225話 闇夜に浮かぶ月時計
「わたしは今からあなたを殺しに掛かるけど。あなたはどうする?」
「どうするって言われても……」
そんな事、急に言われても困ってしまう。
「せっかく仲良くなれたのに」
「それは違う。わたし達の関係は最初から殺るか殺られるかだった。友達だと思っていたのならそれはあなたの勘違い」
「なら、最初から殺しにくればよかったのに」
むっとして睨むと、ちょっと怯んだようにルナが目を逸らした。
「べ、別にいつあなたを殺ろうとわたしの勝手でしょ」
「それはそうかもしれないけど……」
わたしは目を伏せると言葉を濁す。
「本当に戦うの?」
「戦わないというのなら、一方的に殺すだけになってしまうけど、あなたはそれでもいいの?」
「よくは……ないけど」
わたしを見つめるルナの視線には明確な殺気が込められていた。
その気配にわたしは本能的に敵だと悟ってしまう。
使い魔〈サーヴァント〉としての感性〈センス〉が彼女を明確に敵だと伝えてきていた。
やっぱり、この子は魔物なんだ……。
でも、まだ心の準備が出来てない。
「やっぱり嫌だよ」
「まったくルナは我が侭なんだから。いいわ、時間がたっぷりあるんだもの。あなたがその気になるまでわたしは待つ」
「もう勝手に襲ってきてくれればいいのに」
そうしたら、きっとわたしは躊躇い無く戦う事が出来るのに。
わたしがむぅと眉を寄せて睨みながらぼそっとした声で言うと、ふっとルナが絹のような白い髪を揺らした。
「それはわたしが嫌。わたし戦闘は必ず正当防衛で始めたい主義なの。だから敵意のない猫とは戦いたくない」
「どっちがワガママなんだか……」
わたしだって敵意のない相手とは戦いたくなんてないのに。
どっちも戦いたくないと思ってるんじゃ、戦う事なんて出来るわけない。
わたしだって正当防衛で戦いたいに決まってる。こっちから仕掛けたらわたしが悪者みたいだもん。
こんな面倒くさい敵初めてだった。
「あなたが戦いたくなくても、あなたはもう逃げられない。あなたはきっとわたしを殺しにくる。だって、このループする世界を作ったのはわたしだから」
「このおかしな世界をルナが作ったの?」
「そう、だからこの世界を破ろうとするなら、わたしとの戦いは避けられない。ルナ、月を見て」
促されて広場の中心に立つと空に浮ぶ月を見る。
それまで煌くような星々が浮んでいた夜空は星が消え去り黒一色の闇へと姿を変えていた。
そんな中で満月だけが不自然に明るく浮かび上がり一際明るく、妖しく輝いていた。
カチコチカチコチ――。
どこからか時計の音が聞こえる。
そして、満月の表面にはローマ数字の文字板が浮かび上がっていた。
「今、この世界の時は閏時間〈うるうどき〉に入った。わたしが解除しない限りこの世界の時間はもう進む事はない」
そう言うと、少女は月光を浴びてほくそ笑む。
「わかる? あなたの計画はもう頓挫してるって事に。唯一の打開策はわたしを殺す事だけ。それしかもうあなたには残されてないの」
「あくまで挑発を続けて相手に先に仕掛けさせるつもりなんだ」
「これが兎の流儀なの、なんでもかんでも動くものを見つけたら猫パンチする野蛮な猫とは違うの」
「え、そう。兎も結構気性が荒いって話だよ? 兎と猫ならずっと猫の方が飼いやすいんだから」
「そ、そんな事ない。兎は寂しいと死んじゃうくらい繊細な生き物なの」
「それ迷信なんでしょ」
「兎は草食動物なんだから、おとなしいに決まってるでしょ」
「えー、そうかなー。ベジタリアンってお肉出すとブチ切れるんでしょ? 実際は噛んだり引っ掻いたりそれはもう凶暴だって話だけど」
「うぅ……」
ルナが言葉に詰まる。ふっ、勝ったな。
白い少女はわなわなと体を震わせると、
「猫の下らないマウンティング行為に付き合っている暇はないわ。兎に角、戦う気になったらナイルのお店の開かずの扉に来て。そうしたら、あなたにこの世界の事を教えてあげる」
「あ……」
まるで早口言葉を言うように捲くし立てるとすぅっと闇に吸い込まれていくようにシルエットが薄れたかと思うと姿が消えてしまった。
「……本当に戦うの」
シンと静まり返った森の中で夜の闇のような重たいモヤが心の底に溜まっていくような気分だった。
「ナイルのお店の……開かずの扉か」
確かめるように呟く。
思い当たる場所はあった。
あの時は夢だと思ったけど夜中に目が覚めた時、廊下に見知らぬ扉があった事をよく覚えている。
夢にしてはあまりにもそれは鮮明にわたしの頭の中に残っていた。
きっとあそこの事だと直感が告げていた。
「――――――――…………」
ざわざわと草木の揺れる音がわたしを取り囲むように聞こえた。
目を向けると木々の間から無数のモコモコとしたMTTBがわたしの事を取り囲んでいた。
「あなた達……」
その濃厚な殺気からわたしを狩る気でいる事は明らか。
そう言えば、この子達って回りは羊の毛みたいなモコモコとした毛に覆われているけど中身は兎なんだよね。
兎型のMTTB……。
「もしかしてルナの仲間なの?」
「――――」
声無き声が返ってくる。
何を言っているのか分からなかったけど、どうやらその通りのようだった。
「もしかしてわたしをルナの元に行かせたくないの?」
「――――!!」
「――――!!」
「――――!!」
ザワリとヤスリが擦れ合うような気配の変遷。
それは肯定を表したものだったのだろうか。
わたしを取り囲んだモコモコ達が一斉に声無き声と共にわさわさと体を震わせた。
「っ!」
そしてモコモコとした体から植物の蔓のような触手を出すと、それをわたしに向けて突き刺してきた。
わたしはバク宙をするように体を空中に放り投げると、無数の鞭となってしなり迫ってくるそれらを交わす。
「ちょっと兎は正当防衛主義じゃなかったの?!」
そのあまりの殺る気満々具合に苦笑しつつ、わたしはポケットからニャルラトフォンを取り出した。
魔法の倉庫に預けていた猫村正を取り出す為だ。
触手を回避しながらおぼつかない手付きでアプリを起動させると見慣れない画面が出現した。
「あ、あれ?」
いくら画面を擦っても、その画面から先に行けない。
「圏外?」
ニャルラトフォンの画面には大きく『圏外』と表示されていた。
ええ、ニャルラトフォンにも圏外とかあるんだ。
確か圏外という単語は前に飼い主さまが話していたのを聞いた事がある。
そうあれは飼い主さまが公共放送で行われるライブのチケットを手に入れようと躍起になっていた時の事だ。
お友達からチケットを譲って貰える事になっていたのだが、ずっとお友達が圏外で連絡がつかなくてものすごくイライラしてたっけ。
長い間ティッシュペーパーで折り鶴をしていたかと思うと突然、飼い主さまはムスっとした顔でわたしを抱き上げて、圏外っていうのは相手が電波の届かない場所に行っちゃう事なんだよ。
と不思議な顔をするわたしに教えてくれた。
ニャルラトフォンは確か電波とかじゃなくて、ニャルラトネットワークとかいうのを使って通信しているはずだけど、やっぱり〈圏外〉というものはあるらしい。
「っ、でもよりによって今じゃなくてもいいのに」
チッと音を立てて蔓の鞭が肌を掠る。
本当にそう思う。これでは武器を取り出す事が出来ない。
「――――!」
その事に気がついたのか、モコモコ達が一斉に距離を詰めてきた。
のしかかるように体当たりを仕掛けてくるモコモコにわたしは――。
「何この舐めた攻撃……」
覆いかぶさろうとしていた一体のモコモコが衝撃に吹き飛んだ。
わたしが思いっきり蹴り飛ばしたからだ。
モコモコは吹き飛びながら、纏っていた綿毛のような毛が剥がれて舞い飛んでいた。
そして羊のような毛の中に隠されていた小さな兎の姿をした本体が姿を現す。
「やっぱり……」
この子達は兎に関係がある。詰まるところ白兎のルナにも。
「別に、剣がないなら足で蹴ればいいだけだと思わない?」
わたしは取り囲むモコモコ兎達を見据えてトントンとつま先で地面を叩きながら目を細めて訊ねる。
正直な所、腕力にはあまり自信はなかったからどうなる事かと思ったけど、蹴りならば一撃必殺とまではいかなくても十分に対抗出来そうだった。
お、相手武器持ってないじゃーん。余裕じゃね。というオーラを醸し出していたモコモコ達の空気が一変する。
先ほどののしかかりも相当に雑な攻撃だったけど、思えば最初から彼等はかなり慢心していたようだった。
そうでなければこんな風に普通に正攻法で攻めてくる事はなかっただろう。
もしかして、わたしが武器を持ってない事を事前に知ってたとか?
それは考えすぎかも知れないけど、相手が慢心しながら攻撃してきてくれた事はラッキーだった。
武器がないのも厄介といえば厄介だけれど、用意周到に準備をして攻めてこられた時のこの子達の厄介さも前の戦いで嫌という程思い知らされたわけだし。
「――――……」
一気に張り付けた空気の中でジリジリとにじり寄るように体を震わせる。
わたしはそんなモコモコ達に冷たい刃のような怜悧な視線を向けると、
「悪いけどわたし毛糸玉遊びをしている時間はないの。殺してあげるから、かかってくるならさっさとしてくれない?」
「――――!!」
先ほどのわたしに蹴られてモコモコを剥ぎ取られた兎がまるで狼が遠吠えをするように体を反らせて声無き声で大きく吼えた。
それを合図にして口火を切ったようになりふり構わずモコモコ達が特攻を仕掛けてくる。
わたしは迫りくるその毛玉集団を次々に蹴り飛ばしていった。




