39/決断
「お嬢様ご機嫌ですね」
「えぇ、最近ずっと悩んでたことが解決……はともかく。
ちょっと前向きに吹っ切れたの」
「それは良かったです」
上機嫌でエリクに答えると、彼も嬉しそうに微笑んでくれる。
でも、その横で歩くレナは文句を言いたそうだ。
「――それは良い事ですけれど節度は必要です。
特に最近食が細かったのに、あんなにたくさんお菓子を食べて……」
「うっ。だって、その……甘い物は幸せな気持ちになれるでしょう?」
ジト目で言ってくるレナに、視線を逸しながら言うと彼女は困ったように笑う。
「もぅ……。今日だけですからね? 太っちゃいますよ」
「はぁい」
苦笑して、二人に別れを告げて私は部屋に入る。
エリクは扉の前でそのまま護衛のお仕事。レナは隣の侍女の控室にだ。
(さて、机の上ちゃんと片付けないとね)
さっきはテンションが上がりすぎて、勢いのままに行動してしまった。
叩きつけたノートもそのままだし、ご都合主義全開の物語も放置しっぱなしである。
机のペンとメモ用紙を片付けて、後は設定メモノートを回収――と思ったところで違和感を感じた。
ノートがない。
しかし、叩きつけたのは確かに机の近くだ。
そしてこの違和感。
嫌な予感に周囲を見回し――ソファを見る。
よくよく目を凝らすと、そこには寛ぎながら例のノートを読む兄貴の姿。
「あ……あ……あぁぁぁぁ!?」
思わず指を指して、声にならない声を上げると兄貴は顔を上げた。
「な、ななんでそれを……!!」
「そこに落ちていたから。なかなか面白い内容だね。
それと大きな声を上げるのははしたないよ」
そう言って指をパチンと鳴らすが、視線はノートに落とされたまま。
良く分からないが、先程のようにエリクが声を掛けてこない辺り、音が響かないように細工をしたのだろう。
だが、今はそんな事どうだって良い。
人の部屋に入るな!
勝手に人様のノートを読むな!!
叫びたくなったが、それより何よりすべき事がある。
「読んじゃ駄目っ!!」
優雅さをかなぐり捨てて、兄貴のもとへ近寄りノートを奪う。
特に抵抗されることもなく、ノートは回収できた。
「まだ全部読んでなかったのに」
「何を残念そうにしてるんですか!?
いいですか、ここは私の部屋で、これは私の私物です!!
勝手に入るのも、人のノートを読むのも非常識ですよ!?」
ノートを抱きかかえ、思いつくままに叫ぶ。
どれくらい読まれたのだろうか。
万が一を考え、ストーリーの部分はある程度、名前を置き換えたりイニシャルにしてぼかしてある。
だが、後半のキャラ設定の部分はそのままなので、ノートを全部読まれていたらきっと内容を解読出来ているだろう。
背中を嫌な汗が流れる。
「実に興味深い内容だったよ」
「小説! 小説の設定ですからね!?」
満足そうに微笑む兄貴に、ツッコミを入れる勢いで言い訳を叫ぶ。
しかし兄貴は、私の言い分など無視して問いかけてきた。
「――それで、どのストーリーを選んで書くのかな?」
その言葉はつまり、ほぼ読んであるという事と同義。
思わず固まる。
なんて答えるのが正解だろうか。
迷う私を楽しげに見ながら、兄貴はなおも続ける。
「どのストーリーを選ぶにしても”彼女”は死ななくてはならないみたいだけれど……殺してしまうのかな?」
「殺しません」
硬直していたのが嘘のように、自然と強い口調で言葉が出た。
私はもう決めたのだ。
この質問の意図は分からないが、それだけは決まっている。
「悪くないストーリーだと思うけれど、それでもかい?」
「絶対――絶対に殺しません。誰にも殺させません」
楽しそうに笑う兄貴の目をまっすぐ睨みつけながら、私はきっぱりと言い切る。
こんな風に、この人をまっすぐ見たのは『魅了』を使った時が最後だと思う。
「だとしたら、全てストーリーは書き直しになるね。――それでも?」
「それがどうかしましたか?
書き直せばいいなら、書き直します。ただそれだけの事じゃないですか」
「なるほど――それが賢明だろうね」
そう言って兄貴は微笑んだ。
(……どういう意味?)
眉をしかめていると、兄貴は「仮に彼女を殺しても物語は破綻するからね」と言う。
(……本気でどういう意味?)
彼女が誰なのかはもう言うまでもない。
だが、兄貴が心動かされた瞬間を私は見た。
だというのに、破綻するとはどういう事だろうか。
「確かに彼女も興味深い。
しかし、彼女が死んでも魔王の心は今更大きく動かない。
何故なら魔王の心は、既に別のものによって動き出しているからだ」
魔王が誰なのかこの人は分かって言っている。
つまり――この言葉は、兄貴が自分について語っているという事だ。
そこまでは分かる。
(でも、”既に別のものによって動き出している”って言うのは、どういう意味?)
私の知らないところで、兄貴は既に何か変わっているのだろうか。
言葉の意味する事を考え、頭の中が軽くパニックになる。
「……まあ、君が手を出さなくても彼女は勝手に消えそうだけれど」
ぼそりと兄貴が呟く。
それは聞き捨てならない。
どういうことかと、言わんばかりに私は兄貴へと詰め寄る。
自分からここまで近づいたのは初めてだ。
「話して下さい」
「彼女は我が家との交流を深める傍ら、父上について探っているようでね。
自身の境遇は理解しているだろうに愚かな事だ。――いや、身を捨ててでも家に尽くす健気な娘と見るべきなのかな?」
どこか他人事のように言う兄貴に苛つく。
自分でも目つきが悪くなっているのが分かる。
「やはりシルヴィアさんは……クラース家からの人質として嫁ぎに来たんですね」
私の言葉に応えはない。
だが、それこそが答えだ。
間違っていればこの人は訂正するだろう。
「……お兄様は、彼女のことをどう思っているのですか……?
貴方の婚約者なんですよ……?」
兄貴の言う通りであれば、このまま放置することで彼女は死ぬ。
私の問いに、少しだけ考える素振りを見せてから、兄貴は口を開く。
「面白い人物だと思っているよ。実に興味深い。
出会うのがもう少し早かったら、もっと強く惹かれていたかもしれない」
やはり彼女は楔たる資格があったらしい。
その後も、兄貴にしては珍しく褒め言葉が続いていく。
「物怖じしないところがいい。私に堂々と話しかける人物は希少だ。
味の好みは少々変わっているが、それも面白い。あの辛さは衝撃的だった。
……そう言えば、私に無理だと言わせたのは彼女が初めてだな。いつかは見返したいね。
そして、そこらの令嬢より頭が良いところも好ましい――何しろ、この短期間で一つの成果を出すくらいだ」
「……成果、ですか?」
「二年前の誘拐事件を覚えているかな。彼女はアレの真相に辿り着きそうだよ」
兄貴の声が響く。
真相。
それは――クソ親父による、自作自演だという事。
実際に確かめたわけじゃない。
だが、事件後に起きた変化を見れば、それは間違いないだろう。
彼女が兄貴の婚約者になって二ヶ月程度。
確かに彼の言う通り素晴らしい成果だと思う。
喉が乾く。
そこまで考えて、彼女がどう行動するかが予想出来てしまう。
「……お兄様は助けないのですか?」
「助けを求められていないからね」
当然のように、兄貴は言う。
この男が冷たいことは分かっていた。
だが、少しだけ予想を超える言葉を続ける。
「彼女がそれを求めるなら考えなくもないが――それは多分ないだろう。
私は彼女に父上寄りだと思われている節があるし、とても意地っ張りなようだからね」
意外と兄貴は、シルヴィアの事を見ている。
それが少し嬉しくて、とても悲しい。
ここであと一歩、自ら動けるようになってくれれば、私は兄貴とシルヴィアの結婚を心から喜べたかもしれないのに。
この言葉はつまり――死んだら死んだで仕方がないと言ってるのと同じだったから。
血の気が失せてきているのが分かる。
彼女が勢いのままに行動すれば、その結末は想像に難くない。
「さぁ、どうする?」
楽しそうに――実に楽しそうに兄貴は笑った。
兄貴 は 楽しそうに 笑っている!
ミーナ は 激怒 した!
これより先は、道なき道。
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