47.亀のトー(ต)【前編】
俺とクマリーはトータオ・ユアユに会うためにレックとプラトゥと共に甲羅山を訪ねた。
山のなかには薄茶の崖があった。
そこにあいた穴から出てきたソースーア・ミーと話したあと、なにかが爆発したような音が俺たちの耳に届いた。
俺は音のしたほうへと駆け出す。
「なんだ? ユアユの身になにかあったのか」
「クマリーも心配ですっ」
ふにゃふにゃ声を出しながらクマリーが俺の左後ろを飛ぶ。
だがユアユと一緒に暮らしているというミーは呆れた表情のまま動かない。
「ほわ~。アーティットくん、クマリーちゃん。心配は要らないよ。ユアユがこういうおっきな音を出すのはめずらしいことじゃないから」
「そ、そうか。それはよかった」
足の動きを緩め、俺は息をついた。
「とはいえこのプーカオ・グラドーンに来たのはトータオ(ต)の文字を持つユアユに会うためだからな。このまま彼女の様子を見に行くよ」
俺はクマリーを連れ、崖に沿って進む。
爆発音が聞こえたのは向かって左側だがそちらのほうから滝音がする。
(たぶんユアユは滝のそばにいるな……)
ここでミーが俺たちを案内しようと動いたが、その肩にプラトゥの右手が置かれた。
白の交じった群青色の瞳をミーのにび色の両目に向ける。
「だいじょぶだよ~。二人にはアタシがついてくから虎ちゃんは突き棒くんとここにいなよー」
「え……レックくんと……っ」
ミーが顔を赤らめてレックのえび色の瞳をちらりと見た。
そして俺にもプラトゥの意図が分かった。
(なるほど。どうもミーはレックに気があるらしいな。だからプラトゥはミーとレックを二人きりにしようとしているのか)
俺もレックとミーに声をかける。
「プラトゥの言うとおり、二人はここで待っていてくれ」
「分かった、クン・アーティット」
レックはビブラートを利かせた声を気持ちよく響かせた。
「クン・クマリーも気合いを入れてトータオ(ต)をなぞってくるんだ。もちろんオレチャンは勝手に帰ったりしないから安心してよー」
「はいっ、レックさん! クマリー、必ず生きて戻ってきます!」
大げさにクマリーが返事をした。
* *
崖の左側には、ミーが出てきた穴とは別にもう一つの穴があった。
ただし地面と接するその穴のかたちは真円であり、直径は一メートしかなかった。
俺の腰から足までの長さと同等の身長を持つクマリーはそのまま進めたが、俺とプラトゥは四つん這いになって穴の奥を目指した。
プラトゥは頭に載せている金色の供物台を傷つけないよう、あごを地面につけている。
穴の奥からは白っぽい光が漏れる。
進むごとに空気がより清涼さを増す。湿気を含んだ薄茶の土が俺の両手にしっとりとした感触を与える。
滝の音もどんどん大きくなる。
鼓膜だけでなく地面そのものがかすかに揺れているのが分かる。
「さて、そろそろ出口だな」
薄暗い闇が終わり、光が頭上からふりそそぐ。
いや、光は正面からも体をあたためてくる。
穴を抜けた先にはキラキラ輝く透明な湖が広がっていた。とくさ色の舟が一艘だけ浮いている。
俺は上半身と下半身に陽光を感じつつ立ち上がり、両腕を真上に伸ばした。
湖は薄茶の崖によって丸く囲まれている。
崖と湖のあいだには幅五メートほどの地面がリング状に横たわっており、そこには淡い黄色の実をつけたマヨムの木がいくつも植わっている。
ただし正面の崖からは幅二メート・高さ十メート以上の滝が勢いよく落ちる。
滝は大きな水音を立てながら湖面に向かい、白いあぶくを絶え間なく生んでいた。
その滝の下に、あぶくに交じって人の足が見えた。
「は……? タハーン・ルア!」
俺が呼ぶと、シャチの姿をした精霊が湖のなかから浮上してきた。
海の兵隊の背中に乗り、俺は命じる。
「湖面を泳いで滝へと進め」
とくさ色の舟をよけ、人の足が揺れ動く滝壺の近くへと急ぐ。
轟音のなか、柑子色をした彼女の靴を確認する。
「ユアユ! 今、たすけ――」
「かーッ!」
奇声を上げつつ、滝の下にいた女が上体を自力で持ち上げた。
とくさ色の髪と瞳を持つ女だ。
髪は肩まで届くくらいの長さだが今は濡れているため、ほおに貼りついている。
半袖の白い胴衣を着ている。ただし胸部には緑がかった茶色の鎧をつけている。
彼女が泳いで滝から離れ、ルアの尾びれにしがみつく。
若作りの見た目からしわがれた声を出す。
「あ、オメー、トータハーン(ท)じゃねーか。なんでオメーがここに」
「君に用があるのは俺じゃない。俺は付き添いだ」
俺は右に向かって振り返り、彼女に右手を差し出した。
「ところでユアユ。君はだいじょうぶなのか。さっきは爆発音が聞こえたし……君自身、滝壺に落っこちたんじゃないのか」
「それがなー、トータハーン。聞いてくれよー」
彼女――ユアユは俺の手を取らず、近くに浮いていたとくさ色の舟へと泳いでいく。その泳法は平泳ぎである。
「ここの湖のぬしと釣りで勝負をして互いに思いっきり引っ張り合っていたところ、向こうがいきなり竿を離したもんだからオメー、わたしだけ後ろに吹っ飛んじまったんだよ。オメーが聞いた爆発っぽい音は滝の後ろの崖にわたしの『甲羅』が当たったときに響いたもんじゃねーかな。よっと」
ユアユは舟のへりを両手でつかみ、跳躍するように舟へと上がった。
彼女はその下半身を、胸部の鎧と同色の緑がかった茶色のスパッツでおおっていた。
乾かしたほうがいいか俺は聞いたが、ユアユは首を横に振る。
「コープクンコープクン。でもいいんだ。気持ちいいからな」
「そうか。しかし気になるんだが」
ルアをとくさ色の舟に近づけ、俺は聞く。
「湖のぬしって魚かそれに類するピーのことだよな。なんでそのぬしが竿を離したってユアユは言ったんだ。釣り竿を持っていたのは君じゃないのか」
「いいや、竿で釣っていたのはぬしのほうだ。わたしは釣られる役で合っている」
舟の上でしゃがみ、ユアユが焦げ茶の竿を拾い上げる。
木の枝に糸をつけただけの簡易な釣り竿だ。
「わたしは釣りは釣りでも釣られることが趣味なんだ。いや正確には、釣り針をくわえたまま糸を引きちぎって逃げおおせることがよー。釣りという非対称のバトルにおいて、人間がいつも釣る側である必要はねーよな。つーことでトータハーン」
ユアユが右手を振り、竿を俺に投げた。
それを左手でつかんだ俺に彼女が言う。
「ちょっと釣りで勝負しねーか。もちろんわたしが釣られる側でな」
次回「48.亀のトー(ต)【後編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
マヨム(มะยม)→アメダマノキ




