79.【ฏ】突き棒のトー・レック【その4】
三十メート級のコピー三体が立て続けに葬られるのを見たシアムは、コピー元である五十メート級人面ムカデのうなじから大声で命じた。
「囲んでつぶして!」
赤黒い火の玉を飛ばし、もともと六体いたコピーのうち残り三体に火をつける。
コピーたちの胴体も人面もたちまち赤黒い炎をまとった。
当のムカデたちは平気そうである。
むしろ、より活発に多脚と大口と胴体が躍る。
確実に強化された人面ムカデ三体がその三十メートの体を地上のナーグルアに押し付ける。
一体は向かって左から少し細めのしっぽをからませ、もう一体は右からムカデの多脚をうごめかせながらナーグルアの肢体を襲い、最後の一体は正面斜め上から乱杭歯を突き立てた。
(オリジナルの歯が抜けたあとでも、コピーのそれは健在らしいな)
ともあれ三十メートの物量三個分が同時にナーグルアを蹂躙した。
――ように見えた。
実際にムカデたちが攻撃したのはナーグルア自身ではなく、突起の付いた彼女の黒い棍棒であった。
しかも巨大なしっぽと多脚と歯列を受けとめてもなお、棍棒にはいっさいのヒビが入らない。
白すみれ色の髪とボトムスの四枚の布を逆立てながら、ナーグルアはムカデたちの頭上に現れた。
南に視線を向けたまま、いったん右ひざを胸のほうへと引き寄せる。
その太ももを右こぶしで真下にたたいた。
するとたたかれた右脚が加速し、左脚を臀部側に曲げた状態でナーグルアの右足裏が人面ムカデの頭頂部に沈み込んだ。
一番上の一体だけでなく、その下にいる二体も衝撃をもらう。
歯を見せていた個体は頭部から、多脚で襲おうとした個体は数本の足の先から、しっぽを出した個体はその先端部から爆裂した。
患部からもっとも遠い部位まで瞬時に威力が伝わったため、人面ムカデのコピーたちはナーグルアにふれた箇所のみならず三十メートに及ぶ全身までを残らず霧散させることとなった。
それから地上に立ちなおしたナーグルアは灰色の地面に逆立ちになった棍棒を右手で抜く。
棒を順手で持ったまま両手を後ろに回し、二つの白いテントを背にして五十メートムカデと対面した。
棍棒の一部が黒い柱のように彼女の背後から突き出ている。
ナーグルアはおしとやかな声と共にシアムへと柔和な笑顔を向けた。
「お強かったですわ」
「ろ……六体の巨大コピーを一人で……しかも一瞬で」
汗の一つも浮かべていないナーグルアを、シアムが頭をかかえて見下ろす。
「化け物の域すら超えてるじゃないの……っ! こんなの逃げるしか……っ」
「でしたら強制はできませんわね」
その声はシアムの近くで発された。
先ほどまで地上にいたはずのナーグルアが文字どおりまたたく間に、五十メート級の高さを持つ人面ムカデの額の前に移動していたからである。
瞠目したシアムはもはや目の前の光景が信じられなかったのか、乾いた笑いをのどから漏らした。
「はは……ไม่ใช่มนุษย์(マイチャイ・マヌット)〔人間じゃない〕」
「鬼と呼んでもよろしくてよ」
にっこり微笑してナーグルアが棍棒を夕焼け空に突き上げた。
持ち手に両手を添え、ただシンプルに振り下ろす。
「テ」
あまりにも短い詠唱を、内股の体勢で口にした。
五十メートの人面ムカデに棍棒の突起と本体がめり込む。
瞬間、人面ムカデは真後ろへと吹っ飛んだ。
黒い髪が嵐のように乱れ狂う。
焦点の定まっていない赤い目玉が一瞬間飛び出す。
多脚はあらゆる方向に激しくのたうち、大口からは大量の紫の液体が回転しながら散った。
空気を裂く音と衝撃のなか、俺もクマリーもプラトゥもレックもヒマもユアユもンゴットガームもフアロもシアムもシーフーハーター姿のミーもムカデの胴体にしがみついた。
身をのけぞらせたまま五十メートの人面ムカデはナーグルアから離れて岩場の中央に突っ込む。
そこにはシアムのあけた直径四十メートの穴がある。
ムカデは胴体をひねってその穴に入ろうとした。
しかし直前、穴とそれを囲む岩の上に白くて丸い巨大な皿が出現した。
人面ムカデはまるで料理の一品のように皿に落ちる。
(テーラさんだな)
とっさに体勢を立てなおして人面ムカデは頭を上げようとした。
が、上空に浮いたままだった水色の巨大鍋蓋が直上に移動し、また人面の頭部の動きを封じた。
(今度はロップか)
上下をふさがれたムカデは横から出ようとしたものの、その都度皿のふちと蓋のへりから犬歯のような白い物体が生じて上と下から胴体を噛み砕いてくる。
(センセー!)
さらに皿へと逆立ちのカヤンが着地し、唱える。
「リップ」
途端、人面ムカデの胴体にくっついていた多くの足が小気味いい音を立てて破裂していく。
ここでムカデのしっぽ付近にしがみついていたンゴットガームがフアロと同時に詠唱を重ねた。
「タオワン!」
すると皿の上から白っぽい樹木が生え、急生長した。
時計回りに螺旋をえがきながら伸び、しっぽから人面ムカデのうなじまでにからみついてその動きをとめた。
それでも五十メートのムカデが倒れることはなかったものの、うなじにいたシアムがミーに騎乗したまま自身をつつむ赤黒い炎を揺らめかせる。
「それで拘束したつもり? 燃やすだけなんだけど!」
炎をまとったミーを使い、樹木に着火させようとする。
だが木に火はつかなかった。
代わりに木からオレンジ色のねばりけのある液体が漏れた。
「……なにこれ」
ムカデにからみついた木は、余さずその液体で濡れている。
液体から甘いにおいがかすかに漂う。
ここで虫のような羽音と共に黄土色の髪と瞳を持つ小柄な少年が浮遊してきた。
左ほおに赤い文字を刻んだ少年が、ハチミツでできたミツバチを複数連れて飛んでいるのだ。
黄色の上着と黒の胴衣、加えて黄色のスカートの下の黒いズボンと靴はまるで虎斑のようでもある。
しっとりとした声を発しつつ、少年がシアムのそばに寄る。
「【ผ】ポープン・ルディ、つかさどる字はミツバチのポー」
ほおのポープン(ผ)からオレンジ色の液体をにじませながら少年――ルディが言う。
「あんたと直接顔を合わせるのは二回目だったかな、シアム。残念だけどンゴットとフアロの樹木はもう燃やせないよ。僕がハチミツをしみ込ませたから。もちろん燃焼しないよう、成分に調整は加えたけどね」
「……ミツバチのお子さま」
シアムがミーをあやつり、かぎ爪のような右足でルディを引き裂く。
「そう。このあたりでときどき見かけたミツバチはあなたのピーだったわけね」
「まあそんなところ。とはいえ僕も安全な場所にずっといるのに飽きたんだ」
ルディの引き裂かれた胸から体液がほとばしる。
ただし傷口から出たのは赤い血液ではなくオレンジ色のハチミツだった。
「悪いね、僕の血管には血の代わりにハチミツが詰まっているのさ」
「あなたも人間をやめ、う……っ」
ハチミツが炎を貫通し、返り血のようにシアムとミーの目にかかった。
ひるんだシアムと洗脳状態のミーめがけ、俺はクマリーとプルーンとアーガートを連れてムカデの胴体を駆け上がった。
「ゲーンタハーン・ダープ」
赤く光らせた左手のトータハーン(ท)から剣を引っ張り出し、その刀身で敵を薙ぐ。
赤黒い炎をまとうミーとシアムに連続攻撃をおこなう。
クマリーがトータハーンの文字を宙に書いてサポートしてくれているので威力も出ている。
シアムが炎を投げながら無理やり笑う。
「洗脳されたからって仲間にも容赦ないね。赤目赤髪のお兄さん」
シーフーハーター状態のミーの打撃と突進で俺に反撃を加えようともするが、たいした脅威でもない。
その力は正常なミーの百分の一にも劣る。
自己を持たない彼女をあやつったとしても、せいぜいその力の恩恵を受け取るだけがシアム側の限界だ。
しかも俺が傷ついてもゴーン……という鐘の音と共に傷が即座に修復される。
ボーン……という響きも地上から聞こえる。その音と一緒に剣を振るうと、一回の攻撃の威力がまるで何回もヒットしたかのように増幅された。
(チュアモーンもありがとう)
俺はルディたちと協力しながらシアムとミーを追い込んでいく。
が、シアムは不敵に笑ってミーを跳躍させた。
俺のすぐ目の前に来たミーがやや斜めになった足場の上で口をひらく。
「今度こそ噛みつぶされちゃえ。仲間の口で。ソムナムナー!」
ところがミーの歯列が俺に届く直前。
シアムから見て左方向に赤黒い布がひらひらと舞った。
それは薄れかけている夕焼けを吸ってわずかに光った。
突然現れた布にシアムが横目を向けると、布が裂けて銀色の臼のかたちをした穂先が飛び出した。
「これ……まさか」
臼の先端が左肩に当たると同時にシアムはミーの背中から突き飛ばされた。
側転に似た軌跡をえがき、ムカデの胴体からも落ちる。
「レック……ッ!」
見上げるとミーの左横で、レックのえび色の髪と瞳が輝いていた。
レックはえび色の柄の突き棒を右手で握り、それぞれひし形と臼のかたちをした二つの先端を見せている。
左肩から右腰にかけての黒いベルトも少し短めの白いズボンも緑と黒が混ざったような色合いの靴も相変わらずだが、周囲に合わせて色を変えるチュニックを脱ぎ捨てている。
現在のトップスは肌に張り付く半袖の黒い胴衣だ。
彼のギザギザの髪とパッチリとした瞳を見上げ、シアムが歯がみする。
「さっきの布はレックの着ていたチュニック。しかも……」
うなじの炎をさらに激化させ、さけぶ。
「騙したんだね」
シアムが、身をひねった状態のムカデの別の胴体に落下する。
「最初からミーの洗脳をとく作戦の中心は――赤目赤髪のお兄さんじゃなくてレックだったんだ!」
「ああ」
再びミーのもとに戻ろうとするシアムの進行方向に俺は立ちふさがった。
「俺はおとりだったんだよ。チュアモーンがわざわざシアムにも聞こえるよう作戦を伝達したのは、本命のレックから敵の注意をそらすためだ」
「ど……どこまでわたしをコケにしてんの!」
シアムの全身をおおう釣り鐘型の柑子色の布までが炎のようにひるがえる。
「それにあなた……さっきミーのかみつきを受けたクセになんで無事なの!」
「仲間のおかげだ」
静かに言って、俺は頭部と上半身にくっついた緑がかった茶色の破片を左手で払った。
ミーの歯が俺をつぶす間際、後ろから駆けつけたユアユがトータオ(ต)の力を使い、俺の体に固い鎧を生じさせてくれたのだ。
それにより、ミーの歯は俺に届かなかった。
火の玉に身をつつんでこの状況を突破しようとするシアムに、俺は詠唱をかぶせる。
「ガムペーン・プレーオ」
この命令を受け、コウモリの姿をした空の兵隊が左向きの風を発生させた。
続けて小鳥の姿をした炎の兵隊が火を放つ。
火は風に乗って広がり、たちまち俺の後ろに炎の壁を作り上げた。
悔しがるシアムを尻目に、俺はレックの様子を見上げる。
ビブラートを利かせた声を響かせながらレックが、炎をまとったミーの突進をさばいていく。
「ミー! オレはうれしかった!」
相手と激しく打ち合いながらも、その突き棒はシーフーハーターの体をけっして傷つけなかった。
「君がオレと一緒に過ごしたいと言ってくれたことも、オレのことをかっこいいと褒めてくれたことも! だけど……だけどオレチャンの気持ちはそれだけじゃないんだ!」
戦闘の音よりも、レックの声のほうがよほど大きい。
「オレは……過去に君と暮らして、温かいいのちと初めて向き合った! その経験を与えてくれた君は……なにより特別だ! オレの心を……君は誰よりも強く突き刺しているから!」
なおレックがミーに語りかけているあいだシアムは声を荒らげてそれを妨害しようとしたが、俺はアーガートの空気の層をシアムの前に作ってその音を防いだ。
レックの声が続く。
「だからオレは君の気持ちに応えるだけじゃ足りない。オレも君が――」
この瞬間、レックが突き棒を背中のベルトに戻した。
そして五つの目と四つの耳を持つミーのにび色の顔に近寄り、右手で優しく毛皮をなでた。
「ミーが大好きだし、君と一緒にこれからの時間も過ごしたい」
とてもなごやかな声音と表情で、自分の気持ちをそのまま言った。
ミーの動きがとまる。
ここでプラトゥが二人のそばに近付き、宙に躍るミーのにび色の毛とレックのえび色の髪の毛をそっと取った。
それらを供物台に納めて「シアサラ」と唱えると、二人の毛髪の代わりに虹色の光が漏れ出た。
虹色を帯びた光はやわらかくミーをつつみ込んだ。
それにより、赤黒い煙のように濁っていた五つの瞳が純粋な緑に戻る。
「よし、突き棒くんが魂に訴えかけてくれたおかげで虎ちゃんの魂の奥の感情が活性化したね。そんで虎ちゃんに取りついていたものは弱体化し、その隙をアタシのピーが突いてほぼ浄化完了」
早口で言いながらプラトゥが目配せをする。なお、わざわざ口にするのはシアムに今の戦況を教えて戦意を削ぐためでもあるのだろう。
「といっても作戦前に確認したとおりシーフーハーターの大きな姿のままだと虎ちゃんの体のはしっこについた残滓が再び活性化しかねないから、比較的小さい人間状態に戻さないといけないんだわ。というわけで、あとは頼むよ、猿ちゃん指輪ちゃん」
「うん! ヒマがいればコーングルアイグルアイだ!」
レックのそばに控えていたヒマが菜の花色の瞳を輝かせ、それと同色の髪に作られた二つのおだんごに両手を伸ばす。
それに気づいたシアムが焦って飛び出す。
「これ以上は好きにさせない」
シアムの体をおおう火の玉が不規則に回転し、俺の出した火の壁を突き破った。
だが壁のすぐ先には、桜色の髪と瞳を持つ少女が待ち構えていた。
「【ถ】トートゥン・トゥアム、つかさどる字は袋のトー」
やはり薄茶のノースリーブシャツに黒いオーバーオールスカート、白のハイソックス、紺色の靴という格好だ。
オーバーオールのみぞおちの下の切れ目に左手を入れ、籠もったような声を出す。
「やあやあシアムくん、わたしたちだってシアムくんを好きにさせるわけにはいかないのだよ」
「袋女……」
冷徹にトゥアムを見つめ返し、シアムが炎と共に進む。
「また燃えつきてよ」
「それはダメさ」
切れ目から左手を抜き、薄茶の袋を取り出す。
その袋はパンパンに膨らんでいた。
トゥアムが袋を投げ、両手を鳴らす。
「ポン」
唱えると袋が割れ、なかから白いもやが噴き出した。
「分かるかね、シアムくん。このあたりに広がっていたもやを吸ったのはわたしだが、それをこの袋に移し替え……たった今もやの一部を解き放ったのだよ」
「くっ……本当にうっとうしい……っ!」
もやは濃縮されたかたちではき出された。
ために、その白いもやに捕らわれたシアムは赤黒い炎につつまれていても一メート先さえ見通せない。
この隙にヒマは髪から二つの輪っかのヒモを外し、だんごをほどく。
俺の位置からでも白いもやの上に小さな黒い靴や赤茶のニーソックス、少し濃いめの灰色を持つトップスが見える。灰色のプリーツスカートの下に縫いつけられたホットパンツも見え隠れする。
「【ล】ローリン・ヒマ、つかさどる字は猿のロー」
ウキウキした声を抑え、ヒマが唱える。
「ドゥームティー」
ヒマの両手から輪っかがはじかれ、それぞれ大きくなる。
輪っかの一つはミーを囲んだ。もう一つは拘束状態にある五十メートの人面ムカデを取り巻いた。
各輪っかの円周の内部から菜の花色の光がのぼる。
ミーのシーフーハーターの姿が縮み、額の中央とすぐ左右にある計三つの目がヘアバンドの宝石へと戻っていく。
にび色の体毛も引っ込んで、人の肌に帰っていく。
横縞の濃淡を帯びたにび色の服が彼女の体に現れる。
アームカバー、ノースリーブのトップス、ホットパンツ、ニーソックスを着た状態でミーが人間の姿になる。
手足のかぎ爪のような形状も消滅し、両足は墨色の靴でおおわれた。
二対の耳のようなにび色の髪を持つ女性が、レックの両手によってかかえられている。
ミーから漏れていた煙も、もう完全に消えた。
そこにバナナの房が重なったような髪をなびかせてクマリーが飛んでくる。
「ミーさんっ、クマリーもお助けしますっ!」
そして宙に文字を書く。
しるしたのは、「ミー(หมี)」という彼女の名前だ。
ウォーウェーン(ว)の力に目覚めたクマリーは文字保有者をあらわす文字を書くことで対象に力を与えられる。
ただしすでに実験したとおり相手の保有する文字を書けば力は内側からみなぎり、相手自身の本名をしるせば外側から力が貼りついてくる。
(ミーの魂や自我はシアムの赤黒い炎によって外へと放出されていた……というのがプラトゥの見立てだった。だったら最終的にミーを安定させるためには彼女自身の名前をクマリーが書き、外側から力を加えて魂の流出を抑える必要がある)
人間の姿をしたミーの体から、淡く青い光が生じる。
(どうやらクマリーは「ホーナム(ห นำ)」も忘れずに、「ミー(หมี)」の名前を正しく書けたようだな)
ミーの左手がぴくりと跳ねる。
それを見てレックが涙ぐみ、ヒマやクマリーに礼を述べた。
「コープクン……! クン・ヒマ、クン・クマリー……みんな」
さらに足場にしていた人面ムカデも縮む。
しっぽ付近をテーラさんの皿に置いたまま収縮したので、俺たちは振り落とされずに済んだ。
歯も足もなくなった五十メートの人面ムカデがもとの五メートに戻り、さらに二メートよりも小さくなる。
皿に着地し、俺たちはそれを見た。
そこに浮いていたのは、内臓を頭部から垂らす、黒髪で赤目のグラスーだった。
大きくなっていた輪っかがしぼみ、菜の花色の光が失われた。
ついで浮遊して手もとに戻ってきた輪っかのヒモをヒマが髪にくくりつける。
限定的に広がっていた白いもやが晴れ、なかから赤髪で黒目のシアムが姿を現す。
シアムはグラスーとなった人面ムカデ……いやその女性の顔を見て、口もとをゆがめた。
「お母さん……いや、あなたはその顔でもうわたしを守ってくれないんだね」
さらにうなじの炎を燃やし、赤黒く巨大な火の玉を頭上に作り出す。
「あなたたち、全員動かないで!」
皿の上に並んだ俺たち文字保有者十五人を見回した。
「わたしを逃がして。じゃないとここから一番近くにある町にこの火の玉を撃ち込む」
滅ぼされた村のほかに町が近くにあるか俺は知らない。
しかしカヤンの険しい顔を見るに、シアムの言うとおり町はあると考えていい。
「そうなればあなたたちのせいで多くの人間が焼けて死ぬ。ハッタリじゃないよ。思い出してみてよ……あなたたちの本拠地だってわたしは正確に狙撃できてたよね!」
「やってみるんだ、クン・シアム」
レックがミーを下ろし、突き棒を右手に構えて前に出る。
シアムは反応し、両手を振り下ろした。
「分かんないの! わたしは本気――」
だが両手を振る直前、シアムの両足首になにかが当たる。
おかげで彼女はバランスを崩した。
シアムのそばに金と見られる物体が転がる。
「なにこれ……金ピカ帽子のヤツとも違う」
「あ、それはワタシのだよ、シアムちゃん」
ここで意識を取り戻したミーが上体を起こし、ほわほわした声をかすかに出した。
「起きたらレックくんにかかえられていたから」
ほおを染め、恥ずかしそうに言う。
「あんまりうれしくて、出ちゃった」
「……は?」
ミーがなにを言っているのか分からず、シアムが口をあんぐりあける。
巨大な火の玉は放物線をえがかず、まっすぐレックの正面に飛んだ。
レックは黙って突き棒を前に出す。
すると火の玉は突きつらぬかれ、あっさりと火の粉へと霧散した。
ひし形の穂先がシアムの前に突き出される。
それをレックは引っ込めた。
シアムは両ひざをつき、おぼつかない声音でつぶやく。
「まだ……まだよ」
うなじの炎がシアムの体をつつみ、即座に火の玉となって発射される。
シアムをつつんだ炎は高速で岩場の西側の向こうへと飛んでいく。
すぐにレックは突き棒の臼のようなかたちの先端で皿を突こうとした。
俺は駆け寄り、レックにしがみついた。
「追うんだな、俺もついていく」
「ワタシも」
ミーもよろめきながら立ち、レックの胸に飛び込んだ。
レックはうなずき、ほかの文字保有者たちに言う。
「ちょっとオレチャンたちでクン・シアムに追いつくよ。プラック」
突き棒が皿を突くと共に俺たちは西へと飛んだ。
うなずく仲間たちと別れ、逃げたシアムを追跡する。
* *
レックの突き棒で移動したあと、俺・レック・ミーはさらに西へ走った。
シアムはちょうどロップの設置した「蓋」に近い場所にいた。
うつ伏せで進み、なにやら言っている。
「よく見たら……地面に乳白色の線がある。これが結界の線ってわけ……? もしかしてあの水色の髪の女の……? そういえば前に会ったとき、あいつ……ほかのやつらに守られるように真ん中にいたし……」
日は落ちかかっている。
だから乳白色もほとんど分からない。
しかし俺たちが後ろからシアムに接近しようとしたとき――。
少々高めの声が前方から響いた。
「あららー。君、だいじょうぶ~?」
声と共に現れたのは、乳白色の髪と瞳を持つ若い男だった。
こちらの乳白色も同じく、これから闇夜に溶けようとしている。
下を向く若い男を見上げ、シアムが途切れ途切れに返した。
「誰、あなた……気持ち悪いからどっか行ってよ……バー(バカ)……」
次回「80.【ฏ】突き棒のトー・レック【その5】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
マイチャイ(ไม่ใช่)→○○ではない
マヌット(มนุษย์)→人間
テ(แตะ)→ふれる
リップ(ริบ)→押収する
タオワン(เถาวัลย์)→ツタ
ガムペーン(กำแพง)→壁
プレーオ(เปลว)→炎
ポン(พ้น)→解放される




