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秋 5節

 自分から「聞いて」なんて切り出した割には、クリスの表情は怯えているというか、クロウの様子を伺うかのようだった。頑強な殻の中から柔らかいウィークポイントだけを曝け出してしまっているかのような態度がいたたまれないような気すらしてくる。いままで彼女はきっと、この漆黒の中で歯を食いしばって贖罪の日々を続けたのだ。誰にも悟られぬまま。


「…なるほど。大司祭も、上手いことプロデュースしたもんじゃあ」


「そっちかよ」


クリスが吹き出す。失笑かと思ったが、目の端には少し安堵の曲線が浮かんでいる。


「もっと、バーンナップだったこととか、引かれると思ってた」


「あんなぁ、みくびって貰っちゃ困るわい。お主のそりゃあ、尊敬されこそすれ、蔑まれるようなもんじゃあない」


ため息混じりの彼の声に呆れがこもっていそうなのを感じ取って(というか、勘繰って)、クリスは勝手に「失礼なこと言ったかもな」と思った。さりとて繕い方もよく分からないし、褒めて貰ったこそばゆさと一緒に誤魔化そうとした。


「ンなこと」


「あるぞ」


発した一音が、やけに響き渡る。クロウの方を向くと、彼は真面目な顔で彼女の幼く、やさぐれた瞳を直視してきている。


「ワシかてペーペーじゃが、バーンナップのことはよぉ勉強したつもりじゃし、霊気の理不尽さは身に染みとる。それでもお主は自分で償いをすることを逃げずに挑んだんじゃあ。ワシはなぁ、クリス殿。ワシに出来んかったことをやってるお主を、尊敬するぞ」


驚いた。

とても、かなり、すごく。

ほぼ初対面の人間、それも上司にここまで言ってくれるのか、こいつは?

私は散々勇気を出したんだぞ。今まで誰にも言ったことない事実を打ち明けたんだぞ。私の準備は杞憂だったのか、いや、そんなことは無いはずだったが……。


などと、考えているとクロウは「あぁ、失敬。出過ぎたマネでしたわい」と視線を外してしまった。クリスは再びネックガードに鼻先まで埋めてから「そんなことない、ありがとう…」と礼を述べた。


再び思考を巡らす。なんでこの一世一代のカミングアウトがこうもするりと受け入れてもらえたのか。クリスに読み取れる材料はごく乏しいものであったが、ついさっき彼は「ワシに出来んかったこと」と言っていた。それについて訊ねると、クロウは「あぁ、口を滑らしたかぁ」と呟いた。


「別に進んでするような話でもないんじゃあ。ビックリするようなことも無いし、強い決意のあるわけでもない、ショボい後悔じゃあ」


「じゃあ私が聞きたいつったら、話してくれるのか?」


「なんでぇ?」


「…どうしてお前がそんなにおおらかでいられるのか、私も後学のために知りたくなった。かく()れるように」


「おおらか、のう」


煙草でも吸っていたみたいに、鼻から深く息を吐く。それから目を閉じ、額を押さえて揉み込むと「まぁ、反動みたいなもんじゃあ」と。

諦めたような、悲しむような、疎ましがるような。

たぶん今の彼をウェイドやフレディが見ていたなら、驚愕のあまり襟を正しそうなほど、普段の彼のイメージからは遠い仕草だった。


「ワシの名前、「クロウ」は「九男坊」って意味じゃあ。ワシは故郷じゃあ足手纏いで、誰にも期待されとらんかった」



 大陸の東側に「マサ」という国がある。

国土のほとんどを密林に覆われ、カルナバル周辺をも凌駕するほどの濃い霊気を纏う環境は、強力な霊獣たちの楽園であり激しい生存競争の舞台でもある。樹木ですら動物を狩るような厳しい場所を住処と選び、今日(こんにち)に至るまで繁栄を続けてきた屈強な部族達の一つ、「ウトバ族」の構成員として九郞 輪絲(クロウ・ワイト)は産まれた。


かつて存在した恐ろしい霊獣との争いにおいて、部族団結のキーマンとして活躍したことへの褒美として当時の族長から賜った"輪絲"の姓を持つ家は、現代でも一目置かれており、彼らもその尊敬に応え、維持するべく鍛錬を怠らず、優秀な武士・狩人を数多輩出した。


 当然クロウも兄たちに倣うことを求められたが、どうにも上手くいかなかった。太刀筋も、身のこなしも、歳が近い一つ上の兄にすら遠く及ばなかった。後々になって他のマサ国の出身者や楽士達と比較すれば人並みにできるらしいことが分かったが、それでは輪絲を名乗るのに全く不足であった。


辛い鍛錬の日々に泣きじゃくり、拗ねる幼いクロウだったが、末っ子という立ち位置ゆえに兄弟にはすこぶる可愛がられ、励まされていた。武術剣術以外ならやること為すこと褒めてもらえるのに気をよくしたクロウは、好んで勉学や読書をするようになった。

やがて彼は旅の行商人が持ってきた物語本の挿絵に惹かれ、それを自分でも描いてみたいと思うようになった…と、こう言うと聞こえは良いが、恐らく根底には、「武」では決して認められないというコンプレックスから逃走したいという思惑もあった筈だった。


近所から廃材を貰ってきて、そこにナイフで紋様を彫り、墨汁に糊を混ぜたものを塗りつけて紙に押し付ける。そうして出来た彼の初めての作品に、屋敷の誰もが賞賛の言葉をかけてくれた。ただ1人を除いて。


「…んでぇ、お前、鍛錬の方はどうなっとるんじゃあ。枝跳びくらいは出来るようになったんけぇ、ええ?」


父、普暁(ふぎょう)はウトバ族にしては背が高く、それが余計にクロウに容赦のない威圧感を与えていて、この世で一番苦手だった。朝に会っても夜に会ってもかっちりと着込んでいて、誰かの起きているうちには決して眠らぬ人だった。輪絲の家長として周囲から尊敬を集めていたが、それ以上に畏怖されているような人物だった。そして彼だけは、たとえ九男坊であろうと決して武からの逃避を見逃してくれなかった。


 ある日、読書をしているところを見られたときには、こんなことを言われた。


「頭ン中本棚にするのはよろしいがお前、何処に何の本が入っとるか分かっとんのかぁ? 実践をせぇ、実践を」


決して剣術一辺倒ということは無く、理知的でもあった。文でも武でも勝ち目が無い、服着て歩くプレッシャーそのもの。クロウにとって父とはそういう存在だった。あまりに煩わしく鬱陶しく、こんなところで一生を過ごしたなら、自分は狂いきってしまうだろうと思っていた。だからクロウは、ウトバで成人と見做される17歳の誕生日をもって、故郷を出たいと思っていた。


だが、それを待たずして、父は死んだ。



 「えっ…?」


クリスの乾いた驚愕が岩肌を這う。


「狩りでワシがしくじったんじゃあ。んで、それを庇った親父が霊獣の爪にざっくりといかれた。…なんであれだけの武人が、そんなことしたのかさっぱりじゃあ」


カッカッカ、と隙間風みたいに笑う。言葉も態度も明らかに強がりだし嘘っぱちだ。クリスは背を壁から剥がして「さっぱりって、お前そんなのっ……」と言いかけたが、「おっと」クロウに手で制された。


「先は言わんでくれ。考えんことにしとる」


反論したくてしょうがなかったが、それが彼のためになるとは到底思えない。クリスは拳を飲み込むような感覚にネックガードを引っ張って緩めた。


「…一旦、いいよ。それで?」


「兄貴たちは「お前のせいじゃない」つってくれたがのう、そう思えるワケが無かった。だからワシゃあ、親父の葬式が終わったらとっととケツ捲って、逃げるようにカルナバルまで来たんじゃあ。…おおらかさ、なんちゅうもんはただの反動で、思想や信念があっての振る舞いとは違う。ワシは今の生に、それを享受するに値する人間であるという自信が無いんじゃあ。そんなヤツ…なんのお手本にもならんじゃろ?」


クロウはもはや、何処を見ているのかも分からない。語り始めてから彼の五感のほとんどが、過去へと飛んでいってしまったのだろうか。だからクリスは立ち上がって、音鋼の指で彼の頬をにゅっと摘んで、自分の方へ引っ張った。


「あぇっ!?」


「話してくれてありがとう。お前は正直モンだよ」


やっとこちらを見た、鈍い真鍮みたいな色の瞳に向かって「戻ってこい」と呼びかけるように、クリスは話しかける。


「自分の弱さ噛み締めてさ、カルナバル(ここ)まで来てくれたんだろ。打ちひしがれたり腐ったりすんじゃなくて、お前はあの街に住んで、楽士やって……」


一言、一言を紡ぐうちに、さっき飲み込んだあれこれが何倍にも膨張して口から、鼻から、眼から溢れ出す。


「それでっ、私に励ましの言葉をくれて、それから、自分の弱さを打ち明けて…バカ正直の、良いヤツだお前はっ。お前だって、私に出来ねぇことやってんだろうがよぉ!」


「え、ちょ、なんでっ…なんでお主が泣いとるんじゃあ!?」


ただただ瞳孔が点になってしまうクロウに向かって、クリスは歯を食いしばった。


「お前が出来てないことっっ、今っ、ワタシがやってンだァッ!!」


天井から、細かい礫が落ちたかも知れない。

前髪が、痺れるように揺れている気がする。

耳の捉える余韻は、物理的なそれよりも長く感じる。

いや、ひょっとすると自分で追いかけているのかも。


顔を真っ赤にして、ふー、ふー、と息を荒くするクリス。その感情をありありと、生き生きと反映する全てに、クロウはアーティストとしての彼女の強さと、美しさを鮮烈に感じるし、ほっぺたが痛い。胸が、暖かい。自分は今ここで生きていて、生きていて良くて、その通りであると彼女が全身で表現している。膝の下の小石は結構食い込んでて痛くて、やっぱり肩のあたりには少し鈍痛がある。今なら分かる。


(ワシ)は地面に脚をつけ、息をして生きている。自分がどう思おうと考えようと、紛れもない事実として、クロウ・ワイトは存在する。クリス・テイシアという存在をもって立証されたのだ。


「…ありがとうよ、クリス。今までの何よりも、嬉しい言葉じゃあ」


「…おう」


頬から離れたクリスの手をとり、固い握手を交わしながらお互い立ち上がった。彼女はヘルムをすぽっと被り、面頬をぶら下げたまま「とっとと出ようぜ、こんなトコ」と視線で洞窟の向こうを指す。


「異存無いがのぉ、そんな鼻提灯ぶら下げたまんまでかぁ?」


「るっせ、ばか。誰のせいだよっ」


クロウに背を向けて、ショートマントの端をギチギチに引っ張って顔を拭うと、面頬を付けた。再びファド・パンチに戻ったのを認めてから、クロウは彼女と先へ進むことにした。

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