61.ミツバチのポー(ผ)【後編】
白いもやの広がる周辺に「蓋」をする作業を開始して二日目――。
俺たち五人は今までの人面ムカデとは異なる存在と会敵した。
五メートを超える人面ムカデが鎌首をもたげて俺たちを見下ろしている。
その背に乗った子どもは赤い長髪を揺らしながら、黒い瞳を左右に動かした。
「ヌン、ソーン、サーム、シー、ハー……いるのはお子さまの精霊一匹と男女四人か」
クマリー、俺、レック、ミー、ロップを順に指差し、長髪の子どもがひとりごちた。
彼……いや彼女かもしれないが、その子どもは柑子色の布で全身をおおっている。
布は釣り鐘型。腕を通す穴はない。
下からは白い肌着がのぞく。足には焦げ茶の編み上げ靴をはいている。
うなじにて赤黒い炎が燃えている。
だが本人は平気そうだ。おそらくピーによる火炎なのだろう。
俺は進み出て、まずは相手に話しかける。
「すみません。このあたりには凶暴なピーがいるので早く白いもやの外に出たほうがいいですよ」
人面ムカデに騎乗している時点でこの子どもが事件の関係者であることは明らかだが、念のため反応を見ておく。
当の相手は黒い瞳をゆがめ、返事をする。
「逃げたほうがいいのは、あなたたちだよ」
人面ムカデの足を両手でつかんだ状態で、その子どもは淡白に言った。
「出ていって」
「それは無理だ。村を壊滅させたピーを放置することはできないからな」
さらに俺は近づいて、右手を差し出した。
「とにかく君は避難してくれ」
「いいよ。ただし――」
彼あるいは彼女が右足でムカデの胴体をたたく。
「この子も一緒ならね」
「安全性が確認されるまではダメだ」
「なら論外」
背中の子どもがかぶりを振る。
同時に人面ムカデが口をひらく。口内も歯も今までのものに比べて格段に大きい。暗い空洞が頭上より俺に迫る。
「噛みつぶされちゃえ」
「……インプーン」
瞬間、レックが自身の突き棒を構え、臼のかたちをした先端で空気を突いた。
空気の塊が人面ムカデに飛び、その顔面を後退させる。
「君と人面ムカデの関係……そして目的をオレチャンたちに教えてくれないか」
「さあねえ」
バランスを崩したムカデの背中で、子どもの長髪が揺れている。
一方レックはあたりの白いもやに合わせて白くなったチュニックをたくし上げ、腹部を露出させた。そこにはレックの文字が刻まれている。
「じゃあ君の名前だけでも聞きたい。オレチャンは【ฏ】トーパタック・レック。現在オレチャンは近くの村を襲ったピーを鎮静化するために仲間と一緒に行動しているところさ」
「なにあなた、律儀に名乗るとかバー(バカ)なの? ならわたしはシアム。そして二度とわたしを『君』と呼ばないことね。わたしは君と呼ばれることが大っ嫌いなんだよ」
そのとき人面ムカデに乗った子ども――シアムの視線がレックを通り過ぎ、あるものにそそがれた。
「……ん?」
シアムは地面に横たわる白っぽい枝を凝視する。
「その根っこは、なに?」
ンゴットガームはこれを「枝」と説明していたが、地面を這っているので確かに根っこに見えなくもない。
「……まさか。あなたたちが今までここを蛇みたいな縄で囲んでいたの? で、その蛇が朽ちちゃったから今度は根っこで同じことをやろうってわけ?」
眉をひそめ、シアムがいかりをあらわにした。
ミーが困惑しながら質問を返す。
「ちょっと待って、シアムちゃん。蛇みたいな縄ってなんのこと?」
「はあ? あんな化け物を使っといてしらばっくれる気? まあいいや、燃やす」
シアムはうなじに右手を回し、そこから立ちのぼる赤黒い炎をつかんだ。
炎の一部が綿のようにもぎ取られ、シアムの手から放たれる。
とっさに俺はコウモリの姿をした空の兵隊を呼び出す。
アーガートは二対の翼をはためかせ、風圧で火球を吹き飛ばした。
同時に人面ムカデがしっぽの先端を鞭のようにしならせる。
しっぽが、向かって右から俺を襲う。そのしっぽをミーの左こぶしがはじいた。
再び人面ムカデが大口をあけようとする。
が、上唇と下唇がくっつき、開口することができない。
ロップが右の中指でムカデを指しているためだ。
「ゴティット……」
冷たい声で彼女が唱えた。
続いてレックが突き棒の臼の穂先を人面ムカデのあごに当てた。
今までの個体よりも耐久力があるようで、そのムカデの顔面は壊れなかった。
ムカデの背中でシアムがうなる。
「く……っ、あなたたち、化け物じゃないの! なめてた、ヤバいヤバいヤバい……」
ここでシアムがまたうなじの炎をもぎ取り、地面の枝めがけて投げた。
俺はその火球の前に移動した。
「ゲーンタハーン・ダープ」
左手の平のトータハーン(ท)を赤く光らせ、なかから剣を引っ張り出す。
詠唱しながら刀身を振り下ろし、火球を斬る。
「……タットカート」
「甘いっての!」
人面ムカデを後退させながらシアムがさけぶ。
そして俺の二分した火球は左右に分かれ、そのまま勢いを失わず枝に向かって加速した。
赤黒い炎を受けた枝は瞬時に燃焼した。
炎は右と左に走り、十センティメートの太さを持つ枝をどこまでもなめつくす。
白いもやの向こうを見ても、かすかに炎が揺れているのが分かる。
「สมน้ำหน้า(ざまあ!)……せっかく用意した根っこを簡単に燃やされてやんの!」
シアムはそう言って人面ムカデと共に背中を向けた。
「でも今は逃げるしかないか」
人面ムカデが多脚を動かし、逃亡のスピードを上げる。
直後その人面ムカデが、向かって右に倒れた。
続いて左のほうからしっとりとした少年の声がする。
「あんたがこのあたりのピーをまとめているのか?」
声と共に、黄土色の髪と瞳を持つ小柄な少年が現れる。
背は百四十センティメートにも達しないが、顔はおとなびている。
左ほおにはポープン(ผ)の文字が赤く浮かぶ。
髪は長めのウルフカット。瞳はキリッとしており、ほとんどまばたきしない。
丈の短い薄い黄色の上着と黒の胴衣を着ている。上着は長袖で胸を隠す程度。胴衣の丈のほうは腰まで達する。
下半身については、膝丈の黄色のスカートの下にピッチリとした黒い長ズボンをはいている状態だ。
靴も黒く、ズボンとの境界が曖昧である。
彼のまわりには無数のミツバチが飛んでいる。
どのミツバチも通常のサイズではあるものの、体のすべてがオレンジ色のハチミツでできている。
黄土色の髪と瞳を持つ彼が、ミツバチの群れをシアムに飛ばす。
「逃げられはしないよ」
「ちっ、まだ仲間がいるのか。でもなめんなし!」
シアムのうなじの赤黒い炎が勢いを増し、彼女と人面ムカデをつつんだ。
さらにそれ自体が火球となる。弾丸のようなスピードで白いもやの向こうに飛んでいった。
もやの奥に消えたシアムの代わりに、黄土色の瞳の彼がミツバチと共に俺たちのもとに駆け寄ってきた。
「みんな、無事かい」
「ああ、問題ないよ。ルディ」
俺たちはミツバチを連れた彼――ルディに説明する。
「シアムはロップの垂らした液体のほうじゃなくてンゴットガームの枝のほうを警戒していた。灰色の地面の上だと乳白色の液体は目立たないからな。さっきまでロップも左わきの液をとめていたし、おかげでこちらの本当の『蓋』を損壊されずに済んだというわけだ」
ついで俺はクマリーにも視線をやった。
「クマリーもよく鐘のイヤリングを使わなかったな」
「はいっ、なにもできないのはもどかしかったですが……怪しい『人』と会った場合は安易に鐘を使わないとカヤンさんと約束していましたのでっ! こちらに伝達手段があるという情報を向こうに渡さないように……ってことで」
そしてクマリーはシアムが姿を消したこのタイミングでカヤンに連絡を入れた。
さきほどシアムと会敵したことを伝えたあと、俺たちは再びロップを中心として「蓋」をする作業に戻る。
道中でルディとクマリーが静かに会話を交わす。
いつもの流れで、ルディのผをクマリーがなぞることになった。
ルディの文字は、彼の左ほおに刻まれている。
「【ผ】ポープン・ルディ、つかさどる字はミツバチのポー。まあ僕のあやつるミツバチはハチミツの体でできた精霊なんだけど、最近になってリアルのミツバチと付き合うのも大事かなと思って養蜂を始めてみたりもしてるんだ」
自己紹介をしながら、ルディはクマリーの前を後ろ向きに歩いている。
「覚えなよクマリー、僕のポープン(ผ)も。ロップのフォーファー(ฝ)の短いバージョンと考えてくれればいい」
「では、ルディさんのお顔に……失礼しますっ」
クマリーが右人差し指でルディの左ほおのポープン(ผ)をさわる。
まず左上に小さい丸を反時計回りで書く。
次に丸の左側と接する線を下ろす。
左下に達したら右斜め上に行く。
ついで、すでに書いた丸と同じ高さになる前に方向を転換し、右斜め下へと線を引っ張る。
右下に着いてから線をまっすぐ上に引く。
丸と同じ高さで線をとめる。このとき線を伸ばしすぎればフォーファー(ฝ)の字になるので線の長さを意識することが大切だ。
そうしてポープン(ผ)の字ができあがる。
「ありがとうございました、ルディさんっ!」
「よかったら」
しっとりとした少年の声でルディが笑む。
「僕のほお、何回もなぞっていいよ」
「いいんですかっ、ではそうしますよ~」
クマリーがルディのほおのポープン(ผ)に指をすべらせ続ける。
「ところでルディさん、このポープン(ผ)はジョットお姉さんのポーサムパオ(ภ)とプラトゥ師匠のポーパーン(พ)と完全に同じ音ですかっ」
「ポープン(ผ)は高子音で」
ほおを何回も押されても、ルディは笑ったままである。
「ジョットマーイさんのポーサムパオ(ภ)とプラトゥのポーパーン(พ)は低子音だから完全に同じとは言いきれないだろうね」
「うーん……クマリーにはまだ、その高子音とか低子音とかがよく分かりませんね……って、わあっ」
クマリーは驚いた。
ルディの左ほおからオレンジ色のねばりけのある液体が出てきてクマリーの指を伝ったからだ。
「こ……これはいったいなんですっ」
「ハチミツ。ピーのクマリーも食べられるよ」
そうルディに言われたクマリーは指についたハチミツをペロッとなめた。
「わ、ちょっと甘酸っぱくておいしいですね~。しかもドロドロしていて舌に気持ちよくからみついてきますっ!」
「それはミツバチが作ったものさ。おもしろいんだよ、彼らって」
後ろ歩きのままルディが右手の人差し指を立て、それを丸く動かす。
指が宙で、二つのくっついた丸をえがく。
「ミツバチは踊ることで仲間に情報を伝達することもできる。たとえばミツバチの踊りの軌跡を一個の言語や文字と見なすことも可能かもしれない」
その言葉を聞いて、俺はハッとさせられた。
(確かによく考えてみればルディの指摘のとおり、文字や言葉を人間特有のものと断定するのは早計だったかもな……)
ここでルディの指に一匹のミツバチが近づき、二つの丸をえがき始めた。
「ミツバチはあのシアムって子の居場所も教えてくれる。あの子のいる方向と距離をね。……やっぱり、この白いもやで囲まれた空間の中央にシアムはいるようだよ」
* *
ルディはそのあと、ナーグルアの様子を確認するために俺たちと別れた。
俺たちも蓋をする作業を終え、カヤン・チュアモーン・ンゴットガームのいる高床式住居に戻ってきた。
なおシアムの炎は地面の枝をすっかり焼いてしまったようで、その近くの枝も焼失しているのが確認された。
そして俺は高床式住居の玄関の前で新たな文字保有者と鉢合わせた。
無精ひげを生やしたすす色の髪の男である。すす色のふちの眼鏡をかけており、服の上下もすす色に近い。
「あ、センセーじゃないか!」
俺は手を合わせてあいさつした。
次回「62.歯のフォー(ฟ)【前編】」に続く!(3月21日(土)午後7時ごろ更新)
ผ←これが「ポープン」の文字。意味は「ミツバチのポー」……最初の丸が左側を向いた場合はポーパーン(พ)に、最後の線が長くなったらフォーファー(ฝ)になるので注意したいですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
センセー(เซ็งแซ่)→うるさい
プン(ผึ้ง)→ミツバチ
シアム(เสี้ยม)→とがらせる
ゴティット(เกาะติด)→くっつく
タットカート(ตัดขาด)→切断する
ソムナムナー(สมน้ำหน้า)→ざまあみろ




