42.ハルと不遇の王(8)
野菜のブイヨン完成。あとは朧に保存瓶の調達を頼むばかりだけれど。
「……王子に近所の買い物的なことまで頼んでいいのかな」
たぶん、良くない。むしろ頼んだら嬉々として自ら商人街にまで行きそうなシュネーリヒトが恐ろしい。あの笑顔で商人街の何人の子女が餌食になるだろう。
「恐ろしい。明日、クラウド様に聞いてみよう」
レインには聞かない。知らなそうだし、知ってても教えてくれなさそうだし、何か余計にいじめられそうな気もする。レインと言えば……。
茹でたソラマメの山を一瞥。
「今、この瞬間が美味しいんだけれど」
そして美味しかった。
「ミルクはあるからな、うーん」
なんだかんだいって、レインには身を呈してかばってもらっているし、どこから調達してきたのかソラマメは大量にくれるし、お世話になっている。ぶつぶつ「不本意だけど」呟きながら、ハルは自分のお昼も忘れてソラマメ処理に没頭するのだった。
「お、終わったぁ」
食料庫の大方の食材処理が終わったのは、赤い夕陽がキッチンに差し込み始めた頃だった。久しぶりの充実感に思わず両手を上げてバンザイしてしまった。
「うーん。結局、お昼を抜いちゃったからお腹すいたな……先に食べちゃおうかな」
ハルは昨日のキャベツのスープと共に煮ていた肉塊を取り出し、厚めに切る。キャベツと共にお皿に盛りつけて、粒マスタードを端につける。スープ皿にさっきできたばかりの柔らかい若葉色のスープをよそった。
「これは冷やしておこっと」
氷をたっぷり詰めたボウルの上に小さなカップをふたつ。若干、不安が残る一品だけど、しっかりと氷の冷蔵庫の中にしまう。ポンポンと手を合わせ「おいしくなりますように」祈った。
広い、広いダイニングにぽつりとひとり。
小さくため息をついて。
「リヒトさまー」
きっとどこかで聞いているだろう、シュネーリヒトに。
「お先にいただきますよー。食べちゃいますよー。…………リヒト様。早く帰ってこないかな」
シュネーリヒトが"一緒に食べる"と言ったはずなのに。真に受けた自分が恥ずかしい。けれど、ここに彼が運び込んだ野菜もお肉も、魚も、食料たちはみな彼に食べてもらいたがっている。新鮮なうちに、温かいうちに、冷たいままに。
「おいしい!やっぱり素材が良いと違う……久しぶりにこんな良いお肉食べた……」
自分の技量はさておき、素材の良さに感激だ。きっと、そのまま食べてもおいしい。
「リヒト様、今日は帰ってくるかな。お肉は食べ時なんだけどなぁ」
けれどハルの思いとはよそに、食べ終わっても片づけを終えてもシュネーリヒトは帰ってこなかった。ランプを片手に暗い廊下を歩き、とぼとぼと自室へ戻る。眼鏡を置き、ベッドに体を投げ出し、不格好なくまのぬいぐるみを抱きしめた。しばらくそうしていても商人街にいたころの突起した疲労感がないからか、落ち着かず、ランプを再度手にして部屋を出た。
「はあ」
相変わらず人気のない暗い廊下。
窓には薄暗い闇の中、木々が揺れ、その先に王城の柔らかな光がまるで星のように散らばっていた。近付けば煌びやかだろうその光が、ハルには悲しく見える。
「リヒト様はひとりでここにいるんですね」
暗く。
ひとりで。
「……魔術師だから」
しばらく歩き続けて、不意に足を止めた。何の変哲もない、他と変わらないその扉に見向く。シュネーリヒトには部屋を覗くことは禁止されていない。
それに。
なにかがハルを呼んだ気がした。
「書庫かなぁ、このマーク。失礼します」
気をつけても躊躇せずに、静かに重い扉を開けた。
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