32.君を想う日々
部屋に戻った赤眼の男が周囲を見渡す。
「おい、いねぇのか?」
シャワールームやトイレの扉を叩いた男が返事のない扉を引き裂いた。
人の気配が感じられない部屋を探し尽くした男が何気なく窓の外を見やる。
常人離れした視力で娘の姿を確認した男が窓から飛ぼうとするが、深夜にも関わらず人がごった返す繁華街を眼下に見たツェンは対面しているビルの側面に飛び移ろうとし、その肩をログに掴まれる。
黒い髪を後ろで束ねた体格の良い男がメモと通信機をツェンに手渡し立ち去ろうとする。
メモを見た赤眼の男は窓を突き破り空を飛んだ。
「ちゃんとメモを読んだか?」
腕を掴まれながらツェンと共に空を行くログが言う。
「読めるか!こんな汚ぇ字!何語で書いてあるんだよ!!」
「一応三ヶ国語で書いてはあるが、それ以上に俺は言いたいことがある」
空を舞う自身の姿を想像しながら男が言った。
「俺はお前と違って14階から飛び降りたら死ぬんだが?」
「いちいちエレベーター使ってらんなくてねぇ。お前さんなら多分大丈夫だろ」
「さっき渡した通信機の電源を入れておけ!!」
怒声を上げて滞空しているうちにツェンの体を蹴り飛ばすと、その反動でログは近くのビルの屋上へ着地した。
胸のポーチから取り出した痛み止めを奥歯で噛み締め飲み込んだ黒服の男が屋上から屋上へと飛ぶように移動する。
「こいつぁログさんに繋がっているって思っていいんだよな?」
「ログだ。バーズから言われたことだけを伝えておく」
通信機から流れた声を聞いたログが痛みに耐えながら答える。
「リネアに傷一つでもついたらお前を東国に置いていくそうだ」
「言われなくてもその馬鹿娘を追ってるんだが見失っちまった。何か知ってんならお前も手伝え」
近くのビルの壁面を蹴り、赤眼の男がビルの屋上を行くログの方へと飛んだ。
「お前に命令される筋合いはないが、バーズからの指令だ。端末に表示されている位置情報を見ろ」
「この黄色い三角がリネアって思っていいのか?」
リネアを追跡しながらログが答える。
「それは俺だ。地図を拡大しろ。赤い三角がリネアだ」
「拡大ってのはどう動かしゃいいんだ?」
突如として隣から聞こえた声と同じ言葉が通信機から流れるのを認識したログが告げた。
「横についているボタンを押せ」
消音ボタンを押したツェンが言う。
「何も変わらねぇな」
「機械音痴が」
ビルを飛び移りながらツェンの端末を手に取ると、再設定をしたログが赤眼の男に渡す。
「それでリネアを追跡できる。お前は早く行け」
「メモに書いてあった盗聴とかリネアって文字は何だったんだ?」
ツェンが端末の画面を見ながら質問をした。
「詳細は後でバーズから聞け。とにかくお前はリネアを追え」
「アイツが危ないってことか?下の連中みたいに」
その言葉にビルの屋上からログが眼下を見やると、民間人と思しき服装の者達が手にした銃を、人が溢れ返る繁華街で乱射していた。
「その可能性は高い。移動の速さから見るに彼女は車に乗っている」
「だったらお前が行ってくれ。また見失ったら俺が探せる保証はねぇしな」
端末を見ながらツェンが言う。
「お前ほど速く追跡できる保証はないが?それにその通信機で俺と連絡は取れる」
「こいつを見逃したら今度こそ娘に嫌われちまいそうでねぇ」
そう言ってビルから飛び降りるツェンがログに次いで告げる。
「お前さんの居場所を奪ったっていうのは悪かったよ。リネアを守ってやってくれ」
「謝罪など必要ない。俺は任務を遂行するだけだ」
そう答えた男が、またビルからビルへと飛び移っていった。
人がまばらになった繁華街に赤眼の男が轟音を立てて着地する。
銃を乱射している者達の首の骨を圧し折ると、突如その体が爆発した。
周囲を見渡すと群衆の中に突っ込み自爆していく老若男女をツェンは目にする。
自分の足止めだと理解しつつもリネアの言葉を思い出した赤眼の男が不自然な挙動をしている人間の腕を掴み、空へ放った。
群衆が逃げ惑い人気のなくなった繁華街に遥か上空へと放り投げられた人間達が地面に血の華を咲かせる。
それを見届けることもなくツェンは再びリネアの下へ急いだ。
タクシーを降りたリネアは海辺を進むと防波堤の上に腰を下ろし空を見上げる。
近隣に光源がないその場所では満天の星と防波堤に緩やかにぶつかる波の音が響いていた。
五感でそれ等を感じながら黒髪の女は物思いにふける。
自分は何のために今の仕事をしているのか。
幼い頃、母親に自分の父親について訊ねてみたことがあった。
出稼ぎに行っていると説明された当時の自分は、写真の一枚もなく一度も家に帰ってきたこともない男のことを考えると到底母の言葉を信用できなかった。
だが家には盲目の母親が一人で築くには不可能な財産があったのは確かだ。
友達の家を訪ねた際、その両親に同じ質問をしてみた。
親切ではあるのだが、この村の大人達は自分に対して何処か余所余所しく接しているのは小さいながらも気付いていた。
少し狼狽えた友達の両親は母と同じ答えを返した。母とはとても仲が良かった、とも。
父親に対しての評価はこう答えたものの、それとは別に母親のことは見下し、疎んでいることをリネアは知っていた。
身寄りのない盲目の女が戦時中に就けた仕事を侮蔑していることを、彼等が母に向ける目線や表情から感じていた。
権威に屈し、腹の内では他者を嗤う連中が許せなかった。
母を認めさせるために自分が権威側に回ろうと思った。
そのためにキャリアで警察へと入庁し、今回大きな仕事が降りてきた時はチャンスだと思った。
でも全部違った。
自分が生まれたこと、生きていることが争いの火種になる。
この仕事に任命されたのも、結局はツェンに対する腹の探り合いでしかなかった。
父親や、それと同じ赤い眼を持つ自分に怯えていた大人達と何も変わらない。
安易に書類を提出したことで母親まで危険に晒してしまった。
寄せては返す波音を聞きながら、それが何だと鼻で笑った女が立ち上がる。
その背後から数体の影がリネアに近づいて行った。




