源平の争乱①
ある時、市川崑監督、石坂浩二さん主演の金田一耕助シリーズが放送された。それを見て横溝正史先生の作品を読みたくなった。だが、横溝先生の作品はあらかた読みつくしている。そこで横溝作品に近い作家の作品をあれでもない、これでもないと思い描いた。
すると、頭の中で声がした。
――無ければ自分で書けば良いじゃん!
これが推理小説を書き始めた動機だ。
小説なんて書いたことが無かったが、構想を練ると、それらしきものが湧いてきた。試しに書いてみると、ひと月ちょっとで四百枚を超える小説が書けてしまった。そこから十一度、推敲を重ね、書き直したのが本作。
――ああ、これ、横溝正史のパクリじゃん!
で構わないので、横溝テイストを感じてもらえれば嬉しい。
朝廷より出仕停止を命ぜられた。
――何と無体な!
宣旨をもたらした弁官が桜の花びらを踏んで屋敷を去った後、高階経章は悲痛な叫びを上げた。
目の前にある文机を蹴飛ばせば、少しは気が晴れるだろう。だが、行儀のよい経章は両手を握りしめ、「何と、何と無体な!」と小声で呻き続けることしかできなかった。
高階経章は平氏一門の末席に名を連ね、京の都で、何不自由ない生活を送ってきた。経章は娘が平清盛の室となった高階基章の遠縁に当たる。基章の娘は平清盛との間に嫡男の重盛、基盛をもうけ、基章は外戚として平氏一門でかくたる勢力を築いていた。基章が平氏の重鎮として権勢を伸張する過程で、遠縁の分家の次男坊に過ぎなかった経章もその恩恵に預かることができた。
とは言え、栄耀栄華を極めているとは言いがたい。経章は下級貴族の一員に過ぎない。都の外れの僅かばかりの土地に小振りな寝殿造りを真似た屋敷を建て、身をひそめるようにして生きてきた。
――平氏にあらずんば人にあらず!
煌びやかな平氏政権下で、経章は人として、この世の春を謳歌していたと言える。当たり前のように、平氏の世は磐石で、この先も未来永劫、続くものだと思い込んでいた。
時はさらさらと、時に激流をなって流れて行く。
盛者必衰の理の通り、この世は無常であり、栄耀栄華を極めているものもやがては衰退の時を迎える。経章の知らないところで、歴史はごうごうと音を立てて動き始めていた。
治承四年(一一八○年)十月、関東で挙兵した源頼朝討伐の為、平維盛を総大将とした平氏の大軍が派兵された。
二月前、以仁王の令旨を奉じて挙兵した源頼朝は石橋山の戦いで手痛い敗戦を喫し、再起不能と思われていた。ところが、頼朝は安房国に逃れて再挙、知行国主への不満を募らせていた東国武士を吸収し、大軍に膨れ上がっていた。
新都、福原で頼朝挙兵の報を受けた平清盛は、膨脹を続ける頼朝軍に危機を募らせた。「情をかけたのが間違いであったわ。こわっぱめ。目に物見せてくれん!」
清盛は追討軍を関東に派兵し、将来の禍根を絶とうと考えた。
平維盛を総大将とする追討軍は意気揚々、都を出発した。諸国の援軍を吸収しつつ、大軍となって富士川で頼朝軍と対峙した。だが、追討軍は西国で発生した大飢饉による兵糧の欠乏に喘いでおり、まともに戦える状態ではなかった。
水鳥の羽音に驚き、追討軍は頼朝軍と干戈を交えることなく敗退してしまう。
この敗戦により、平氏の世に暗雲が垂れ込める。
そして、時代の寵児、平清盛が世を去ると、支柱を失った平氏政権はがらがらと音を立てて瓦解を始める。
寿永二年(一一八三年)五月、信濃国で、木曽義仲が以仁王の令旨を奉じて挙兵した。平家は十万を越える追討軍を派遣するが、木曽義仲は倶利伽羅峠の戦いで平氏軍を撃破する。勢いに乗った義仲軍は津波のように都へと押し寄せた。
平宗盛を棟梁とする平氏一門は都の防衛をあきらめ、安徳天皇を擁し都を落ちていった。七月には、木曽義仲の掲げる源氏の白旗が京の都にたなびいた。
都入りした木曽義仲は都に残った後白河法皇より、早速、王府守護を命じられる。
「無理じゃ。まろに旅など無理じゃ。まろは都に残るぞ。木曽の山猿と雖も、まさかとっては食ったりはしないであろう」
高階経章は蒲柳の質で、身体が壮健であるとは言い難かった。細身で小柄、笑うと両頬に出来るえくぼが、一層、子供っぽい。体力に自信のない経章は平氏一門の都落ちに同行することなどできず、都に残るしかなかった。門を固く閉ざし、息を殺すようにして、ひっそり暮らしていいた。経章程度の地下人であれば、義仲も気にとめたりするまい。
都は突然の政権交代で混乱しており、都の新しい主となった木曽義仲は経章のような小者を相手にしている暇などなかった。
養和の飢饉で、食糧事情が悪化していた。
加えて、武士の大軍が居座ったことにより、都の食料事情は悪化の一途をたどっていた。ついには食に困った遠征軍が都の周辺で狼藉や略奪を働くようになった。
都の治安は急速に悪化していた。
朝日将軍と持て囃された義仲だったが、治安の悪化と共に、名声は地に落ちた。評判の下落と反比例するかのように、平氏の復権を望む声が強まった。源家に対する風当たりは強くなる一方だった。
「ほれ、見たことか」経章は今にも小踊りだしそうだった。
無理をして都落ちに同行せずに、都に残って良かったと思った。
九月には、平氏追討の命を受け、源義仲が追い払われるように都より出兵した。
高階経章はほっと胸を撫で下ろした。源義仲、源頼朝の源家同士で内輪もめをしている間に、平氏が福原で勢力を回復していた。経章は平氏が再び都に凱旋する日は遠くないと期待した。
かつてのような生活が戻ってきた。
ところが翌、寿永三年正月、高階経章の安息の日は唐突に終わりを告げる。
彗星の如く現れた一人の将帥によって、淡い希望は露と消え去った。無名に過ぎなかった一人の若武者の名を源義経という。義経は宇治川の戦い、粟津の戦いで義仲を攻め滅ぼし、返す刀で二月には一ノ谷の戦で、鵯越の逆落としという奇策を用いて、平氏を一蹴してしまった。
義経の武名は京の都で鳴り響いた。
都の治安維持のため、義経が都に上ってくるという。義仲の失政により、やはり平氏よと評判を落としていた源家だったが、一ノ谷の戦の敗戦を受け、京の民の平氏に対する期待は一気に萎んでしまった。




