99.葉っぱのボー(บ)
村のあずまやのベンチに座ってカードをシャッフルしている男――ワッタジャックの対面のベンチに俺は腰を下ろした。
クマリーは俺の右前に着席し、テーブルに両手を置いた。それからクマリーとワッタジャックは互いにあいさつを交わした。
俺はテーブルを挟んだ状態でワッタジャックの様子を観察する。
どうも見た目だけでは年齢が分からない男だ。
光の加減や見る角度によって壮年を超えているようにも見えるし少年のようにも感じられる。
髪は濃紺。なでつけられているものの、ところどころに枝毛がはねる。
瞳も濃紺。まぶたの幅は狭く、鋭い錐のような視線を放つ。
長袖の黒い上着の手首、ひじ、肩には金色の輪っかがはめられている。
下半身には非常に短いズボンをはいており、筋肉と脂肪両方がたっぷりついた太ももの大部分を露出させていた。
とはいえ太ももの太さに比して本人自体はやせ型であり、ふくらはぎも細い。
そこに見苦しさや不均衡な部分は見いだせない。
金色の靴に、じかにはだしを突っ込んでいる。
左に身をかたむけて俺がその全身をチェックしていたところでワッタジャックが渋く深みのある声を出す。
「ぼくの服装に興味があるの?」
「クセなんだ」
上体をもとの位置に引き戻し、俺はワッタジャックの濃紺の瞳を見つめた。
「戦いにおいて相手の服装を確認するのは大事だからな。武器を持っているとしたらどこに隠しているかが気になる」
「それがきみの職業病か。実に兵隊らしい」
しゃべりつつも、ワッタジャックはカードをシャッフルし続ける。
彼が持っているカードは共通の裏面を持っている。
その色は黒と白を組み合わせた幾何学模様。
(大きさは縦九センティメートかける横六センティメートといったところか)
テーブルに両ひじを置き、俺は質問する。
「ワッタジャック。君もファの刺客で俺を素通りさせる気はないんだろう? 俺の根性をたたき直すために、なんの勝負を仕掛けるつもりだ」
「カードゲーム」
そう言ってワッタジャックはカードの束を俺に渡した。
「アーティット……きみ、パイ(ไพ่)〔カード〕は好き?」
「嫌いではないな」
俺も束から無作為にカードの一部を抜き、それを上に置く。
これをくりかえしてシャッフルとする。
「でもパイで勝負をする意味はなんだ。イーガーはマークルックというかたちでボードゲームを仕掛けてきたが、君も彼女と同じように平和的に戦おうとしているのか」
「ちょっと意見が聞きたいんだよ」
カードをシャッフルする俺の手つきを見つめ、ワッタジャックが身を乗り出す。
「近々ぼくは『パイ・ゴーガイ』を発売しようと考えている」
「パイ・ゴーガイ(ไพ่ ก ไก่)……つまり『ゴーガイ・カードゲーム』か」
俺はカードの束をテーブルの中央に置いた。
「そういえば君の用意したこのカードの総枚数も厚みから見て四十二枚だな。子音字の数と対応している」
「うん。各カードにゴーガイ(ก)からホーノックフーク(ฮ)までの違う子音字が書かれている。さらにそれぞれの字には番号が割り振られているんだ。需要はあると思う?」
「あるだろうな。文字学習に最適だし。工夫すればゲームもいけるんだろう? うまくやれば、ひともうけできるはずだ」
「心強い意見だね。そこで今からアーティットにはパイ・ゴーガイの試作品を回してもらいたい」
「構わないけど、君自身はファとの義理を果たせるのか」
「ぼくはきみの運を試す。非科学的だと笑うかな」
「いいや。運も生き残るうえでとても大事な要素だ」
ついで俺はカードの裏面に目を向けた。
「ただしカードゲームをやるのなら、クマリーも参加させてほしい。それが応じる条件だ」
「こばむ理由はないね」
ワッタジャックが参加の意思を確認すると、クマリーは二つ返事でパイ・ゴーガイへの意欲を示した。
* *
「【บ】ボーバイマーイ・ワッタジャック、つかさどる字は葉っぱのボー。気軽に楽しくゲームといこうか」
渋く深みのある声で名乗りを上げ、俺にカードを配るよう促す。
当然イカサマなしのルールだが、カードを用意したのはワッタジャック自身なので不正が入り込まないよう俺にカードを委ねたのだ。
シャッフルしたカードの束を持ち、俺は自身を含む参加プレイヤーの前へと一枚ずつカードを置く。
裏を向けた状態で五枚のカードがそれぞれに配付された。
相手に見えないように五枚のカードを左手に持つ。
カードの表面には黒いインクで子音字と数字が書かれていた。
左上に子音字が、右下に数字が示されている。カード中央には別の書体の子音字が大きく浮かび上がっている。
今回おこなうゲームはクマリーも参加するので数字を使った簡単なものに限定する。
ルールは簡単だ。五枚のカードにしるされた数字の合計がもっとも高いプレイヤーの勝利となる。
俺の手札の数字と子音字は「01・ゴーガイ(ก)」「05・ンゴーングー(ง)」「12・ドーチャダー(ฎ)」「24・ボーバイマーイ(บ)」「42・ホーノックフーク(ฮ)」の五つを示す。
四十二の子音字にはゴーガイから始まりホーノックフークで終わる決まった配列があり、その配列順が各数字に対応している。
現時点での俺の合計点数は八十四点。
このゲームにおける最低得点が十五点で最高得点が二百点であることを考えると微妙な数字だ。
しかし配られた手札そのままを提示するだけでは面白くないということで、ワッタジャックはこれにルールを追加した。
一度だけ好きな手札を任意の枚数ぶんだけ捨て、その枚数に対応するカードをデッキ(裏側にしたカードの束)からランダムに引くことができるというルールだ。
高得点をねらうなら、俺は現在保有している「01・ゴーガイ(ก)」のカードを捨てるべきだ。
重複するカードがない以上、最初の数字を割り当てられているゴーガイよりも低い数字を持つカードは存在しない。
つまり「01・ゴーガイ(ก)」を交換してもこれより悪い手札になることは絶対にありえない。
逆に「42・ホーノックフーク(ฮ)」のカードは絶対に手放してはならない。
もっとも大きな数字を持っているため、交換した場合は確実に手札の得点を下げる結果に終わる。
では数字が小さい「05・ンゴーングー(ง)」は交換したほうがいいのかという話になるが、このカードを捨てて代わりにもっと小さいカードを引いては損になる。
ただし俺の手札に「01・ゴーガイ(ก)」があるので、「05・ンゴーングー(ง)」よりも小さいカードは俺の見えていないところに三枚しかない。
(そう考えれば「05・ンゴーングー(ง)」は捨てても構わないだろう。これよりも大きい数を代わりに引く可能性のほうが高いからな)
そこで俺は「24・ボーバイマーイ(บ)」「42・ホーノックフーク(ฮ)」の二枚を残し、「01・ゴーガイ(ก)」「05・ンゴーングー(ง)」「12・ドーチャダー(ฎ)」の三枚を捨てることにした。
捨てる手札は裏向きにしてデッキのそばに置く。表向きにすると、あとから捨てるプレイヤーのほうが情報面で有利になってしまうからだ。
デッキの上から俺は三枚のカードを引く。
結果は、「03・コークワーイ(ค)」「16・トープータオ(ฒ)」「31・モーマー(ม)」だった。
手放したカードの得点が十八点。新たに補充したカードの得点が五十点。
つまり三十二点ぶん点数を伸ばせたことになる。
(……「05・ンゴーングー(ง)」よりも低い点を持つ「03・コークワーイ(ค)」が来てしまったが、それ以外のカードのおかげで点は跳ね上がった)
これにより俺の総得点は八十四点から百十六点となったわけだ。
(とはいえこれでも安全な点数を充分に確保できたとは言いがたい。いっそのこと「24・ボーバイマーイ(บ)」も手放して勝負をかけるべきだったのか)
だが最終的にみんなの結果と比べるまで、俺の交換が正解だったかは分からない。
「では次はクマリーの番ですっ」
元気なふにゃふにゃ声を出しつつ、クマリーが動きをとめる。
「だけどクマリーは、このままで勝負しますっ!」
確かに手札を一枚も交換しないこともルール上みとめられる。
(よほどいい手札だったわけか……俺の持つ「42・ホーノックフーク(ฮ)」に近い数字がそろっているのかもしれない)
さて、最後はワッタジャックの番が回ってきた。
「これで終わりだから、ちょっと面白いことをしよう」
ワッタジャックは手札五枚をつかみ、それらをテーブルに捨てた。
しかもすべて表側にしている。
「今なら情報を与えても問題ないからね」
捨てたのは「23・ノーヌー(น)」「26・ポープン(ผ)」「30・ポーサムパオ(ภ)」「32・ヨーヤック(ย)」「33・ロールア(ร)」の五枚。
合計で百四十四点である。
そのまま勝負すれば俺にも勝てる点数だ。
「わりと悪くない手札だと思うが、すべて捨てる必要はあったのか」
「うん。でないと手札交換しなかったクマリーには勝てないだろうからね」
濃紺の瞳をワッタジャックが細める。
「そして分かっているよ、アーティット。きみの手札が中途半端な点数であることくらい」
「……なに?」
いぶかしげに俺は彼を見返した。
「俺のカードを見てもいないのに分かるのか」
「だいたいは。きみの初期手札には『01・ゴーガイ(ก)』のカードがあっただろう」
さらにワッタジャックは右手を軽く振る。
「もちろんイカサマはしてないさ。ただ、きみは三枚のカードを捨てるとき一枚だけまったく迷わず手放していた」
確かにその態度こそが、かかえる意味のない「01・ゴーガイ(ก)」を所持していた証拠になる。
「しかも一桁台のカードがもう一枚あったね。そちらもゴーガイについでさっさと捨てていたし。で、最後のカードは二十一以下のカードといったところかな」
「……ああ、当たっている」
「きみがカードを引いたあとはその表情が少しだけ軽くなった。初期手札よりも、いい手札になったということ。けれど得点としては微妙でもあったから表情は少ししか軽くならなかった。うち一枚を苦々しげに見ていたことから察するに、最初の一桁台のカードよりも得点の低いカードを引いてしまってもいた」
俺としては表情に出した覚えはないのだが、ワッタジャックは確かにこちらの微細な心の動きを読みきっていたようだ。
「だからぼくは確信した。見えていないカードのなかには高得点のカードが多く眠っていると。きみ自身の手札にいいカードがほとんど来ていないことからそれは必然」
「そうだとしても、手札を全部交換したからといってクマリーに勝てるとは限らないだろう。クマリーが最強の『42・ホーノックフーク(ฮ)』をかかえている可能性もある」
「ありえないね……だって」
ワッタジャックは俺の手札を指差した。
「もっとも強い『42・ホーノックフーク(ฮ)』を持っているのはアーティットなんだから」
「言いきる根拠があるのか」
「きみは手札交換の前から、たった一枚のカードだけは強く握り締めていた。総合得点を競うこのゲームにおいて無条件で絶対に手放せないカードの一つが『42・ホーノックフーク(ฮ)』だ」
「上位五つのうちのほかのカードを持っている可能性もあるんじゃないか」
「確かに番号が『38~41』までのカードも交換する意味はないね。代わりに『42・ホーノックフーク(ฮ)』を期待するにしても、捨てるならもっと小さい数のカードでいいわけだし。これは少し考えればすぐに分かる理屈。ただしこのゲームを初めてやった人間が『38~41』を初期手札で持っていた場合、『これを捨ててもっといい数にできるかも』という思考が一瞬くらいは入り込むはず。でもきみの顔にはその迷いすらなかった。だから最強の『42・ホーノックフーク(ฮ)』をきみが持っていることは確定していたんだ」
「すべて読んでいるんだな。しかも『42・ホーノックフーク(ฮ)』を保有しているにもかかわらず俺の手札が微妙だったとすれば、そのぶんほかの四枚の数字も低めだったという裏付けになるわけか」
「そういうことだね。だからぼくは、まだデッキに眠っているきみの引いていない高得点カードを呼び込み、この勝負を制する」
ワッタジャックがデッキから五枚のカードを同時に引いた。
自分で確認する前に、それをテーブルに広げる。
こちらも手札を開示する。
俺のカードは「03・コークワーイ(ค)」「16・トープータオ(ฒ)」「24・ボーバイマーイ(บ)」「31・モーマー(ม)」「42・ホーノックフーク(ฮ)」の五枚。合計百十六点である。
対するワッタジャックのカードは――。
「え……」
ワッタジャックと俺は同時に声を漏らしていた。
彼のひらいた手札は「02・コーカイ(ข)」「10・チョーガチュー(ฌ)」「14・トーターン(ฐ)」「28・ポーパーン(พ)」「41・オーアーン(อ)」だった。総得点は九十五点。
もとの百四十四点から大幅に点数を落としてしまっていた。
オーアーンを引けたのはよかったが、ほかの数字が伸び悩んだ印象だ。
ワッタジャックがこの結果を見て、手をたたいて笑う。
「あはははっ! あれだけごたくを並べておいていざ勝負したらこんな微妙な結果になるとは傑作じゃないかっ! あー、お腹いたあ~」
「俺もなにかを賭けているわけでもないのにヒヤヒヤした……」
百十六点と九十五点であるので俺の勝ちではある。
「ところでクマリーの手札はどうだったんだ」
「はいっ、こんな感じですっ!」
交換しなかった五枚の手札をクマリーが表向きにしてテーブルに置く。
内訳は「13・トーパタック(ฏ)」「21・トータハーン(ท)」「22・トートン(ธ)」「38・ソースーア(ส)」「39・ホーヒープ(ห)」の五枚。つまり合計百三十三点。
俺の百十六点およびワッタジャックの九十五点よりも上だ。
よってパイ・ゴーガイを用いたこのゲームの優勝者は最高得点を獲得したクマリーとなった。
ワッタジャックはクマリーに拍手を送りながらも腑に落ちない顔をする。
「悪くない手札だけど……正直ぼくは自信満々で手札交換をしないクマリーの様子から、もっと高い点数を持っているものと思っていたよ。『38・ソースーア(ส)』『39・ホーヒープ(ห)』の二枚はともかく、ほかの手札――とくに『13・トーパタック(ฏ)』は捨ててもよかったんじゃないかな」
「いえ、クマリーは手放しませんっ。学ばせてもらったみなさんの字は一文字一文字が大切なものですからねー」
結果論かもしれないが、不用意に交換していたらクマリーが負けていた可能性もあっただろう。
「それにクマリー、読めなかったんです。だから受け取った子音字だけをそのまま信じるしかありませんでした」
この言葉に俺もワッタジャックも首をかしげる。
クマリーはこれまでの学びをもとにして子音字を問題なく読めているはずだ。
そんな彼女が「21・トータハーン(ท)」のカードを指差す。
「この文字が……分かんなくて」
カードの左上には子音字が、右下には数字がしるされている。
クマリーが指し示したのは数字のほうだった。
俺はハッとした。
「……あ。悪かった、クマリー。数字を教えてなかったな」
子音字は順調に学習しているものの、まだクマリーは数字を覚えていない。
(思えばファと会う前の買い物でクマリーは、一バーツのバナナに十バーツ硬貨を出していた。硬貨に書かれた数字を知らなかったからか)
だからクマリーは数字を参照するこのゲームにおいて、数字を考慮に入れられなかった。
むしろ子音字のほうにこだわった結果、勝利を呼び込んだ。
「本当にごめん、クマリー。君を置いてきぼりにしてしまって」
もちろんこれについて、クマリーの学習状況を知らなかったワッタジャックは悪くない。
俺はクマリーに今すぐ数字を教えようかと提案した。
しかしクマリーは静かに首を横に振った。
「いいんですよ、お兄さん。クマリー、勝ちましたからっ!」
ほほえみ、自分の前に置かれたカードに視線を走らせる。
「そしてなんとなくですけど……今の時点でその『数字』を知っていたら、クマリーは負けていたと思うんです。だから数字については、みなさんの四十二個の子音字をすべて覚えたあとでお兄さんから教わりたいです……っ」
「分かった、クマリー。そのときになったら必ず教えるよ」
ついで俺も勝者のクマリーに拍手を浴びせた。
一方ワッタジャックはカードを回収し、その束をまたシャッフルし始める。
「アーティットもクマリーも豪運を持ち合わせていることが分かったよ。もしクマリーが文字を愛しておらずぼくの交換を誘導できていなかったとしたら――」
カードの音にまぎれて、ぼそりと付け加える。
「きみたち、死んでいたからね」
……最後の言葉は、俺の聞き間違いだったかもしれない。
だから一応、聞いてみた。
「なんて言ったんだ、ワッタジャック」
「別に」
対する彼は、カードの束をテーブルに置いて小さく笑った。
「ただの負け惜しみさ」
* *
カードゲームが終わってからはいつもの流れだ。
俺が鐘のイヤリングを手渡したあと、クマリーがワッタジャックの文字をなぞる。
ワッタジャックのบは左太ももの前面に刻まれている。
「おおっ! プラトゥ師匠は右太ももの内側にポーパーン(พ)をつけていましたが、もしかしてワッタジャックさんは師匠の影響を受けたんですか」
「いや偶然太ももでかぶっただけだよ」
「そうでしたか。では失礼しますっ」
座っていたベンチを離れてテーブルの下に移動したクマリーの右人差し指がワッタジャックのボーバイマーイ(บ)をなぞる。
まず左上に小さな丸を時計回りで書く。
丸の右側から線をまっすぐ下ろす。
底付近に達したら下に張り出す弧をえがきつつ右に寄る。
全体の右側に来たところで線をまっすぐ上げる。
すでに書いた丸と同じ高さに届いた時点で線をとめる。このとき線を上げすぎれば別の文字になるので注意しなければならない。
これでボーバイマーイ(บ)の文字の書き順は完了だ。
「ありがとうございました、ワッタジャックさん」
太ももから指を離し、同じ文字を宙に何度もしるす。
「小さな丸で力をためたあと、それを放出するようになめらかに走る線が高揚感をもたらしますっ!」
続いてワッタジャックの名前を書く段階に移る。
彼はいくつかの注意点を、もとのベンチに戻ったクマリーに伝えた。
第一に、息を出さない「トー」であるトーパタック(ฏ)を使用すること。
ワッタジャックの「タ」については母音記号を付加しない。
第二に、短い「ア」を示す母音記号「マーイハンアーガート(–ั)」をウォーウェーン(ว)とジョージャーン(จ)につけること。音の切れ目ではないのでウィサンチャニー(ะ)は使わない。
第三に、最後の「ク」はゴーガイ(ก)であらわすこと。
第四に、文字列末尾にロールア(ร)を添えること。
ここでクマリーが挙手して質問する。
「そのロールアにはマーイタンタカート(◌์)はつけるんでしょうかっ」
「マーイタンタカート……『黙字記号』だね。確かにぼくの名前の『ワッタジャック』にロールアの発音は含まれていないけど、別にマーイタンタカートをつける必要はないんだよ」
「ロールア(ร)は発音しないこともあるんだ」
俺が補足する。
「たとえば長さの単位の『メート(เมตร)』にしても末尾にロールア(ร)がつく。でもその部分を発音しないことになっているから『メートル』じゃなくて『メート』と言うことになる。発音しないのにわざわざ書くのは――」
「不要に見えても、欠けてはならないものがあるからですよねっ」
「……ああ」
ともあれ以上のポイントを踏まえてウォーウェーン(ว)、マーイハンアーガート(–ั)、トーパタック(ฏ)、ジョージャーン(จ)、二個目のマーイハンアーガート(–ั)、ゴーガイ(ก)、発音しないロールア(ร)を順に配置すればいい。
クマリーは注意点を一つ一つ丁寧に押さえ、ワッタジャック(วัฏจักร)という名前を机の上に指で書いた。
「お名前の書き方を教えていただき感謝します。ウォーウェーン(ว)とジョージャーン(จ)、トーパタック(ฏ)とゴーガイ(ก)という似たかたちの文字が交互に現れているところをロールア(ร)の文字が静かに見守っているようで、とても壮大なストーリーを感じますっ」
「いい考察だね、クマリー」
ワッタジャックは濃紺の視線をクマリーにそそいだ。
* *
それから別れる際、俺はワッタジャックに伝える。
「君はパイ・ゴーガイについて意見が聞きたいとのことだったが、俺はカードとして悪くなかったと思う。四十二個の子音字をテーマにしているから文字学習やゲームにも使えるし、眺めているだけで楽しめる」
「それはコープクン」
「ただ一つ気になった点がある」
「なにかな」
「文字を学ぶ人や精霊からすれば、四十二という数は多いかもしれない。だから文字ごとに『高子音』『中子音』『低子音単独字』『低子音対応字』の四つの大きなグループに分けてみるのがいいんじゃないか」
「なるほど……ありがとう。色かマークをつけてそれぞれの文字がどのグループに属するかを一発で分かるようにするのがよさそうだね」
あずまやのベンチから立ち上がり、ワッタジャックはカードの束を表向きにして見返す。
ついでクマリーにも意見を求める。
「クマリーはパイ・ゴーガイについて、『ここをもっとこうしてほしい』と感じたところはあった?」
「いえ、素晴らしいと思いましたよ~」
彼女はワッタジャックのそばで小さい右手を立て、カードにかざす。
「でも強いて言うなら小さいバージョンもあったらうれしいですっ」
「いろいろなサイズがあったほうがいいか……確かに文字を学び始める人は小さな子どものほうが多いだろうし。うん、クマリーもありがとう」
満足げにワッタジャックはうなずいた。
俺はあずまやの外に足を踏み出す前に立ち止まり、たずねる。
「どうして君はファに協力したんだ、ワッタジャック」
「カードの表側の中心にきれいな絵をかいてほしかったからさ。ぼくが協力したら、ファはかいてくれるって」
左上の子音字と右下の数字のあいだのスペースをワッタジャックが指し示す。
カード中央には子音字が大きく書かれているが、本当のところ彼はそこに絵を挿入したかったようだ。
「ファは絵がうまいんだよ」
それは俺も知らなかった。
「各子音字のカードにその文字保有者を美麗にかいて、名前や文字の名を上下のスペースにかっこよく添えたら売れると思わない? ぼくが見たところ美形ぞろいだし」
「といっても文字保有者を嫌う者もいるだろう」
「だからこそじゃないか? このパイ・ゴーガイを売りさばいて、ぼくたちのイメージを一新したいんだ」
「なら大賛成だ。きれいなイラスト付きであればコレクション要素も出てくるし、占いにも使えそうだ。たとえば引いたカードの種類と向きによって運勢を占うという使い方も考えられるな」
「あ、だったらクマリーも思い付きましたっ! 四十二枚のカードのセットごとにいろんなバリエーションのイラストがあったら楽しそうですねー。かわいいものからかっこいいものまで」
言われてみれば四十二個の子音字と数字のセットという根幹の部分はそのままにして、表側のイラストや裏側のデザインなどを調整していけば実質いくらでも新しいものを生産することが可能だ。
そのまま俺たちは別れ際だったことも忘れて新しいカードゲームである「パイ・ゴーガイ」について激論を交わす。
母音記号や声調記号も追加して文字列を作れるようにしてもいいんじゃないかとか、いやそれだと複雑になってしまって敬遠されるとか、そんな意見を出し合う。
左肩に刺さった旗が俺のいのちを取ろうとしているなかでそんなことを話している場合かとも自問してみるが、今という時間のなかでワッタジャックと話すこともまた必要なことのように感じられた。
(もしファが動いていなかったら、俺はワッタジャックやダーンナーたちの気持ちを知ることすらできなかったのかもな……)
日がかたむき、今度こそ別れる段になって俺は思う。
ワッタジャックのパイ・ゴーガイ――近いうちに、その完成を見てみたい。
次回「100.仙人のソー(ษ)」に続く!(5月16日(土)午後7時ごろ更新)
บ←これが「ボーバイマーイ」の文字。意味は「葉っぱのボー」……アルファベットの「U」の左上に小さな丸がついた形と説明することもできそうですね~。
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
バイマーイ(ใบไม้)→葉っぱ
パイ(ไพ่)→カード




