この世界の良心であるはずだった人
--ああくそっ……ここで待てって言って全然こないじゃなねぇかあの居候め。
龍小屋の本拠地の前にある謎の祭壇の真ん中に腰掛けてから一時間。
スマートフォンのない待ち時間はとてつもなく退屈に感じていた。
--鍛えるとか言ってたけど……こんなとこで何やんだよ……。
『イブキさ……しょーがないことだけど今のままじゃ足でまといになるからさ……鍛えよっか』
昨日隣でラディの作ったスープを頬張りながら告げてきたクルドの言葉を思い出す。
彼女に悪気が無いのはわかってはいたが、これだけ長い間待たされてみると、その言葉をどうしても嫌味な方向に変換させてしまい、正直イラッと来ていた。
「えへへ、イラついてんね。イブキ」
いつの間にやら彼女は現れた。
眼前の視界は彼女の膨らんだポケットに遮られ、逃れるように視線を外す。
「い、イラついてはねぇよ……!」
--お前のせいだろうが!! つーかなんでこいついつもポッケに手ぇ突っ込んでんの!? 可愛いとか思ってんのかそれぇ!!!
「めっっちゃキレてんじゃんか、理由があったんだよあたしにも」
「な、なんだよ理由って……」
「寝坊」
「なッ──!!」
喜劇のように派手なズッコケを魅せるイブキを他所に、クルドは楕円形の祭壇の中心へと登る。
浅く被っていたフードを外してからあらためて伝える。
「んじゃ、ここで暫くは修行ね。んまぁ、ラディみたいに独学で強くなったヤツよりはマシだけどまぁまぁしんどいから多少は覚悟ね。あと、負傷した時は回復魔術かけたげるけどしっかり有料だからあんま怪我しないよーに」
「しゅ、修行って……ここなんもないぞ? お前が相手すんのか?」
困惑しながらも同じように祭壇を登る。クルドはチッチッチッと指を揺らし、向かい側の柱を指差す。
「講師は無償でいいってさ。ラッキーだったねイブキ」
「……へ? ……おっふ……」
柱の向こう側から顔を覗かせる女性を見るなり、イブキの鼻の下はゴムのようにながーく伸びる。
そんないやらしい視線に気が付いていないのか、彼女はピンク色のフワッとしたロングヘアーを揺らしてこちらへ走ってきた。
甘ったるい匂いに鼻孔を擽られながらイブキは女性の名を(心で)叫んだ。
--レイちゃん!!
「こんにちはっ! イブキ君……だよね? 担当講師のレイですっ!」
「う、ういっす……」
--超いい匂い……。
両手を前に出してガッツポーズを取るレイに、更に鼻を長〜く伸ばして会釈する。
なにかにみとれるように会釈をした姿勢のままぼーっと固まっていると、クルドに尻を蹴飛ばされる。
「あうっ!!」
「なにぼーーーっとしてんのよ。“ハナノビサル”みたいな顔しちゃってさ」
「し、してねぇって!!」
--なんでこいつはいつも俺の顔を変な名前の動物に例えてくんだよ!?
「ん? クルドちゃん。イブキ君は日本人だから“オジギ”はながーく、礼儀正しくやるんだよ?」
『え? なにそれ』という戸惑いの表情でレイを見る。
対する彼女も『わたしなんか変なこと言ったかな?』と返してくるように首を傾げて来るので、一層困惑する。
「ちょっ……2人とも! 固まんないでってば! 話が進まない!」
「……あっ! ごめんねクルドちゃんっ!」
クルドが割って入ってくれたお陰で凍えた時間が終わる。
きょとんと固まっていたレイは、思い出したようにわたわたとクルドの横に並び、ピシッと胸を張って直立する。彼女の動作は一々擬音が乗るようで騒がしかった。
「じゃあ早速! “龍魔力”を活性化させて“龍皮化”してみましょう! “右腕族”でも大丈夫! わたしにかかればすぐに同調を深めることが……」
「ちょっとごめんマジでいみわかんねぇっす」
思わず真顔でツッコミを入れてしまう。レイはまたキョトンとして首を傾げる。
「えっと……どの辺……ですか? もしかして“わたしにかかれば”っていう箇所で……」
「なんでよりによってそこ疑うんすか……どこって……全体的にというか……専門用語が多すぎて……」
あのイブキが初対面の女の子相手に饒舌にツッコミまくる。それほどまでにレイのボケっぷりは凄まじく、横で冷ややかな視線を送っていたクルドが仕方なさそうに助言する。
「龍魔力ってのはイブキ達メテンだけに流れてる特殊な魔導回路の事ね。基本可視出来ないオーラみたいなもんでさ、表面を覆うように今も身体中に巡ってんのよ」
なるほど……と言うように自身の右手に目をやる。体にオーラ的なものが巡っているような感覚はまるで感じられないが、クルドが言うには今も身体の表面に“龍魔力”は流れているらしい。
「……でもこれどうやって使うんだ? 活性化とか同調とか丸々わかんないっていうか……」
クルドは壇上を下り、傍にあった岩に腰をかけてから得意そうに答える。
「厳密に言うと今も使ってんのよちゃんと。イブキさ、不思議に思ったことない? なんで文明も世界も違うあたしとこうしてふつーに会話出来たりすんのかさ」
「あっ……」
--そういえば……。ラディスラスの野郎だって確かイギリス人だったし……。
「無意識のうちに龍魔力がイブキの脳と連動して五感を調整してんのよ。あたしの言葉も耳で勝手に翻訳されて、この世界の文字も基本は勝手に見れるようになってる。んまぁ、あたしが独自に調べた仮説にしか過ぎないんだけどね」
「ちなみにわたしはカナダ人ですっ!」
ビシッと手をあげてから主張するレイ。そんな彼女を気にせずにクルドは続ける。
「んで、活性化っていうのは外側じゃなくて内側に秘められてる龍魔力を外に押し出して可視化させるってことなのよ。んまぁ、どーやってやんのってのはナシでね。あたしメテンじゃないし」
「それでもイブキ君、一回活性化させたことあったんですよね? それで龍小屋にはいったんだし……」
考え込むようなレイの視線に戸惑うイブキ。ただ“活性化”というのはきっとメギト戦やラディとの喧嘩時等に身の回りに発現した黒いオーラのことを言うのだろう。
確かに活性化したことにはなるのだろうが、前者は極限状態の上での発動だったし、後者はラディへの怒りによって引き出されたいずれも偶発的な出来事だったと言える。
今ここでしっかり再現できるかと言われれば、正直怪しいところではあった。
「……できねぇっすね。大体無意識にやってたんで……」
『そーだよねー』と言わんばかりに脚をばたつかせるクルド。ポリポリと顔を痒いた人差し指を立てて提案する。
「んじゃ、今回も無意識に出てきちゃうくらい追い込んでみるしかないってことじゃんね」
「……えぇ」
--は? こいつ何言ってんの?
ニタリと口角を上げるクルドの不気味な笑顔にたじろぐイブキ。そんな彼の後ろから、ぽんぽんと肩を叩かれる。
「な、なにすんだよ……! 痛いの以外で勘弁して欲しいっていう……か゛っ!!」
振り向きざま、木刀を持ったレイにみぞおちを突かれる。身体の空気を無理矢理吐き出されるような苦痛に耐えかね、膝を付いて蹲る。
「あ、あの……ごめんなさいイブキ君……これしかなくて……」
「はっ……ぱっ……うっ……」
--ちょっ……死ぬ……死ぬ……死ぬっ!!
「おっ60M位まで増強してんね。 もうちょもうちょい〜」
激痛にのたうち回るイブキの後ろでクルドが他人事のように告げる。マナってなんだよと脳裏でツッコミを入れながらも必死に空気を取り入れようと息を吸い込む。
「その状態で力んでみてくださいっ! もう少しで発現しますっ!」
「あへっ……はっ……ど、どやって……?」
「うんちとか……する時みたいに……?」
「……ッ!?」
--レイちゃん!! そんなこと言っちゃダメッ!!!!!
下品極まる単語が美少女の口から放たれ、大きく気を取られるもその例えは案外わかりやすく感じた。
右手の筋肉を強張らせ、必死に力む。
「因みにさ、失敗したらもう一回みぞおち打つから」
「……ぐっ…!! うううッ!!」
--クルド……お前マジでこいつほんとッ!!!!
当然のように鬼畜なことを付け加えるクルドを脂汗にまみれた顔面で見上げる。
畜生このやろうと彼女に感じた怒りを“力む”力に利用するよう、更に必死で彼女を睨みつけた。
「…70…78…84……96……」
そんなイブキの睨みにまるで関心を示さずに、クルドは彼女の眼前に滞空する綿に手を翳してブツブツと数字を呟き続ける。
「103……116………121っ!」
数字が100を超えた頃にみぞおちの衝撃は消え、彼の周りを黒いオーラが取り囲む。エナジードリンクでも一気飲み呑みした時のように心臓がけたたましく鳴り響き、身体中に熱が行き渡るのを感じた。
「おお……これが……これがっ!!」
周りを漂っていた黒いオーラが右手に吸い寄せられていく。それは間もなく右手を龍の皮膚へと変形させた。
「……出来た……出来たっ!!」
変化した右手を荒い呼吸の中見つめる。そのまま目の前で頬杖を付いていたクルドに向けて自慢げに翳すと、彼女は首を傾げながら右手に触れた。
「おっけー、それが龍皮化ね。……それにしてもこれさ……めっちゃ黒龍っぽいんだけどなんか違うっていうか……。レイさ、このタイプの龍魔力見たことある?」
「わたしも無いですね〜……。同調化が進んだ黒角の右手が一番近いのはわかるんですよねぇ……」
右手を揉みながら、難しい顔で喉を唸らせるレイ。必然的に彼女の顔と胸が至近距離へと迫り、ドギマギしながら目を逸らした。
「な、なんか……変っすかね……へへっ」
「変っていうかやっぱ黒龍と繋がってそーな臭いがプンプンするってゆーか……イブキさ、白状するなら……」
「違うって!! スパイとかじゃ無いから!!」
「じょーだん」
--こいつッ!!!
再び岩に腰掛けるクルドへ向け、犬歯を剥き出しにして威嚇する。相変わらず意に介さない様子の彼女は、更に煽り立てるように頬杖を付いて嘲笑する。
「んまぁ、龍皮化なんて基本中の基本だし寧ろさ、毎回戦闘する前にみぞおち突いてちゃ話になんないわけよ。だからこっからが本番。龍魔力との同調を身体で慣らすためにも、今からレイと本気の組手だかんね?」
「レ……レイ……さんと……!?」
瞬時に後ろを振り返り、壇上の真ん中で木刀を構えるレイを見る。彼女はにまにまと微笑みながら、よろしくねと軽く会釈を返してきた。
「お、俺は……女の子を殴るって非道な手段はしないというか……いきなり組手!?」
「はいっ! ……あっ! 大丈夫ですよ! わたしは龍皮化なしでお相手するので!」
--なんでこの子あんなに嬉しそうなんだ……? まさかの戦闘狂?
渋々壇上にあがり、頼りの右手をレイに向けて構える。
向日葵のようにまぶしく微笑んでいたレイの表情は木刀を構えた瞬間、夜風に揺れる草木のように静かなものへと変わっていら。
--こ、この子……。なんかガチっぽいんですけど……。
クルドに視線を向ける。彼女はどっから持ってきたのか分からないドライフルーツをもしゃもしゃと食べながら『よそみすんな』と言わんばかりに顎を向ける。
--ちっくしょうやるしかねえのかよなんなんだよもうほんと嫌! 何!? この世界大っ嫌い! またなの?? ねぇまた戦うの??
涙目になりながらもレイに右手を翳すイブキをみて軽く頷いたクルドは、岩に腰掛けたまま気だるそうにレフリーのようにか細い腕を直立に掲げ、高らかに声をあげた。
「んじゃ記念すべき1回戦。 よーーい……はじめっと」
「どぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおっっっっっっ!!!!!!!!!」
「おっっっっっっふっっっっっっっっっっ!!!!!!」
開始一秒足らずでイブキの腹に飛び込み、電光石火の速度で木刀を脇腹へ叩き付ける。
鈍い打撲痛に耐えきれず患部を抑えて大理石の檀上に倒れ込む。
してやったり顔で木刀を構えるレイを見上げ、
「ちょっ……痛いっす……なんでこんな……」
「はいっ! “胴”一本ありです! くぅ〜! やっぱり一本取るのはきもちぃ〜!」
--レイちゃぁん……君はこの世界の良心であってくれよ……。
はしゃぐレイを見て何故か裏切られたような気分になり、起き上がったままどんよりと俯くイブキ。
そんな彼の顔の近くでドライフルーツをひらひらと揺らすクルドが早く立ち上がれと言うように煽り立ててくる。
「おーいイブキ〜……うんにゃ…アレだな……レイさ、攻撃すんの禁止ね。1回毎にこれじゃ進まないよ」
「そ、そうですね……気合い入れすぎちゃったといいますか……」
イブキの頭上でドライフルーツを揺らすクルド。食わせたければ食ってやると食らいつくと、ひょいっと躱されて彼女自身の口の中に入っていった。
--こ!! い!!! つ!!!!
「あげるわけないじゃんか。池の前で手叩いたら寄ってくる魚みたいな顔しちゃってさ」
──── プチッ。
何かが頭の中で切れる音がした。今まで散々おもしろがってイブキの怒りの火薬庫に火種を投げつけてくれたクルド。
小さな火の粉は遂に彼の怒りの導火線に火を付け、爆発した。
「こんのっ!!! クソガキめっ!!!!」
までアザラシに喰らいつくホオジロザメのように勢いをつけてクルドへと飛びつくイブキ。
それでも彼女はポケットに手を突っ込みながら顎を突き出し、後ろに仰け反る。
「えへへ、言っとくけどあたし捕まえるのメテンでも難しいかん……」
余裕をこいていたクルドの表情が曇る。
「…………ん?」
クルドは何故か、仰け反った以上の距離を移動できなくなっていた。
まるで大きな石をつま先に乗せられたように逃げられない。
「あ、あれ……? なんでぇ? ちょっ……これなにイブキ? イブキってば!」
青ざめてゆく彼女の二の腕をいとも簡単に掴むと、
「意外と鈍いんだなお前……さぁて……か・く・ご・しろよ?」
白い歯をキラっと見せつけてからクルドの脚を崩して押し倒すイブキ。
小さな少女の身体は呆気なく倒れる。そのまま馬乗りになって脚と腕を固定し、無防備になった脇腹をふんだんにくすぐった。
「うにゃっ!! やめっ!! うにゃにゃにゃにゃにゃにゃっ!! し、しぬってばしぬってごめんってくすぐるのは頭おかしいってまじでほんとうにゃぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
一生懸命じたばたと暴れて抵抗するクルド。
そんな憎らしくてちょっとだけ愛らしい様子にイブキは妙な親近感を抱いていた。
--あぁ……妹が小さい頃……こうやって制裁したっけな……。あいつが中学に入った頃1回やったらマジでキレられて親父にチクられてぶん殴られ……なんか思い出したらムカついてきたじゃねぇかクソッ!!
苦い記憶を連想し、より一層強くくすぐるイブキ。
流石のクルドも涙目になりながらレイに助けを訴えた。
「ちょっ……助けてってばレイっ!!! 死んじゃう! あたししん……うにゃにゃにゃにゃにゃにゃっ!!!!!」
助けを請われるレイは何故かハンカチで鼻を抑えていた。
荒い息遣いと共に、一言だけぽつりと漏らす。
「い、いいなぁ……」
「は!?? なにがいいのばかじゃないのちょっとレイってば助けうにゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!」
クルドの悲鳴は、雲ひとつない快晴の空に高々と響き渡った。




