叫び
五月も下旬となり、ますます夏に近づき気温が上がり始めた。
程よく雨も降り、子ども達にとっては良い環境が続いていた。
だが、やはり狭い畑に二種類もの作物を植えたのが原因か、発育が悪い。
畝はトウモロコシとかぼちゃで分けたが、土自体の栄養も不足しており、初めて育てる俺から見ても虚弱に見えた。
とくにマイコと隣り合うトウモロコシはその影響が大きいようで、ほかの子と比べても明らかに脆弱に見えた。
しかしマイコ自身はとても元気で、その強い生命力はお構い無しに養分を奪っているようで、毎日とぎ汁と牛乳の栄養剤を与えていてもその差はハッキリ現れ、トウモロコシがやられないか心配だった。
だが兄弟といえど、これも生存競争という戦いであり、俺が過剰に世話を焼く事は出来ない。
俺が出来るのは、出来るだけマイコに多く食事を与え、早く満腹にさせることくらいだ。
マイコは牛乳が好きなようで、毎日頭から掛けろと口をパクパクさせ、催促をする。
どうやら髪の毛の部分が根に当たり、そこから栄養を補給しているようで、お腹が空くと頭の葉を残し潜る。
最初は牛乳を与えると眠り、その後三時間以上眠っていたが、今では飲み終わるとすぐに顔を出し、土を弄ったりして遊んでいる。
マイコは歩き回る事はできないようで、立ち上がる素振りも見せない。
栄養が足りず成長に影響が出ているのかと思ったが、体も声も次第に大きくなり、ロールパンのようだった腕も、徐々に大人の体に変化しつつあった。
元気にはしゃぐ姿を見ていると、とてもそんな影響は感じられず、問題はあるように思えない。
何故歩き回らないのかと半ば無理やり掘り起こしてみたが、足首から先が芋のような形をしていて、それを成長させるために歩けないのだと分かった。
頭の上も随分立派になり、三本伸びた朝顔のような蔓は十センチほどまで育ち、葉が生え始めていた。
言葉は相変わらず、ま~ま、だとか、あうわ~としか出せないが、口数も多くなり、土を投げ飛ばす腕力も付いてきた。
白い髪も伸び、顔にも個性が出始め、親馬鹿と言われるかもしれないが、マイコは美少女に育つだろう。
そして性格もはっきり現れるようになってきた。
蟻やミミズなどの虫には優しく触れ合うが、芋虫やバッタが近づくと蔦を手繰り寄せ、木の枝を振り回し怖がるように追っ払う。おそらく葉を食べる虫が嫌いなのだろう。
そして兄弟たちに葉虫が近づくと俺を呼び、追っ払うよう命令するなど、とても兄弟想いの性格をしている。
お喋りも好きなようで、俺には分からない言葉で独り言を言ったり、蜂や蝶々が近くに来ると呼び寄せるように手を広げる。
兄弟たちとも仲がよく、話しかけては一人でキャッキャッ笑っている。
そんなマイコや兄弟たちが可愛くて、俺はいつも出来る限りは畑にいるようにしていた。
そして一番嬉しかったことは、マイコが俺のことを、わんま~と呼んだ事だ。
最初は何を意味しているのか分からなかったが、次第にその意味を知り、嬉しくなった。
ほかにも嫌だという意味の、なぁー。そうだというときの、まんま。のどが渇いたという意味の、パッ、パッという唇を鳴らすなど、言語による意思の疎通も可能となっていた。
ただ、夜泣きをすることがあり、夜に畑から泣き声が聞こえ俺を呼ぶ。
実家には俺と母しか居らず、父が事故死してから急に耳の遠くなった母には聞こえないようで、マイコのことは知られていない。
しかし、成長につれ、活発になり大きくなるマイコは、いずれ他人に知られてしまう可能性がある。
それでもうちの畑は近所の人でも覗く事は出来るが、三千人ほどしかいない田舎の町では知られる事はまず無いだろう。
そう思い楽観視していた事が、後に事件を起こすことになる。
六月に入り、マイコはさらに大きくなり、折り畳んだ携帯電話ほどの大きさにまで成長していた。
体も五歳児ほどになり、蔓のほうも二十センチを超えだし、小さいながらも手のような形をした葉を咲かせていた。
その分随分わがままとなり、子ども達の中で一番手を焼かされる存在にもなった。
牛乳は違う品名は嫌い、俺を頻繁に呼び遊べとせがみ、家に入ろうとすると寝ていてもすぐに顔を出し、触ろうとすると指を掴み、自分の部屋へ持っていこうとする。
俺にはほかにも面倒を見なければいけない子供がいるのに、マイコにばかり構っていられない。
ほかの子達も順調に成長しているが、どの子も小さく、元気が無いわけではないが大きくなれないようで、親としては少し心配だ。
中でもマイコの両隣のトウモロコシは、栄養の取り合いに負け、とても貧弱だ。
マイコにはそのつもりは無くとも、生まれ持った生命力の差とでも言うのか、どうしても負けてしまう。
そのためとくに気を付けてその二人を見ているのだが、中でも一番元気で大きいマイコがそれを許してくれない。
しかし俺もそれなりに成長しているようで、マイコを上手にあしらう事が出来るようになっていた。
手ごろな大きさの葉っぱをマイコの見えない所で千切り渡す。このときマイコに葉を千切るところを見せると、泣いて怒る。
最初はそれを知らなくて千切ってしまい、あやすのに大変だった。
今ではそれに気を付けて作業しているが、マイコはそう思うだけで俺の考えが分かるらしく、突然怒り出す。
しかし雑草を引き抜く事には何も言わない。子供というのはよく分からないものだ。
葉っぱを渡すとマイコはそれを着ようとし、一人遊びを始める。どうやらこれは、俺が上着を脱いだり着たりするのを真似ているらしく、頭や腕を通す場所に穴を開け試行錯誤する。
これが上手く気に入ってくれれば、マイコに服を着させるのに苦労はしなさそうだ。
マイコの体には乳首は無いが、女の子と言う事もあり、胸を隠してあげたいと思っていたからだ。
まだそんな羞恥心は芽生えていないようで、いまは楽しそうに遊んでいるが、本能的には女の子らしい行動も目立ってきた。
自分の蔦を手繰り寄せ、葉を綺麗に掃除したり、寝床の土を入れ替えるように掘り出したり、土で体を洗う仕草がそうだ。
ただ、蔦を洗うときは水を欲しがり、土を掘り起こすものだから畝が崩れ、盛土を足し、小さくならないようしなくてはならず、本当に世話が焼ける。
行動範囲も広くなり、膝立ちし、自分の手の届く範囲の雑草を掘り起こしたり、ゴミを投げ飛ばしたりしている。
そして体の弱い弟達に触れ、ままごとのような遊びも始めた。
とくに床屋遊びが好きなようで、トウモロコシの葉を櫛で梳かすように撫で、土で洗う仕草をしている。
だが、夜泣きもすることが少なくなり、かなり大人に近づいたが、言葉に関しては全然駄目だ。
喉の使い方が分からないのか、カ行、ヤ行は出せず、舌を使う言葉も無理で、最近ではわ、ま~に変わり、しゃ行が多くなった。
しかしこちらの言葉は理解しているらしく、拙いジェスチャーを交え意思を示す。
歩き回る事は無いと思うが、夜の間も活動するようになり、少し心配な面もあり、期待と不安で忙しい毎日だ。
そんな俺の想いを他所に、マイコはさらに成長を続ける。
六月も終わりに近づく頃には小学生ほどの容姿になり、わんぱく、いや、おてんば振りを発揮し始めた。
今までは手の届かない場所に欲しいものがあると、俺に声をかけ欲しがったが、最近では畝を崩しながら這うように出てくる。
それでも足だけは絶対に土からは出さず、それでも届かないと「しゃし、しゃしゃ、なぁっ、なぁっ」など、声を上げ必死に手を伸ばす。それも可愛いお尻を出しながら。
しかし羞恥心が芽生え始めたのか、俺がお尻を突付くと恥ずかしそうに怒り、土を被せ隠そうとする。
そろそろパンツかスカートか、何か準備しなければならない。
ほかにも指揮者のように枝を振り回し、歌うようになった。とても下手くそで歌とは呼べないが、楽しそうに歌い勝手に盛り上がり始める。
声はそれほど大きくなく、近くで作業する俺でさえ動きを止めなければ聞き取れない。
マイコは音楽が好きなのかと思い、スマホで音楽を聞かせた事があるが、機械を通す音は嫌いなようで、近づけたスマホの画面を枝で叩き止めようとした。
どうやら植物は音楽が好きというのは嘘らしい。
しかし鳥の鳴き声や山からの音を聞くと、余計な音楽は邪魔になるその気持ちはよく分かった。
向日葵もかぼちゃも黄色い蕾が見え始め、トウモロコシも細いながらも背を伸ばし、近所の家の畑と比べるととても弱々しいが、子供たちは逞しく育っている。
病弱だった二人もなんとか実を付けそうな気配を見せ、食べられるサイズになるかは分からないが、子孫を残せるよう手助けしていこうと思う。
マイコに関しては比較する相手がいないから分からないが、三十センチほどまで伸びた蔦からは沢山の葉を咲かせ、自分で太陽が当りやすいよう動かし光合成を行っている。
そしてその中には青っぽい蕾も見え始め、健康そのものなのだが、本当に必要な栄養が足りているのか、成長の度合いは正常なのかは分からない。
ただ枝を振り回し芋虫と戦う姿を見ていると、きっと大丈夫。と思ってしまう。
そんな平和な日々が続いていたある日の朝。
「ぎゃあああぁぁぁー!」
という悲鳴で飛び起きた。
それがすぐにマイコの悲鳴であると気付き、そのままの格好で畑に飛び出した。
すると、マイコは泣きながら枝を振り回し、何かを追っ払っていた。
見ると近所の白猫が物陰からこちらを覗いており、畝には猫の足跡があった。
おそらくあの猫が畝を掘り起こし、それに驚いたマイコが悲鳴を上げたのだろう。
怖い思いをしたマイコを撫でると、マイコは俺の指にしがみ付き、猫を指さし、あいつは悪い奴だと訴えてきた。
「分かってる。アイツが悪いんだろ?」
うんうんと頷き、俺の指に隠れながらマイコは猫を睨む。
俺がそのまま猫にあっちへ行けと腕を振ると、猫は驚き走り去った。
マイコにとってはあの白猫はとても大きく、噛み付くか枝で叩く以外の攻撃手段が無いマイコには、もの凄い恐怖だったのだろう。
それでも誰にも怪我は無く、野良猫のちょっとした悪戯で驚いただけのマイコに安心した。
しかしさすがはマインドレイク。命を奪うまでは行かないが本気の叫びはもの凄い。
今はまだ子供といえど、あれほどの声量にはビビった。
マイコが大人になれば、本当に命を奪いかねない。この先は特に注意が必要で、教育方法を考えなければいけない。
そんな風に考えマイコを慰めていると、先ほどの悲鳴を聞きつけた近所の人が集まりだし、警察までやって来て、何故か俺を見ている。
慌ててマイコに潜るよう指示すると、マイコもその異様な雰囲気を感じ取ったのか、自ら潜り身を潜めた。
マイコが完全に隠れると、ちょうどそのタイミングで一人の中年の警察官が声を掛け、畑に入る事の許しを求めてきた。
ここで変に断る事も出来ず許可すると、警察官は畑に入って来て言った。
「さっきの悲鳴はこの家から聞こえたと連絡がありまして、ちょっと話を聞かせてもらえますか?」
さすがは田舎。周りに家が少ないため、ほぼピンポイントで場所が分かってしまう。
「え、えぇ、良いですよ」
何も悪い事はしていないが、警察官に質問されると動揺してしまう。
「なんだい? どうかしたのかい?」
母がこの騒ぎに気付き現れた。
「宮川さん、さっきの悲鳴について何か知らないかい?」
「知らないねぇ~。家じゃないのは確かだよ?」
どうやら母と警察官は顔見知りらしい。
母が上手く相手をしてくれるお陰で、俺は何食わぬ顔でマイコの畝を直し、部屋に戻った。
しばらく騒動は続いたが、所詮は田舎、あっという間に野次馬の姿は消えた。
騒ぎが収まると畑に顔を出し、再びマイコに声を掛け、いつもどおりの生活に戻った。
しかしこの騒ぎの最中、誰かが俺とマイコが会話する姿を写メで撮り、ネットに上げたのが原因で、日本中から注目を浴びる事となる。