43.ハルと不遇の王(9)
"ロサ・リリアンベイリス・ウィザード"
ウィザードはこの国の名を指し、ロサは、花の中の王を指す。
つまり、この国の王族の中でも一握りの人間でしか得ることのない名を生まれる前から彼、リリアンベイリスは持っていた。
全国民と王族と、全てから求められ生まれた、王。
そうあるはずで、そうであるべきだった。
けれど。生まれてみると彼は呪われていると告げられる。
王族とは縁もゆかりもない異端の銀糸の髪と漆黒の目。
母である王妃は、その姿を見て狂ったようにかな切り声を上げ、父である王は子は死んだとその小さい体に一触れもせずに去った。
だから、リリアンベイリスは両親に一度も名を呼ばれることなく、王城から一番遠い塔の最上階に隔離された。
来る日も来る日も、塔の窓から見える空虚の空を見続ける。固く閉ざされた扉の向こうで、牢番と食事や着るものを持ってくる女が話す言葉を聞いて、彼は言葉を覚えた。
「リリ、アン、ベイリス」
それが自分の名前であること。
この部屋が、この世界のすべてではないこと。"呪われた子"、どうやらそのために、果てしない時間をここですごさなければならないこと。たった一つの格子窓から覗く下の世界はまだ小さな彼の好奇心をくすぐるけれど。
小さな小部屋で過ごすリリアンベイリスの筋肉は次第に退化し、まだ小さな体は不健康に青白く痩せこけて行った。だがそれを憐れむものも救い出そうとする者もこの城にはいなかった。
来る日も来る日も、小窓から空を眺め、新緑豊かな世界を見下ろした。
途方もない時間をただただそうして過ごして行くうちに、はたして自分が自分としてこの世界に成り立っているのかさえもわからなくなっていった。
そんなある日。
「エル王子殿下!おやめください!」
それは唐突に壊された。
「良いから開けぬか!ええい、わたしを誰だと思っているっ」
ぼんやりと天井の石組みをベットに横になり見ていたリリアンベイリスは、初めて聞く激しく勢いのある声に衝撃を受け、それでもゆっくりと体を起こした。
「ここにいる化け物を退治しに来たのだ!開けよ!開けなければ、お前たちも処分する!」
強く意思のある声に、我が身かわいさに牢番は逆らうことはできず、扉を明け渡す。リリアンベイリスはゆっくりと開く扉を見つめた。
「化け物、成敗してくれる!わが名はエ――――――ッ!?」
勢いよく飛びこんできたのは、長い金色の髪を一つにまとめた美しい少年だった。リリアンベイリスは初めてみる美しい光景に「ほう」と感嘆を漏らす。兎にも角にも、今まで見た空虚な空よりも新緑の緑よりも牢番よりも、世話を見る女よりも何よりも美しい。
一方、飛び込んできた威勢の良い少年は、目の前の光景に自分の目を疑った。
強靭な化け物が閉じ込められていると聞き、近付くことさえ許されなかった塔の、地上から一番遠い最上階の小部屋。
そこにいたのは、同じ年頃の子どもだ。
「化け……もの?何故、ここに子どもがいるのだ?化け物の化身した姿か?お前、何者だ!名前をなんと申す!」
力強い目でそう尋ねられ、リリアンベイリスはゆっくりと口を開く。
「リ、リア、ん、べい、リ……ス」
久しぶりに声を出したから、その声はしゃがれていて、とても年頃の子どもとは思えなかった。痛みを伴った喉にそういえばしばらく水を飲んでいなかったとリリアンベイリスは気付き、ベットの隣に置かれた台のうえのカップに手を伸ばす。
飲もうとして、けれど持ち上がらなかった。
「何だと?リリアン……ベイリス……リリアンベイリス!何をふざけたことを申すか!」
くるくると変わる金髪の少年の表情を虚ろに見続けながら、首を傾げた。
「リリアンベイリスは、我が王国の王、生まれながらのロサ。だが、生まれて間もなくご逝去されているのだ、ふざけたことを申す化身よ、わたしが成敗してくれる!」
金色の髪がサラサラと揺れ、リリアンベイリスはその光景が美しいとぼんやり見続けていた。"成敗"がどういう意味かもわからずに。
喉元に突き付けられた剣の先端に、悲鳴が上がったのはリリアンベイリスの口からではなく、この部屋を明け渡した牢番からで。
「おやめください、エル王子殿下!」
「この不届き者の首を撥ねるものの何がいけない!こやつは、化け物の分際でありながら花の名を口にした、しかも国中が一年も喪に服すほど望まれていた真の王子の名を!」
「エル王子殿下!」
そのやりとりに目もくれず、リリアンベイリスは喉元に今にも突き刺さりそうな剣先に視線を動かし、ゆっくりと本能のままに口元を緩めた。
それがたとえ"生きて"ではなかったとしても。
「ここ、カラ、デラ、レ……る」
歓喜と喝采が、もう力のこもらない体中に駆け巡るのがわかった。筋力はとうに衰退しカップひとつも持てない。
早く。
早く。
早く。
「お、まえ……」
突き付けられた恐怖に怯みもせず、"笑う"自分と同じ年頃の少年に気味悪さを覚え、金髪の少年はすぐに剣を引いた。"リリアンベイリス"と尊き名を名乗る少年が、自分に向ける視線に宿るその欲望に気付き、はじめて戦き下がった。
"早く殺せ"
「お前は――――――何者なのだ」
金髪の少年は最後にその一言だけを残し、豪奢なマントを翻すと走るように塔を下っていった。
重い扉がゆっくりと閉まる。
もしかしたら、出ようと思えば出られたのかもしれない。
けれど、この体を動かすのはただの二本の枝と化してしまった"足"には無理なことで。
リリアンベイリスは、生きてきて初めて残念そうに顔を曇らせ、軋む体をゆっくりと動かしながらカップに顔を動かし、まるで獣のように水を啜った。
誤字・脱字等ありましたら感想・活動報告等にご連絡ください。しばらくリリアンベイリス編です。暗くてすみません。引き続きお付き合いください。




