
『コンテンツの継続を検知。……上位運営への緊急報告を開始します』
どうやら、世界はまだ、私たちの幸せを諦めてはくれないらしい。
私はジークヴァルト様の腕の中で、不敵に微笑んだ。
「……望むところですわ。次も、貴方と一緒に、全部ぶち壊してあげます」
第3章「管理者の反逆」、最後までお読みいただき本当にありがとうございました!
観測者を断絶し、自分たちだけで世界を再起動させる……。
「独善的で美しいハッピーエンド」を描ききることができました。
ジーク様の「俺一人で数億の観測を凌駕する」という暴論、これぞ過保護の極致ですわ。
「二人の幸せが完結したと思いきや、まさかの第4章!?」「システムとの決戦はまだ続くのか……」
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