惑う恋 ~恋をはじめよう~
週末の夜。
俺の部屋で、恋人と過ごすことが当たり前になっていた日のこと。
いつもはよく笑う彼女が、黙りがちだったのは気にはなったけれど。
そんなことよりも、彼女が欲しくて、早くその唇に触れたくて、抱きしめてキスしようとした時だった。
「やめて」
叫ぶように言った拒絶の言葉。怒ったように俺を睨む彼女。
「どうしたの? 何怒っているの?」
彼女の怒りの理由がわからず尋ねる。
「わたし知っているのよ。だから正直に言って。わたしに嘘をつかないで」
「え? 何を?」
正直にって、嘘って言われても・・・
睨むように、真剣な顔で問われても何の事だかわからない。
俺の言葉に彼女は何かに耐えるように目を閉じて。
それから、意を決したように口を開いた。
「あなたには他に恋人がいるのでしょう?」
「・・・」
思いもかけない言葉に一瞬固まった。
「聞いたのよ。あなたが恋人とお店にいたって。つい最近のことよ。すごく仲良さそうだったって。わたしは一体何だったの? 遊び?」
刺すような視線と責めるような口調。
俺はとっさに言葉が出てこなかった。
とっくに終わっていた恋。
終わらせた恋をなぜ彼女が口にするのだろう。
衝撃で口を聞けずにいる俺のことを、彼女は肯定したと思ったのだろう。
「さようなら。もう、ここへは来ないわ」
俺の腕の中からすり抜けていこうとした。
「待ってくれ」
俺は離れていこうとした彼女の腕をつかんで、抱き寄せる。
ここで離してしまったら、きっと彼女は俺の元へは戻らない、そんな気がして強く抱きしめる。
「いや、離して」
俺から必死にもがいて逃れようとする彼女。
だからといって、素直に逃がせるはずもない。
「誤解だから。俺の話を聞いてくれないか。俺が好きなのは里緒、君だから。誤解されたまま別れたくない。ちゃんと話すから、聞いてくれ」
「誤解?」
懇願するような俺の言葉に、彼女も少し落ち着きを取り戻してくれた。
話をするためにベッドに腰かけさせて、俺は床にひざまずいて、彼女の手を取り視線を合わせた。不安を隠せない青白い顔で震えたように俺を見ている。
俺は元恋人との別れのいきさつを話した。
大学生からのつきあいで、お互いの仕事のすれ違いから、ドタキャンが続いて、けんかばかりしていたこと。そのうちに連絡も取らなくなって、ここ一年ほどは会ってもいなかったこと。そして、ようやく、彼女と別れられたこと。
「ごめん。もっと早く、別れていれば。ごめん」
里緒に出会った時には、もう既に遥に気持ちはなかった。
音信不通の恋人とは自然消滅したんだと思って、里緒とつきあい始めた。
このままではいけないと思ったのは、里緒との結婚を意識し出したから。
彼女はまだ大学生だから、すぐにと言うわけにはいかないけれど。
だから、きちんと遙に会って話がしたかった。
おかげで、お互いに気持ちがないことが分かったから。
その時のことを誰かに見られていたんだろう。
仲良さそうに見えたのはドロドロとした別れ話ではなく、穏やかに話ができたから。
「ごめんなさい。あなたを信じられなくて、ごめんなさい」
里緒がぽろぽろと涙を流す。
頬を伝わる涙は俺の手を濡らしていく。
「里緒は悪くないよ。悪いのは俺だから。だから、別れるなんて言わないでくれ。愛しているんだ。ずっと俺のそばにいてくれ」
「いいの? わたしでいいの? あなたのそばにいていいの?」
涙で濡れた瞳で縋るような表情で、何度も確かめるような言葉に、俺はぐっと胸が詰まった。
もしかしたら、今日ここへ来た時には、別れを決意していたのかもしれない。どこか思いつめたような顔だったのは、傷ついて、苦しんで、悲しんでいたから。
それなのに俺は何も気づかずに・・・
「うん。里緒と一緒にいたい。里緒じゃなきゃダメなんだ」
「わたしも。初めて会った時からずっと好きだったの。佑真だけなの」
お互いの気持ちを確かめあって、彼女を抱きしめた。
「もう一度、恋をはじめよう」
俺の言葉に彼女は嬉しそうに頷いた。
これからが本当の恋の始まり。
俺たちの新しい出発点。
彼女の頬にぽろりと涙が零れ落ちる。
これはきっと、うれし涙。
俺は唇でそっと彼女の涙を拭いた。




