目覚め
なんだか久々に長文が書けました
この場にいる者に限らず、愛莉珠や夜奈すらも把握していなかった理玖の『魔喰い』の性質。それは一度に取り込む魔力の限界値が存在すること。
最低値については愛莉珠の性なる衝動によって判明していたが、最高値については未知数であった。その理由は異常までの魔力許容量の高さと補給した側から消費していく燃費の悪さにある。
通常のハウンドが1週間は持つ魔力でも理玖では良くて1日、能力をフルに使えば半日も持たない。普段は出来るだけ消費量を減らして生活しているが、それでも3日が限界である。
ではその異常な消費はどこで使われているのかというと理玖が『魔喰い』で吸収した常時発動型の異能の維持と影の魔狼の餌である。
常時発動型の中には皮膚の硬度を上げる『硬皮』や逆にゴムの様に弾性を持たせる『弾皮』、身体全体に薄い幕を張る『障壁』などがあり、これがどんなに攻撃を受けても傷一つ付かなかったタネである。
ではそんな理玖に傷を付けるにはどうするかというと常時発動型が機能しなくなる程魔力を消耗させるか逆に限界まで与えてオーバーフローを引き起こさせて一時的に全ての能力を緊急停止させるかだ。
どんなものにも許容範囲が存在しており、それは理玖も例外ではない。少な過ぎても餌と見なせず、多過ぎても喰い切れない。
小さ過ぎるとガス欠を起こして機能不全となり、逆に多過ぎると身体に対して悪影響を及ぼす過剰供給で身の安全の為に強制停止する。
普段ならこの様な事は起こり得ないが、これは理玖の最近の食生活が原因であった。
普段の食事でも微々たる量ではあるが魔力に変換できるが魔力的にはほぼ腹の足しにはならない。しかし密林での食事は普段の愛莉珠からの供給量を僅かに超えた量を毎回摂取できた。
そんな毎日を続けていればその僅かに超えた量……食い溜めが積りに積もって人でいう腹八分目状態が維持されるようになった。
加えて先の戦闘でそれなりの量の魔力を吸収してほぼ満腹状態となっており、そこに彼の死ぬ気の一撃を喰らった事でオーバーフローを引き起こして全ての異能が緊急停止して傷を付ける事に成功したのであった。
***
感じた事のない焼け付く様な鋭い痛みに一瞬で頭がフリーズする。左目からの視界は爪の斬撃を受けてから鈍い痛みを発しながら白く濁る様になった。
ぼたぼたと涙ではない生暖かい液体が顔から流れてまだ視界がはっきりする右目で見れば地面を赤く染め上げている。
左手で顔を触ればぐじゅりと嫌な音と生暖かく濡れた感触、そしてジクジクとした痛みが襲い、前に持っていけば真っ赤に濡れた自分の左手が見えた。
一瞬きょとん、と惚け顔をしてみせて、真っ赤に濡れた左手を眺めて顔の痛みを確かめる。
──初めて感じた明確な痛みだった。
痛みについては何度かある。指を切った些細な痛みや訓練で投げ飛ばされたりして負った打撲の痛みもある。
…………けれど、この痛みは初めてだ。
──どくん、どくんと胸が高鳴る。
感じた事のない衝動が胸の内から込み上げてきて、自然と頬が緩んでしまう。
正直な話、油断していた。
最初の攻撃を受けた時点で相手の力量は測り終えたと思い込んでいた。自分を傷付ける事ができないただ威張り腐っている奴だと思っていた。狩るに値しない獲物だと思っていた。
けれど……あの時の決死な表情から繰り出されたあの攻撃は間違いなく自分の防御を貫いた。
傷付けられた。何故?痛い。痛い。何故?嬉しい。何故?
ぐるぐるとそんな事が頭の中で駆け巡る。
痛い筈なのに、嬉しい?
今まで抑え込んでいたナニカが溢れてくる。少しずつ、ジクジクとした痛みに合わせて、バクバクとうるさい鼓動に合わせて溢れてくる。
もう制裁とか森の掟とかそんなものどうでもいい。目の前の獲物を……敵を思う存分楽しんで愉しんでたのしんでタノシモウ。
あはっ
***
傷を付けられた彼女は左手についた自身の血を手で弄びながら無表情で瞬きせずに凝視していた。
隙だらけのその姿に何故か追撃を加える事が出来なかった。
命を削る文字通りの決死の一撃で消耗しているのもあるが、何より彼女が纏う異様な雰囲気におされてしまっていた。
──予兆のように、ゾッと周りの空気が冷たくなる。風が吹いたわけでもなく、単純に、一瞬にして極寒の冬になったかのような冷たさ。吸い込んだ息が冷たく感じられた。
彼女の……ボスの口元が妖しく歪む。
その瞬間可視化できるほど濃密な魔力が放出され、木々を揺らし空気を震わせ地が軋む。
まるで土砂崩れを目前にしたような圧迫感。地獄の蓋が、開けられた。そう思わせるような、小さな入れ物に入っていたそれが溢れ出した。
それがなんであるかどういった感情からかわからない。誰だって、未曽有の災害の前に思考や行動を止めるように、彼等もまた生存本能で感じたこともないそれに反応できなかったのだ。
まだ年若い者め古参の者も例外無く、その圧迫感に自分の身が一回りも二回りも重く感じ、地面に縫い付けられる。呼吸が浅くなり、血の気が引き、冷や汗が湧く。
木々に留まっていた鳥たちは我先にと慌てたように飛び立ち、野生動物さえも恐慌状態となってそこから逃げた。
ようやくその波が収まっても彼は動けずにいた。肌が粟立ち、毛が逆立ち、冷や汗が止まらない。自分がこの場に立っているのが不思議なくらいだった。
今彼女は彼の目の前で俯き、反撃してくる様子もない。まるで酔っ払いのようにふらふらと身体を揺らし、時折掌を握ったり開いたりを繰り返す。
そして突然───
「じゃま」
そう呟くと自身の左目に指を入れて目玉を……雷爪で焼けて白く濁った目玉を強引に引き抜いた。
もう使えないとはいえあまりに突拍子もない行動に度肝を抜いていると今度はその空となった眼孔からグチグチと肉肉しい音を立てながら左目が再生している光景を目の当たりにしてもうなんでもありだなと思い始めた。
しかし目玉は再生させても左の傷は再生させていなかった。その様子に彼が首を傾げて疑問に思いながらも警戒を怠らなかった。
──それが彼の命運を分けた。
シュッ
一瞬の微かな感覚。反射で背を思い切り反り返らせる。風圧と不可視の衝撃波が自分のすぐ真上を通り過ぎて轟音が後からやって来る。
エビ反り体勢のまま今しがた後ろに飛んで行った〝何か〟の痕跡を辿る。それは地面を切り裂く様に抉りその先の木々を真っ二つに切り裂いた斬撃の跡だった。しかもその跡は焼けこげて地面や進行方向の岩に至っては断面が溶岩の様にグズグスに溶けていた。
防いだら即死ッ!
そう直感した彼はバネのように身体をしならせ、重傷とはとても思えぬ柔軟な体捌きにて続けざまに飛来する斬撃を紙一重で避け続ける。
いつの間にか拳と足は獣のそれを模した鎧の様なものとなり、拳に至っては鋭い爪が付いたものとなって爪は白熱を帯びていた。そして尻尾も鎌みたいな形状の刃となっていた。
体勢もより獣らしく四つ脚となり、動きも変則的且つ素早いものとなっており、身体全体に赤黒い雷が纏わりついて身体能力を底上げしていた。
一撃でも掠れば致命傷、空気を焼き切りながら迫る白熱の死の斬撃に彼は防御を捨て、身体に鞭打って全身を駆使し回避に専念する。
その最中一瞬だけ、ボスと目が合った。
ぞっとするほど美しく、魂すら捕らえ離さないと言わんばかりの深い深い穴底の様に暗くそれでいて鮮血の様に鮮やかな赤が合わさった赤黒い目を爛々と輝かせて三日月の様にぱっくりと裂けた笑みを口元に浮かべて自分自身に向けていた。
肌が粟立つ、筋肉が萎縮し呼吸すら億劫になる程の狂気に呑まれかけ、危機を感じ直ぐに視線を切る。
完全に目を付けられた、彼はそう確信した。
恐怖はある。本能が理性が全力で目の前の怪物から逃げろと訴えている。今にも尻尾を巻いて逃げ出したいと思い始めている。
だが……それと同時に身体の奥底から歓喜が湧き上がった。
やっと……やっとボスが自分を見てくれた。有象無象の石ころを見る目では無く明確に獲物として敵として戦士として見てくれたッ!
ボスがその力を解放するに値すると認めてくれたッ!!
ならば………自分もそれに応えよう。ボスの相手に相応しい様に今以上に全力でやろうじゃないかッ!!
ボスの灼熱の爪をボスを傷付けた時と同じ威力の雷爪を両手に発動させてて迎え撃つ。先程の一撃で魔力の栓がぶっ壊れた様で難なく出せた。
あの時と同じ……禁忌を犯して力を得た時と同じ高揚感が湧き上がってきて、あの時外れなかった枷がようやく外れた様な気がした。
バチバチと火花が散り、彼女の肌と彼の毛皮を焼いて焦がしていき、その瞬間自身の再生能力で火傷を治癒していく。またその余波で地面を熱波と雷撃で焼いていく。
爪を弾かれた彼女はきょとんとした表情を浮かべたが、またすぐにより一層狂気に満ちた笑みを浮かべた。対する彼も釣られて牙を剥いて笑みを浮かべる。
「「アハハハッ!!/ギャハハハッ!!」」
狂った獣が共に笑いながら死闘に興じる。その笑い声を森に響かせながら。




