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ヒロミが降り立ったのは、研究棟の側面部分、昨日シーロトワミに助けられた後に降ろされた屋外デッキの奥に広がる発着場だった。
正面入口前の広大な発着場に比べると半分もない広さだが、中型クラスのヴォイアクーであれば十機ほどの発着は可能に見える。昨日は戦闘が行われていた正面入口側を避け、多くの緊急用機体がこの場に集結していた。研究棟自体は球状で地表に露出している部分だけを見るとドーム型をしている。大部分は山地にめり込んだようなかたちになっており、谷側に大きく張り出した部分に正面発着場が、側面の中でも斜面のやや開けた部分に水平のテラス状スペースをかろうじて作ったのが、この発着場となっているようだ。
雨を遮るひさしなどは一切ない。降車客は数名で、黒服のネーリアも1名含まれていた。ここから乗車する者はおらず、ヴォイアクーはすぐに離陸し、再び山道へと引き返していった。昨日決闘を観戦したデッキの端まで近づくと、戦闘の影響でところどころ地面がえぐられた状態の正面入口側の発着場が姿を見せた。破壊されたヴォイアースの残骸と思われる破片も一部には積まれたままだ。飛行型、地上型ヴォイミらが多数飛び交い、走り回っている。浮遊するヴォイミが発生させる傘のような膜の下では、幾人かのネーリアらが、指示を送るべく端末を操作したり、図面を確認したりしていた。
建物の方へと目を向けると、雨の中まだ消えきらない火災による黒煙が、数箇所から上っていた。ドーム状の特徴的な外観をかろうじて保ってはいるが、外壁はいたるところで崩れ落ち内部を露出させたままだ。優先度の高い修復箇所であろうか、ネーリアを覆っていたのと同様の半透明の膜が大きく広げられ、バリアのように穴を塞ぎ、その下で作業が行われている光景も見られる。作業用ヴォイミが多数稼働してはいるが、この巨大な施設全体を元の姿に戻すのには、まだまだ時間がかかりそうに思われた。
第3研究室へ乗り込むくらいの意気込みでやって来たヒロミだったが、ここまでの長い道のりと、事件の影響がまだ色濃く残りまるで廃墟のようにも見えるこの復旧途中の現場の空気に、思った以上に陰鬱な気分にさせられているのを感じた。同乗者たちはとっくに急ぎ足で建物内へと移動している。ヒロミは思わず立ち止まってしまったが、この何もない屋上デッキにこれ以上留まるのも不審に思われかねない。ここからは怪しまれないよう行動することが重要だ。
とはいえ、この場から第3研究室までは一度も行ったことのない道のりだ。建物入口付近には警備用のヴォイミが1体待機しているのが見える。ヒロミの通行証で問題なく入ることはできるのだろうか?ここまでの移動用ヴォイアクーの利用にも、フェイミから渡されたパスを使用してきた。怪しまれたとして、自分の経路情報は調べようと思えば筒抜けのはずだ。問題があればとっくに拘束されていてもおかしくはないだろう。この状況であれば地図を広げて眺めているのも不自然に映ることもないはずだ。――となれば、だ。ヒロミは覚悟を決め、堂々と入口へと向かうことに決めた。
幸いにして、ヴォイミからは何も咎められることはなく、首から下げたカードをわずかに見せるだけで中へと入ることができた。ヒロミは濡れたローブを払い水滴をいくらか落とすと、ブレスレット型端末を起動させこの施設の図面を呼び出した。情報としては昨日フェイミから送られてきた避難用のルートが最新のもののはずだ。更新がどのように行われるのかはまだ把握していない。地球人の感覚からして違いがあるのは、ここで閲覧できる情報は誰かが利便性のために作成、公開したものではなく、誰かの命令によって動いた”ヴォイミの”情報、ということだ。ヴォイミ同士のネットワークがあっても共有できないケースや、そもそもネットワークを断っている個体もあるだろう。ここへ至るヴォイアクーの臨時運行情報をヒロミが知ることができたのも、多数のネーリアが知ることを欲し、そして多数のヴォイミの間でやり取りされた公益性のある情報だったがゆえだと言えよう。いつでも知りたい情報を都合よく知ることができるわけではないが、うまくヴォイミを使役することができれば、知りたい情報だけを取得することもできる。そんなイメージに近いように思えた。ではここではどうか――。そもそもヒロミは地図を見ながらでも迷うことが多い。平常時と、そして爆破があった後に通行可能だったルートについては今でも参照できる。正面入口を入った先の吹き抜けの空間までなんとか辿り着けさえすれば、その後の研究室までの道のりは正しくなぞることができるのではないか。そう思いながらも、ヒロミは一言ささやいた。
「現在地から第3研究室まで」
表示されたのは平常時の最短ルートだ。今ここで作業するネーリア以外に、現状で封鎖されている場所の情報などは必要もなく、公開すべき理由もないのだろう。ヒロミは観念し、平静を装いつつ暗い建物内を進んでいった。
ヒロミの部屋のある王城内部と比べると研究棟の構造は整然としている。それでもヒロミにとっては十分に複雑で、似た構造が多い分、かえって迷いやすくも感じた。確実に中央の入口には近付けているように感じたが、作業用ヴォイミと鉢合わせしたり、ネーリアらに近寄るのを避けたり、または進入禁止のバリケードに阻まれたりと、随分と遠回りをせざるを得なかった。目にするヴォイミの形態も多彩で、この被害に対応するためであることが察せられたが、時折ヒロミの自室でも見かけたような、散水用とでも言うべきか、丸いボール状の飛行型ヴォイミを目にすることがあった。消火活動のためだろうか。妙にのんびりしたその動きはこの場にそぐわないようにも思われた。
何気なくその向かう先を辿ると、ようやく吹き抜けの開けた空間、ヒロミらも利用した正面入口へと到達した。今はその入口を見下ろす3~4階の廊下にいるようだ。中央に伸びる階段は、天井の崩落により途中で封鎖されている。作業用ヴォイミがかなりの数飛び交い、急ピッチでこのエリアの修復が行われているのが分かった。フードを深くかぶったままのネーリアの姿も多い。それだけでも、研究員ではないことは推測できる。顔を覆わない見るからに研究員、という容姿の者はまれにしか見かけなかった。そしていたるところに、光沢のある素材を用いたローブで全身を包んだ高官らの姿もあった。ヒロミが過剰に意識しているせいか、彼らが互いに顔を近づけて何やら相談しているのを目にすると、自分についての話をしているように思えてならなかった。ようやく知っている場所に来たということもあり、彼らの視界から消えたい思いもあり、早足でその先の道へと向かった。
照明が復旧している通路は少なかった。ヴォイアクーが到着した発着場付近はまだ被害が少ないように感じられたが、中央から反対側、おそらく方角で言えば西側の区画は戦闘の跡も残る荒れた道が続いた。すぐに侵入を禁止することを示すテープ状の物体が張られた通路へと行き着いた。だが、ヒロミの記憶が定かであれば、目的地の第3研究室はこの先だ。道を遮っているのがあの自室の前に配備されていたような警備用ヴォイミでなかったのは幸いだろう。彼らをごまかすことは今のヒロミには難しい。ヒロミは周囲を軽く確認し、そのバリケードをくぐり抜けた。暗い道の先に、ふと、先程も目にしたボール状のヴォイミが飛んでいるのを見かけた気がした。
(もしかして……)
その先は迷わなかった。見回すと、ヴォイミの発するスケイルヴェールの光が、進むべき先にかすかに漂っているように見えた。足元は極めて不安定で、おそらく昨日激しい銃撃戦が行われた場所であることが伝わった。この付近はまったく修復の手が追い付いていないようだ。やがて、まぶしい光の漏れる空間が視界に入った。間違いない。それは警備用ヴォイミに壁を破壊された、第3研究室のものだ。
ヒロミはその溢れる光のもとへ、急ぎ向かった。戻ってきた、という感覚が近いように思えた。進んだ先でヒロミが目にしたのは、既に自室にも劣らぬほどに広がった、緑の空間だ。廊下を隔てる壁はほとんどが崩れ、窓も全体が割れ落ちている。そして上空には、幾度か目にしたあのボール状ヴォイミがゆっくりと飛び回っていた。
偶然だろうか?いや、ヒロミにはどうしてもそうは思えなかった。このヴォイミが、この部屋の植物を維持し、そしてヒロミを案内してくれた。そんな都合のいい話があるだろうか。ヒロミが迷うことが分かっているのは、そしてここを訪れることが分かっているのは、キュイオしかいまい。ヒロミは涙が溢れそうになり、しばし立ち尽くした。




