冬 3節
カルナバルの街はかつて無いほどに静かだった。
音は止み、人気は失せ、警らの楽士以外に通りを歩く者は居ない。空は白く曇り白い雪を降らせ、屋根も地面も楽士のマントも白、白、白…楽士団はこうするよりほかに"手首狩りの通り魔"への対策を見出せずにいた。つまり、住人への外出規制である。地区封鎖の努力も虚しく、バーンナップと推定される犯人は街を東側から西側へと移動し、最初から数えて5件の凶行を達成してしまった。人々の間には恐怖が蔓延し、楽士団も緊急事態であることを宣言した。この、ある種のテロリズムに楽士団が屈したかといえばそんなことはなく、むしろ実戦部隊の人員までをも動員し積極的に捜索を行なっている。
ところで、被害に遭ったのは演奏家に彫刻家、宝石細工師やお針子など手先の器用な人々ばかりであった。当然仕事道具にして自らの誇りである手を失ったショックは大きい。カルナバルは王国から最新鋭の機械義手を調達しているものの、それで十全に復活を果たせるかどうかは未知数だった。
病院から被害者について情報の共有を受けたウェイドは、首に重りをくくりつけられたような気持ちで屋上へ向かった。レフタイ地区の中でも高台に建てられたこの施設からなら街がある程度見渡せる。正午を過ぎて薄暗くなってきたので、ぼちぼちガス灯が点き始めている。自分が来てから、こんなにも寂しいカルナバルの風景は初めて見た。思わず、腰に下げたバックラーの淵に触れる。そこには美しきこの土地のパノラマが彫刻されているのだ。ずっと続いて絶えることの無いと思っていた光景が。
それを"ヤツ"は、どこかに潜み続けたまま壊し続けている。霊気の理不尽がまた、自分の身の周りを蝕んでいる。ゲダンのときのように…!!
ウェイドはかつて己の前に立ち塞がり、人々を蒸し焼きにせしめたバーンナップのことを想起した。あのときは何もできず、ただ絶望に打ちひしがれるだけだった。でも、今は。
バックラーを外して打面を見つめる。今の自分にはこの模倣不可能な技巧がある。実力についても既にバーンナップに勝利し、サマルからもようやく一本取れるようになってきた。改めて虚像のバーンナップを見上げる目は剃刀のように薄く、三日月のように釣り上がり、眉間は渓谷ほどに深くなる。バックラーを握る手には筋が張り小指球が硬く窪む。打面からはガラスを擦り合わせたかの如き音がかすかに響いて彼の感情を煽るようだ。だが、その種火はあっという間に吹き消された。エコーズの呼び声によって。
はっとして振り返ると、彼女がこちらに駆け寄って来ていた。バックラーの淵を一回し撫でて腰に戻すと、彼の顔は誰が見てもウェイド・ビーツのそれであった。「どうしたの、エコーズ?」と返すと彼女は今しがた自分が屋上に立ち入る際通って来た扉を指差した。すると、続いて現れたのはクロウ・ワイトにワンダ・フレデリカ。そしてサマル・ティーネージであった。
「どういうことです、サマル先生?」
「どうもこうも、ソプラノとアルトの共同捜査が始まって3日、全然奴さんが尻尾出さねぇだろ? だから、ガチでとっ捕まえようぜってことで」
サマルは大袈裟に両腕を広げてみせる。
「特別編成だ。私の権限で揃えられる中で、一番頼りになるメンツを集めた」
「いやホント、教官殿はお目が高い。ウェイドには抜け駆けされちまいましたが、アタシもここでバーンナップを仕留めて、更にサクセスしてやりまさぁ」
サマルの言葉にフレディときたら、鼻を鳴らして肩をぐるぐると回し始めた。今年はもうダンザ・デラ・スパーダで十分に結果を残しているだろうに、彼女の野心は留まることをしらないようだ。その様子に苦笑いしつつ、クロウがウェイドの背を軽く叩いた。
「この間は世話かけたがのぅ、ようやっと挽回のチャンスってワケじゃあ。よろしゅう頼むぞ!」
同じく意気盛んなクロウの腰には新品のヴィオラが下がっている。流石に一朝一夕では、ひしゃげた空き缶のようになってしまった得物の修理ができるほど刀工の技は甘くない。それにこのごろは通り魔事件にかかりっきりで、この中の殆ど誰もギーガー邸まで足を運べていない。それが一番面白く無いと思っているのは勿論、エコーズだった。
「そういうワケです。かならず見つけ出しましょう、ウェイド?」
…これまでの時間で得たものは力だけでは無い。
信頼できる友に、愛おしい人。ウェイドを気にかけ、支えてくれる人々。改めて、皆を守るためにも手首狩りの通り魔を逮捕せねばならないと、ウェイドの中に血潮の沸くような熱さが流れていく。
「行こう…やろう。僕らの街を取り戻すために!」
その声は周囲の音鋼に、微かに残響を与えていた。
*
ライタイの集合住宅が猥雑に入り組んだ区域、あまり管理の行き届いていない一棟のある一室。蝋燭の灯りすら無い薄暗い部屋は満員御礼であった。ワンルームの全てが物言わぬ泥人形に埋め尽くされ、その中心では陽炎のように無数の「腕」が揺らめいていた。ぽっかりと宙に浮く、華奢なアルミフレームの真円レールに取り付けられた基部から伸びる6本ほどあるらしいそれらの先は一箇所を除いて右手になっており、手首が赤黒く汚れているものもあるが基本的には最初からそう生まれてきたかのように綺麗に繋がっている。唯一右手のない腕の先端には鋭くなった犬釘のような物が伸びており、質感は人間の歯や爪に似ている。
レールはゆっくりと水平になり、犬釘の生えた腕だけが重力にしたがって枝垂れていく。その真下に居た背を丸めた男が、垂れ下がる奇妙な凶器の表層をそっと指先で撫でた。
「やっぱ…腕利きの職人"の"を集めたって、これだけの量を仕込むのはきちぃな」
男は額の汗を拭うと、クレイナイフを握っていた右手を上げる。腕たちがレールに沿って移動し、その一つが彼の右手と握り合うと、ぶら下げてあった右手も、彼から生えていた右手も付け根からぬるりと外れてダンスのように位置を入れ替わる。交換を終えた彼は立ち上がり、レールも彼の背に寄り添うように垂直に戻る。
この真冬に男は上裸であり、その背中にはレールと同じ真円のみみず腫れが、基部の動きと連動してひくひくと蠢いている。黄ばんだ長髪の白髪頭に同じくらいの長い髭、瞳もまた機能を疑うほどに白く濁っているが、暗い中でも物を鮮明に捉えられる。この不条理はまさしく、バーンナップのものであった。
彼の目の前には、部屋を埋め尽くしているのと同じ泥人形の、たった今完成した最後の一体がある。胸を少し張り大きく息を吸い込むと、人形の頭部に空いた拳大の窪みに向かってゆっくり息を吐きかける。粘土の表面はただちに湿り気を失いカサカサと微細にひび割れていく。関節部から痙攣のように震え出し、頭部は天を仰ぎながらしきりに角度を変える。一際大きな痙攣を伴って人形は動きを止めると、床の上に二つ足で自立し、滑らかな所作で主人に傅いた。
最後の「姉妹」の完成をきっかけに、周囲の人形たちもケタケタと震える。バーンナップは自分の肩から生えた左腕で握り拳を高く掲げると、人形たちの歓喜の声は止んだ。
「随分時間をかけちまったが…楽士共もいい具合に焦らせた頃合いだろう。へへ、楽しみだなぁ」
バーンナップが両腕を振り広げると、居室の窓から玄関扉から、一人でに開いていく。泥人形たちは我先にと部屋を飛び出していくが、これと同じことが街のあと3つある空き家で起きている筈だった。男はずっと身を潜めながら、彼女たちを仕掛けていたのだ。
「…俺はついにあるべき姿を手に入れるんだ。全てが、"在るべき台座"へと収まるんだぁ。本ッ…当に楽しみだなぁ」
一人酔いしれる、自らを台座と称する男は一気に伽藍堂と化した部屋でゆったりと舞う。その頭上にたなびく腕たちはただ、風に靡くしか出来ない青白いカーテンを演じさせられているようであった。
*
突如として街に溢れ出した異形を相手取り、巡回中の楽士達は剣を抜き放ち大立ち回りという有様。音鋼の響きがどれだけ美しかろうとも、あっちの路地で、こっちの路地で打ち鳴らされれば紛れもない恐ろしき戦場である。楽士が一体を打ち崩す間にも、どこからともなく増援が現れて、それの対処に手間取れば後ろからもう一体が襲いくる。ちょうど今もその気配を察知できなかった男性楽士が、自身の終わりを悟りつつ凶刃から自らを庇おうと、左腕をかざした。が、彼を取り囲んだ人形どもは、瞬きの間に切り刻まれ、砂を撒くような音を立て崩れ落ちる。遠くから「だいじょぶっスかぁ!?」と呼びかけてきたのはフレディである。
「ありがとうございます、楽士ワンダ!」
男性楽士は頭を下げると「すぐ向こうのブロックに孤立している者がいまして、救援に!」と事情を説明する。フレディは「お任せあれ!」と二つ返事ののちに息を吸い込むと、霊気の力を借りて高く跳躍し、向かい合った建物の壁を蹴りながら屋根へ上がった。着地もそこそこに自身の得物、高音双剣の刀身同士を擦り合わせれば、音鋼は瞬時に真紅へ染まる。屋根瓦の上を全力疾走し淵から飛び上がると、眼下には二人の楽士が複数の敵に囲まれている。
フレディは手先で両手の剣をドラムスティックのように回転させながら、腕と腰を捻り錐揉み状態で降下した。
「雨垂斬符!!!」
傘についた水滴を振り落としていく要領で、双剣の切先から紅い響きのエネルギーが粒となって地上へ降り注ぐ。点へ強く作用する性質を持たされた響きは鋭い針と化して異形へ襲いかかる! その弾速もかなりのもので複数箇所に貫通した個体もいたようだが、機能停止には至っていない。しかしフレディからしてみれば気を逸らせたので十分であり、着地の前には再び刀身に響きを溜めていた。孤立していた楽士たちの側に降り立つと手早く目の前の敵を二度斬りつけ、その両翼に突っ立っていた個体へそれぞれエネルギーの斬撃を飛ばす。バック宙で反対側に回り込む間に再度、薄紅の刃を擦り合わせ、着地と同時に近くに居た人形を一刀両断、左の剣を真一文字に薙いで大きな紅い弧を描く。十字の傷の入った敵をフレディが蹴っ飛ばすと、周囲の人形たちもガラガラと崩れ落ちた。
「怪我無いっスか、お二方?」
男性と女性の、フレディとそう歳の変わらなそうな楽士たちは敬礼をし、礼を述べた。そしてフレディは先ほどの男性がいる方を指さして、合流するように指示をする。背を見送りつつ彼女は、自分を取り囲む屋根の上に身じろぎする影をみとめた。
「市内警備のコ達っスよねぇ、かわいそうに…こんな強制おかわり地獄に放り込まれちまうとは」
今度は二度刃を擦り合わせ、熱されたかの如く赤い刀身が耳鳴りと間違うほど煩い高音を放つ。フレディは屋根の上を睨みつけ、口角を上げる。
「こんなんでワクワクしちまうようなヘンタイ、アタシくらいしかいねぇってのに…みんなにゃ悪いが、全部平らげさせて貰いまサァ!!」
頬の膨らむほどに空気を取り込むと、フレディは再び、カルナバルの空へ舞い上がった。
*
少し離れた場所では、やはり戦い慣れていない楽士たちが退路を塞がれ、分断されていた。そうした者たちを救出しなるべく大人数に合流できるようフレディたちに命令したのはサマルだった。少し持ち堪えれば、楽士堂からの増援も見込めるだろう。
クロウは対霊獣用の作戦で使用した握り拳ほどの枹を今回も持ち出しており、それで打つことで真っ青にした剣を振るい、押し寄せる敵の大群を一撃で薙ぎ払った。レフタイの漆喰にいくつかの粘土の染みを付けながら通りが開けると、持ち前の大声で味方を先導し、体勢の立て直しに大きく貢献している。ウェイド、サマル、エコーズはそれぞれ味方の救出を行いながら、この事態の元凶であろうバーンナップを探していたが、やはりそれらしきモノは見当たらない。一体、どこに潜んでいるというのだろうか。ウェイドは迫り来る敵の腹にバックラーを叩き込み粉々にしながら、なんとなく彼女たちの持つ狙いの傾向を見出しつつあった。
(さっきから、強そうな人のトコへ集まっていってる…のか?)
脱出を試みる小隊の中で殿を務めた者や、一箇所で強く粘っていた者が優先的に狙われたことまでは理解が及ぶものの、逃げていく者たちへ微塵も興味を示さないのが少し引っ掛かっている。そういった人間を何か目的を持って選別しているんじゃ?という疑念をなんとなく抱くが確証が無い。
第一、これらをバーンナップが操っているなら何か、人形たちとの思念の繋がり的な物を感じ取れるのでは無いだろうか。泥の塊のひとつひとつを相手取りながら自分の周囲へ神経を張り巡らす。すると微かに淵の方で、ウェイドの頭皮に痒みを感じさせるようなノイズが走った。
『誰だ、気安く俺に触れやがるのは!!!』
ウェイドは直ちに踵を返し、気配の方向へ猛ダッシュを始めた。"交信相手"による罵倒という形で感じられた拒絶感を受け取った瞬間に、自分に追い縋ってくる異形たちがどこから出てきたのかが何となく解るようになった。ライタイから2箇所、レフタイにも2箇所…ヤツは、楽士たちの封鎖を易々と抜け、これだけの事を準備してみせたというのか!!?
「逃がさない、絶対に見つけてやる!!」
見当を付けた場所が近づいてくると、それは3階建のアパートだった。ウェイドはひとっ飛びで最上階の廊下まで上がり、剣とバックラーを打ち鳴らしてからすぐそばの扉をぶっ叩いた。一撃で粉砕された木片を踏みつけながら部屋へ押し入る。
「!?」
部屋はもぬけの空だった。
しかし、抜け殻ではあった。
ひどく散らかった室内は、ゴミが踏み潰されてできた獣道の先に黄ばんだシーツのかかったベッドが置かれている。それ以外はほとんど物置とゴミ捨て場の狭間という具合で、画材やら、石材やら、彫刻刀やら楽器やら。雑多な道具が手入れも受けずに放ったらかされている。
窓は長いこと開きっぱなしだったようだ。ウェイドが扉を破ったことで風が通り抜け、カーテンが揺らめいている。落ちかけて赤い点になった西陽を受けると、それは陽炎のようにも見える。
「そうか…ここから"生まれた"んだ…!」
ウェイドは剣を鞘へ戻すと、左手の指を擦り合わせた。怨嗟が混じり肌にへばり付くような霊気、その感覚を確かに覚えてから、彼は再び捜索へと走り出した。
*
「あぁ、もう、キリが無いですわね!」
泥人形の一つを袈裟斬りにして、エコーズは悪態をついた。隣には、ずっと一人で囮役をかっていたという手負いの女性楽士が息を切らせている。どうにかして彼女を守りつつ部隊へ合流させねばならないのだが、いかんせん敵の数が他の地域に比べ一段と多い。行手を塞ぐ人形の群れを睨みつけると、たちまち彼女らを跳ね飛ばし掻き分けてサマル・ティーネージが現れる。
「どーだいエコーズ、奴さん見つかった?」
「いいえ。この混乱を言い訳にするんじゃないですけれど、探すのにかかる手間が多過ぎますわね」
サマルは「同感だぁ」と返しながら、スムーズに手負いの楽士に肩を貸して救助を手伝ってくれる。バーンナップを沈黙させない限りこの混乱は収まりそうに無いが、そこへ辿り着けないもどかしさは誰もが感じるところであった。
「ん〜…ガラクタ共は、強えヤツを優先的に取り囲んでこようとしてるくせぇな。適当に注目集めたら一旦撒いとかねぇと、いつまでも一箇所に釘付けされちまう。この子は私に任せて、エコーズは別のエリアに移ってもらった方が良いかもな」
「了解ですわ、お気をつけて」
エコーズは一呼吸おいて駆け出す。サマルも女性楽士へ「よぉし行こうぜ〜」と声をかけ移動を促した。すると彼女は足を止めたまま、サマルのマントを見て「武優の赤…?」と呟いた。久しぶりにそんなことを言われたのが少し面白くて、「そうさぁ?」とちょっと見せびらかした。
「君も、ずっと粘ってギリギリまで戦ってたんだろ。そんな風にこれからも頑張ってきゃ、いつか貰えっかもね」
今度こそ出発しようと踏み出すが、サマルは肩に絡んだ相手の腕がぴくりとも動かないことに気がついた。瞬時に身体を外そうと試みるが、足首が何かに…いや、明らかに人間の手によって掴まれて動けない!!
振り返れば、女性楽士と思っていた人物の顔からは水気の引いていくかのようにざらざらと渇いていき、表面には幾条もの亀裂が走る。口元がぼろりと崩れると、黄ばんだ髭を蓄えた口が両端で天を突くように曲がっていた。
「見つけたぞ、お前に決めたァ…!」
そうか、コイツだったのだ。
道理で見つからない訳だ、高度な擬態が出来るのだ。
化けて化けてを繰り返し、街の中を練り歩き、こうして楽士に化けても見せた。ということは、団の動向も把握されていた可能性がある。
こんなバーンナップは見たことも聞いたこともない。まともに戦えるヤツは今、この街に片手で数えるほどしかいないだろう。自分にはその可能性があったが、こうして捕まった以上ゲームオーバーだろう。ほら、考えてる間にもヤツの手から、鋭い爪だか刃みたいなものが飛び出してきている。きっと自分を処理し終えたらば、再び化けて姿を消すだろう。そうなるまえにコイツの存在を伝えなければならない。ここにいると教えなければならない。確かに討ち取れると、信頼できる人物へ…我が弟子へ!!
『聞こえてんだろウェイド!! ヤツはここにいたぞ、早く来てぶっ飛ばせ!!!』
効果があるかは分からない。
今はただ、霊気の力を信じるしかない。
自分ではまるで感じられない、物理現象としてしか把握できなかった風に乗せて強く念じる。刃を振り下ろす敵を睨みながら、その肩を掴む手にも力を込めた。
せめて、少しでも時間を稼ぐ。それだけのために。
そしてレフタイの石畳に、血飛沫が舞った。




